第487話 <三つ子の覚悟>
三つ子は辛くもカサンドラを助けることが出来たが、少しでも何かが違っていれば――それは叶わなかっただろう。
※
カサンドラとすれ違った後、リゼは最近の日課を済ませるため図書室に向かっていた。
元々勉強が好きで魔法学の理論構築を研究する事自体、全く苦ではない。
リナやリタを誘って、今日も図書室に籠ることにした。
それぞれ放課後に用事があるわけでもなく、何もせずにボーッと時間を過ごすよりは少しでも魔法全書に触れている方が気がまぎれる。今は授業の予習復習に集中できる状況ではなかった。
『魔法書なんて読んでも、ちんぷんかんぷんなんだけど……』
だが完全に感覚で魔法を使用し、系統だった理論をおさらいするのをリタは嫌がっている。
彼女に一から基礎知識を習得させるのは手間がかかることであるが、期限は決まっていて時間も有限。
猫の手も借りたい――
だから乗り気ではないリタも無理矢理のように参加させていた。
理論を無視して感覚で魔法を使えるのはある意味で才能かもしれないが、基礎理論失くしてそれ以上の進歩は無いのである。
「リゼ、おーそーいー!」
リタ本人も苦手だなんだと言っていられる状況ではないと分かっていて、大人しく付き合ってくれていた。
だが今日に限ってはリゼの到着が一番遅くなったようで、図書室の前で待ち惚けしていたリタは両手を掲げて怒りのポーズ。
「しょうがないでしょ、私は着替えがあるんだから」
「リナも来るの遅かったし、これじゃ私一人やる気満々みたいじゃない」
ぷんぷんと怒るリタの隣で、申し訳なさそうな表情で眉根を寄せるリナ。
今来たばかりだ、と彼女も言った。
「ごめんなさい、シリウス様達のお見送りをしていたら遅くなってしまって」
「なんでリナが謝る必要があるのよ。
……んー。
てことは、今日もシリウス様達は不在ね。
ジェイク様も用があるとかで早々に帰ったみたいだし。
私達だけ、か」
アルバイトがあるわけでもない平日の自分達は、これと言ってしなければいけない用事もない。
それに比べて責任ある立場にいる彼らは、学生でありながら放課後はあちこちに出かけたりと大変なようだ。
シリウス達に限った事ではないだろうが、どうしても多忙さが群を抜いているように見えてしょうがない。
直接彼らの職域に手出しが出来ない以上、自分達は封印魔法に関する基礎研究を続けるしかないのだけれど。
「シリウス様と王子と講義が同じだったから、そのまま玄関ホールまでご一緒して……お見送りの挨拶をしてきたの。
その際シリウス様に、記載したメモ関連の書をリストアップして欲しいと頼まれて」
「………ん?」
ポケットの中から一枚の紙片を取り出した妹の言葉に、リゼは例えようもない違和感を覚えた。
「王子もシリウス様と一緒だったの? え? まさかもう帰られたとか?」
「……?
そう、だけど?」
「ええええ。
それならカサンドラ様、待ち惚け?
……王子と約束があるって、さっき……」
図書室のある北の棟にまで辿り着いたが、これはカサンドラに王子と行き違いになってますよ、と報告に行った方が良いのではないか。
リゼが呑気にそんな事を考えていると――
リナが顔を真っ青にして、リゼの両肩を掴んで前後に揺する。
「……!?」
「それ、本当? 場所は、どこ?」
「まぁまぁ、そんなに慌てなくても。
約束の時間を間違えるなんて良くあること」
血相を変えて詰め寄るリナを宥めるようにリタも軽い口調でそう言った。
だが普段大人しい彼女にしては珍しく、声を張り上げて叫んだ。
「王子がカサンドラ様との約束を勘違いされたり、あまつさえ忘れるなんて、あると思う!?」
『絶対無いと思う。』
リゼとリタの声がここで見事に一致した。
逆も然り、だ。
カサンドラが王子に指定された日時を間違えるなんて、そうそうありえないことのように思える。
では――
カサンドラを呼んだのは、誰?
