第490話  <アーサー 2/2>


 エリックの後につき、隠し扉の奥に向かう。


 そこは先ほどの神具を保管する部屋よりもずっと広く、天井も高いように思えた。

 大理石を敷き詰めた床の上には複雑な文様の魔法陣が描かれている。


 魔法陣の中央には腰の高さほどの台座がたった一つ、ぽつん、と佇んでいる。

 だがその台座の上には幾重にも光のヴェールが層をなし、キラキラと荘厳な輝きを放っていた。


 台座の上に赤黒い”何か”が浮遊していた。それは周囲に火花を放ち、苦しそうに悶え打ち震え続けている。


 見えない手の中で終始握りつぶされているかのように、禍々しい丸い物体が蠢いている。

 それはごく小さな人間の心臓のような形にも空目してしまう奇妙な形をしている。


 丁度掌に収まる程度の小さなギョク、これが古の悪魔の成れの果てなのかとアーサーは喉を鳴らした。


 嘗て聖女が封じた不死身の悪魔が、百五十年以上の間ずっと王城の敷地内に隠されていたのかと思うと何とも言えない奇妙な気持ちになる。

 こんなモノの上で自分達は過ごしていたのかと。





 エリックは靴音高く、中央に向かって歩く。

 アーサーもまた彼に追随し、おぞましくも奇妙な、それでいて今なお貪欲に蠢き生に執着する過去の遺物に視線が釘付けだった。


 実際に実物を見て見なければ対策もとりようがない。

 そう自分に言い聞かせ、ここまでやってきたものの……


 ただの結晶ではなく、脈打つ心臓のように震える『核』を前にすると言葉を失う。



「実際に王族がコレを見るのは、お前が初めてだろうよ」



 今まで王族には実権など皆無だった。

 偉そうに見せかけているだけで、三家の操り人形のような存在。

 要職全て、周囲の人間のほぼ全てを三家側の人間に固められ……


 聖アンナの直系の子孫である、という事だけに意味を見い出されるお飾りの王様。

 しかしこうして、子孫である限られた人間にしか出来ないことだと駆り出されるのは、釈然としないものがある。



「封印結界に手を翳してみるがいい」



 その奇妙に蠢く、心臓のようなおどろおどろしいフォルムをした石の周囲に、幾重にも透明な光のヴェールが覆いかぶさっている。

 どれかにほころびが生じているのなら、それを直さなければ――決壊してしまっては大事だ。



 もしもこの封印が解けてしまったら、今でも苦しみもがくように蠢くこの『核』は……

 己の依り代を求め彷徨い、不運にも接触した人間に憑りついて彼を悪魔へと変えるのだろう。



 過去の自分が、そうなっていたように。

 アレクが絶望するほど、繰り返し何度も。

 記憶は無いが、その元凶が眼前に浮いていると思うと背中にどっと汗が噴く。




「ああ、そうだ。

 面白いことを教えてやろう」


 封印に直接触れることはないよう、慎重に手をかざす。

 間違っても『核』そのものを刺激したり、触れることのないように。



 エリックが先ほど言っていた事は嘘ではない。

 実際に目に見えて光の色がおかしく、乱反射している箇所がある。

 それは蟻の穿った孔のように小さいものだが、このままでは徐々に広がっていく危機感を抱いて当然だと思えた。


 力を籠めると、光が大きくうねる。

 制御するのにも一苦労だ。

 手元は極限まで明るいので、『それ』に触れないよう指を動かすのは苦労しなかった。



「……今、集中しています。

 話は後ほど――」



「この部屋に入るためには、聖女の遺骨で創り上げたこの指輪――魔法道具の力が必要となる。

 持ち回りで三家共有の宝として受け継いできたものだ。


 ……王子よ。

 お前は我々がどうやって『聖女の資質を持つ』人間の存在を知ったと思う」



 指先がチリチリと熱と発する。

 身体の中の魔力を根こそぎ吸い尽くさんばかりの、”力”に意識まで引きずり込まれそうになった。


 地下の空洞とも呼べる一室、二人の声だけが壁に、天井に反響していく。



「この指輪はアンナと『同じ』者を感知すると透明な石を白色に変じるという、不思議な仕掛けがあってな。

 彼女らが存在する以前はまるでガラス玉のように無色透明だった。

 本当に色が変化するのかと、半信半疑だったこともある。


 ……はは、新しい聖女候補の誕生を知れるのは良いのだが……何せ、この国は広い。

 各地に月読みを送り、アンナと同色の魂の持ち主を探しあてるのだ。

 それはそれは骨が折れる地道な作業よ。

 もしかしたら他の大陸にいるのかもしれん、そうなってはお手上げだ。


 それでも探さないわけにはいかん。

 見つかった時には、心底安堵したものよ。

 私が当主の時に生まれてくるとは、なんと迷惑なのだと思った事もあった。


 考えねばならんことも山積みだ。

 だが先祖代々の因習、勝手に途切れさせるわけにもいかん。


 規格外の存在を野放しにし、変なところで覚醒されては困る・・



 ぼんやりと、声が聴こえる。

 今は封印の修復作業に意識が向いている、だが彼は聖女の遺骨から作成したという指輪を、掌に乗せて指先で弄んでいる。


 確かに白い輝きを放っている。

 こんなにも強い光輝――皓々と照っているのでは、眩しくてかなわないのではないかと変な心配をしてしまうくらいだ。



 エリックらしからず、饒舌に語り掛ける。あまり経験のない事態に、アーサーは内心困惑していた。


 今までの苦労の愚痴でも自分に聞かせたいのか?


 それ以上に、彼が実際に行ったことは許されることではない。

 この封印修繕が終わり、”手打ち”にするのなら……

 彼らに何かしらの譲歩、またはペナルティを要求するのが筋だろう。




「あぁ、そうそう。

 この指輪はな――つい数十分前まで、普通の『白い』石でしかなかった。



 いやはや、驚いたものよ。

 流石に、見たのは初めての事だからな。




   聖女の覚醒を報せるため、こうもまばゆく輝くものだとは」






 眩し過ぎて目が潰れそうだ、と彼は口の端を釣り上げた。





「……?


 エリック。それは……」




 聖女の、覚醒……?


 それはあり得ない事だ、とアーサーは否定の言葉を出そうとした。

 彼女達の聖女覚醒のキッカケになるはずの『大切な人達』はこの城で元気な様子を見せていたはず。

 三つ子だって今は寮に戻っている、そもそも王宮にやってくる用事もない。


 アーサーはその封印から手を引こうと指を動かすが、丁度修復作業の真っ最中。

 即座に引っ込める事が出来なかった。




「……ああ、厄介なものなのだ。

 勝手に目覚められてもな、こちらにも用意と言うものがあるというのに。


 まぁ、それ自体は私にとっては好都合だったか」



 聖女が目覚めた。

 それは現状において最も重要な情報だ。

 何があったのかは想像もつかないが、三つ子の誰かが――もしかしたら複数が聖女に目覚めなければいけない状況が発生したのかもしれない。


 

 情報が伝わるのに、圧倒的にエリックに分がある状況だったということか。

 聖女が目覚めたと予め知っていたら、勿論軽々しくこんなところにエリックと一緒に来ることはなかっただろう。




 エリックはシリウスに与えた情報が自分に伝わっていることを把握したうえで、誘導したのか。

 聖女が覚醒しなければ『悪意の種』を解放することはできないという先入観を利用し、さも降参だと言いたげな様子で話を持ち掛けてきた。


 中々、芝居も上手な事だ。



 エリックにとっても突然の”報せ”だったが、判断があまりにも早い。

 大胆な行動だと言わざるを得ないだろう。 





「お前が聖女覚醒の報せを受け警戒を強める前に、ここへ連れて来なければならなかった。

 互いに城に滞在していたことは、幸運だったと言えるな。

 やれ、お前を連れ出す口実を捻り出すのも疲れるものだ。


 ……。

 常に慎重なお前らしくもないな?


 危険だと認識しているところへ、自ら飛び込んでくるとは」






「エリック。

 ……私は……」



   



「悪いが、王子。

 私の本当の『依頼』は、聖女に倒されて欲しいという一点だけだ。

 今も変わらん、お前に求めることはただそれだけよ」






 エリックは一度、顔を伏せた。

 一度大きく深呼吸をし――


 掌の内にある指輪の光を、悪魔の『核』へと照射した。










   「さぁ! 『悪魔』よ。

    彼の身を依り代に、再び蘇るがいい!」






 ブルブルっと、大きく赤黒い『石』が跳ねた。






 可能性として全く考えていないわけではなかった。


 これは罠だと。

 何もかもに倦んだエリックが、自分を無理矢理にでも『悪魔』に堕とそうと画策しているのではないか。


 聖女が本当に覚醒したという話は寝耳に水だ。

 話と違うと言うのは簡単だ、が。


 聖女の存在について詳細を検証することなど出来ない。

 何が起こってもおかしくない、彼女達だって一人一人意思のある人間だ。


 別の要因をキッカケに、聖女になることを望むことだってあるかもしれない。

 強引に無理矢理シチュエーションを整えなくても、必要に迫られれば目覚めるのだろう。

 彼女達は元々聖女の素質を持って生まれてきたのだから。

 それを”恋人への愛”などという恣意的なトリガーを作り、完全にコントロールしようなどと画策していた現実の方がおかしいことだったのだ。

 







