第476話 <三つ子の休日>


 王都の街壁を過ぎ、一時間近くかけて歩けば辿り着ける『山』。


 更にそこから頂上付近に向かう、三人の少女たちの姿があった。

 この時期に王都の外に足を伸ばすような酔狂な人間も少なく、やむを得ず行き来する荷馬車以外は見かけない。

 隊商襲撃以前は、もっと旅人の姿などでにぎわっていたのだけれど。



 朝早くから王都中央に位置する学園寮を出て、彼女達はお昼前にようやく山頂へと辿り着いたのである。

 初夏とは言え、山の上は肌寒い。


 山道を登る事で全身に纏わりついていた熱量が、山の頂の風に晒されると一瞬で奪われていく。

 視界が開けると同時に突風が彼女達を撫でつけた。


 晴天の空の下、彼女達の眼前にあるのは深い谷。そして向かい側には、更に高く連なる山々の峻厳な姿である。


 目測より距離があったのか、体力自慢のリタも少々息が荒い。


 しかし彼女は解放感に両腕を広げ――正面の山々に向かって大きく叫び声をあげた。




「やー っ ほーーーーーー!」




 周囲に生い茂る樹々や草花が大きく揺れる。



 腹の底から、搾り上げるかのような声。

 少し離れた場所に座り込んでいたリナは、その声量に目を回し両耳を掌で塞いだ。

 傍にラルフがいたら鼓膜に支障が……と彼女が躊躇っていたのも強ち大袈裟な言い訳でもなかったようだ。


 そんなリナの姿には目もくれず、リタはワクワクと期待に胸を高鳴らせながら耳に掌を添えた。




   やっほー



      や っ ほ ー



            や……  ほー………




 リタの声が山間に反響し、見事な山彦となって跳ね返る。


 山彦の残響が聴こえなくなるまで、目を閉じ耳を澄ませていたリタは――

 そのよく響く山彦がいたく気に入ったのか、青い目を見開きキラキラと輝かせ。

 長袖のシャツの裾を山風にはためかせ、再び口元に手をあてがって絶叫したのである。






「ラルフ様ー!



   だいすきーー!!」





 先ほどよりも更に大音声のリタの叫び声が、遠近の山々の間を跳ねまわり。その残滓が尾根に峠に、一頻り反響していったのである。


 

 こんな叫び声を大勢が住む場所で出そうものなら変人奇人扱いもやむを得まい。

 だが誰にも文句を言われることも、眉を顰められることもない。

 遠慮も要らず、腹の底から溜まった感情を声に乗せられるというのは大変気持ちが良いものであった。



 そんなリタの清々しい表情を一瞥し、リゼも思うことがあったのか。

 リタの隣に立ち、先ほどの妹の絶叫を掻き消さんばかりに声を被せ、叫んだのである。




 勿論、叫ぶ対象の名を変えて。


 



 ※






 それから三十分近く、リタとリゼは子供の喧嘩のようにどちらが大声を出せるのか競い合う。

 交互に声が枯れるまでそれぞれの感情を山の上に、谷底に、山間に放り投げては帰って来る山彦に耳を澄ませていた。


 もしも山彦が自然現象ではなく、何者かが悪戯で声真似を繰り返しているのだとしたら「いい加減にしろ!」と、声の主からクレームが入ったに違いない。




「はーーーーー。

 満足ぅ!」




 リタは整備されていない、ぼうぼうと生えっぱなしの叢の上にごろんと横になった。

 同時に青い若草の香りと土埃が周囲に舞い踊る。


 大きく胸を上下させ、彼女が見上げるのは晴れ間の続く蒼穹の空。

 燦々と輝く陽の光をつかみ取るかのように真っ直ぐ右手を上に伸ばした。


「ふー、すっきりした」


 右の肩に手を乗せ首を回すリゼ。

 コキ、コキと首の音を鳴らし、彼女もまた満ち足りた清々しい様子でその場に座り込んだ。


「リナは良いの?」


「え!?」


 あまりこういう力技めいた、突拍子もない事はしないだろうと思われていたリゼ。

 そんな彼女に促され、二人の姉を離れた木陰で眺めていたリナはビクッと身体を震わせた。

 自分に水を向けられても困る、と両手を横に振って丁重にその提案を断るリナ。


「わ、私の事は気にしないで。

 それより、気が済んだのならそろそろお昼にしましょう」


 冷や汗を流し、リナは持ってきたバスケットを二人の前に掲げた。


 昨日の夜から下準備を行い、山登りというよりはピクニックやハイキング、と言った心持ちでリナはこの『山に登ろう会』に参加している。

 身体を動かすことは好きだし、静かで人気のない場所も好むリナには、良い季節も相俟ってピクニックは望むところなのだが……


 山の天辺でパートナーへの想いの丈を叫ぼう、と誘われるとは思わなかった。

 何がどうしてそういう状況判断になったのかリナには一向に理解できなかったけれど。




   休みの日に三人揃って王都の外に山登りに向かっても良いですか――?




