第474話 誤解を解く方法
乙女ゲームの攻略対象――彼らは多くの場合、『トラウマ』『闇』『事情』『悩み』を抱えているものである。
主人公が彼らと交流し親しくなることでそれらを取り除いていき、最終的に結ばれる。そんな過程が用意されているものだ。
その過程を”攻略”と呼ぶわけであるが……
現状、ジェイク達三人はすっかり主人公達に攻略されている状態である。
それはとても喜ばしい事であるし、彼女達の恋が叶った事は友人としてカサンドラも嬉しく思わないはずがない。
彼女達の恋が実れば良いと思い今まで協力してきたのだから、感慨もひとしおだ。
だが彼らが持っていた『好きだと言えない事情』という重石は既になくなってしまった。それどころか卒業まで両想いにならない、という前提を完全に覆したのだ。
――彼らの今朝の行動に繋がるわけだが……
確かに好きだというのに妨げるものは何も無く、更にそうアピールすることで彼女達の身の安全は保障され。
学園外で二人っきりになれないなら、誰にも見られても堂々と一緒にいられるよう交際宣言をすることは何ら間違っていないわけで。
この上なく理に適っている方法と唸らざるを得ない。
だが昨日の今日で、躊躇うことなくノータイムでやってのけるとは、流石攻略対象……
いわゆる恋愛世界の主人公の相手に選ばれる素因を持つ彼らである。
タガが外れてしまうとこうなるのか、とカサンドラは驚くばかりだ。
下手をすれば主人公達をも置き去りにしかねない勢いだなぁと冷や汗が流れる。
現状、全てが解決したわけではない。
未だ不安の残る状況。明確に示されたタイムリミット。
何も出来なければ、皆記憶を失って学園生活をやり直し……というとんでもない事態に陥るかもしれないのだ。
記憶を覚えているのはアレクだけ。
リナは憶えているかも知れないけれど、どこまで記憶しているか確証はなく、そして次の周回にリゼとリタがここにいるのかも分からない。
『
元の世界に意識が戻るということも……?
それとも永遠にこの世界に閉じ込められ、終わらない三年を繰り返すの?
絶対に皆で力を合わせて、この幸せを未来に繋げるのだ、とカサンドラは決意に燃えている。
差し当たって自分に出来る事を探してみた。
『悪意の種』への通路を封印するという行為を実行するのに、全く力になれないことは確かだ。
こればかりは才能、向き不向きというものがあるのでしょうがないと割り切る他ない。
しかしメインの仕事は出来ずとも、彼らをサポートすることは出来るはずだ。
来月に迫った聖アンナ生誕祭を前に、その準備に生徒会が新年度初めての大掛かりな行事で大変忙しい状況であることを今一度思い出す。
……誰にも知られていない密やかな世界の危機――だが、それを救うため日常から全く切り離されて生活することも難しい。
ちゃんと現実世界で理想的な生徒会でいなければ、進む先の未来で困った立場に置かれるかもしれないからだ。
地に足を着けた学生生活を送りながら、裏で計画を進める。
カサンドラには去年の経験という知識がある、だから生誕祭で何をするべきかはある程度把握しているつもりだ。
今年は去年と異なり、高名なオペラ歌手を招いてその歌声を披露してもらう事になっている。
演奏にラルフを指名されているので、彼はその打ち合わせや練習に多忙になるだろうが……
まぁ、彼の宿命のようなものなので諦めて欲しい。
招待するオペラ歌手もヴァイルと所縁が深く後援している女性なので、彼がメインで動くのは仕方のない事である。
しかしその他の雑多なやりとり、そして他の生徒会に所属している学級委員達が動きやすいようパイプ役になって王子達の手を少しでも楽にさせたい、という気持ちが強くなった。
王宮のお偉いさんや来賓とのやりとりだって、カサンドラが引き受ければいいだけの話である。
全部王子やシリウスに任せていては、本命の魔法研究に滞りがあるかもしれない。
カサンドラは放課後、その熱意を形にするべく生徒会室に寄ることにした。
帰宅が昨日のように遅くなってはアレクにもまた心配をかけてしまう、あまり長居は出来ないが必要な資料、特に去年自分が作成した記録に再度目を通そうと思ったのである。
自分達が卒業した後も皆の参考になるように。王子の代はこんな事をした、と事細かく決して人任せにせず自分達の采配でやり遂げたという功績をこれでもか、と書き連ねた。
それを見れば、どの週にどんな話し合いをしどんな決定をし、どの役が動くのか――という詳細が把握できる有用な文章になったと思う。
自分で書きまとめたものとはいえ去年の事、一言一句覚えているわけがない。
確か生徒会室に保管していたはずだと、カサンドラは部屋に着いて真っ先に背の高い書棚を探った。
「……あら?」
目的のファイルがない、と気づいてカサンドラは少し焦った。
こんなこともあろうかと! と、自分の作成した記録を意気揚々と紐解こうとしたのが肩透かしである。
生誕祭関連を補完してある資料棚の中に、それだけが見つからない。
これは困ったな、とカサンドラは悩ましい表情で溜息を一つ。
とりあえず今年の来賓リストや予算表など、現状分かっている範囲の今年度分の資料を自分の机に並べたのである。
資料が見当たらないまま、十分程度過ぎた頃だろうか。
喉が渇いて来たので紅茶でも淹れようかと立ち上がった時、部屋の扉がノックされカサンドラは音のした方を振り返る。
この時期なので、誰が生徒会室に来てもおかしくはない。
「カサンドラか」
静かに開かれた扉から、スッと入って来た細身の青年。
弦の部分を指で抓んで位置を調整しながら、眼鏡を光らせる。
室内を見渡しているのはシリウスであった。この部屋の主というか、番人と言っても過言ではない人物だ。
「ごきげんよう、シリウス様。
何か作業があるのですか?」
「今日はもう帰る予定だ、特に用はない」
用がないなら、何故生徒会室にやってきたのだ。
講義棟から玄関ホールまで全く別方向に位置する部屋だというのに。
こちらの不審な感情が彼に伝わったのだろうか。
彼も眉宇を顰める。
「……お前こそ、一人で何をしているのだ」
「来月に行われる聖アンナ生誕祭に関わる作業で、わたくしに出来ることがあれば……と足を向けた次第です」
「お前が?」
彼は一層怪訝そうな顔になって、じろじろと眼鏡のレンズ越しにカサンドラを凝視する。
リナの前にいる時とそうでない時の雰囲気の差が激し過ぎる。
「はい。
……わたくしは皆様のように魔法の知識に長けておりません。
お役に立てないことを、とても心苦しく思います。
ですので、可能な限りわたくしが役員方の雑務を引き受ける事で空いた時間を、皆様に活用していただきたいと望んでおります」
「中々殊勝な心掛けだな……。
確かにお前に任せられることは沢山ある。
代行してくれるというのなら、是非そうして欲しいものだ」
「ありがとうございます」
言い方は相変わらずだが、こちらを下に見ているわけでも睥睨しているわけでもない。
普段から自分の担当は全て自分が対処する、というポリシーで過ごしてきた彼があっさりとカサンドラの意見を肯定してくれるとは思わなかった。
自分でやった方が早い。
そう一蹴されるかも知れないと危惧していたが、思いの外彼がすんなり仕事を委譲してくれると言っていることに内心驚いた。
信用してくれている、のだろうか。
ホッと胸を撫でおろした。
「今日はお忙しいとのこと、指示は後日頂戴いたします。
ところでシリウス様。
生誕祭の棚から、去年わたくしが作成した記録が一部見当たらないのですがご存じありませんか?」
「……去年の記録か?
黒いファイルの」
「はい、そうです」
彼は少し斜め上、宙を睨んだ。
思いあたる事があったらしい。
「それをリナ・フォスターに貸し出したのは私だ。
そうか、まだ返却していなかったのだな」
ここ最近の目まぐるしさを思えば、とても生誕祭のために借りた資料のことなんて覚えてもいないだろう。
生きた心地がしなかっただろう、二週間。きゅっと胃が痛む。
「そうですか。最初に確認を行いたかったのですが、貸し出し中であれば致し方ありませんね」
「彼女に構内で会ったら返すように伝えておこう」
やや気まずそうに、彼はそう言った。
生徒会の備品なのだからカサンドラの私物ではないけれど。彼も若干後ろめたいのかもしれない。
「助かります、シリウス様」
それだけの会話を交わし、本当にシリウスはその場から一歩も動くことなく生徒会室を去って行った。
何をしに来たのだ、あの人は………?
