第492話 <シリウス>



 その日の放課後、シリウスはいつものように王城に滞在し、何かと煩わしい話をわんさかと聞き流している真っ最中だった。

 来月に迫った聖アンナ生誕祭の準備で忙しいのは学園だけではなく、当然神殿側も同じかそれ以上にバタバタしている。


 クローレス王国で最も大規模、盛大でどこの街でも催される唯一のお祭りかも知れない。

 聖アンナの成した偉業を語り継ぐためというお題目で続けられている祭祀の一つだが……


 流石にあんな話を知った今となっては、空寒そらざむいだけの一日になりそうで全く気が進まない。


 王宮で行われる生誕祭に関わらなくても良いはずなのに、なんだかんだとシリウスに協力を要請し、あわよくば段取りを任せたいと言う意志の見え隠れする神殿関係者には辟易とする。


 結局本番の儀式でしたり顔で人々の前に姿を見せ尊崇の対象になるのは教団のお偉いさんだけだ。

 祭祀場に居もしない学生の自分を使いっ走りのように扱って楽をしようという魂胆が気に食わない。


 アーサーは『それだけ信用されているという事だと思うよ』と八方美人的には満点の模範解答を披露してくれたが、一層仏頂面になってしまう。

 ここでちょっとした手伝いでも引き受けようものなら、あれよあれよと面倒な段取りを任されるに決まっている。


 正式な儀式だから日程はほぼ決まっているが、前段階で使用する神具を女神の祝福によって清めるなどという面倒極まりない恒例行事が最たるものだ。

 王族を含めた団体ご一行様と共にに神具を持って出かけるのだが、聖地で三日三晩祈りを捧げる司祭役をやれと言われたら目も当てられない。


 去年はその苦行から逃れる事が出来たが油断できない。

 勝手に予定の中にねじ込んでこないよう重々注意しておかなければ。

 偉くなればなるほど、面倒な事は下に「信頼している」という語り口で仕事を投げてくるのだから堪らない。

 じゃあ何かしらのトラブルが在った際に責任をとってくれるのかと思えば、全て実行した下の人間の責任ときたものだ。


 数年前、神具の取り扱いを誤った神官のせいで清めの儀式が中断した際、その神官は僻地の神殿へ送られることになったのだとか。

 当人が罰を受けるのは仕方がないが、取り仕切る役を任せた人間は不便が生じた時に怒れば良いだけなのだから気楽なものだ。


 何でもかんでも自分でやりたがる上の人間も困るが、そうでないのも極端が過ぎれば周囲も困る。



 そんな風にシリウスが王宮内の回廊を知人を避けるように移動していた最中のことだ。







 突然――足元が大きく揺れた。






 グラッと体が傾ぎ、両足の先に力を籠めて転倒を回避したのはいいものの。

 そのすぐ後には今まで聞いたこともない、激しい建物の倒壊する音が耳を劈いた。


 あまりに唐突で何の心構えもなかったシリウスは、一瞬困惑の表情を浮かべる。

 しかし即座に思い至ることがあり、回廊から『上空』を見上げた。

 彼の顔は真っ青に染まり、全身から力が抜け落ちていくのを感じる。


 手に持っていた紙の束をバサバサと落とし、蒼白のままシリウスは大聖堂まで走った。


 他の人間の動揺、ざわめきに気を遣っている余裕は全く無い。


 まさか……


 自身の想像を打ち消したい。

 だが大聖堂があった”跡”の真上に、ゆっくりと持ち上がってくる禍々しい双角。

 地下から這いずり出た後、まるで椅子に座るかのように大聖堂の屋根を敷き潰す黒い影。


 ステンドグラスが粉々に砕け散り、周辺にいた人間達が大混乱を起こし、我先にと爆心地から脱兎のごとく逃げ出していく。

 その人の流れに逆らい、シリウスは懸命に開けた場所に抜けた。

 少し首を傾ければ『それ』の全身像を仰ぎ見る事が出来る。



 空が闇に呑まれていく。

 無数の孔が昏き天上にぼこぼこと浮き上がる。

 魔の眷属が、暗黒を纏って産み出されていく。




「あ……アーサー……?」



 その場にがっくりを両膝をつき、シリウスは現実を受け入れることをしばらく拒んでいた。

 しかしこの人知を超えた恐ろしい巨躯の魔物、怪物を目の前にしては受け入れざるを得ない。


 この事態を起こさないために、今まで散々苦慮してきたのではないのか。

 訪れるはずのこの未来を、回避できたはずではないのか。



 何故? という疑問よりも、ただただ悔しかった。

 何一つ力になれず、みすみす友人を異形へと変えてしまった不甲斐なさに、思いっきり地面を拳で叩きつける。



「すまない……

 すまない、アーサー!」


 何もかもが自分のせいだと自覚すると、シリウスは自分でも込み上げてくる嗚咽を止める事が出来なかった。



 遠くに悲鳴や怒号、更に建物や町が壊されていく音が聴こえるけれども。

 自分の周囲だけ隔絶された空間のようで、周囲の様子など全く五感が働いてくれなかった。



「どうしてこんなことに……

 アーサー! 戻ってくれ!」


 その叫びは混乱に紛れて掻き消され、誰にも届かないはずだった。




「……シリウス、ごめん」


 しかしこの状況下において、近くの柱の影から少々申し訳なさそうな、耳に馴染んだ声がかけられる。

 こういうシチュエーションで顔を上げるのは、二度目かもしれない。




「返事をし辛いけど、私はここに無事でいるから」



 自分の名を絶叫され、しかも全力で自分の死を悼むかのような態度を目の前でとられたら――

 流石に気まずいのだろう。

 状況は緊迫し、危機の最中にあるというのに。


 その当の魔物のおひざ元、すぐ近くで何とも場違いな程間の抜けた空気が支配する。



「無事なら早く姿を現わせ!」



 思わずそう叫び、シリウスは立ち上がった。

 相手が相手だ、ちょっと気恥ずかしい。


 ズレてしまった眼鏡の位置を指先で調整し、再びシリウスは仏頂面へと変わる。

 ――しかしすぐに次の疑問点が彼を襲い、指先の動きが止まった。



「ん? お前がここにいるということは」

 


 すぐに奇妙な状況だということに気づき、シリウスは顔を更に上げた。

 目の前で暗闇を纏い、黒きオーラを立ち昇られる異界の魔物――その首魁の存在は一体何だと言うのだ。


 まさか勝手に復活するなどありえないだろう。

 人間にとりつき、その負の感情を取り込んで力を減じた『核』にエネルギーを戻し、宿主を内から喰らい復活するもの。

 奇妙でおどろおどろしい性質を持つため、『悪意の種』と暗喩されてきた悪魔の核。

 それがこうして再び現世うつしよに顕現したということが、目の前にいてなお信じられないシリウスである。



「……。」



 アーサーはこちらの表情を窺い、秀麗な眉宇を曇らせる。

 その表情は自分に何かを隠そうとしているようであった。


 ……だからこそ、アレが何を依り代にして復活したのか、即座にピンと来てしまう。



 アーサーを悪魔にとりつかせたかったのだろう、宰相――父エリック。

 その友人アーサーが無事ということは?



「シリウスには申し訳ないと思う。

 まさか、彼が自分自身……自分の命を使ってまで……」


「……。」


 嫌な予感は的中、か。



 あれが……

 今回の一連の計画を、何一つ躊躇うことなく実行しようとした諸悪の根源の辿った末路だということか。

 唖然としたが、つい乾いた笑いが生じてしまう。



「はは、自業自得だな。

 何がそこまであいつを衝き動かしていたのかは知らんが、ミイラとりがミイラになっていれば世話はない。


 ……くそ、どこまで周囲に迷惑をかければ済むのだ!」


 父のことなどどうでもいい。

 今まで多くの人間を都合よく使い、都合よく命さえも淡々と刈り取ってきた人間だ。

 『悪魔』に取り込まれ絶命したところで自業自得だが、そのとばっちりを自分達が、いやこの国のいたる場所が引き受けることなど苛立たしく感じる。



「それに、アレが目覚めたということは、聖女が覚醒でもしたのか?