 シリウスに外出の可否を問うたら、あっさりと「気をつけてな」と許諾され、現在に至る。まさか快く送り出してもらえるとは。



 こんな時に山に登るなんて正気かと眉を顰められるものかと思っていたのが、肩透かしである。


 むしろ自分達が王都に不在の方が逆に安全なのではないか、とシリウスに言われてしまったくらいだ。

 シリウスと一緒にいるところを狙われるかも知れない、と予測がついているなら物理的な距離が離れている方が互いの身の安全に繋がるという何とも言えない状況である。




「わー、食べる食べる! 今日は何を作ってくれたの!?

 あ! サンドイッチ大好きー」


「今日は私も一緒に作ったんだけど、なんでリタは手伝いにも来なかったの?」


 以前ジェイクと遠乗りに出かけるとき、リナと一緒にお弁当を作ったのが意外と楽しかった。

 そう思ったリゼが早朝の厨房で一人忙しなく準備を進めるリナの許に行き、せめて芋くらい揚げようと作業をしていたのだ。

 油が爆発しないかと終始リナがハラハラしていた事を除けば、ほのぼのとした雰囲気で楽しく調理ができた。

 

 食べやすいように、と今回もサンドイッチをメインにした昼食は見た目もカラフルで食欲増進の効果がある。

 卵の黄色、ハムの桃色、野菜の緑色。

 更に付け合わせで抓めるおかずが少々。


「え!?

 私が厨房なんか入って小火ボヤでも起こしたらどうするの?」


 いただきます! と手を合わせて一瞬でサンドイッチを手にしたリタがそのままパクっとかぶりつく。

 彼女の真顔の言い分は間違っていないのだが、リゼもリナも互いに顔を見合わせて肩を竦めた。


「まぁ、公爵夫人に料理なんて必要ないか」


 半分以上嫌味と皮肉を込めて、リゼが軽口を叩く。


「――……もがっ」


 思いっきりパンを喉に詰まらせ、リタは酸欠状態で藻掻く。

 震えて助けを求める彼女の手に、優しいリナはそっと水筒を手渡した。



 水筒の中に入れてきた水で喉を潤し、喉の調子を整える。

 「あーあーあー」、と首元を手で押さえ、リタは何度か声帯を震わせた後大袈裟に噎せたのだ。

 

「ちょっとリゼ、不意打ちはやめてよ」


「何が? 本当の事じゃない」


 二人でしばらくぎゃあぎゃあと言葉の応酬が続く。

 それはいつもの光景だ。


 騒々しく、賑やかで。


 リナにとっても日常的な光景……のはずだった。



「ごめんなさい」



 しかし今日に限ってはその有り触れた当たり前の日常が苦しくて、リナは俯き視線を落とす。



『……?』



「もし、シリウス様の言った事が本当なら……

 いいえ、本当は私達、三つ子じゃなかったはずなのに。


 ……私が、二人を別の世界から勝手に呼んでしまったのだとしたら……」



 生まれてから今までの記憶も、もしかしたら自分が変えてしまったものなのでは?

 どこまでが真実? どこからが事実?





「――リナ!」


 両肩を掴みかかられ、ふと視線を上げると自分と全く同じ顔の造りのリタと目が合った。

 鏡を見ているように個々の顔のパーツは同じだというのに、こんなにも違う自分達。とても不思議だった。



「私は、リゼとリナと三つ子で、ほんっとに楽しかった!

 一人より絶対、三人一緒が良い。

 私は今生きてる世界以外、知らないけど。


 でもね、凄く幸せだから。

 生まれ変わっても私は三つ子が良い!」



「……まぁ、一人の方が気楽……って思った時は確かにあったけど。

 今の状態を知ってしまった以上、今更一人になるのは抵抗があるわ。


 ――それにシリウス様の言ってたことだって、検証が出来る事でもない、ただの仮定でしょ。

 確かに別の世界があって、そこに私と同じ人間がいる、もしくはいたのかもしれない。

 もしかしたら『私』は別の世界の私を写した紛い物で、リナが命を吹き込んでくれたって考えもあるかもしれない。

 分からないわよ、そんなの。


 私はこの世界で出会った皆が好き、今更元の世界に戻れって言われたってお断り。

 リタの言う通り、私もこの世界以外知らないし。知りたいとも思わないんだから」



 リナの気持ちを慮るとか慰めるというわけではなく、本当に彼女達はここに今生きている事が『楽しい』と思っている。

 分かっているのは今、こうやって色んな事情の裏側を知って。



 そして何故か三つ子で揃って山登りに来て思いの丈を発散してスッキリしている、というだけのことだ。

 他の可能性など考えられないくらい、皆それぞれ、一度きりの人生を精一杯走り続けている。




「リナが困って苦しくて、助けを求めたんでしょ?

