第483話 ラブレター
朝の『ドレス』に纏わるいざこざは、どうやら彼らの関係性に蟠りを残すものではなかったようだ。
いや、蟠りどころか――
カサンドラが口に出したように卒業パーティで贈るドレスを受け取ってもらえるという話になったので、逆に彼らも機嫌が良さそうにも見える。
そちらの方が彼らにとって本丸なのだろう。
今回ドレスを贈ることで前例を作っておこうという気持ちもあったとすれば、痛み分けではなく彼らの実質的な勝利……なのか?
先ほどの声を荒げてのやりとりなどまるでなかったことのように、教室内で話をする彼らの姿を見てホッと胸を撫でおろすけれど。
去年の今頃と比べることが
攻略……か。
そもそも、自分のことを真剣に想ってくれて己の得意分野に一生懸命背伸びして着いて来てくれる『可愛い女の子』を嫌いになれるわけがない。
彼女達は確かに主人公という特別な立場にいるけれど、真っ当な努力の末に願いを叶えることが出来たのだ。
特に自分の苦手な事を相手のために、と苦行を強いられてもここまで続けて来ることが出来たのは賞賛に値すると思う。
それだけ想われていたら、そりゃあ嬉しかろう、とも。
机に鞄を置き、王子と一緒に廊下に出る。
相変わらずクラス内は騒々しかったが、少しずつその喧騒も鳴りを潜めているように感じられる。
このクラスの生徒達は皆、環境が一変してしまう様を直接目の当たりにして来た者達。
きっと王子の態度の激変ぶりを先に体験したから耐性がついているに違いない。
「とりあえず、あの三人がとんでもない額を動かさないよう、私も注視しておかないとね」
苦笑交じりの王子の言葉に、カサンドラも大きく追従して頷く。
いくら自分達の『気持ち』とはいえ、学校行事でそこまで馬鹿げたお金が動いてしまっては後々まで語り継がれる世代になってしまいかねない。
いや、既に十分語り継がれる状況が整っているけれども。
両想いになったのが嬉しくて浮かれすぎてしまっては、周囲に対して示しもつかないし。
何より物凄く一般的な感性を持つ彼女達も困るだろうと思う。
物語の設定上、”普通の女の子”である彼女達には、全く貴族社会への耐性が無い。
もう少ししたらジェイク達の気持ちも落ち着いてくるかもしれないが……
今の彼らの気持ちが最高潮であることは想像に難くない。
あまりにも特殊な状況で劇的に『両想い』と知ってしまって、物凄く想いが盛り上がっているのだろうなぁ、と。
カサンドラは最初から最後、今に至るまで三つ子側に立って恋愛模様を眺めていたのだ。
想いが通じて幸せになってくれるのが一番嬉しいが、彼女達が今後困らないよう自分も出来る限り――攻略法ではなく、現実の世界の話としてサポート出来ればいいと思う。
それもこれも、世界が逆行せず未来へ進むことが出来るようになったらの話だけど。
「……話は変わるけれど、良いかな」
「はい、何でしょう」
一つ騒ぎがあると意識がそちらに向くので、今まで王子の傍にいる、という現状認識が疎かになっていた。
気が付けば王子と二人、廊下で雑談を交わしているという日常にすっかり戻ってしまっている。
突如真剣な表情になりこちらを見下ろして来る彼の視線にドギマギし、心臓の鼓動が高鳴った。
自分とは直接関係の無い話を意見交換する分には冷静でいられても。
彼の感情がカサンドラ当人に向けられていると、先週のやりとりが具に思い出されて恥ずかしさが込み上げてくる。
いい加減王子の存在に慣れなければいけないのに、共に過ごす時間が増えれば増える程慌てふためく機会も増していくのがもどかしい。
『キャシー』呼びにも慣れ、朝二人だけで話をする時間にも慣れ……
でも。今、彼に見つめられて全く心の置きどころが定まらない。
身体の前で重ねる自分の両の掌が、急速に熱を帯びる。
「先週、君に今までもらった手紙を読み返していたという話をしたと思う」
「はい」
一生懸命考えないようにしていた先週の会話を、それを彼が自ら話題の俎上にあげてくるとは思わなかったのでカサンドラは背中に冷たい汗を流す。
この上、王子は自分に何を伝えようとしてくれているのか、と。
「あんなに沢山の手紙をもらったのに、私は全く返事を書けなかった。
……とても不義理な事をしていたと後悔したよ」
「どうかお気になさらないでください。
あれはわたくしが勝手に始めたことです。
もしも王子が都度お返事を下さるようなことがあれば、わたくしは何度も王子にお渡しすることは出来なかったでしょう」
見当違いの彼の”後悔”を聞かされ、カサンドラは慌てて首を横に振る。
王子の返事がない事の方が、カサンドラにとっては有り難い事だった。
元々迷惑かもしれないと恐る恐る始めた事で、特に簡素な手紙を送るくらいなら彼の負担にならないだろうと判断して継続していた習慣である。
出来るだけ自分の恋心が滲み出ないように、相手に気持ちを押し付けるものでないように。
かと言って日記ではないのだから、読んでくれる王子の事を意識し。返事を強要しない文面でなければいけない。
そんな手紙を、彼にいつも読んでもらっていた。
日曜日の午後、延々と頭を悩ませながら机に向かって文面を考えていた頃が懐かしく思う。
少しでも『カサンドラ』のことを知って欲しかったし、彼との繋がりが欲しかった。
それにお見舞い、観劇の時など彼はここぞという時にカサンドラに手紙を書いて渡してくれたのだ。
もうそれだけで家宝にして代々語り継ぎたい程唯一無二の大切な宝物だ。
今になって当時の手紙に纏わる事で彼が後悔しているなんて、とんでもない話だ。逆にこちらの肝が冷える。
彼にそんな想いをさせたくて渡していたわけではない、自己満足に過ぎない手紙を毎週読んでもらっているだけでありがたかったのに。
「だからね、私も君に手紙を書いて来たんだ。
今までの感謝をこめて」
そう言い、彼はそっとカサンドラの前に一通の封書を差し出した。
カサンドラは呼吸を止め、その真っ白い手紙を凝視する。
「あ、ありがとう……ございます……」
両手でそれを受け取り、息も絶え絶えな状態だが何とかお礼を喉から絞り出す。
「急を要する内容ではないから。
屋敷に帰宅した後、開いてもらえたら嬉しい」
「はい! 思いもよらない僥倖……恐れ入ります」
王子からの手紙!
形に残る、彼の言葉。
既に普通に会話が出来る関係だというのに、サプライズのように手紙を手渡してもらえるなんて……!
カサンドラはぷるぷると震える指で手紙を大事に胸元に掻き抱いた。
もしかしたら、何処かへの誘いの手紙なのだろうか。
観劇、演奏会などの招待状が入っているのかも?
全く内容が想像がつかない。
ただ嬉しくて、表情が知らない内に綻んでいた。
※
その日は、いつにもまして時間が過ぎるのが遅く感じられた。
人間の体感時間とは不思議なもので、誰もに平等に配分されているはずの時間の感じ方が置かれている感情によって変わる。
嬉しい時、楽しい時間はあっという間。
辛い時、悲しい時間は長く感じられるもの。
とにかく王子からもらった手紙を確認したくてしょうがない、でも王子の前で開くのは以ての外だし。
家に帰って開くよう指示されているのに、それを無視するなんてカサンドラには出来ない。
午後の講義など殆ど上の空。
「……ここなら……もう、大丈夫でしょうか」
帰りの馬車の中に滑り込み、車窓から周囲の様子を確認する。
カーテンを勢いよく閉め、動き出した馬車の椅子に座るカサンドラの手には真っ白い封書。
学園の外門は出たし、馬車の中なら誰かに覗き込まれることない。
嬉しい事が書いてあってニヤニヤしても、誰かに見咎めることもなかろう。
帰り道の三十分が待てず、カサンドラは震える指で――手紙を、開く。
「えっ。」
え? え?
読み始めて数行で、カサンドラの口から驚愕の声が断続的に衝き出てくる。
先を読むに従って――
徐々に声さえ出なくなり。
まるで陸に打ち上げられた魚のように、呼吸が出来ず喘ぎ空気中の酸素を欲した。
ぱくぱく、と口が開閉する。
「えええええ!?」
馬車の中で絶叫しかけ、片手で口を覆う。
誰もいないはずなのに再び左右を確認して……もう一度、その便箋を顔の前に持ち上げて再確認。
日常的に使っている言語のはずなのに、まるで次元が違う文章が整然と並ぶ。
それは、今までカサンドラが実際に見たことも読んだこともないような――
王子が書いたとは俄かには信じがたい、熱烈としか表現しようのない
まごうことなき ラブレターであった。
カサンドラは、一枚の紙にこんなに『愛』だの『好き』だの乱舞する文章を未だかつて目にしたことがない。
読んでいるだけで顔が真っ赤になってくる。
どこそこで恋の浮名を流す有名な貴公子だったり、恋物語の弾き語りを主とする吟遊詩人ならいざ知らず。
普段真面目で実直な、あの王子がこれを書いたという事実がとても信じられない。
でも彼の文字だ。
綺麗に整った、お手本のような文章。
もはや”愛”という言葉がゲシュタルト崩壊を起こす寸前である。
「~~~~~!!!」
カサンドラはその便箋を開いたまま膝の上におき、横に倒れてそのまま長椅子に上半身を伏せた。
そして無我夢中でバシバシと椅子を叩き、声にならない声を上げて身悶え続けている。
何度も文面を確認しては、顔を伏せてじたばたと暴れる。
こんな姿こそ、とても他人に見せられたものではない。
※
完全に茹で上がったタコ状態のカサンドラは、頬を押さえながら屋敷に帰還する。
どうしても緩み切った表情が元の顔つきに戻らない。
こんなだらしなくニヤつく姿をアレクだけではなく使用人達にも見られることになるとは……
確かに王子が言っていた通り、自分の部屋まで我慢するべきだったのかもしれない。
「……姉上、どうしたんですか?」
当然のように、アレクが怪訝そうな顔をする。
真実を知って以降、アレクは自分が学園から帰宅するのを確認しないと気が済まないような心配性になってしまった。
……なので当然、締まりのない貌になったカサンドラの姿も一目瞭然というわけだ。
他の使用人達がカサンドラに遠慮して見て見ぬふりをしているというのに、彼は遠慮なくズカズカ踏み込んでくる。
普段と違う様子である、というのは彼にとってスルー出来ないものかもしれないが……
王子の面影が覗く、銀髪の綺麗な顔立ちの少年の顔もまた、真剣だ。
無言で「何もない」では放してくれないだろう事は容易に想像がつく。
「いえ、本当に……何でもないのです」
わたわたと誤魔化そうとするカサンドラの態度に、アレクもホッと胸を撫でている。直接的な危険が自分の身に迫ったわけではない、と分かってくれたのだろうか。
張りつめていた緊張感が弛緩する。
それほどカサンドラの顔や態度にわかりやすく表出しているということに他ならないということで、羞恥を感じる話であるけれど。
「また王子と何かあったのですか?
いい加減に慣れてはいかがです?」
王子と何かある度にカサンドラはリトマス試験紙のような反応を顔に出す。
アレクにしか分からないような微細な変化のこともあれば、今のように誰から見ても不思議に思うような変化だったり。
状況的に判断した結果、アレクは肩を竦めた。
呆れたような口調と共に。
「王子が……その、わたくしに手紙を……」
「はぁ、そうですか」
そんなことか、と彼は大仰に溜息をつく。
まだ胸の内に嵐が滞在したままのカサンドラ。
そんなことか、と脱力する様子のアレク。
だが余程カサンドラが夢見心地な顔をしていたからだろう。
彼も普通の連絡事項を書いたものでも近況報告でもない『手紙』だということに気づいたようだった。
「良かったですね」
「アレク……!」
義弟も一緒に喜んでくれるのか、と表情を明るくし声を詰まらせるカサンドラ。
しかし彼は、ポン、と。
感極まり立ち尽くすカサンドラの左肩を軽く叩いた。
「王子から喜ばしいお手紙をいただいたんです。
きっちりしっかり、同じ熱量でお返事を書かないといけませんね、姉上!」
何だか全てを分かったような表情でカサンドラを激励する義弟。
アレクの言葉に、ようやくカサンドラもこの手紙の真意に気づいて泡を食う。
「……!」
もらって嬉しい、ラブレター。
情熱的に、心の内を明け透けに伝えてくれる――誤解のしようのない、ストレートな言葉選び。
返事………。
この手紙に相応しい、返事………?
一気に表情を変えるカサンドラに、クスクス、と義弟は笑う。心底可笑しそうに。
大したことじゃなくて良かった、と顔に書いてある。
「いっそ思い切って、全文章の語尾にハートマークでもつけて送ってあげたらどうです?
ギャップに王子も吃驚しますよ、多分」
……はーとまーく……?
脳内に文章が再現され、動揺する。思わず握りこぶしを作って震わせる。
「そんなこと出来るわけがないでしょう、アレク!!!」
カサンドラの金切り声が、レンドール別邸に木霊した。
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