※
千客万来というわけではないが、シリウスの次に生徒会室を訪れたのは王子だった。
「やぁ、キャシー。作業は捗っているかな」
颯爽と部屋の中に入ってくる王子を見て、カサンドラは慌てて椅子から立ち上がった。
「王子、今日はすぐにご帰宅されると伺っていますが」
シリウスにせよ王子にせよ、放課後は王宮に向かわなければいけないとかで忙しいのではなかったのだろうか。
世間を騒がせている案件は彼らを別の意味でも忙しなくさせ、追い詰めている。
学生の身の上なのに公的な役割も果たさなければいけないなんてあんまりだと思う。
「キャシーが放課後居残って作業をするのに、素通りで帰るなんてそんなことしないよ。
……時間が無いのは事実だからすぐに下校しなければいけない、残念だけど」
励ましてくれるためだけに、ここまで様子を見に見てくれたのだろうか。
勝手に生徒会室で居残り作業を行うのも先走った行動だと思って王子には伝えていたが、居残りの許可をくれるどころか激励にまで来てもらえるなんて。
カサンドラは彼の優しさに胸がじんと熱くなった。
「君が煩雑な手続きや外部との折衝を行ってくれるなら、シリウスも私もとても助かるよ。
でも無理をさせたいわけではない、分からない事や困った事があったらちゃんと相談して欲しい」
ただでさえ生徒会の仕事は厄介だ。
特異な立ち位置で学園内でもある程度の独立性を保った組織。
今の役員幹部にとって、生徒会は生徒の代表というだけではなく、もっと厳しい目で見られる。
組織運営手腕を外部から精査されているようなものだ。
しかも王子を筆頭に皆真面目なので誰かに「やらせる」という発想もなく、次から次へとやることが山積していくわけだ。
相当なプレッシャーだろうと思う。
去年まではカサンドラの立場上出しゃばるような真似は厳禁だったが、今は違う。
皆の役に立てるなら、面倒な事を替わりに行うくらいどうということはない。
「ありがとうございます、王子」
「……折角来たのだから、少し確認して帰ろうかな。
去年学園長達から生誕祭の講評をもらっていたよね。
キャシー、君の手元にあるかな」
「そちらなら、綴じて棚に保管しています。
すぐにお持ちいたしますね」
去年の生誕祭を主宰した自分達が、責任ある大人たちからどのように評価されたのか。
大方良いように褒めてもらっていた気がするが、来賓のレイモンドは辛口のコメントも残していた気がする。
その時は苦笑するで終わったが、去年の反省を生かすことも大事だ。
試験のように数値化できるものでもないことだから、去年を振り返る参考になる資料だろう。
「ええと、先ほどここに……」
王子は時間が無いと言っていたし、急がなければと焦っていた。
もたもたしていたら資料の位置も把握していないのかと思われそうだし、余計に気が急く。
カサンドラの目線より一段高いところにある。
厚い紙の束に間に挟まっている薄いファイルを手にとって、えい、と軽く引っ張った――
「……キャシー!?」
彼が制止の声を掛けるよりも先に、別のファイルが引きずられてカサンドラの頭の上に降って来た。
「っ……痛っ…………」
幸い落下した場所が真上で、ファイルの角がぶつかったのは目ではなく頬骨の辺りだ。
もう少しズレていたら、目を怪我していたかも知れないとカサンドラは己の不注意を恥じた。
「キャシー、怪我をしてないか!?」
彼は普段あまり見せない慌てぶりで、カサンドラの傍に駆け寄った。
ファイルの角がぶつかったことで、顔の上部を片手で覆って若干涙目のカサンドラ。
「大丈夫です」と言ったところで、彼が納得する様子はない。
彼はカサンドラの手をどけ、じっと――真剣に、上から顔を覗き込んでいた。
「少し赤くなっているね」
彼はそう言って、頬のあたりを軽く指で撫でる。
あれ?
この態勢は……?