 それなら私もリゼも、世界だってなんだって飛び越えてまた一緒に助けに来るって。

 何度でもね」


 あっけらかんと明るいリタの笑顔は、調子に乗るとどこまでも鬱陶しいとリゼに眉を顰められることもあるけれど。

 明け透けで裏表のない彼女の言葉に救われる事も多い。



 この世界はリナのおぼろげな感覚でも、何かが違う、と思わせる今までと変容した姿をしている。

 三つ子であるということも。

 カサンドラの傍にいると、何故か新鮮な感覚ばかりで感動を覚えたり。

 

 実はカサンドラの義弟がこの国の第二王子で、しかも『聖女計画』なんてものが裏にあることも知ってしまって。

 何から何まで違う。

 あらゆる偶然や奇跡が重なって、『今』がある。

 





 更にリタは、何かに思い至り「うっ」と顔を蒼褪めさせた。







「でも三つ子で良かったって思えるのって、今の状況だからって言えなくもない……のかな?


 好きな人のタイプが違って、ほんっとうに良かったね~」

 

 



 人差し指をピッと立て、たらりと一筋の汗を流すリタ。



 彼女の身の毛も弥立つ発言に、残りの二人も無言でコクコクと頷く他なかった。

 もしも好きな人が被っていたら、どんな光景が広がっていたのか、本当に想像したくもない恐ろしい話である。

 怪談なんかより、想像するだけで背筋が凍る。


 恋のライバルが三つ子の姉妹同士だなんて笑えない。


 これも奇跡の一環なのか。見えざる力が働いたのか――

 いや、性格も違えば好ましく思うタイプが違うのは当然とも言えるのか。









 三つ子三人水入らずで、こうしてピクニックなどいつぶりの話だろうか。

 自然、学園に入学してからの話に花が咲く。





「ねぇねぇ、二人とも相手のどの部分が一番好き!?」


 完全に女子学生のノリをそのままに、リタが食後の飲み物を一息で飲み切って二人に問いかける。


「はぁ?」


 当然リゼは眉を顰めて胡乱な表情で彼女を見据えているのだが。


「え? それは部位? 性格?」


 困惑気味に首を傾げ、問い返すリナ。


部分パーツ

 いや、何となく気になって」


「超どうでもいい……。

 そもそも外見で好きになったわけじゃないというか、まぁそれも一つの要素ではあるけど……。

 どこって急に言われても思いつかないわよ」


 王都を離れた、この季節なのに肌寒い山の上。

 他に人影もなく、何を言っても誰にも聞かれない――というのはかなりの解放感を三人に与える。




「じゃあ『せーの』で一緒に言おう。

 ”せーの!”」



 勢いのままにリタが両手をパチンと叩いてそうせかすと、一拍置いた後に三人の声が重なった。





  「……手?」「手!」「手……かしら」







 ………。


 しばらくお互い、それぞれの声を把握した後。


 ”分かる……!”という不思議な共感が生まれた。




「楽器を扱うからなのか、指が長くて細くて超綺麗!」


「……私は逆ね、逆。

 あの武骨で大きな厚い手が良いんじゃない」


「ペンだこの痕を見ていると、真面目で努力家なんだって思えたり………」




 なんだかんだで年頃の娘三人揃えば、和気藹々と興味深い話題ばかりが飛び交っていく。



 たった一年前には、こんな話で盛り上がれるなんて欠片も想像も出来なかった彼女達。


 会話を聞いているのは、小動物や虫や小鳥くらいなものだ。



 それまで息つく暇もない緊張を強いられていた彼女達にとって、今の状況はまだまだ現実味が薄いところもあったのだけれど。

 話していると、これが現実なのだな、とひしひしと実感できる。


 白昼夢でも、妄想でもない。




 この幸せが期限付きだなんて、絶対嫌に決まっている。

 






 ※





「……そろそろ降りる?

 帰りが遅くなったら困るし」


「えー……もう?」


 リゼに促され、名残惜しそうにリタが唇を突き出して不満そうな顔だ。

 しかし行きの時間を考えれば、今帰らなければ寮の夕食の時間に間に合わないことは明白だった。


 しぶしぶと重たい腰を上げるリタ――の傍で、スッと立ち上がったのはリナである。



「リナ? どうしたの?」




「……あの、最後に一度、私も叫んでいいかしら」



「!!

 勿論、折角誰もいないところに来たんだから!

 恥ずかしがらずにリナも叫んで! すっきりしていって」



 さぁさぁ、とリナの後ろに回って背中を押す。




 リタやリゼが自分の感情を遠慮なく全力で、腹の底から叫んでいた時。


 「二人とも元気ね」と離れたところで見ているだけだったリナ。

 いくら誘っても頑なに拒否していた彼女が、ここで愛を叫ぶのかと思ったら姉達も期待に目を輝かせてワクワク状態である。




 そんな二人の期待を背に受けいるのだが、まるで意に介さず――

 大きく深呼吸をし、息を整え。


 リナは両手を口に当て、精一杯の声で大きく声を張り上げた。






















   「―――― 絶対、絶対!  皆一緒に、未来に行こうね!!」


















 この幸せなひと時が、幻と消えないように。

 ずっとずっと同じ記憶として、忘れず残しておけるように。



 今日という日を、二度と越えなくても良いように。














    誰一人欠けることなく、世界の果てに辿り着きたい。

 





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