 まさかジェイクかラルフの身に何か」


「いや、それは無いと思う。

 放課後皆、王宮に滞在していた事は確認しているよ。

 彼らは無事のはず。


 他に、必要に迫られるような危機が彼女達に訪れたのかもしれない――」









いにしえの悪魔の直下で仲良くお喋りとはな。

 中々肝が据わっているではないか」




 ははは、と笑い声が聞こえて二人は顔を見合わせた。

 機嫌が良さそうに笑う”彼”の声を聞いたのは、これが初めてのことかも知れない。


 普段岩のように動かない、シリウス以上の鉄面皮。

 険しく厳つい、峻厳な巌そのものの大男が呵々と楽しそうに、皆が去った聖堂の跡地へと近づいてきたのだ。



「――ダグラス将軍」


 鎧を身にまとい、金属音を周囲に響かせる巨躯の男。

 ジェイクの実父であり、ロンバルドの現当主ダグラス。


 彼はこんな状況下にあって、とても冷静だった。

 逆に普段より何倍も気分が良さそうだ。


 彼もまた、『聖女計画』に携わってきた当主の一人。



「まぁこれだけのデカブツ、逆に灯台下暗しやもしれん。

 せいぜい、踏みつぶされんようにな」


 こちらを睥睨し、ニヤッと笑う壮年男性。

 最盛期の青年時代を過ぎてもなお、その隆々とした筋肉は健在で騎士や兵士からは鬼神と呼ばれる”王国の盾”。


「将軍。何故、そんなに悠長にしていられる」


 シリウスは吐き捨てるように、衝動的に口から言葉を出していた。

 丁寧な対応をするべき相手だが、この段階に至ってはもはや彼は明確な敵でしかない。


 そんな相手に下手に出られるほど、シリウスの心に余裕は無かった。


「貴方は、あの悪魔が何を依り代にしたのかご存知なのでしょうか。

 その上で、何故……驚く様子もなく、笑っていられるのです」


 アーサーも彼の態度には納得できないのか、出来るだけ感情を抑えそう問いただす。

 頭上から悪魔の咆哮が轟き、僅かに上方に残っていた瓦礫がその衝撃でガラガラと崩れ落ち、アーサーや自分に降ってくる。

 だがこちらが反応するよりも早く、煉瓦の瓦礫を振り払うように剣で粉々に粉砕したのはダグラスだ。


 鼻息を出すような気軽さで、いくつもの瓦礫は砂塵へと変わる。

 降ってくるのは砂煙のみ。


 ぱらぱらと、細かい砂の粒が雨のように落ちてくる。



「お前がここにいるということは、そういうこと・・・・・・なのだろう?

 俺は別に誰が悪魔になろうが、興味はない。

 あれがエリックの成れの果てだというのなら、それもまた面白い結末だと思うがな」




「……ダグラス!」


 あまりにもあまりな言いざまではないか。

 一体彼が何を考えているのか分からない。


 ジェイクから過去の話を聞いて、歪んだ価値観を持つ人間だと言うことは承知していたつもりだ。

 だがここまで、一見して狂っている表現をされると神経を逆なでされたような気持ちになって知らずの内にシリウスは語気を荒げる。


 別に父を悼んで欲しいというわけでもない。

 彼には軽蔑と恨みしか抱いていないくらいだ。

 父のような無慈悲な判断が出来る人間を、友人達を陥れようとした彼を、決して許すことはできないのだから。


 しかしそれとは別に、ダグラスは――父と目的を同じにした仲間だったはずではないか。

 今まで協力していたはずの彼のあまりの変わり身の早さに、シリウスは全くついていけない。




経緯いきさつに興味はない。

 だが――王子よ、貴様がのこったというなら、それはそれで構わん!


 俺がやるべきことは一つ」



 彼は大剣を振りかざした。


 空から降ってくる羽を背中に生やした魔物がこちらの姿に気づき、奇声を発し降下強襲。

 その鋭い鉤爪に怯むことなく、男は魔物を中心から縦に真っ二つ。


 断末魔を上げる暇さえなく、両断された魔物の残骸が青い血をまき散らしながら地面に落ちる。





 得物である大剣を肩に担ぎ、ダグラスは一喝した。





「何を腑抜けた顔でお喋りに興じておる、小童どもが!

 民を守るために率先して指揮を執るのがお前達の仕事ではないのか!?」


 お前が、それを叫ぶのか!?


 シリウスもアーサーも、息を呑んだ。その厚顔さに。


 


 まさか彼からそんな指摘を受けるとは思わず、つい言葉に詰まる。

 空から断続的に魔物が堕ちてくる、そして奴らから逃れる術を持たない普通の人間が――多く犠牲になってしまう!

 愚かな父が悪魔を復活させてしまったせいで……死ななくてもいい命が断たれ、傷つかなくても良い人間の体が積み上がる。




「悪魔のことは、聖女に任せるしかないのだろう?

 では、我らがするべきことは、決まっている。

 一人でも多くを、魔物の被害から守ることだ。


 それに聖女の手を煩わせるわけにはいかん。


 ――露払い役くらい、こなしてみせろ!」




 彼の言っていることは確かに正しいのだろう。

 だが――この状況を創り出した当人側に言われると釈然とせず、胸がムカムカした。







「アーサー、行くぞ!

 宮廷魔道士達をまとめ、魔物の侵攻を食い止める!


 第一に安全地帯を確保、市民を避難させる。

 ……忽ちの誘導先は――王宮がこの様なら、学園が最も適している。


 敷地内に張られている結界を強化して侵入を防ぐ。


 これ以上、奴らに好き放題させてたまるか!」




 だが肝心の悪魔自身を倒す事は、ただの人間である自分達には出来ない。







 こんな悍ましい化け物に立ち向かえと言うのか。

 シリウスは走り出しながら、背後に聳える巨躯の魔物に背筋を凍らせる。







 

   ただの少女でしかないあの少女たちに、それを強いるのか。

 







 噛みしめた唇から血が滲んだ。

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