第486話 目覚め



 頭の中は真っ白だ。

 逃げ出したくても、背後は外壁。

 何よりこの大男を振り切って逃げ出そうにも、まず隙というものが見当たらない。

 真っ直ぐに自分を睨み据えられ、蛇に睨まれた蛙状態である。



「……こんな……ところで、人殺しなど。

 大騒ぎになっても……良いのですか」


 大声で悲鳴を上げたら助かるか?

 いや、そんな仕草を見せたら、彼はその手に掲げる大剣を容赦なく自分に振り降ろし――比喩抜きで真っ二つにされそうだ。

 恐々と絞り出した声は、完全に掠れていた。


 彼はにこりともせず、淡々とした口調で一歩カサンドラに近づく。


「エリックと同じことを宣うのだな、甘い奴らだ。

 あれほど芽は早めに摘むべしと進言したというのに。


 案ずるな。

 ――貴様の骨まで燃やし尽くせば済む話よ」



 ぞっと背筋が凍る。

 冗談では済まされない、この男ならそれくらいするだろうな、という確信を抱けてしまう。


 何とか説得をすればと思うが、本来なら最初の斬撃で意味も分からないまま切り伏せられていたはずだ。

 足元に転がり光を失った指輪が初撃を防いでくれたものの、それで事態が大きく変わることはない。


 助かるための算段をしようとするが、何も考えられなかった。

 自分の鼻先に突きつけられた大剣の切っ先が微かに動くだけで、ビクッと全身が恐怖に竦む。


 そもそも、自分は彼らにとって邪魔なだけ、何の益ももたらさない人間だ。



 カサンドラという人間は『聖女計画』の中で勝手に破滅していく付随物に過ぎない。

 悪魔を取りつかせたいと考えている王子に三家筋の有力貴族の娘をあてがうことに難色を示していたところ、都合よく釣り合う程度の地位を持ち王子の婚約者に立候補してくれた地方貴族の令嬢。

 利用されただけ。


 そして今後一切中央への色気を出し余計な発言などさせないよう、レンドール家の力を削ぐために使い捨てにする予定だった。

 計画がかなわなくても、悪評高いカサンドラの揚げ足をとりやり玉にし、追放処分にする予定だったはずだ。


 しかしカサンドラは悪評を高めるどころか、三家が無視できない程度に”目立って”いる。

 三家に関わる令嬢達とも太い繋がりを持ってしまい、今後万が一でも王妃に立ってはいけない存在にまでなってしまったのだ。


 聖女計画とやらの段階が早まった原因の一つが、王子やカサンドラの学園内での台頭だったとシリウスは言った。 

 これ以上人望を得たり、”善い人”認定を受けることで後になる程陥れづらくなる……

 だから彼らはカサンドラ達が完全に地盤を固めない内に、早々にカードを切っていく必要に迫られた。


 その計画自体も頓挫しており、このまま卒業を迎えカサンドラが順当に王子と結婚することになったら彼らにとって大きすぎる誤算。

 何が何でも、それだけは阻止したいと願っているはず。


 ……危険だ、ということは意識していた。



 だがここまで 死 を身近に感じることになるとは

 真に迫った想像が 及ばなかった

 





「死ぬのは怖いか」




 当たり前のことを問われ、喉を鳴らす。

 彼は口の端を持ち上げ、愉悦を込めカサンドラに言い放った。

 自分の顔は血の気が引き、青を通り越して蒼白だっただろう。





「ふむ。

 障壁があったとは言え俺の一撃を受け、生き残ったのは事実。

 中々の悪運の持ち主だな。


 ……どうだ。


 貴様が地べたに這いつくばり、命乞いをするなら――

 この剣の行く先を考えてやらんでもない。


 さぁ、レンドールの娘よ。

 俺の前に跪け」




 ぎゅっと心臓が縮み上がる。

 『助けて欲しい』とこうべを垂れれば、彼は自分を見逃してくれるというのだろうか。


 一瞬だけそんな光景を想像したが、この殺気に満ち溢れた彼の様子から察するに……

 見逃してくれる気などさらさら無いのだということは明白だった。


 箱の中、逃げ道も塞がれ、戸惑いおろおろ彷徨う小動物を追い詰めて喜んでいるだけ。


 彼に余興でしかない楽しみを提供するつもりなど、僅かたりとも持ち合わせていなかった。



 すすんで殺されたいわけではない。

 だが喉元に剣の先を突きつけ、微動だに出来ない普通の”一般女性”の心を嬲るような物言いに屈するほど、自分の矜持は安くない。


 死よりも恐いものがあるとすれば、それは己の名を穢すことだ。

 誇りを自らなげうつことだ。


 カサンドラも負けじと、彼を睨み返す。

 恐怖で目の淵に涙が浮かぶ。

 ガチガチと歯が鳴り、絞り出す声はとても弱弱しい勢いだったと思う。




 



「わたくしはカサンドラ・レンドール。


 貴方のような卑劣な人間に請うものなど、何一つございません」







 彼は少々虚を突かれたように瞠目する。

 が、構えていた剣に添えていた左手を離し、


「そうか。――あい分かった」


 カサンドラの喉元あてがう。


 強烈な力で細い首をグッと締め、男は小さな目を細めた。







「――――ッ………あ…………ぁ」








 悲鳴を強い力で握りつぶされる。


 腹に、ドスン、と大きな衝撃が叩きこまれたと錯覚した。





 ――彼の持つ剣の先が、カサンドラのお腹を容赦なく貫いたのだ。 

 カサンドラの背に、一瞬のうちに血にまみれた剣先が生える。



 一拍遅れ、全身に激痛が迸った。

 言葉にならない。




 あまりの痛みに視界が明滅する。




 声を出そうとすれば、込み上がってくるのは声ではなく――これは、血か。




 痛い、痛い…… イタイ








    ――ああああああああああ!