全くの偶然であるが、至近距離で彼に真顔で見つめられるという状況に気づき、心臓が大きく飛び跳ねた。
逃げるわけにもいかず、かと言ってどうすることもできず。
まるで蛇に睨まれたカエル――
「失礼しまーす」
カサンドラは全身を硬化させたまま、瞳だけ動かし――その後、リゼ、リナの声と共に三人が扉前に集結している様子を視野に収めてしまった。
永遠とも 刹那とも。
時間という概念がどこかに消え失せた、そんな気まずい凍り付く時間。
『お邪魔して申し訳ありませんでした!!』
彼女達の声が、足音と共に遠くに去っていく……
場を噴き荒らす一陣の風どころではない。
まるで嵐だ。
けたたましく、彼女達は場を掻き乱して去っていく。
誤解しかないシーンを目撃されてしまった……!
「………ああっ……どうしましょう、また誤解されてしまいます……!」
ようやく我に還ったカサンドラは、両手で側頭部を抱えるようにその場に前傾姿勢になる。
怪我と言える怪我ではなく、それこそ目に埃が入った程度の出来事だ。
王子が凄く心配してくれたから――「どうぞ勘違いして下さい」と言ったも同然なシーンを彼女達に見られてしまった。
「………。」
王子はそんなカサンドラの様子を不思議そうに眺めている。
「彼女達に見られて、そんなに困る事があるのかな」
そんな疑問を呈されるとは思わず、カサンドラは思わず彼を凝視する。
彼は先ほどと変わらず、真剣な表情だ。
調子が狂う。
自分ばかり、一人焦ってる。
「そ……それは勿論! 誤解を解くことも難しいでしょうし」
今更追いかけて行って、実は誤解なんです、と言い回る方が恥ずかしいし彼女達も信じてはくれないだろう。
いや、カサンドラの恥ずかしさなどこの場合どうでもいいのだ。
王子に迷惑がかかる。
実態はどうあれ、神聖な学び舎で生徒会長の王子が。
まさにその権威の象徴とも呼べる生徒会室で、婚約者に――……
どう考えても示しがつかないだろう、今の”勘違い”を三つ子が周囲に言いふらすことはないだろうが。
清く正しく美しく、清廉潔白な王子のイメージに瑕をつけてしまった、と。
今まで彼女達がしてきたかもしれない勘違いのあれこれは学園外で起こった事と思われていたはずだ。
それなら「恥ずかしい!」とのたうち回るのは自分一人で済むけれど。
学生服を着て、生徒会室で……と誤解が重なり続けるのは、王子の印象を毀損する事に他ならない。
だからカサンドラは恥ずかしさ以上に、頭を抱えているのだ。
今まで彼が保ち続けていた品行方正というイメージを、自分のうっかりで全部壊してしまったのではないか、と。
「キャシーは彼女達に誤解して欲しくないんだね」
彼の言葉に、大きく頷く。
王子も自分の心情に共感してくれたのか、と思ったからだ。
「それなら――誤解でなければ良い、ということ?」
え?
カサンドラが首を傾げ、彼の様子を伺っていると。
王子が再びカサンドラの頬に手をあてがい、顔を近づけてくる。
えっ
このまま体中の血液が沸騰して蒸発してしまうのではないかと不安になる。
頬骨の上、カサンドラの目尻の傍。
何かが押しあたっているような感覚に、頭がくらくらした。
王子の前髪が睫毛に触れる。
数拍の間止まっていた時が動き出し、肌の上に彼の吐息が滑っていく。
動けずに立ち竦むカサンドラの顔全体が、急な発熱でもあったのかと空目されるほど真っ赤に染まった。
今の自分は鍋で
彼の口付けの上をなぞるように、指先で頬を擦った。
熱い。
……恥ずかしくて、彼の顔が視れない。
「ほら。
――これなら誤解ではなくなった」
勢いで誤魔化すように正面から抱きすくめられながら、カサンドラは『そういう意味じゃない』とこの期に及んで言い訳をしそうになる。
彼の制服に顔を埋めながら、色んな感情が一気に押し寄せこんがらがって一緒くたになって混ぜ合わさって。
攪拌され、分離していくそれらの諸々の感情の――最後に残ったものは、一つ。
”大好き”って言う純粋な気持ちだけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます