第482話 意地の張り合い
久しぶりに王子とゆっくり話をする時間を持てたカサンドラは、それからしばらくの間ふわふわと雲の上にいるような気持ちで過ごしていた。
ずっと疑問だった、物語内で見られなかった王子の『違う』行動。
何故そんな行動を起こしたのか、その理由を直接教えてもらうことが出来た。
――まさか彼の内心の変化が理由だったとは。
確かに彼は基になった物語の
そしてラスボスになるという、この物語上欠かせない存在であることは間違いない。
元々の物語に存在している自分達は、この世界に自分の意志で干渉できるのかもしれない。その傍証の一つの現象であったわけだ。
彼が生誕祭や武術会に出てこようが、それ自体が『物語』の根幹に抵触しない範囲なので許容されたという見方もあるかもしれないが。
当たり前のように何十回と同じことを繰り返すはずのイベントの中身を変える事が出来る、それは彼も持ちうる力だったのだろう。
……それが『
争いごとや目立つことをあまり善しとしない王子が、実は負けず嫌いな側面も持っていたのかと。
新たな彼の一面にここに至って触れることになり、もう先週から彼の姿を見ているだけでドキドキする。
何とか金曜の定例役員会は平常心を持って普段通り進行できたはずだが、あまりにも衝撃的な話だったので心ここにあらず状態。
週末を自分の屋敷で過ごすインターバルを経て、ようやく動揺も収まって来た――と思う。
カサンドラは去年一年、彼が本当はどういう心境だったか、推測することしか出来なかった。
当人の口から真実を聞かされる破壊力の強さに、思い出しては顔がカーッと熱くなる。
いつまでも過剰に意識するのも良くない、だから心情を整えて新しい一週間に臨もうとしている。
終始ニヤニヤしていたせいで、再びアレクに遠巻きに眺められ、視線が合うと大げさに肩を竦められるという状況に陥っていたわけだが。
一人で浮かれている場合ではない。
根本的な問題は何も解決していないのだ、と自分に言い聞かせ。
カサンドラは馬車を降り、学園の外門を通って校舎に入るために並木道を歩いていたのである。
「………!」
「……!?」
そんなカサンドラだったのだが、「いつも通り」と決意した出鼻を挫かれるような騒ぎが目に留まった。
通学のための並木道から少し逸れた、運動場との境目の石畳の上。
登校途中の生徒が何事かと視線と関心を向けるも、そこにいる面々の姿を確認した瞬間『触らぬ神に何とやら』と言わんばかりに視界から外す。
こんな月曜の朝から何の騒ぎだろうと胡乱な視線を向けたカサンドラ。
――そこに固まって声をあげているのは……
「え? 皆さん?」
吃驚した。
リゼ、リタ、リナの三つ子。
ジェイク、ラルフ、シリウスの三人の攻略対象。
そして彼らの言い合う様を、少し首を傾けて困惑の表情を浮かべて見守る王子。
……この場で一体何が……?
※
とりあえず近づかない事には原因も分からない。
カサンドラは恐る恐る、その騒ぎの中心に向かって歩みを進めた。
「だから、遠慮すんなって言ってるだろ!」
「遠慮とかそういう問題じゃないです、私は……
いえ、私達は結構です!」
言い合いと言っても、カサンドラの目前で意見をぶつけ合わせているのは主にジェイクとリゼの二人だったが。
彼女達だけではなく、リタもリナも困ったようにその場に佇み、手や首を横に振り続けていた。
「おはよう、キャシー」
戸惑うカサンドラの存在に気付いた王子が、苦笑交じりに声を掛けてくれたのだ。
「王子……これは一体、何が」
「……。
見解の相違が少し、ね」
彼は何とも言えない、何かを諦めたような顔で彼らの諍いの原因を教えてくれた。
いつも通り四人で登校していた王子達。
たまたま三つ子が登校している姿を見つけ、声を掛けたのだと言う。
それ自体は特筆すべきこともない話である。
だが、もののついでとばかりにシリウス達がリナに話した『提案』が、このような騒ぎを生んでしまったようだ。
今日の放課後は、すぐに寮に帰宅して欲しい――と、そう真っ先に発言したのはシリウスで。
一体何があるのかと思ったら、聖アンナ生誕祭で着用するドレスを仕立てる段取りを整えたとの事。
学園内に仕立て屋御一行をぞろぞろ連れ込むのは流石に難しかったが、寮内で準備をする分には構わないだろう。
彼は淡々と、当たり前のようにリナにそう話しかけたのだ。
最初はリナだけがドレスを仕立ててもらうのかと思っていた残りの二人も、当然のようにジェイクとラルフが同じ提案をしたものだから目を丸くした。
「私は、わざわざ作って頂かなくても良いです……」
引きつり笑顔のリナがやんわりと辞退しようとしたところ、シリウスも若干ムキになって彼女に勧め続けることになった。
そしてリナが遠慮するとなったら、ホッとした様子でリゼとリタも同時に要らない、と。
折角の機会、自分の恋人にドレスを贈りたい男性陣
それを固辞する女性陣
という形で完全に分かれ、互いに互いの要望を通そうとひと悶着を起こしているという話であった。
この間とはギャップが激し過ぎる話し合いの格差に、カサンドラは持っていた鞄を地面に落としてしまうところだ。
そんな些細なことで……
と、眩暈に襲われる。
「リナ、お前のことを皆の前で紹介すると言ったはず。
その際は是非とも、贈ったドレスを着て欲しい。そう望むことの何がいけないのだ」
「いえ、あの……私は、本当に今回に限っては遠慮させていただきたいのです」
「採寸が面倒と言うのなら、僕の屋敷に残っているはずの記録から新しく仕立てさせるよう指示を出すけど」
「リリエーヌの姿ならまだしも、この姿で豪華なドレスなんて絶対似合いませんって!
一生分綺麗な格好させてもらいましたし、もう良いですよ!?」
「なぁリゼ、こんな機会でもないとお前の着飾った姿なんか見る機会もないんだし、たまにはいいだろ?
これくらい素直に受け取っておけばいいだろ」
「私はジェイク様のご家族から正式に認められたわけでもないんですよ?
それなのにロンバルド家の
私が他の特待生ならそんなの噴飯ものですよ。私、見世物になるのは嫌です」
男性陣の主張も分からなくはない……のだが。
何と言うか、完全に三つ子が及び腰になっているというか。
そもそも、そういう男性からの後援に喜んで応じるような性格ではないことくらい、傍にいれば分かるだろう。
「こうなるだろうという予想は週末の打ち合わせの段階からついていたのだけどね。
……あの三人、可能な限り良いものを贈りたいと完全に熱が入ってしまったようで。
仮に実現したら常識外れでケタ違いの額の動くだろうな、と空恐ろしく感じていたくらいだよ。
私も止めようがなく、傍で試算を聞いてびっくりしたよ……
――彼らは城でも建てるつもりなのかな?」
王子が全力で友人に呆れている姿を見たのは、これが初めてなのではないだろうか。
これくらいはもらって欲しい、という彼らの圧力は凄まじいものがあった。
彼女が遠慮し要らないと言うなら――と、しぶしぶ提案を引っ込めるという雰囲気は微塵も感じられない。
生誕祭という公的な場所で、自分の贈ったドレスを着用する彼女が見たい。
一切遠慮を受け付けない! 何が何でも贈る!
そんな熱のこもった申し出には流石に彼女達も受け入れざるを得ないのではないか、と。傍から見ているカサンドラでもそう思ったくらいのプレッシャー。
彼らのプライドの問題もあるだろうし、ドレスくらい許容できなければ今後彼らと正式にお付き合いすることも難しそうだが……
「お気持ちは嬉しいのですが、今回ばかりは本当に辞退させていただきたいのです」
シリウスの言葉を遮り、キッパリと言い切るのは意外にもリナだ。
そこまで言うなら……と遠慮しながら受け入れるだろうと思われた彼女の存外に固い意志にシリウスも渋面を作る。
「今回、生徒会からシンシアさんに貸し出し用の衣装の作成をお願いしました。
私はそれを着たいと思っているのです」
真剣な表情で、リナは宣言した。
突然何を言い出すのかと、シリウスは鼻白む。
シンシアに依頼した貸衣装の話が出てくるとはカサンドラも想定していなかった。
元々はカサンドラの提案したようなもので、それがいつの間にか彼らに利用されるかのように実現の運びになったわけだが。
まだ彼らが恋人同士ではなかった時。
何とか彼女達にちゃんとしたドレスを着せてやりたいという意向が混じったものだ。
自分で言い出した事だが、シンシアに直接お願いをしたのはカサンドラ本人である。
喜んで受け入れてくれたのは有り難かったが、短期間に何種ものデザインを依頼して迷惑を掛けたことは想像に難くない。
「それはやむを得ず制服で参加する生徒達に貸し出すために手配したものだ。
何故わざわざ、それを使用すると言う!?」
「……シンシアさんが……考えてくださったものだからです。
その貸衣装、本来私達も着用するというお話でした。
だからシンシアさんは、私だけではなくてリタやリゼのことを想像して作成してくれたと。
一生懸命何度も描き直してくれて……
職人の手による、完全に洗練されたものとは違うのかもしれません。
でもとても素敵だと、私はそれを着る事がとても楽しみだったのです。
必死に訴える彼女の声は少し震えていた。
ここで友人であるシンシアの名を出して、ここまで熱心に勧めてくれる彼らの不満の行き先が彼女に向かってはいけないと考えて黙っていたのだろう。
だがどうにも留まる気配がないので、ひたすら遠慮する姿勢で悟ってもらうのではなく、本心を話すことにしたのだ。
流石にリナのその訴えを受けて、三人とも完全に言葉を失った。
シンシアが『似合うかな?』と考えながら、私的な時間を削って自分達のためにと考えてくれた――
確かに汎用の貸出衣装として学園内に保管されるものかもしれないけれど、リナ達にとってはそれ以上の意味合いを持つものだ。
自分がシンシアの立場で、もし三つ子が彼らに贈られたドレスを着ていたらどう思うだろうか。
当然のことで仕方がないと思うけど、絶対に少しはがっかりしてしまうだろう。
友人想いのリナに、そんな判断が出来るはずがなかった。
感情面にクリティカルな訴えを聞かされ、それでもなお自分達の我を通そうとするほど彼らも身勝手な人間ではないはずだ。
これ以上押し付けるのであれば――
ただの彼らの見栄であり、我儘になってしまう。
彼女達はそれで納得しているのに、自分達が嫌だからという理由で無理矢理強要するのは
「そ、そうか……。そこまで言うなら、今回はそちらの意を汲む他ないだろうな」
「申し訳ありません、お気持ちは本当に嬉しいのですが」
リナという堅牢な牙城を突き崩すことが出来なかったので、当然リゼ達もそれに倣う。
彼女達がそうしたいと希望しているのだから、しょうがないことだ。
途端、静寂が場を襲う。
カサンドラは――その場の居たたまれない雰囲気に堪えられず、スッと一歩踏み出した。
「シリウス様、リナさんのお気持ちだけでなく、わたくしの立場も考えて下さってありがとうございます」
「……なんだ、カサンドラ。
お前もいたのか」
完全に不機嫌な仏頂面に戻ったシリウスの黒い瞳に睨まれ、カサンドラも心の中で苦笑いだ。
気まずさを押し隠すように睨まれても、今までのように怖いとは思えない。
「シンシアさんに直接衣装デザインの依頼を行ったのは、わたくしですもの。
彼女の意向通り、リナさん達に着用していただけるのは安堵するところです。
