第485話 呼び出し


 手紙を開き内容を一読し、カサンドラは驚いた。

 反射的に片方の手で口を覆い、慌てて手紙を鞄の中に入れる。


 そして――自分が今日も、書いたまま渡せていない王子あての手紙を鞄の底にしまい込んでいることを確認した。


 王子からの手紙の内容は、とても簡素だ。

 今までの彼からの返事がそうであったように、率直に用件のみを伝える分かりやすい内容である。



 今日の放課後、カサンドラに会いたいというものだ。

 ――しかも今回は、絶対に二人きりになれるよう、念を入れて剣術講座初心者が週に一度使用している修練場で、と。


 カサンドラにとって大変懐かしい場所を指定されたことに吃驚した。


 ぽわん、と。

 カサンドラの脳内に、かつて自分がリゼについて剣術講座を受けに行った時の光景が蘇ってくる。


 リゼは既に上級者のグループに所属して鍛練を継続しているはずだが、今でも週に一度フランツの指導を受けているという話はカサンドラも聞き及んでいた。


 リゼのように才能を開花させることがあるかもしれないと、今も初心者が興味を持った時のために講座自体は開かれているものの――

 冷やかしで一、二度その講座を受ける生徒は現れるものの、全く継続する気配がないそうだ。



 ”渡したいものがあるから、誰にも言わず一人で来て欲しい”



 渡したいものと聞かされ、一瞬また王子が自分に熱の籠った手紙を渡してくれるのだろうかと顔が紅潮しかけた。

 だが冷静に考えてみると敢えてこういう書き方をし、今までとは違う誰にも遭遇しない――邪魔されないだろう場所を指定したのは。



 カサンドラが手紙を書き終え、渡すタイミングが見つからないことを彼が見抜いているのだと考えざるを得ない。

 このまま二人きりになる状況になっても渡せないまま、そわそわと互いに言い出せずに時間だけが過ぎるというのも滑稽な話だ。


 王子は『明日必ず手渡そう!』とカサンドラが決心したことなど知りようがない。


 だから少しでもカサンドラが渡しやすいような場所や状況を作ってくれようとしたのではないか。

 王子が何か”渡して”くれるのなら、カサンドラも持ち歩いているこの手紙も極めて自然の流れで渡しやすい。


 スムーズなやりとりになるだろうことは、想像に難くない。

 絶対に誰にも見られないから大丈夫だ、という意味が込められている気がしてならなかった。

 自分の性格を見抜かれていると思い、更に気恥ずかしさが募る。



 あの情熱的なラブレターを見た後では、あまりにも事務的で簡素な文言。

 だがそのいつもと比べて慌てたように見える筆致が、彼の内心の動揺を表しているようで人間味を感じられた。



 ここまで王子にお膳立てをしてもらったのだ、勇気が出ないなんていつまでも言い訳をしているわけにはいかない。

 後は野となれ山となれの心持ちで、王子にこの手紙を渡すのだとカサンドラは緊張に表情を硬くして廊下に出た。





 もしも……

 もしも状況がカサンドラにとってここまで都合の良いものでなければ、もう少し警戒心を持って行動できたのかもしれない。



 王子と二人きりになりたいという気持ちが強すぎたせいか。


 シリウスが『学園内は安全だ』と断言していたことを無条件にそうだと信じ込んでいたせいか。






「カサンドラ様!」


 午後の剣術講座を終え、制服に着替えた後のリゼとすれ違った。

 女子更衣室がある棟と目的地の方角は同じだから、タオルで頬をぬぐいながら廊下を歩く彼女の姿とすれ違うのはおかしな話ではない。


 だが自分が普段向かわない方向に向かっていることを彼女に知られてしまった事に、若干の焦りを感じる。

 誰にも知られず二人きりで、という王子の厚意を無視してしまったような罪悪感にかられたからだ。


 リゼは立ち止まり、きょとんとした顔でこちらを眺める。


「どうしたんです? こっちに何か用事でも?」


 不思議そうに首を傾げ、そう聞いて来た。

 見逃してスルーしてくれることを心の中で念じていたが、普段カサンドラが立ちよらない場所に向かおうとしているのはリゼ的には奇妙な光景に映ったのかもしれない。


 一瞬誤魔化そうかな、という考えがカサンドラの眼前を過ぎった。


 しかしリゼが自分達が会うからと言って、こっそり様子を見に来るなんてことはないだろう。そんな野次馬根性とは対極の性格をしている。

 第一、嘘をつくのも彼女にとって信用していないみたいで失礼だと思った。



「王子と会う約束があります。

 リゼさんが普段フランツさんに師事を受けていらっしゃる修練場であれば、この時間は誰も通りかかることもないかと」


「ああ、そうですね!

