第491話 緊急事態
カサンドラを生徒会室奥のサロンに運び入れた後、リゼ・リタ・リナの三人はそれぞれ難しい表情で顔を突き合わせていた。
自分達が御伽噺で聞かされた『聖女』になったのだという自覚はあれども、こういうケースの場合はどう行動するのか、という話に踏み込んでいなかったことに思い至る。
こうなることを防ぐために慎重な行動を重ねていたのだから。
カサンドラが襲われ、致命傷を負ったことにも仰天だが。
それを自分達が救ったのだ、と報告するのも大変センシティブな話題ではないか……と、中々結論が出なかった。
「……カサンドラ様が刺されたせいで覚醒したなんて……
王子が知ったらどうなるのかな」
リタの呟きに、二人も顔を見合わせるのみだ。
状況は正確に伝えなければいけない事は分かっている。
だがあのショッキングな場面、どうマイルドに取り繕っても正直に告知すれば流石の王子も冷静ではいられないだろう。
「幸いカサンドラ様の傷も塞がって無事……のはずだけど……
なんて報告するべきなのかしらね」
全く想定外の出来事にリゼは額に手をあてがって大きな溜息をつく。
三家の当主と対峙しなければいけない決意は褪せるものではない。
しかし状況は自分達にとって逆風ばかりだ。
「私は……さっきも言った通り。
アレク様にカサンドラ様を迎えに来ていただいた時に相談して、それから動いた方が良いと思うの。
王子に余計な心労をかけないためにも、敢えて真実は伏せておいた方が……
私は王子の事に詳しいわけではないけれど、王子だって人間なのだから。
憤ったことで、周囲が見えなくなって向こう側の都合の良いように誘導されてしまうかも……」
「ええー?
流石に隠し事はないんじゃ?
ここにきて気を遣われるのも嫌じゃない……?」
リタはあくまでも現状を伝えるということを主張する。
ここで論を重ねたところで、正解があるとも限らないわけだが。
「何にせよ、私達の力が目覚めてしまったことを報告しに行かないと。
……でも一体なんて言って取り次いでもらえばいいのかしらね。
学園のクラスメイトだから! って、王子達を呼び出す? 到底現実的とは思えないんだけど。相手はこの国の天辺に近い要人よ?」
リゼも肩を竦める。
早く知らせなければいけないが、一般庶民が簡単に彼らに取り次いでもらえるわけがないのでは? 王城に顔見知りなど存在しない。
報告内容を詳らかにすれば仰天して取り次いでくれるだろうが、自分達が聖女になったので! と堂々と言い回るつもりも毛頭ない。
普段学園内ではにこやかに全く地位に関係なくフレンドリーに接してくれる王子やラルフ達。
だがそれは特殊な環境だからできること。
一般社会に一たび出れば、易々と近づけるような面々ではない。
ここに来て、ただの一般庶民と王城で公務に励む王侯貴族の圧倒的立ち位置の落差を思い知る。
今まではカサンドラが執り成してくれていたが、そのカサンドラは未だに目を醒ますことなく深い眠りについたままだ。
聖女になったとはいえ、表面上はただの一般市民。
ジェイクが街中で警邏の任に就いていることを期待して探すくらいしか、自然に彼らとエンカウントできる状況が思い浮かばない。
王城に伝手など無いも同然であることに歯噛みする。
こういう事態に陥るなら、予め連絡方法を話し合っておくべきだったのかもしれない。
一事が万事、現実が予想を覆していく。
「リナの言う通り、アレク様の到着を待って……
アレク様にどうにかしていただくか、もしくはジェイク様達が寮に戻るのを待つか、ね」
毎日彼らは寮から登校しているので、いくら遅くなっても必ず一度寮の部屋に戻るはず。
その時に待ち構えて現状を訴えれば良いのではないか。
「えー、そんなに報告が遅れて大丈夫なの?」
「さぁ。
ま、いくら何でも今日の今日、大きな動きはないと思いたいわね。
三家の面々だって、顔を突き合わせて方針の決定とかしなきゃいけないんだろうし。
バルガスが急に襲ってきたのは、話しぶりからしたらあいつの独断って感じだった。
でも――流石に、私達が聖女覚醒したなんて、最重要案件だと思う。慎重に話し合うんじゃない?」
そうであって欲しい、とリゼは珍しく希望的観測を付け加えた。
シリウスの話を聞いた限りでは、とりわけ宰相のエリックは慎重な性格のようだ。
危ない橋を渡るようなタイプではなさそうな事に期待するしかない。
「今が放課後じゃなかったら、王子達に取り次いでもらえそうなお嬢さん達が沢山その辺りに歩いているのに!」
リタが頭を抱えて前傾姿勢、苦悩の声を上げる。
最終手段として、ぎゃあぎゃあ城の門前で騒ぎ立てる他ないだろう。
だが間違いなく門番にひっ捕らえられそうだ。
「リタ、落ち着いて。
日中なら王子達は同じ敷地内にいるのだから、誰かの手を借りる必要もないでしょう」
三つ子、それも志を同じくするこの三人でも急な出来事の進展に混乱し、意見が簡単に纏まらない。
それなら当然、三家の当主達も同じように意思疎通に難があるのではないか?
聖女に覚醒したらどうする、なんて。
そんな仮定……したくなかった。
とりあえず、やる気にも満ちているし事態が逼迫していることは分かっている。
だが現状、相手がどう出るかも分からない上にカサンドラ一人を残すわけにもいかない。
バルガスのように独断で良からぬことを企む人間がいると知り、学園内でさえ決して安全ではないと思い知った。
ひとまずクールダウンしよう、とリナが提案する。
既に緊張感が限界を突破しそうだった彼女達は、今後の方針について再度話し合おうべく頭を悩ませることになった。
後でよくよく考えたら、まだ教師や講師が学園内に残っているのだから――どうにか王城に伝手を回してもらえることも可能だったかもしれない。
だが自分達の現状は”隠したい”という想いが強すぎて、第三者の大人に協力を求めるという選択肢が出てこなかった。
誰をどこまで信用して良いかも分からない。
※
カサンドラも 目覚めない。
※
カサンドラ襲撃事件から左程の時間は経っていない。
だがジリジリとした、一日千秋の想いで過ごす三人にとってはとても長い時間だった。
そろそろアレクがカサンドラを迎えにこちらに向かっている頃だろうか。
生徒会室まで先導できるよう、先に校門前に立って待っておかないとね、とリタがそう呟いた瞬間。
突然――
それまで橙色に変じかけていた空が、急に、フッと暗くなった。
陽が雲に覆われたというには、あまりにも急で不穏な空気が漂う。
三人は誰からというわけでもなく、一斉に窓際に駆け寄って無言で空模様を確認した。
「嘘……」
リナが呆然とした声を上げ、全身から脱力しへなへなと腰を砕いて床にへたり込んでしまった。
「うぇ!? 何あれ!?」
天上が暗黒に覆われ、空が闇に
覆われた高い天に無数の孔が開き、そこから悍ましいとしか表現しようのない羽の生えた魔物達が堕ちてくる。
もっと気味が悪い表現で直感的に言うなら、黒い闇が魔物を延々と”産み堕としている”のだ。
暗い中、時折何某かの憤りを表すように稲光が闇の合間に走る。
まだ時間的には早すぎる夜が、世界一面を覆い尽くしているかのようだ。
連なり生まれ落ちる魔物達の影は果てがなく、この街だけではなくもっと広範囲にこの現象が起こっているのだろうことが容易に想像できた。
恐怖で足が竦む――まず、現実を受け入れられない。
荒唐無稽すぎる、常識を超えた光景を前にリタもリゼも何故か乾いた笑いを浮かべた。
だがこの空に見覚えがあるリナだけは、青い目から光を失いその場に項垂れて「そんな……」と繰り返し現実を否定し続けている。
「見て! あの、黒いの! 城の方じゃない!?」
開け放った窓から身体を突き出して周囲を見渡していたリタが見つけたその巨体な陰に、リゼも視線を向けて絶句した。
数多の眷属を周囲に従え、悠然と聳え立つ角を生やした”黒い塊”。
「まさか」
急に腰を抜かし、床にへたり込んでしまったリナ。
明らかに異常と思える、異形を産み落とす空。
そしてあの城のように大きな巨躯の影……
悪魔?
「王子!? あれ、王子なの!? 嘘、なんで!?」
リゼも一瞬パニックに陥りかけ、大声を出す。
当然リタもその声に呼応し、現実を突きつけられて呆然と空を見上げていた。
そんな馬鹿な。
いくら聖女が覚醒することが悪魔を蘇らせる条件だったとしても、ノータイム過ぎる!
王子だって軽率な行動をする人ではない、こんなに呆気なく何の前兆もなくあんな姿にさせられるというのは俄かに信じがたいものであった。
悪魔だ、悪意の種だ、核だ、ということを知らない王子ならともかく。
計画の全てを知っている王子がそんなドジを踏むようには思えない。
「………ッ!」
――姉妹揃ってポカンと空を見上げている場合か!
リゼは己の両頬を、両手で叩く。
容赦なく力を籠めたせいで、大きな痛みが脳天を劈いた。
「リナ、リタ!
何ボーッとしてるの、こうなった以上四の五の言っていられない――
パニくってる場合じゃないでしょ!」
現実を受け容れたくないのは皆同じだ。
だが遠くから街の皆が驚き、戸惑い、そして悲鳴を上げて慌てふためく声が聴こえた。
もはや空を全て制圧され、しかも空から落ちてきた魔物達はゆっくりと地上に降下してくる。建物が崩れる音も混じっていたのだ。
魔法を使えない普通の人たちは、一体どこに逃げれば安全だと言うのか。
「はい、じゃあリナ!
リナはここで待機、カサンドラ様を守ってて!
少なくとも意識が戻って、安全な場所に移動できるまではリナに任せる。
リタはこのまま真っ直ぐ城へ向かって。
シリウス様でもジェイク様でも、とにかく私達の事を伝えて!
で、あの化け物から皆を守りなさい!
あいつには普通の魔法は効かないんだから、どうにかできるのは私達だけ。
……分かったらすぐ行動!」
とにかく、すぐに城に向かって報告した方が良いとずっと主張していたのはリタだ。
当然この指示を受け、急に真面目な顔つきになる。
「リゼはどうするの?」
「アレク様と合流して現状を報告するつもり。
で、
誘導し終えたら私も城に向かう、それまで悪いけど先鋒宜しく。
こんな状況だし、アレク様が無事に辿り着けるかもわからないけど。
絶対見つけて合流するから」
無差別にあの魔物達が街を攻撃するなら、カサンドラを一人残していくなど絶対できない。
ここにきて存在を思い出したが、学園内にはまだ残って職務に就いている教師や講師もいるはずだ。彼らに危険が及ばないよう気に留めなければいけないだろう。
混乱状況で別行動をとるのは危険かもしれないが、仕方ない。
「それに……ちょっと、やらないといけないことも増えたし」
リゼは呟き、リタと共に生徒会サロン内に二人を残して外へ出る。
既に学園内でも残っていた大人たちが大騒ぎの真っ最中。
頭を抱えこの世の終わりを叫んでいる者もいた。
信じられない現実が空に浮かんでいる様に完全に冷静さを失って浮足立っていた。
残っていた剣術講師、魔法教官たちが「落ち着いて!」と一生懸命宥める声も上がっているが、大勢の混乱に掻き消されていた、
嵐が来た時
地震が起きた時
学園内に不審者が侵入した時――
様々な危険対策を念頭に置いていたとしても、
”悪魔が復活した時”
なんて、誰も教えてはくれない。
※
昏々と寝入るカサンドラの傍ら、リナは青白い顔のままその場に座り込んでいた。
確かに過去の自分は、『聖女』として覚醒して皆を酷い目に遭わせる悪魔を退けた事がある。
記憶はすぐに失われ、何も覚えていない三年前に巻き戻ってしまうとは言え――
今は、その場面を具に思い出すことが出来るのだ。
王子を悪魔から解放するには、倒すしかない。
当然躊躇い、剣を向けることも恐ろしいと感じた。
それでも剣を振るえたのは、王子が今まで皆を意図的に傷つけ、苦しめていた張本人だと思っていたからだ。
元の王子がどれだけ優しく良い人であったとしても。
悪魔に取りつかれて人々の苦しむ姿を”糧”にして寄生した悪魔を復活させてしまった、それを望むような人格に変貌してしまったなら倒すしかない。
愛する人の友人だからと躊躇っていれば被害は増える一方だ。
自分しかできないなら、自分がやるしかない。
能動的に誰かを傷つけるなんて嫌だった。
でも正義、使命という大義名分の元自分は何度剣を振り下ろし、彼の命を絶ってきたのか。
だというのに! ――全て三家が見せてきた”幻”で、良いように使われていたことを知った。
その上、こうして復活した『悪魔』と対峙するなど、リナにとっては悪夢そのものだ。
「一体、どうして……」
何がいけなかったのか。
自分達に、この世界の運命を変えるだけの力など最初から持ち合わせていなかったのか。
これが、
腹の上に置かれていたカサンドラの指先が、少し動いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます