第496話 <ラルフ 2/2>


 国王と共に学園へ向かうこと自体は、左程困難なことではない。

 彼自身も嘗て通ったことのある学び舎だ、勝手に逸れて場所を見失うということもない。


 ただ、建物の倒壊により回り道を余儀なくされることもあった。

 少し手間取りながら、ようやく学園に辿り着く。




 ※



 学園周りの光景は、全く様変わりしていた。

 建物自体は損傷もなく、周囲の様子と比べれば奇跡としか表現できない現状を保っているけれど。


 学園を覆う半球体の『透明な壁』が少し離れたところからでも視認できるようになっていた。今まで使用される機会の無かった結界魔法の効果が発動している。


 元々魔物などの襲撃に対応できるよう、敷地内には魔除けの結界が施されているはずだ。


 日常生活の中で全く存在に気づかない、空気そのものの機構がまさか役に立つ時が来るとは誰も思わなかっただろう。

 尤も――その結界があるから安泰というわけではない。

 流石に何十、何百を超える魔物達が一斉にその結界を破ろうと至る所で爪や牙、口から吐く炎などで攻撃を加えている。

 その度に強固なはずの『壁』は、みしみしと軋みを発している。


 どこか一点でも孔を穿たれてしまえば一気に魔物達が侵入を果たしてしまい、この学園という敷地内も他の場所と同じように魔物に蹂躙されるに違いない。


 このような結界は形式上というか、お守りのように大きな施設に施されているものだ。

 しかし魔物との抗争からすっかり遠ざかってしまった長い期間、結界魔法を継続させるための保全を怠っている建物ばかり。

 魔物の一度の攻撃で、薄いガラスのようにパリンパリンと簡単に破られている場所が道中にいくつもあった。


 王宮の結界が悪魔の復活により消滅したのなら、残りは三家の敷地内、もしくはこの学園くらいしかろくに機能していないのだろう。


 大勢の難を逃れた市民が学園の中に駆け込んでくる。

 中には外門をよじ登って中に入ろうと必死に逃げ惑っている者もいたが、少しでもモタモタすれば結界を破ろうと周辺一帯を覆う魔物達の餌食になってしまう。


 普段生徒の送迎で利用されている馬車の待機広場に、武器を持った大勢の騎士や兵士たちが居並び応戦している。

 逃げ込んでくる市民達を誘導しながら、上空からとめどなく押し寄せる魔物達を追い払おうとしているのだが……

 何分飛び道具の数が足りていない。


 学園の上部、誰も手の届かないところで結界に孔を穿とうと集まっている魔物達をどうすることもできていないようだ。魔道士達は結界の維持に全力で、攻撃をして数を減らすだけの余力もないのだろう。


 このままでは――この場所も長い時間もたないのではないか、とラルフは顔を顰めた。




「……ラルフ!