 ……この地上を地獄へ突き落とし、多くの人間を傷つけ死に追いやった異界の魔物。

 不死身の魂を持つ、立場が真逆の魔物達にとってはコレこそが救世主。




 『タネ』が揺らぐ。

 激しく空中で振動を始め、意志を持つ小石のようにアーサーの胸元へ飛んできた。

 封印を突き抜け、真っ直ぐに。


 うねうねと蠢く無数の触手を生み出す『悪意の種』は、種という表現に相応しくアーサーの体に触手を埋め込みそのまま根を生やし同化させ――



 しかしその動きを途中で静止し、苦しみ悶えるように小刻みに震えた後。

 ぷっつりと糸が切れたように、固い床の上に落ちた。




 硬質な反射音が、静まり返った地下室に響き渡る。






 ・

 ・

 ・





 数拍、互いに無言でその場に佇んでいた。






「こうなることは、最初から分かっていたのでしょう」


「……。

 ああ、お前を依り代にできる可能性を考慮したのだがな。

 賭けは不得手だ、やはり分が悪い」




 彼は肩を竦め、天井を見上げた。

 そしてゆっくりとこちらに近づき、足元に転がる『核』を指先で抓み上げた。



「悪魔の方から拒絶されては、私が依り代になるなど無理ですね」




 アーサーは王家の出身。

 封印の修繕が可能だという、聖アンナの直系子孫である。


 そんな人間に『悪魔』をとりつけようとするなら、どれほど大きな負の感情――憎しみ、絶望を抱いていなければいけないのだろうか。

 今までその身をとりつかれてしまった以前の自分は、きっと全てに希望を見い出せなかったはずだ。

 それだけの絶望をアーサーに味わわせるよう、彼らが裏で絵図を書いていたとも言える。



 母や弟を殺され。

 自分の巻き添えになるような形で婚約者を追放され。

 信じていた親友達に――全ての事件の黒幕だなんて追及され剣を向けられ。


 今の自分だって、もしそんな事態になったら苦しいだろう、この世を恨むだろう。

 何もかも嫌になって、独りになって……


 悪魔も喜んで食らいつく、そんな絶好の負の感情の苗床となっていたに相違ない。




 だが今は逆だ。

 一つの曇りなく自分は幸福である。


 信じることの出来る家族や友人、そして大切な守りたい人もいる。



 何故、そんな境遇にいる自分がこんなモノに侵されるなどとエリックは思ってしまったのだろう。

 実際に押し付けられても、悪魔の方から嫌がって逃げ出すほど自分の中はいつも暖かい感情に充たされている。


 哀しみはいつしか喜びへと姿を変え、今は後ろを振り返ることもない。



「お前は――本当に、何も、恨んではいないのだな……

 ここに憎き家族の仇がいるというのに」


 彼は感心したように、まじまじとこちらを見遣る。



 だが今の出来事によって、悪魔の『核』を抑えていた封印が解かれてしまった。

 折り重なる光の層を突き破ったせいで、大きな孔が空いてしまっている。

 これでは本当に関係ない第三者に取り付いてしまって、悪魔に取り込まれてしまう恐れがあるとアーサーは表情を曇らせた。


 完全なる封印は無理かもしれないが、聖女が覚醒したというのなら。

 急ぎこの結界を張り直し、この世界を脅かす脅威を改めて封印し直さなければいけない。


 幸い長年抑え込まれていた『核』は、アーサーにとりつこうとして逆に毒を食らったように苦しんでいる様子。

 そのまま元あった台座に置き直せばソレが活動を再開する時間稼ぎくらいは出来るのではないか。

 猶予がない。




「さぁ、宰相。

 危険です、早く元の場所にそれを――」













「では私が、その役を担うべきだな。

 お前が無理なら致し方あるまい」











   英雄は 倒されるべき『悪役』を倒す事で

   初めて 英雄になれる

 







 彼はそう小さく呟き、手の内に在る指輪を放り投げた。

 と同時に、それまで聖アンナの遺物の加護で守られていた彼の体に、悪魔の『核』が迷うことなく取り付く。



 みるみる内に蠢く無数の触手が、彼の上半身に服の上からめり込んでいった。






「エリック、馬鹿な事をしてはいけない!」




 駆け寄ろうとしたアーサーに、エリックは苦痛に顔を歪めたまま腕を突き出す。

 手のひらから発される魔法、鋭い火球に巻かれてアーサーは後ろに飛びずさった。


 立ち昇る煙の向こう、エリックは今わの際になっても、相変わらず皮肉気シニカルな笑みのまま。

 彼の顔半分がぐんにゃりと柔らかく溶け、片眼鏡モノクルもまるで体の一部のように皮膚の中に取り込まれていく。





 無理矢理それを引き離そうにも僅かな時間で不可能だと分かる程同化し、寄生されている。


 餌を見つけてかぶり着く貪欲な獣に捕食される姿そのものだ。







 彼は本気だ。

 そこにあるのは、愚かしく歪みない彼なりの信念。意地そのもの。







 もはや発声さえ難しいほど顔を変形させた彼は、尚も口走る。

 同化を加速させるように。





「……悪魔よ。

 私の傍には数多の怨念がとりついていることだろう。

 今まで我らが犠牲にして来た者、数え切れない恨み辛みが取り囲んでいるはずだ。


 さぞ美味かろうな?





  ――この身体ごと喰ら尽くし、再びこの地へ甦れ!!」









  天地を鳴動させる 猛き咆哮









 アーサーの脳裏に、自分の執務室を訪れた時のエリックの様子がまざまざと蘇る。





  諦観の表情

  神妙な顔







 彼はこれさえ、結末の一つとして納得し受け入れていたのだろうか。






 

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