それに三家の夫人になるリナさん達が、彼女の考案したドレスを気に入ったとのお話が広まれば――
シンシアさんの名も一層知れ渡る事でしょうし、ご無理をお願いした以上の恩を返せることになるでしょう。
生徒会の指示の一つとは言え、クラスメイトの今後のお役に立てるのであれば嬉しい限りです」
とりあえずリナ達にこれ以上追撃が向かわないよう援護しておく。
この件で実際に動いた人間側の意見、として。
ただ、それだけでは彼らの熱意の矛先が無いことも分かっているので、とりあえず。
「卒業パーティーこそ、学園最大の見せ場ですもの。
楽しみは最後にとっておかなくては。
リナさん達が素晴らしい衣装で参加されること、わたくしも待ち遠しい限りです。
――卒業パーティーに着用されるドレスは、勿論皆さん喜んで受け入れるのでしょう?」
ホホホ、と。
カサンドラは軽く笑いながら三つ子を眺めてやんわりとそう窘めるように返事を促した。
三人とも流石にその件を拒絶出来る程、考えがないというわけではない。
それに……
卒業する時、何もかも問題がクリアになっていなければ……全てが無意味だと分かっている。
何も思い煩うことなく、笑顔で、卒業を祝いたい。
皆で着飾って卒業式後の舞踏会に参加できる、それが自分達皆が共通で望んでいる未来絵図なのだから。
その大舞台の衣装を固辞するなど、意地を張りすぎどころか完全に相手に失礼な態度でしかない。
カサンドラの勢いと雰囲気に呑まれ、彼女達は互いに顔を見合わせコクコクと頷く。
「わたくしも今から楽しみでなりません」
チラ、とジェイク達を一瞥して微笑む。
本気を出して着飾らせるなら、全てが終わった後の晴れ舞台で全力を出せ。
――視線の中に、そんな想いを籠めながら。
今から地に足も着いていない浮かれ具合で、相手を困らせてどうしようというのか。
※
シリウス達もカサンドラの言い分に納得してくれたようで、「そこまで言うなら」と引き下がってくれてホッとした。
双方にモヤモヤが残らないように済んだのなら、それでいいのだけど。
”卒業パーティのドレスは喜んで受け入れる”という彼女達の言質はとったし。
たかが……と言っては難だが、学校行事の一環の生誕祭にお城を買えそうな莫大な金額を動かし、アフタヌーンドレスを仕立てさせる意味も分からない。
金銭感覚が壊滅しているのは知っているが、生粋のお坊ちゃん達の財力砲解禁を回避できたことはカサンドラも胸を撫でおろす想いだ。
そんなところで全力を出されても、三つ子が周囲から浮くだけだと思う。
それぞれの考え、想いを胸にしまい再び教室に向かって移動を始める。
普段仲が良いだけに、一度喧嘩をしたら怖いなと思うが何とかいつも通りの雰囲気に戻ったようで。
後から眺めて、ホッと息を落とす。
「場を収めてくれてありがとう、キャシー」
やりとりを見守っていた王子が、にこりと微笑んでカサンドラに謝意を示す。
もしもカサンドラがあの場で一歩踏み出さなければ、同じように王子も場を収めていたに違いないけれど。
実際にシンシアに依頼を行った身である自分だから言いやすかったのは事実だが。
「余計な口出しをしたのではないかと……
王子にそう仰っていただけ、安堵いたしました」
「本当に良かったよ」
「お互いの気持ちも分かります、難しいお話だと思いました」
あっさりと引き下がれるほど、彼らの恋人への想いは弱いものではなく。
かと言って完全に甘えてシンシアの想いを無碍にする程、彼女達は非常識でもなく。
王子も彼らの一触即発の雰囲気にハラハラしていたのだろう。
カサンドラと気持ちが同じだったのではないか、と。
同意を求めるように、隣を歩く彼の顔を見上げる。
「彼らが本当にパートナーにドレスを贈るというのなら……
どう説得すればキャシーに新しいドレスを受け取ってもらえるのかと、私も悩んでいただろうからね」
「………えっ」
先週の王子とのやりとりを思い返す。
『彼らの事を友人だと思ってる、でもそれとは別に彼らに負けたくないとも』
脳内に反響しリフレインする、あの日の王子の言葉。
カサンドラは赤い顔を覆って、耐え切れず俯いた。
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