 大量の血液が白い制服のブレザーに染み広がり、重みを訴える。


 例えようもない程、刺された箇所が熱かった。


 ゴフッと息を吐くと同時に、口の端から血が滴り落ちる。



 ぽた、ぽた、と地面に血液が垂れ、黒い染みが水たまりを作った。

 口から漏れた血か、それとも貫かれた腹から落ちる血か判別も出来ない。



 喉を掴まれ、身体ごと持ち上げられる。


 力なくカサンドラの四肢が垂れた。

 空に揺れる爪先にはもう踏ん張る力も無い。




「………。」



 視界が霞む。

 息が出来ない。



 茫洋とした視野の中、カサンドラは自分を殺す相手から決して目を逸らさなかった。



 この世界がこのまま『未来』へ繋がるものであるなら、それでいい。

 でも――



 もしも再び、やり直す機会が訪れてしまったとしたら。



 この世界の最初に、あの日に戻ることが出来るのなら!

 絶対に、絶対に、忘れない!


 彼らの悪事を糾弾してみせる。

 誰も死なせるものか。


 こいつの顔を忘れない!






 諦めの次に出た感情は、激しい憤りだ。

 薄れゆく意識を必死で押し留め――最後の力を振り絞って、自分を捻り上げる男の腕に自身の手を添える。

 そして彼の袖を飾る金のカフスを指で抓み、激痛に呑まれ無理な方向に跳ねる体の勢いのままに引きちぎった。



 大きく身体をねじったせいで腹の内を刃に抉られ、カサンドラの痛覚はもはや焼き切れる寸前だ。







「はは、生かしておいたら脅威だな。

 お嬢様の癖に、この胆力は驚嘆に値する。


 飾りボタンそれで俺の痕跡を残したつもりか?



 ――無駄だ。 全て燃やす と言っただろう。



 生きながら燃やしてやっても構わんが」




 





 男の声が聴こえなくなる。

 次第に、意識が黒一色に塗りつぶされていく。

 

 自分が彼の手元から引きちぎったものだけ、懸命に握りしめて――










   もう  何も視えない。









「……っ!?」






 急にカサンドラの身体が空中に放り出される。

 彼の手が喉から離れ、支えを失った体がそのまま地面の上にドサッと転がり落ちた。







 ※






 男は足元に転がるカサンドラから目を離し、今――自分の頬を掠めたものがなんだったのか、目敏く確認する。

 確かに白い輝きが、巨躯の男の眼前を音もなく過ぎったはず。


 しかし視線の先には、幹を抉られた痕を残す大樹があるのみだ。

 まるで矢が突き刺さった痕跡を残していたが、肝心の矢がどこにも見当たらない。

 樹の根元に落ちているのかとザッと視線を浚っても、放たれた『矢』はどこにもなかった。


 だが自分を射抜こうとした存在を見つける事は、矢の行く末を確認するより容易い。

 校舎側の茂みの向こうから、自分を弓矢で狙い済ます人間がいた。



 しかも構えているのは、ただの弓ではないように見える。

 ハッキリとした実体のない、真っ白な輝きを放つ光の弓。つがえる矢も同様に、皓々と光輝を宿す。


 あれは魔法の矢?

 それにしては……



「今すぐ――カサンドラ様から離れなさい!」



 凛とした声で警告を放つ少女には見覚えがあった。



 さて、三人の内誰だったか。

 青いリボンは、確か……


 そんな風に悠長に考えを巡らせる暇はない。




「この……! よくも! こんなことを……

 ――バルガス!!」



 視野外から斬りかかって来た鋭い剣の一撃。

 それを野生の勘とでも言うべき防衛本能で、男は大剣を掲げ防いだ。


 だが加えられた斬撃は今まで受けた事も無い力。

 一度刃を交えただけだというのに、男の持つ得物が中央から罅が入り二つに折れた。驚きに顔を顰める。


 剣術はそれなりの腕とは言え、たかが少女の一撃で己の得物を失うとは――と、目を疑う。

 

 白きつるぎの軌跡の連撃が幾度もバルガスを襲う。

 後ろに跳躍し、それをなんとか凌ぐけれども。




「動かないで!」



 剣を振るう少女を援護するように、同じ顔の女生徒が番えていた矢を放った。

 足元の土に数本の白き矢が連続で突き刺さり、地面を抉る。矢自体はすぐに消失するが、威力は眼前にある通りか。


 射撃に行動範囲を狭められる。



「チッ……」



 更に正面で掲げられる、今まで見たこともない美しく白き剣。

 これはまさか。まさか……





    ……聖剣………?








「カサンドラ様、カサンドラ様、しっかりしてください!!!」







 自分が放り出した亡骸一歩手前の『カサンドラ』を泣きながら抱きかかえる少女。

 彼女の全身から白い光の靄が立ち上った。




 ふんわりと柔らかい、真っ白い光が血にまみれた少女の身体を覆いつくしていく。








    ※













     ああ――……



     何だろう






     とても     あたたかい











 痛みに顔を歪めながら、微かに、ゆっくりと瞼を上げる。




 






      カサンドラは   純白の翼を見つけた。









 ああ、そうか。




 力が抜けてしまい、もう一度目を閉じる。










                   ――全部 分かった。

                        分かってしまった。

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