三人はその場に鞄を放り出し、『待ち合わせ場所』に急いだ。
本当にただの勘違いなら、うっかりで終わる話だ。
シリウスと共に学園を出た姿をリナが目撃している以上、今王子がこの学園にいないのは事実なのだから。
きっと今も彼の到着を待っているカサンドラに、日付を間違えていませんか、と教える事は可能である。
……三人は無言で、走った。
場所を言うのももどかしい、と走り出したリゼの後と追いかけ―― 現場に急行することになったのだ。
彼女達が茂みを掻き分け細い道を抜けた先で見た光景。
体格の良い精悍な男が、カサンドラの喉を文字通り掴み上げ……
そして剣で彼女の体を貫いているものだったのだ。
※
彼女達自身も、カッと頭に血が上り自分達の大きな変化をすぐに意識できなかった。
今まで手ぶらだったリゼの手には、白き長剣が光り輝いている。
同じくリナの両手には実体のない白光の弓が出現し、何本もの白い矢を続けざまに放っていた。
絶叫しながら、カサンドラの身体を抱き締めているリタ。
彼女の両腕、いや全身から皓々とした光が照り、血にまみれ目を固く閉ざしたままのカサンドラの身体を包み込んでいる。
どう見ても助かりようがないと思える致命傷を負っていたはずのカサンドラ。
冷たくなっていく彼女の指先が、ピクリ、と僅かに反応した。
”奇跡”だ。
誰が見ても分かる、癒しの力。
今の彼女達の姿を目にした者は、背に白い翼があると空目した事だろう。
自分達の意志で制御できない、強い想い。
今まで蓋をして抑えていたモノが、あの一瞬ではじけ飛んでしまったようだ。
無我夢中で――強烈に叩きこまれた感情が彼女達を目覚めさせてしまった。
「ふ……」
剣を掲げるリゼに、じりじりと壁際に追い詰められる巨躯の男、バルガス。
彼は三人の来襲を受け……
しかし彼は片手で顔を覆い、高らかに笑い始めたのである。
「ふ、ははははは!
まさか、な。
瓢箪から駒とはこのことよ!」
彼は狂ったように、愉しそうに天を見上げて哄笑をまき散らす。
その挙動は予想外だったのか、リゼもぎょっと目を瞠った。
彼が再びカサンドラに手出しできないよう、慎重に動きを観察しながら。
「愛、ねぇ。
そうか、愛……。
聖女の指す愛は、凡人が思うよりも広義なモノということか。
はは、これは思いつかなかったぞ」
彼女達の覚醒のトリガーは、もっと限定的な条件だと思っていた。
そう彼は何度もつぶやきながら、しかし満足そうににやりと笑う。
「これを結果オーライと呼ぶのだな。
……ふふ、――これで……」
彼はカサンドラの生死に興味を失ったように、ただ三つ子の様子を順繰りにぐるっと一瞥した。
「あっ!?
こ、こら、逃げるな!」
その直後、常人のものとは思えない跳躍力で、高い壁の上にひょいと飛び乗った。
体格が良い戦士だから動きは鈍重に違いない、という固定観念を覆す動きである。
「礼を言うぞ、レンドールの娘よ。
貴様のおかげだ。
お館様もさぞ、お喜びになることだろう」
そして彼は、何の躊躇いもなく壁の向こうへ身を投げる。
まさに殺人の現行犯、彼を取り押さえなければいけない。
だがいくら『聖女』として戦う力を得たとは言え、彼女達はただの人間である。
普通の、年相応の女子生徒。
殺す覚悟で相手を傷つける、という行為自体に躊躇いが生じたのは仕方のないことだ。
逃がすつもりはなかったが……
リゼがギリっと唇を噛むと、それまで手の内に握りしめていた聖剣が影も形もなく立ち消えた。
彼女達の意志によって具現化された、最も当人に相応しい得物として現れた武器。
バルガスが言っていたように、リゼが手に持っていたのは聖剣だったのだろう。
同じように表現するなら、リナが射ていた弓矢は聖弓か。
そんな言葉遊びをしている場合ではない、すぐにカサンドラの許へ駆け寄った。
リゼが脱いで広げたブレザーの上に、カサンドラの身体をゆっくりと乗せる。
どう見ても助かるはずのない大量の血が流れた跡が生々しく、その姿に三人ともとても冷静ではいられなかった。
微かではあるものの、カサンドラは息をしている。
恐る恐る手に取った手首からは脈も感じられ、彼女が生きていることが伝わって全身から力が抜けていく。
「これ、癒しの力って奴……よね。
あんなに深々と剣を突き刺された人まで、助けることが出来るなんて」
リタは真っ赤に濡れた自分の両手を見つめながら、呆然とそう呟いた。
カサンドラを必死に抱き留めている時にべっとりとついた血。
「そりゃあ、こんな力があったら逆に争いも起こるってものだわ。
……聖女の力は生命力を削るものだって言われたけど。リタ、大丈夫?」
「う、うん。
私はどこも痛くないし、ちょっと頭がくらっとするかな程度」
流石に死者を生き返らせる力まではないだろうから、間一髪だった。
彼女が事切れた後でなくてよかった。
下手人を取り逃がしたことは悔しいが、犯人は分かっている。
表立って糾弾することは難しいだろうが、王子やジェイクに相談すれば追い詰める方法も思いつくかも。
リナは地面に膝をつき、両手でカサンドラの手を握りしめた。
徐々にカサンドラの顔に生気が戻って行く。
肉体的な損傷を素早く回復できても、彼女の心が受けたダメージが癒えるわけではない。
痛みや恐怖も、忘れる事は出来ないだろう。
未だ目を覚ますことがなく、昏々と彼女は眠りについている。
「聖女に……なっちゃったね……」
リタの呆然とした声に、皆一様に何とも言えない顔になる。
聖女になるということは、物語の中での大きな要素の一つだとカサンドラが言っていた。
自分達が覚醒するために、三家の人間はこんなにも大掛かりなやり方で囲い込んできたわけだから。
「見た感じ、羽が生えたわけでもないし。
外見が変わったわけでもないから、案外黙ってたらバレなさそうな気も?
んー、だけどアイツに逃げられたから……隠せるわけもない、か」
聖女になった、ということに関しては後悔していない。
この力が無ければ、カサンドラを助ける事は出来なかった。
バルガスの手から彼女を奪い返すことは難しかっただろうと思われる。
自分が無力であるのは、嫌だ。
大切な人を守れないこと程、苦しいことはない。
だが――
自分達の力が目覚めてしまった事で、今後何が起こってしまうのか。
それをイメージすると、頭の中がこんがらがりそうになる。
「王子に連絡?
えーと、これからどうしよう?」
頭を抱えてその場にしゃがみこむリタ。
だが静かに祈りを捧げるように瞑目し、カサンドラの手を握りしめているリナは大きく深呼吸を繰り返す。
「カサンドラ様を安全な場所にお連れしないと」
確かに、野晒しに近い状態でこのままカサンドラを寝かせるわけにはいかない。
傷口は塞がっているとは言え、自分達の『癒しの力』の効力がどういうものなのか、まだ完全に把握できていない。
断続的に力を送り込む必要があるのかもしれないし、一見傷が癒えたように見えて体の内部にまだ損傷があるかもしれないと思うと……
とても彼女の傍から離れることなど出来なかった。
「流石に、血だらけの状態で医務室に連れて行くわけには……」
一番ゆっくり休めるなら医務室だろうが、そこに常駐の医師がいるはず。
絶対に大騒ぎになるだろう。
この一件についてどう告知するべきか、事情を知っている誰かに指示を仰ぎたい気持ちが強かった。
それまで人目に触れるのは、ナシだ。
傷口が跡形もなくなったのなら、この大量の血痕を誤魔化せたら医務室に連れて行っても大丈夫か?
いや、カサンドラの着替えは持っていない。持っていたとしてもこんな場所で着替えさせるわけにも……
彼女を抱き留めたリタの制服も、酷い惨状だ。
「生徒会室のサロンなら、大きなソファがあるからゆっくり休めるのではないかしら。
ええと……レンドール家の人に連絡をとって、アレク様に迎えに来ていただくのが一番安心だと思うわ」
何はなくとも、まずは安全な場所でゆっくりしてもらいたい。
建物の中、それも普通の人は立ち入らない生徒会室なら人目を避ける事が出来るだろう。
意識を失っているカサンドラを屋敷まで移動させる方法を考えるより、屋敷の人間に迎えに来てもらった方が確実ではないかとリナは言う。
体調不良だから迎えに来て欲しいと頼めば、彼も何事かと急いで駆けつけてくれるに違いない。
カサンドラの安全を確保した後、王宮にいるだろう王子やシリウス達に事の顛末を話して――
一気に動き出してしまった状況に翻弄されながらも、互いに互いを鼓舞するようにアイコンタクトを取り合う三人。
このまま呆けているわけにはいかない。
今までの凪の日常が急激に遠く感じる。
既に事態は大きく嵐へと向かって舵を切ってしまった。
何が起こってもおかしくない。
聖女になりたいと思った事は、一度もない。
だがその力に目覚めてしまった以上――
救いたい、と強く強く想う。
そして『悪意の種』へのルート封印を検討……などという逃げの姿勢ではなく。
自分達が、
この事態を引き起こした者達に、真っ向から対峙する。
リタはカサンドラの身体を緊張した様子で慎重に抱き上げ、生徒会室に向かったのである。
彼女のぬくもりにホッとしながら、先を急いだ。
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