第493話 <ジェイク 1/2>
「――くそ、一体何なんだ!!」
ジェイクは焦燥や苛立ちで何度もそう呟いては剣を横に薙ぎ払っていた。
※
突然空が真っ暗になって雨でも降るのかと顔を上げたら、雨の代わりに降ってくるのが魔物だなんて全く笑えない。
悪夢そのものだった。
王宮のど真ん中には規格外に双角巨躯の、天を仰ぐ化け物。
それが数多の魔物を従え、自分達を強襲してきたのだ。
当然浮足立ち、状況把握に何手も遅れた。
特に魔物は、魔法が使えない騎士にとっては一対一でも非常に苦戦する相手である。
もしも魔物に遭遇した場合は何名かで組んで立ち向かい、決して一人で立ち回るようなことがあってはいけない。魔物の素の身体能力は人間を凌駕する。
一人で何とか出来ると思うべからず、が基本だ。
だが騎士達もこんなに近くにいて意思疎通が出来る空間にいるというのに――
どう考えても非現実的な現実を前に、普段の冷静さを失ってパニックになる者も現れた。
彼らに改めて指示を出そうにも、上層が慌てふためいて指揮系統が完全に断絶されている。
機能している自分の隊だけでもと、街に降り立つ魔物達から街の人々を守るために最も敵影が多い場所へと急いだ。
開けた場所の中央広場に辿り着く。
そこは他の場所より、羽を生やした魔物がより多く降下しているように見える。
元々王都を覆うように張られている結界が彼らの降下を遮り邪魔をしていたようだが、この辺りで結界が解れてしまったのか?
とりあえず炎の魔法で上空に固まった集団を一旦焼き払うことはできたものの、そのせいで彼らは警戒し空中や地上などに散開しジェイク達を取り囲むように襲ってくる。
地上にいる魔物と比べ、純粋な強さを感じる。
今までのありふれた日常が、見慣れた景色が、全く別の空間へと変わる。
そこに広がっているのは非日常。
公園の中心に立っていた時計台は跡形もなく粉々に粉砕され、湖の上には逃げ惑い足を滑らせて落ちた人たちが助けを求めて藻掻いている。
だが暗く底の見えない闇色の湖の上空には同じく魔物が滞空し、溺れる人間へ奇声をあげながら襲い掛かっていた。飛び道具や魔法で魔物を退けることは出来ても、この薄暗い中彼らを水中まで助けに行くだけの余裕はない。
一匹、十匹狩ったところで何の意味もないのでは。
そう絶望を抱く程、敵影は際限なく空から落ちジェイク達に襲い掛かる。
派手に暴れ回れば奴らの注意を引き付けることが出来るが、圧倒的個体数差で襲い掛かられてはこちらの消耗が増えるだけだ。
魔法の知識に疎い者は市民の救助を優先させているが、この王都内四方八方敵だらけ。
一体どこに逃げれば良いのか、とジェイクも悩んだ。
一応、連れてきた騎士達の数名に指示を出す。
「……ロンバルドの敷地なら、兵隊も沢山いる。
そこまで誘導できるか?」
剣を振り下ろすと、牙を突き立てようと襲い来る大きな蝙蝠のような魔物が両断される。
青い血が撒き散らされ、異臭に眉を顰めた。
あの化け物が『悪魔』だというのなら――
必然的に結びつくのはあの悪魔の依り代の正体、その名前。
そんなことがあるはずはない、と何度もジェイクは
確認に行ったところで、現実は変わらない。
アレはアーサーなんかじゃない、と強く信じてこの場を抑える事が今の自分のやるべきことだ。
だがしかし、いつまで続くとも分からない攻勢を受け続けるのは精神的負担も大きい。
体力が無尽蔵にあるわけでもなく、斬っても燃やしても続々と落ちてくる新手の魔物を相手に、流石にキリがないとジェイクも舌打ちを繰り返す。
ゆっくりとだが確実に削られていく騎士団の戦力。
手を休めれば、奴らに喰われるかなぶり殺しにされるだけだ。
それが分かっているから、皆疲れていても剣を振るわないわけにはいかなかった。
市民を守るどころか、自分達の命さえ危うく感じられる。
そんなどうにもならない絶望が場を支配し始めたその時。
突然、頭上の空が真っ赤に焼けた。
連なり降り立ってくる魔物の一団が、灼熱の炎に一斉に焼かれてジュワっと音を立てて消滅する。
一気に、上空一帯から黒い影が消えうせ、皆何が起こったのかと周囲を見渡す。
「………将軍!」
今の火炎は悠然とその場に立つ巨躯の壮年男性が放ったものだと分かると、その場で防戦を強いられていた騎士達の表情が明るくなる。
彼の後ろには直属の精鋭部隊、人数こそ少ないが皆それぞれダグラスに認められた剛の者ばかりだ。
そんな錚々たる人間が集っているのだから、当然士気は鰻登りである。
圧倒的存在感と言うか、無言でその場に立っているだけで心強く思える。
普段はただ恐怖の対象でしかない彼の存在が、この緊急事態でこの上なく輝いて見えるのは致し方ない。
一度魔物が掃討された上空だったが、すぐにもっと高いところから魔物が降り立ってくる。
果ての無い襲撃に、誰もが心折れる寸前だっただろう。
「皆、よく聞け!」
彼は大剣を景気よく振り回し、魔物達を斬ると言うよりも叩き割りながら大声で喝を入れる。
「未曽有の危機、あの恐ろしい古の悪魔を退けるため――
まさに今、聖女が覚醒したとの報が入った」
聖女?
それはこの場にいる騎士達にとって、起死回生のまさに吉報と呼べる報せだろう。
だがジェイクにだけは、全く別の感情が湧く。
聖女が、目覚めた……?
聖女が目覚めたら、悪魔を蘇らせる。そういう計画なのだとシリウスから再三説明があったが、ジェイクにはどこか非現実的な話にも思えていた。
アーサーが簡単に悪魔になるわけがない。
ごく普通の少女であるはずの彼女達が、聖女という力を秘めているというのもピンとこなかった。
「聖女にばかり負担を押し付けるわけにはいかぬ。
不甲斐ない姿を見せるな!
我らの住む国は我ら自身の手で守り抜く、騎士の勲章と共に
今まで底なし沼にハマって藻掻くだけの気持ちだった騎士達も、そう鼓舞されてはやる気を漲らせないわけにはいかない。
絶望から希望へ、自分達の力で一人でも多くを守るのだと言う意識。
何よりここには、一騎当千と謳われる希代の実力者、ダグラスまでいるのだ。
彼の存在は歳を重ね一層重みを増し、決して衰えることのない誰にも負けない強靭さを見せつけ周囲を圧倒する。
後ろで指揮をするタイプの人間ではなく、自ら得物を携えて魔物達の前に進み出、皆を守る献身。
我が身の安全さえ省みないその態度は大勢を励ます。
その光景自体は戦意高揚の意味も有り、ある意味で美しい。
だがジェイクはその中にあって一人、どうしても釈然としなかった。
確かにこんな危機的状況に、国の軍を預かる将軍が先陣を切って魔物を切り伏せ灼熱の魔法で焼き捨てる様は勇猛で、壮観。
消沈していた騎士達もまるで別人のように落ち着き払い、疲れを忘れたように自分のやるべきことに再度集中しているようだ。
違和感がある。
……何故、あいつは。
あんなに、嬉しそうに戦っているのだ。
まるで幼い子供が新しい玩具を持って遊ぶ、無邪気に一心不乱に、嬉々として夢中になるかのような。
小さな目を爛々と輝かせ、問答無用で魔物を粉砕していくのである。
蟻の行列を 踏みつぶして楽しむ 悪戯っ子のように。
「どうした、動きが鈍っているようだな」
前触れなく、間近に父の声が聴こえ、ジェイクは弾かれたように顔を上げる。
そこにはかつて見たこともない程、愉しそうな男がいた。
愉悦に満ち、高揚しニヤニヤと笑う父の姿だ。
全身に青き返り血を浴び、嗤う彼の姿は狂気としか言いようがない。
「なんでだよ。
……なんで……そんなに楽しそうなんだ?」
一軍を与る将たるもの、余裕を失うような表情など厳禁。だが、そんな常套句では言い表せない程彼は楽しそうなのだ。
無数の玩具を前にして手を叩いて喜ぶ子供。
「なんだ? お前は楽しくないのか?」
「楽しいわけないだろ!?」
ジェイクは憤慨し、唇を噛み締める。
何を狂った事を言っているのだ。
「はは、そう嘘をつかずとも良いわ。
楽しいだろう?
……誰にも遠慮せず、自分の力を発揮できるのは」
「親父」
「お前も、ティルサで多くの魔物を焼き払ってきたようだが。
……楽しかっただろう?
大義名分を得たのだ。
禁じられ使えなかった焼尽の魔法で、格下の魔物達を掃討することが楽しくなかったわけがあるまい?」
「黙れ! 俺はそんなことは思ってねぇ!
てめぇと一緒にするな!」
相手は敵対種族とは言え、人語を解する生き物だ。
かつて人間と対立し、住処を分けて同じ大陸に住まう者同士でもある。
本質的には相容れないが、無抵抗で仲間を殺されるわけにはいかないから、退けた。
結果多くの魔物の命を奪うことになってしまったが、それは今でもとても気分の悪い事だったと思う。
経過報告書に書くのが嫌で嫌でしょうがなかった。
蟻を踏みつぶし、蜘蛛を放り投げ、毛虫を弾き飛ばすことに罪悪感は憶えない。
だが流石に、あの望まない一方的な殺戮劇は夢見が悪かった。
……このダグラスという男は、あの魔物達を殺すことを、羽虫を叩き潰すのと同じくらいにしか思っていない。
その上で、今まで使う事の無かった”全力”を惜しみなく生きた対象物に向けることが出来ることを、心の底から喜び楽しんでいるのだ。
父と隣り合い剣を振るう姿は、遠くから見ればそれなりの”ドラマ性”を見い出せるものかもしれない。
だがジェイクの胸中は吐き気を催すような嫌悪感で埋め尽くされている。
「ああ――こんなにも楽しいことだとは。
愉しいなぁ!」
彼は自分と同じ酒に酔うことはない体質だった。
だから何かに酔うなんて姿、当然見たことがない。
こんなにも譫言のようにぶつぶつと呟き、実際にとんでもない威力の魔法を次から次へと繰り出し、魔物達を炎に撒く彼に何を思えばいいのか分からなかった。
狂った価値観を持つこの男を、後ろから切り伏せてしまいたい衝動にさえ駆られた。
だが、この惨事の中彼の存在は大きい。
騎士達は彼を信頼し、率先して魔物を切り刻む彼に続けと高揚して成果をあげているのだ。
悔しい。
窮地を作った当人側のこいつに頼らなければ、惨状を乗り越えることもできないなんて。
この危機に彼の人離れした戦闘能力は貴重で、人間側の最重要戦力で。
「抑えつけられ、使えぬ力に何の意味がある。
抜けない宝剣に、何の価値がある。
どれだけ丹精込めて磨こうが!
――切れ味を示さねば、真に名剣とは呼ばれんのだ!」
本人は周囲の期待など知ったことではなく。
ただ使えなかった力を使い、途方もない”悪”をねじ伏せ遠慮なく本気を出せる事を心の底から楽しんでいるだけだ。
一対一で
強力な規格外の魔法を習得しても、使用することは許されなかった。
彼は皆から鬼神と畏れられたが、それでは彼の心は毛ほども満たされるものではなかったのだ。
この王国で最強の人間という自負があり、そして誰もがそれを認めていても。
問答無用に世に示す機会がないこと、全力を賭して何かを成せないことに、彼はいつも餓えていたのかもしれない。
人間同士のいざこざ、縄張り争いさえ彼にとっては些末な問題で関心もなかったのだろう。
内乱? 国境戦争?
全てを焼き尽くし、皆殺しにすればいいだろう。
当然そんな非人道的なことなど許されず、面倒くさいと。いつも不機嫌だった。
今のような対魔物であれば、屠れば屠るだけ純粋な戦果。
誰にも非難されずに命を刈り取れる。
己の力を示すことが出来る。
一歩間違えれば命を落としかねない状況の中でも、彼はそのスリルさえ楽しんでいる。
「気分が良いから、教えてやろう。
喜べ、あの化け物は王子ではない」
「……っ」
ははは、と哄笑を上げながら広場奥の魔物に向かって踵を返すダグラス。
もしかして、彼が悪魔を復活させるなんて計画に反対をしなかったのは。
協力をしたのは……
この事態を引き起こす事を望んでいたから?
あの悪魔がアーサーの成れの果てではないという話はジェイクの緊張感を一瞬弛緩させるのに十分な効果を持っていたが。
ここで気を緩め、自分が魔物に喰われることになってしまっては目も当てられない。
――とは言え、アーサーの無事な姿を実際にこの目で見るまでは完全に信じる事は出来そうもない。
ジェイクは苦々しい想いでダグラスの去って行った方向を睨みつけ、再び空から強襲してくる羽つきの魔物に一人で相対する事となる。
先ほど焼き払われたはずの宙も、その焼けた痕跡を残さず闇に染まっていた。
次から次へと、際限がなく魔物が産まれ落ちてくる。
「………! ジェ、ジェイク、様……!!」
どこかで自分を呼ぶ声が聴こえ、視線を横に少しズラす。
幻聴かと思える弱弱しい声だったが、何度も聞いたことがある声なので耳にスッと入って来た。
見ると、樹の幹に手を添えてゼェゼェと荒い息を繰り返す女性の姿が飛び込んでくる。
周囲は魔物だらけ、騎士達が応戦しているとはいえこの広場周辺の上空は他の場所よりも魔物が多い。
こんなところで女一人何をしているのかと目を疑った。
「お前、ガルド子爵の」
思わず橙色の目を瞠る。
ここまで走ってきたのだろう、完全にへとへとになって手を着く女性は、クラスメイトの一人だ。
カサンドラの取り巻き――いや、彼女が言うには”友人”だったか。
「カサンドラ様が! ご自宅におられなかったのです!
ジェイク様!」
長い髪を大きく揺らし、彼女、デイジーが必死に声を掛け訴えてくる。
「カサンドラが?
……知らん、家にいないなら学園にいるんじゃないか?
それか、どっかに逃げ出したか」
突然特定の人物の名を挙げられても、混乱状態の最中すぐに所在が特定できるわけがない。
放課後まで学園にいたのなら、家か学園かどちらかにいるのだろうとしか答えられなかった。
「そこら中、化け物が一杯なんです!
お願いします!
カサンドラ様がご無事なのか、心配で……
一緒に探してください。
――お願いします!」
彼女が救いを求めてそう叫ぶと、声量で空気が震える。
丁度彼女の頭上に滑空していた魔物の目が、ギロリと動いた。
「馬鹿か、人の心配してる場合じゃ」
そう言っている最中にも、自分目掛けて数体が別方向から同時に牙を突き立てようと急襲してくる。
何とかして彼女を助けないといけないということは判断できるが、距離が遠い!
「上から来る! ……逃げろ!」
何でいいところのお嬢様が、こんな危険なところにノコノコと顔を出しに来るんだ。
屋敷の連中と一緒に避難すればいいだろうに。
まぁ、こんな事態ではどこに逃げれば良いか誰も分からずパニック状態に違いない。
しかし単身で顔を出すにはあまりにも向こう見ずで、危険な行動としか言えなかった。
魔物は身分も性別も歳も、襲う人間に区別などつけていないというのに。
「え?」
彼女が上げた顔に、サッと黒い影が射す。
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