 陛下もご無事でしたか」



 学園内の敷地に滑り込むと、ようやく人心地着く。

 ここならまだ、現状奴らの侵入は防げている――それも時間の問題のように思えるが。

 大勢の人間がここに駆けこんでいることを察知した魔物達は執念深く、自分達を遮る壁を叩き割ろうとべったりと貼り付いているのだ。


 もはやおぞましいとしか言いようがない光景である。



 学園に入ってすぐの運動場にはアーサー、そしてシリウスの姿が。

 彼らだけではなく、魔道士や魔法を使える人間達が集っている。


 こちらの存在に気づき、アーサーがホッとした表情で駆けつけてきたのだ。

 ラルフもアーサーの五体満足な様子に、ようやく不安から解放される。


「ああ、何とかな」


「先に城を空けてしまい申し訳ありません、陛下」


「善い、先に避難場所を確保する事の方が重要だ。

 城はもう使い物にならぬ」


 国王が抱えている幼い子にすぐ気づいたアーサーは、校門の外で逃げ込む市民を誘導している兵士を呼び寄せた。


「怪我をした人たちは、剣術の修練場に連れて行きましょう」


 身体的にあまり思わしくない状態の人間を一か所に集め、処置をしているのだとか。

 突然の惨禍で何もかもが足りないが、医務室を与る医師が頑張っている。


「そうか……。

 では、任せる」


 国王の前で完全に委縮し、最敬礼をした兵士。

 彼に少年を預ける国王は、先ほどあんなに感極まったように涙を流していた男性と同一人物とは思えない。


 あの少年が目を醒ました時、事情が分からずパニックを起こさなければいいのだがと兵士に運ばれる後姿を見て少し不安に思った。



 国王は背筋をしゃんと伸ばし、厳めしい顔つきで周囲を見渡す。

 流石王族と言うべきか、真剣な表情でその場に佇むだけでも周囲の空気が全く変わる。


 一朝一夕では身につくことなど不可能な、特別な雰囲気を纏う国王はこんな場所でも存在感が大きい。


「現状はどうなっている」


「はい、市民達には学園、もしくはロンバルドの敷地に避難するよう呼びかけ、戦える騎士や兵士たちに誘導させています。

 怪我をしている人たちは一所ひとところに集まってもらい、治療を優先。

 学園の生徒達は講堂に避難誘導、その他の市民は教室や講義室に収容している段階です。

 魔物が侵入してくることのないよう、魔道士達で結界の補強を行っているのですが……

 敵の数は増える一方、魔道士の限界も近く早急に魔道士の増援が必要な状況です」


 成程、とラルフも頷いた。

 では魔法が使える自分は、この場で結界補強の一助になるべきなのだろう、これを破られてしまえば終わりだとさえ言える。


「陛下、学長室までお急ぎください」


 アーサーはそう進言する。

 今の話にはなかったが、恐らく身分の高い貴族達も続々と安全圏である学園に身を寄せてきているはずだ。

 こんな状況だが一般市民と同じように扱うわけにはいかず、国王ともなれば最も奥深く安全な場所に避難してもらうべきである。

 まぁ、この結界が壊されてしまえば数百もの魔物から皆を守らなければならず、今以上のパニックは避けられない。

 どこにいても同じかもしれないけれど。


「いや、構わぬ」


 しかし国王は大きくかぶりを振った。

 まさかここで提案を拒否されるとは思っていなかっただろうアーサーは、かなり困惑した顔だ。


「陛下?」


「このような非常時、皆大いに不安を募らせているのだろう。

 余は各部屋の様子を見て回ろうと思っている。


 何、先ほど”聖女”と名乗る女生徒に助けてもらったのでな。

 その話でも聞かせてやれば、多少混乱を抑える事も出来るであろう。


 それくらいの役には立たせてくれ、アーサー」



 ラルフも少し驚いて、彼の横顔を見てしまった。

 皆が必死で魔物達の襲撃に立ち向かっているが、王様なのだから難事から身を隠すべきだとは思う。

 彼はこの国で最も尊重され、守られるべき人物なのだから。


 しかし、誰もがいつ押し寄せて来るとも知れない上空の魔物達に怯え、あっけなく奪われた日常に絶望している。

 避難してくる人数は増える一方だが、その分どこかで不安が暴発したら揃って恐慌状態に陥りかねない危険をはらんでいるのだ。



 実権は何もないと嘯く国王という存在であるが――


 しかし、表向きは彼が全てを束ねる国のトップで”偉い人”なのだ、と誰もに印象付けることに成功しているわけだ。

 文字通りの雲上人が、この危機に聖女の再来を聞かせるのなら、百の言葉で不安を取り除くよりも大きな希望と安心に繋がることだろう。



「はい、ありがとうございます。

 私達は引き続き結界保持に努めます」


 アーサーはこんな時にも拘わらず、嬉しそうに破顔した。





