第484話 終わりの始まり


 アレクに散々からかわれ、ハートマークなんて雑な案は一蹴したものの。



 こんなにも嬉しい手紙をもらった以上、返事を返さないなんて許されることではないと思う。

 仮にカサンドラが一念発起してこのような情熱的な本心を赤裸々に文字に起こすような手紙を書いたとしたら……


 流石に返事を期待してしまうに違いない。



 だがしかし、返信を考えようと思って再度手紙を開く度にカサンドラは悶絶の憂き目に遭ってしまう。読み返すのも体力や精神力が削れる始末だ。


 ここまで自分の感情を深く揺さぶり、心の内を串刺しにする文章はこの世に二つと存在しないだろう。


 書き手の存在が常に浮かび上がる。

 一体どんな顔をしてこの文章を書いたのだ、とカサンドラは机に突っ伏して顔を赤く染めていた。



 こんな心境でまともな文章を考えられるはずもなく、その日は眠りに就く。



 毎日寝ているはずの広いベッドの上で、右に寝返り左に寝返り、どうにも落ち着かず時間だけが過ぎて行った。

 気持ちがドキドキ、高揚して眠れない。


 枕元に王子からもらった手紙を置いているせいか、一層寝つきが悪い。





 ……この一年、過ごした日々がザァッと脳裏を駆け巡る。






 最初は――王子が何を考えているのか、全く分からなかった。


 自分が嫌われているのか避けられているのか何なのか……



 ただ、彼の事を知りたい、近づきたいということばかり考えていた。


 彼と親しくなるには、彼の友人達に嫌われるわけにもいかないし。

 かと言って必要以上に接触をはかることも出来ず、劇的な関係改善は見込めなかった。

 かなり立ち居振る舞いには神経を使ったと思う。


 何もかもがゆっくりとした変化だった。

 三つ子の恋愛事情と歩調を合わせるように、一歩一歩、彼の立っている場所へ向かって歩いて行ったのだ。



 それがいつの間にか、こんな複雑怪奇な現状に至ってしまったのだから未だに非現実的な話だと思う。




 このまま何も起こらず、無事に卒業できたらそれで全てが上手くいけばいいのに。




 三家の当主が考えを改め、自分達の過ちに気づいて計画をなかったことにして。


 この世界の裏側、真実に皆が辿り着いたことで本当の終わり――真エンディング以上の隠しエンディングのルートに入って。


 グランドフィナーレを迎え、「物語はおしまい」、後は皆が自由に生きられる世界に繋がっていたら全部解決するのに。




 ここまで皆が繋いできた奇跡のリレーが、未来へそのまま繋がるものであればいい。




 だがそれを期待するには楽観的すぎる、何の保証もない。

 自分達の人生を丁半博打に賭けるわけにはいかない、皆の想いは賭けに使える程軽いものじゃない。




 カサンドラとして自分固有の役に立てることが出来ればいいのにな、と今更自分の無力を嘆く。

 今のところ、生徒会の仕事を可能な限り引き受けることくらいしか動けていないのは忸怩たる想いである。




 だが、何も出来ないからと言って動かないままなのも違うと思う。

 不安がるだけでは本当の意味で役立たずになってしまう。



 ここ半月の間に、彼女達を”信じて”待つ、ということには耐性がついたのかも知れない。





 ※





「王子、先日はお手紙を下さりありがとうございました」


 廊下での雑談、彼に教室から連れ出されて開口一番カサンドラは深々と頭を下げた。

 視界を床に向けたはいいものの、中々その視線を上に戻す事が出来ない。


 絶対にお礼を言わなければいけないと分かっているものの、いざ対面して言の葉に『手紙』の件を乗せると――

 どうしても馬車の中で初めてあの手紙を目にした瞬間の衝撃も一緒に思い出してしまう。


 一気に顔が熱くなるのを懸命に堪え、出来る限り平静を保とうと努力はしているつもりだ。

 しかし声は僅かに震えていたかもしれない。


「急にあんな手紙を渡して、驚かせてしまったかもしれないね。

 ……受け取ってくれてありがとう」


「とんでもないことでございます!

 あの……とても、嬉しく、幾度も繰り返し拝読致しました」


 彼の自嘲の入った言葉に、カサンドラは慌てて顔を跳ね上げた。


 教室の前の廊下なので当然多くの生徒が通り過ぎていく。

 あまり大きな声で話すわけにもいかず、感情をそのまま顔に表すのも互いに躊躇われる状況である。


 真面目な顔でやりとりをするには、彼の渡してくれた手紙ラブレターはあまりにも巨大な爆弾で。

 面と向かって話題に挙げるには、少々厄介な性質をはらんでいた。


 目と目を合わせ、見つめ合って”自分達の世界”を作ることが出来る場所でもない。常に周囲から遠巻きにされていることは肌に突き刺さる視線からも明らかだ。


 生徒会室のサロンのように、二人きりになれる場所だったらまた違うのかも知れないが……


 いや、生徒会室だってその前の中庭だって、いつどこで既知の生徒とバッティングするのか分からなかった。

 この学園で完全に邪魔の入らない場所、というのは案外限られているものだと今更カサンドラは思い知る。


「お返事は必ずお渡しします。

 お時間を頂戴しても宜しいでしょうか」


 必ず、という単語を強めてカサンドラは王子にもう一度頭を下げた。

 流石に昨日の今日で、返事を書き終えてこの場で渡すことは出来なかったわけだが。

 では明日、明後日という期限を区切ればそこまでに完成出来るかというのもまた難しい。


 だが貰いっぱなしではなく、返事は考えているということだけは王子に伝えておかねばならなかった。


「返事を強要したくて渡したものではないから、気にしなくても良いよ。

 ……もらえたら嬉しいけれど、どうか負担になるようなら無理をしないで欲しい。

 キャシーを困らせるのは本意ではないから」


 当然彼はそう返してくるだろうと思っていた。

 だが、ここで返事を書かないなんて不義理はカサンドラに出来る事ではない。


 いつまでと約束は出来ないが、必ず返事を渡すと王子本人に宣言し――自分を追い込むことにしたカサンドラである。



 必ず返事を渡す、と言った時の王子の顔がとても嬉しそうだったので、それも更にプレッシャーとしてカサンドラの双肩にずしんと乗った。






 ………生半可な文章では、自分も王子も納得できないのでは!?






 ※




 結局、カサンドラが手紙を書き終えるのに一週間以上の時間を要した。

 幸い日常生活は聖アンナ生誕祭の準備以外はごく平和なもので、特に二年目ということもあり全てが順調だ。


 どうやらシリウスやリゼ達が本腰を入れて封印魔法の研究に取り組み始めたらしいが、門外漢の自分には進捗を聞かされても曖昧模糊に頷くことしか出来ない。



 行事進行の手配や準備は滞りないが、帰宅してからは王子への手紙の構想に頭を悩ませる。

 そんな日々がカサンドラの新しい日常となっていた。




 ようやく王子への想いを手紙という規格の中に落とし込むことに成功したけれど、もはやそれを読み返して推敲することも放棄せざるを得ない一品になってしまった……



 これが何かの報告書など公的なものなら、誰かに事前試し読みでも依頼することが出来るだろう。

 だがこれは本番一発勝負、王子以外の誰かに読まれたら……


 恥ずかしくてカサンドラという存在が粉微塵に四散してしまうかもしれない、そんな取り扱い注意の危険物。





「……ああ……」



 カサンドラは、ここ数日自分の部屋で頭を抱えてばかりだ。


 折角この手紙を書き終える事が出来たというのに。

 毎日のように学園に持って行き、王子に手渡そうと思っているのに。


 この浮かれに浮かれたとしか言いようのない、震える手で書き綴った手紙を王子に渡す勇気が持てなかった。

 鞄の中に入れたきり。





  渡すタイミングが、ない……!




 そもそもこの手紙を素面で王子に手渡せる勇気を持ち合わせているのなら、カサンドラは去年一年あんなに迂遠なやり方で王子に近づこうとはしなかった。

 基本的に自分は臆病なのだ、と。

 ここに至って再度思い知らされた気分である。



 王子がカサンドラに手渡してくれた時のように、何が書いてあるのか分からない手紙をポンと手渡すのとはわけが違う。

 王子も”それ”を期待し、自分もそうと分かっていて熱の籠った本心を勢いで書き殴った”それ”を渡すのだ。


 間違っても廊下という往来の場で手渡せる代物ではない。

 顔を真っ赤にするでは済まない、その後一日そわそわドキドキして体調不良を疑われることになるだろう。

 挙動不審ぶりに、デイジー辺りに医務室に連行されてしまいそうだ。


 周囲の人間の目がある場所では渡し辛く。

 改まって意図的に二人きりになることの難しさにカサンドラは歯噛みしていた。


 王子に直接二人きりになりたいと言えば話は早いだろうが……

 それはもう手紙を書いて来たので渡します! とこちらから宣言して意気込んでいるようにしか見えない。




 まるで、片思い中告白を決意した少女のような緊張感に支配される毎日が続いていた。




 受け入れてもらえると分かっているのに、万が一でも引かれてしまったらどうしよう、とか。

 王子も自分が手紙を書き上げた事に気づいているのかいないのか、その話題には一切触れないので余計にカサンドラは窮地に追い込まれていた。



 言葉で ”好きです” と話すよりも

 文字として ”好きです” と書き表す事の方が、カサンドラには何倍も気恥ずかしたった。




 永遠に形として残る、伝えたい想い。

 傍にいなくても、伝わる想い。




 手紙の文章に愛なんて単語をそのままの意味で用いたのは生まれて初めてだ。

 客観的に冷静に読み返したら、羞恥のあまりビリビリに破り捨てないとも限らない。





 ――良いタイミングはないものか。




 


 躊躇い、考えあぐねるカサンドラ。

 毎日毎日手紙を持ち歩いていることもまた、恥ずかしい。







 ※











 そして、運命の一日が訪れる。






 偶然 必然 巡り合わせ 全部全部 綯い交ぜに










 ※








 ……今日も渡せなかった………




 カサンドラは午後の選択講義を終え、自分の意気地の無さに絶望を覚えている真っ最中。

 俯きながら勉強用具を鞄の中にしまっていた。

 良く王子は普通の顔であの情熱的な手紙を渡せたものだ、と今更ながら思ってしまう。

 普段そういう言葉と無縁そうな爽やか好青年なのに、文章とのギャップが激し過ぎる。




 はぁ。



 もうこんなモヤモヤを飼い続けるくらいなら、恥ずかしくても明日、絶対に渡そう。

 幸い明日は役員会の日だ、終わった後に王子を呼び止めてサッと渡してしまえば……


 シリウス達に目撃されるかも知れないが、一々彼らの目を気にして手を留めていてもしょうがない。

 放課後渡して、しかも週末の休みが続くなら――カサンドラの恥ずかしさも、その間鎮まるのではないか。



 何が何でも明日は手渡すのだ、と決意したカサンドラだったのだが。




「……あの……カサンドラ様!!」



 最後の筆記用具を鞄に収め、溜息を一つ落としていたカサンドラ。

 心ここにあらず状態の自分の名を呼んだのは――


 あまりにも視野外の人物で、カサンドラは一瞬『誰だっけ?』と首を傾げそうになった。


 緊張に漲り、真っ赤な顔でプルプル小刻みに震える少年。

 一瞬の空白の後、ようやく彼の外見と記憶が繋がって心の中でポンと手を打った。


「あら、貴方は」


 思わず彼の名を呼びそうになって踏みとどまる。

 カサンドラが下級生、それも一特待生の名を覚えているのもおかしな話だろうと思ったからだ。


 震える手。

 まるで壇上で賞状を受け取る時のように腰を低くしてカサンドラに手紙を差し出す少年。


 特筆すべきこともない、凡庸な容姿というのは失礼か。

 普通であるということもまた、この学園では個性かもしれない。


「か、下級生の……テオです」


 三つ子の幼馴染、後輩君ではないか。

 完全に攻略対象ルートに入った三つ子達、だからバッドエンドの時に出てくるテオは本当の意味でお役御免な状態だったはず。


 彼は緊張に声を震わせ、足をガクガクと揺らしていた。


 彼が自分に手紙を差し出している状況が良く分からず、カサンドラは困惑する他ない。


「あの、こちら、カサンドラ様の机から落ちて……

 す、すみません、オレみたいなのが、拾ってしまって」


 彼は見るからに恐縮しきった様子だ。

 テオ少年が自分へ手紙を渡そうとしているのではなく、落ちてしまった手紙を見つけ拾ってくれたらしい。


 まさか自分が王子のために書いた手紙が気づかない内に落ちていた!? と息を呑んで上下に揺れる封筒を凝視する。

 色が違う、どうやら鞄の奥底にしまったままの王子あての手紙ラブレターが落ちてしまったわけではないようだ。


 彼に気づかれないよう、ホッと胸を撫でおろす。


「王子からのお手紙みたいで……

 あの、どうぞ」


「まぁ、貴方の手を煩わせてしまい申し訳ありません」


 王子からの手紙!?

 と、更にカサンドラは心の中で仰け反った。


 一体いつの間に王子が自分に手紙を忍ばせていたのだろうか。


 ニコニコ微笑みを讃えたまま、テオの手から封筒を受け取る。

 手紙を拾ってくれただけなのに、そこまで緊張しなくても……とカサンドラは苦笑した。


 講義が終わって帰ろうと思ったら、足元に手紙が落ちていて。

 何気なく拾い上げたら、王子がカサンドラへあてたものだった――その時のテオの心境を想像すると、非常に申し訳ない気持ちになる。


 以前カサンドラの書いた手紙が机に下に落ちてしまった時、それを拾い上げてくれたのは王子本人だった。

 だが今回は全く赤の他人がそれを見つけてしまったのだから、居たたまれなさも大きい事だろう。

 しかも王子の名が書いてある以上、捨て置くことも出来ない。


 カサンドラという、一般男子生徒が普通は話しかけられない相手に話しかけるのだ。

 テオが及び腰になって視線を合わせてくれないのもよく分かる。

 変な話、まるでテオがラブレターをカサンドラに仰々しく手渡しているようにも見える状況だった。



「そ、それでは失礼します!」



 彼はホーッと肩を落とし、緊張から解き放たれたかのような俊敏な動きで講義室を颯爽と駆け出して行った。

 別に取って食う化け物でもないのに、そこまで怖がらなくても良いと思う。

 逆に失礼では?


 ――まぁ、しょうがないか。

 王子や生徒会役員の男子生徒以外から声を掛けられたのは本当に久しぶりな気がする。


 王子の婚約者という肩書を畏れていることは明白だった。

 余計な嫌疑を掛けられて立場を悪くしたくない、という男子生徒達の腫物を見る感じにはもう慣れたのだけど。


 改めてテオのような態度をとられると、胡乱な表情になってしまうカサンドラである。






「王子、一体どうされたのかしら」



 それにしても王子が自分に手紙とは。

 いや、別に物凄く珍しいというわけではない。


 彼に簡素ではあるが置手紙をしてもらったこともある、机の中に入れてもらっていたのに気づかず鞄の中に放り込み、そのまま移動してしまったのかもしれない。

 自分の確認不足を悔やみ、テオに拾ってもらった萌黄色の手紙をじっと見つめた。



 きょろきょろと周囲を見渡した。


 放課後の講義室には人影がない。



「……。」








 何か自分に伝えたいことがあるのだろうか、と。


 少々躊躇いがちに、カサンドラは手紙を開く。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る