 確かに放課後、あの茂みを掻き分けて奥に行く人なんていませんよ。

 二人きりになるには良い場所チョイスですね!

 ……あー……そうか、今度私も……」


 朗らかに笑ったリゼは天啓のように何かに気づき、斜め上の宙に視線をズラしてぶつぶつと呟き始める。

 どうやら彼女にも思うところがあるらしい。


 タオルで口元を覆いながら独りちる彼女に、恐る恐るカサンドラは声を掛けた。


「リゼさん?」


「……あ、いえ! 何でも! 何でもないです!」


 一体何を考えていたのか知らないが、彼女はタオルから離した手を横に振る。

 運動後だからというわけでもなく顔が赤いように見えるのは、相手ジェイクの事を考えていたからだろうか。


 実際問題として、カサンドラよりも厳しく校外で会う事を戒められている彼女にとって、校内で人気のない場所というのはかなり重要なスポットかも知れない。

 彼女は家庭教師という名目でジェイクと二人きりになる時間はあるものの。

 聖アンナ生誕祭も近づいていることもあり、彼女達が使用中にも拘わらず生徒会の案件で同室で書き物をしなければならない事態も生じ得る。


 生徒会メンバーの誰もが入ることが出来る場所だから、決して安全地帯にはなりえないのである。


 それはカサンドラも良く分かっている。

 ……思い出すだけで、恥ずかしくて身悶えそうになるあの出来事がフラッシュバックして頬が引き攣った。


「カサンドラ様、良い事を教えて下さってありがとうございます」


 何故かお礼を言われてしまった。


「提案して下さったのは王子ですので」


「では王子によろしくお伝えください!

 ――お疲れさまでした」


 ペコっと頭を下げて、リゼは足取りも軽く廊下を進んでいった。

 去年までの彼女を思い返すと、隔世の感がある。


 ……それは自分も同じことか。


 カサンドラは彼女の後姿を見送った後、自分も指定された場所へ急いだ。






 ※ 





 校舎から出、樹々の間にある細い道を辿る。

 外壁が間近に迫る野晒しの石畳――修練場に辿り着いた。


 

 リゼがジェイクに『近づく』ために、剣術の選択講義を受けるようアドバイスをしたことを思い出してしまう。

 攻略対象の得意分野の能力を磨くことは、育成型の乙女ゲームにおいて基本中の基本、鉄則とも言える。


 見方によっては好きな相手に”媚びる”ようなやり方だとも言えるが、得意分野が興味が同じ方が一緒にいて楽しいと互いに思えるのは事実だろう。

 勿論現実では全く別の得意分野同士で惹かれることもあるだろうが、分かりやすい数値パラメータという条件付けをしやすいゲームでは趣味や能力を合わせることは必須とも言える。


 でもリゼを始め、皆一年間よく頑張ったなぁ、と素直に思う。


 いくら好きな人のためとはいえ、今までの自分の興味分野を鞍替えて右も左も分からない適性の無い分野を極めようと努力するのは並大抵の根性では利かないはずだ。

 たった一日剣術講座を体験しただけで筋肉痛になって辛かったことを昨日の事のように思い出す。


 今まで彼女達にも様々な葛藤があっただろうことは想像が出来る。

 カサンドラが自信を持って堂々とアドバイスできたことが大きかったのかもしれない、それを信じてくれたから『今』があるのだ。


 彼女達の恋愛成就の一助になったのなら、それだけでもこの世界の記憶を思い出した甲斐があるというものだ。


 思い返せば、リゼが剣術を習う際にわざわざ初心者用の講師を呼び寄せてまで熱心の取り組んでくれたのは――

 学園側にとってもリゼが特別な存在だったからという理由もあったのだろうな。

 異常な程、彼女達に便宜を図って特別扱いをしていたのだ。



 今まで全く使われることのなくなっていたらしい、雨が降ったら庇のある場所に移動せざるを得ない、お粗末な野外修練場。

 ここを無理矢理使えるようにして、フランツを雇い入れるまでしてリゼのために都合をつけた。


 それでもリゼは不安だったはずだ。

 彼女が心配で、一緒に参加して。

 そこでジェシカという上級生に散々冷たい事を言われたが、本当にあの時のカサンドラの切った啖呵通りにリゼが剣術大会で活躍するとは。


 彼女の真面目な手を抜かない性格は、地道な修行に合っていたのだろうか。





 この場所は、リゼにとっての始まりの場所でもある。




 彼女専用の区域というわけでもないのに、土足で彼女の聖域に踏み込んだような錯覚を起こして落ち着かなかった。





 王子は先に着いているのだろうか。

 今日も王城に向かう用事があると言っていたから、急いで彼に会って――渡すものを渡して。

 ドキドキするが、それで気持ちをすっきりさせたいという気持ちでいっぱいだ。


 そこまで自分の手紙を楽しみにしてくれているということ、正直に言えばとても嬉しかった。

 わざわざきっかけを作ってくれてまで……



 あたりをぐるっと見渡したが、周囲を縁取るように植えられた瑞々しい樹々が立ち並ぶだけ。

 シンと静まり返っていて、人の気配を感じることが出来なかった。


 カサンドラは胸を撫でおろし安堵する。

 手紙の存在に気づくのが遅れてしまったため、彼を待ち惚けさせてしまっているおそれがあったからだ。

 自分に手紙の事を教えてくれたテオには感謝しなければいけないな、と細い吐息を地面に落とす。



 どうにも落ち着かず、鞄の金具を何度も何度もさするカサンドラの白い指。

 王子は一体自分に何を渡してくれるのだろう。



 ザッ、と土が擦れる音が耳に触れる。


 誰かが土を踏み、歩いて来たのだろう。


 リゼが言っていた通り、放課後こんな場所に足を踏み入れる学園関係者はいないはずだ。


 フランツが後片付けを行っていることもあるかもしれないが、今日は彼の当番日ではない。

 間違いなく王子が急いで来てくれたに違いない、と。





「王子、今日はありがとうございま――」





 音のした方を振り返り、平生通りお辞儀をしようとした。

 だがそんな自分の想定とはあまりにも懸け離れた状況が眼前に解き放たれる。



 ガラスが砕け散るような高い音が、その場に響き渡った。

 爆発音とは違う細かな破裂音。




「…………?」



 何が起こったのか……


 と、緑の双眸を大きく見開いた。





 窓を拳で叩き割ったら、こんな音が周囲に反響するのだろうか。




 目瞬きする間、一瞬の出来事だった。


 カサンドラを半円球状の透明な光の『壁』が覆った直後、その壁が粉々に砕け散ってしまったのだ。





「――物理障壁バリアか。

 中々、小賢しい真似をする」




 カサンドラを守る『壁』を一払いで破壊し、砕け散らせた張本人。



 巨躯の男が、ギロッとカサンドラを睨み据え――大剣を構え直している。


「え……?」




 カサンドラは確かに何かの破砕音を聞いたが、実際にその瞬間を目視することも叶わなかった。


 呆けるカサンドラの足元に、一つの指輪が転がり落ちる。


 銀色の鎖が千切れたのか。

 ネックレスにして胸元に掛けていたダイヤの指輪が地面に落ちた衝撃で跳ね、くるっと一度回って停まる。


 それは淡い黄金の輝きを放っていたが、次第にその色を薄れさせ――ただの『婚約指輪』に戻ってしまう。


 王子が自分に常に身に着けるようにと渡してくれた、魔法の指輪。

 その効力が発動し――籠められていた魔法が失われてしまった。





 え?





 自分に向けて剣を構える男は、にこりともせず無味乾燥な表情を向ける。

 壮年の、いかつい顔をした大男。




「所詮使い切りの防御魔法。

 二度は無い、分かるな」





 もしかして今、振り返ると同時に。

 自分はこの男に、斬られた?


 もしもこの指輪が守ってくれなかったら――……



 自分の置かれている状況にようやく思い至り、がくがくと足が震える。

 人間、本当の意味で殺意に圧されると喉が潰れたように声が出ない。

 呼吸さえ苦しく、悲鳴が唇の間から漏れ出るだけだ。








        二人だけで 会いたい

        渡したいものがある









   …………ッ!     騙された   !!






 




 ザアッと血の気が引いた。

 足が竦んで動けない。






 相手の姿をどこかで見たことがある、だが彼の名前を言い当てたところで今、何の意味があるだろう。

 寸分も違う事のない、真っ直ぐな殺意を前に。


 もはや問答など意味もない、この男は先の一撃でカサンドラを仕留めるつもりだったのだ。





 本気だ。





 ……これは――……殺される……!







 本能が警鐘を鳴らしたが、時既に遅し。




 足元に転がる指輪を拾い上げることも出来ず、カサンドラは恐怖に慄いていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る