 ※





「……とはいうものの、流石に現状は厳しそうだ」



 国王が、まさに自分の意志で考えて前向きに行動してくれると言うのは有り難い事だ。

 しかし肝心の『安全』を確約する学園を覆う結界が、徐々にその効力を失いつつあった。


 あちらこちらから孔を穿とうと攻撃を繰り返す魔物達を押し返すため、皆が己の魔力を『結界』に重ね張りするように放出することで何とか孔が空くのを防いでいる。

 敷地内は広大でその分大勢を収容できるが、広すぎる故に結界維持に必要な魔力も尋常ではない。


 魔法が使える者は皆両手を暗黒の空に掲げて、必死で己の魔力を結界に乗せる。

 魔物の圧力に押し負けないよう。


 ラルフにとっては結界や障壁などの補助に類する魔法は得意分野だ。

 しかしこれだけ巨大な半球の大きさの結界など当然今まで関わったこともない。


 魔力をそれに重ねた瞬間、己の体の中の全ての魔力を吸い上げられるのではないかという衝撃を受け、目の前がチカチカし火花が散る。



「ああ……。

 一刻も早くフォスターの三つ子があの忌まわしい『悪魔バケモノ』を倒してくれることを祈るほかあるまい。

 長くは保たんだろう」


 隣で同じように結界保持に全力を尽くすシリウス。

 彼は学園の運動場に集う魔道士達を何度も檄を飛ばしながら、彼自身も額に大粒の汗を浮かべて歯噛みする。


 彼の魔力も桁外れということは知っているが、もしかしたらこの巨大な結界を殆ど彼の力で支えているのではないかと。

 彼の尋常ではない疲労の様子を見て思う。

 これでは早々に彼の力が尽き、最終的に悪魔を倒す事が出来たとしても……

 学園も壊滅状態、被害が尋常ではない規模になるだろう。


 王都自体が消失してしまってもおかしくない。


 悪魔を討伐し、勝鬨を上げる聖女の一面が焼け野原だなんてちっとも笑えない。


 少し離れたところで同じように結界魔法を使用するアーサーも、既に表情は真剣なものに戻っている。


 彼もまた、この数え切れない魔物達の突撃によって学園が惨劇に染まらないよう力を振り絞っていた。


 魔物と敵対するという事が歴史の中で減り、魔法を使える人間は昔より減っている。

 魔道士の数も少なく、質だって決して褒められたものではない。


 大きな苦難が訪れればその苦境を打破するために技術は発展する。

 しかし平和な時が続けば、発展の方向も変わるものだ。

 人が住みやすくなるような魔法道具を作る技術は確かに向上したが、その分純粋な魔物を倒すための破壊力のある魔法は進化を停めた。

 魔道士になりたいと希望する人間もどんどん減っている。


 平和に慣れ切ってしまったせいで、窮することになっている。

 仕方のない事とは言え、流石に当代の魔道士達の負担が大きすぎやしないか。




「それにしても、一体あの悪魔は何だろうね」


 ラルフが疑念を口にすると、シリウスは不機嫌な顔を一層顰めて眉間に皺を寄せるのだ。


「……。」


 その意味深長な沈黙が、何となく『正体』を予想させる。

 だがそれを問いただしたところで現状の何かが変わるわけではない。


「さぁ、な……。

 悪魔を復活させようなどという、愚かな事を考える人間でもいたのではないか?」


 

 可能な限り感情を消そうとして逆に違和感を含んだ彼の言葉。

 そして何も言わず、一瞬俯いたアーサーの曇った顔。



 ああ――

 きっと、あれは。



 エリックなのだろうなぁ。




 何となくそう思う。

 彼が悪魔になってしまったことは因果応報と捕らえることもできる。

 全ての元凶と言っても過言ではない。


 しかしどんな人間でも親は親だ。

 血の繋がった肉親である。


 シリウスの胸中を察し、ラルフもそれ以上言及することはしなかった。



 いや、出来なかったと言った方が正しいか。




「――……!」




 遠く見える悪魔の巨影が、大きく口を開け赤黒い口腔内がこちらを捕らえる。

 そして真っ赤な光の波動が――学園の結界を消し去るべく放たれたのだ。



 どん、と大きな衝撃で大地が揺れる。

 幸い何とか耐えきれたものの、何度もその力を叩きつけられれば……想像するだけで目の前が真っ暗になる。 


 どうやら大勢の人間がここに集まっているということが奴にも知られてしまったようだ。

 奴の口の形が、三角にニヤリと笑うようなものに変わるのが忌々しい。



「……もっと出力を上げろ!

 本気を出せ、本当に穴があいてしまうぞ!」



 シリウスが叫ぶも、既に皆自分の限界まで身を削っている。

 叱咤されたところで力がみなぎるわけでもない。



 

 聖女が三人がかりとは言え、彼女達が到着し倒すまで持ちこたえることが出来るのか?

 最後の敵を倒したところで足元に横たわった人間の山が築かれていたのでは何の意味もないではないか。


 ここまで多くを犠牲にする必要などないだろう、宰相。


 もう、こちらの声など彼には届かないのだろうが……

 腹立たしく、悲しく、そして苦しい状況に魔道士達の顔が絶望に染まりかける。


 自分達が支えないと皆が襲われてしまう、プレッシャーも大きい。

 まさに命を支えているのだと自覚すると、天へ掲げる腕も震える。




 ふと、こんな時に『魔法のヴァイオリン』が手元にあればな、と思った。

 あれはかなり使い勝手のいい優れた魔力増幅器ブースターだ。



 あのヴァイオリンの音色は、魔法の効果を何倍にも底上げしてくれることはラルフも体験済みだ。

 広範囲かつ指向性を持たせた眠りの魔法をバラまくことができたのも、あの魔法道具あってのこと。


 今現在、ヴァイル邸の自室に置いて来ていることを悔やむ。

 寮に置きっぱなしだったら、無理をしても取りに走れたものを。



 ――姉が『魔法のヴァイオリン』を弾いてみたいと望み、貸したままだ。

 しばらく使うこともないだろうと思っていたのが運の尽きか。


 封印魔法の研究が進めばシリウスに貸し出すことにもなるし、それなら早い内に貸して返してもらおう――という判断が取り返しのつかない状況を作るとは。


 一年前の聖アンナ生誕祭の時に『精霊石』を持参しておらず困ったシリウスに普段から持ち歩いておけばいいのに、と呆れた事を思い出す。

 確かに、普段入用のものでなければ……

 すぐに手元にあるように持ち歩くなんて発想、中々出てこないものだなと思い知る。






 がやがやと外門前が騒々しい。



 魔物の蔓延る街中から、何名もの大所帯が飛び込んできたようだ。

 大勢の護衛に守られようやく安全と思われる場所に辿り着いたのだから、きっとホッと胸を撫でおろしていることだろう。


 しかしその安全を担保している結界が、もうあと幾ばくも保ちそうにないことは当然知らないはず。

 折角避難してきたというのに、じきにここも魔物の群れに呑み込まれてしまうのだ。


 口が裂けても言える事ではないが、破綻、限界は徐々に近づいている――











 するとどこからともなく、こんな状況には全く不相応な音楽が流れてくる。

 あまりにもミスマッチな状況に、ラルフだけではなくシリウスもアーサーも皆、『音』がする方へと示し合わせるように視線を遣った。




 ヴァイオリンの音色はとても美しく、上空で幾重にも重なり人間の本能的恐怖に訴える魔物の鳴き声を打ち消すように良く透る音だった。





「……姉さん!?」



 何故彼女がここに、とラルフは夢を見ているのではないかと思った。

 俄かには信じがたいが、屋敷にいるよりも魔道士達が集結している学園の方が安全と判断したのかもしれない。

 しかし移動には危険が伴うものだ、大きなリスクを冒してまで何故ここに?


 普通のお嬢さんなら、魔物だらけの街を突っ切ってやってくるなんてできないだろう。いくら護衛がいたって怖いに決まっている。


 だが彼女はふんわりとした動きで、肩に乗せるヴァイオリンの音色を奏でる。

 不思議な光景だった。



 ヴァイオリンはキラキラと白く輝きを放ち、彼女の奏でる音楽に乗って周囲に煌めく粒子を撒き散らす。

 見覚えがある楽器だが、彼女がここに持ってきてくれたことに――いや、わざわざそれを使用しながら学園に降り立った事に赤い目を瞠る。





 『魔法のヴァイオリン』を手に、彼女は何度も弓を引く。

 ゆったりとした音色が広い運動場に響き渡ると、とても不思議な現象が起きた。



 

 魔道士達が驚きの声を上げ、思わず己の掌をまじまじと見つめ始める。






   ――急速に結界の強度が増す。

 




 全身の魔力を根こそぎ持って行かれそうな重たい負担に耐えていたけれど、それがフッと軽くなったのだ。

 この感覚にも覚えがあった。






「貴方に”これ”を届けた方が良いのではないかと、お父様が仰っていたのだけど。


 ふふ、私だって――ヴァイオリンは得意なのよ?」







 聞き覚えがある曲に、ラルフの胸はぐっと詰まった。









「ねぇ、ラルフ。

 あの頃より上手になったかしら、これでも随分この曲を練習してきたのよ。

 貴方に教えてもらわなくても良いように、ね」 



 そう言って彼女は音を奏で続けた。

  






   『姉さんに教えてあげたいから、この曲、僕も練習したんだよ』







 嘗て知らない間に姉を傷つけていたと知った、自分の過去の言葉。

 その当時の曲が、彼女の手によって周囲の魔法の効力を高める力になっている。






 これなら――もう少し、皆の魔力も保ちそうだ。

 今までより魔力を抑えても、結界の維持が可能かもしれない。




 居並ぶ魔道士の数倍が増援に駆けつけてくれたような頼もしさに、アーサーがホッと安堵の吐息を落とす。

 




「そうだね、今度は僕が姉さんに教えてもらおうかな」 






 自分で奏でるより――この方が、魔力ちからが溢れてくる気がした。







 ※





 










  遠くで咆哮が轟く。






  悪魔の腕が、白い光で斬り落とされた。




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