第471話 <リゼ>
確かに――
リゼは過去の自分の発言を思い出し、ギリっと歯噛みした。
ジェイクの事を好きになって、そういう台詞を言ってもらえるまでの関係になれたら良い、と。
当時の自分は、この想いが叶うということをあまり具体的に考えてはいなかった。
努力はするが、決して実ることはない夢だと覚悟していたのだ。絶対に完全に叶わないと思えば努力するのも虚しいが、でも僅かの可能性に賭けた。
こんなことが起これば良いな――
今思えば、何と無邪気な夢だったのか。
リゼもジェイクも、互いに性格や人間性が何一つ変わったわけではないというのに。
今まで築いてきたやりとり、過ごしてきた時間。
それらによって変わった関係性から繰り出される、ジェイク曰く『俺の女』発言はリゼの心臓を抉り取るに十分な破壊力を秘めていた。
いやいや、一体何を言っているのだこの人は!?
心臓に悪いどころの話ではない、息が止まるかと思った。
第一、そんな宣言などわざわざしなくたって、自分を女性扱いするような物好きがこの世に二人といるものか。
現状恋人というべき相手に対して我ながら辛辣ではあるが、真面目にそう思う。
逆に自意識過剰すぎて恥ずかしい、という羞恥に苛まれることになってしまった。
教室では今まで通りの関係でも全く構わないとさえ思っていたくらいだ。
週に一回は二人で会う機会はあるのだし、午後の剣術講座で良く顔を合わせるし。
外出できないというのはちょっと悲しいとは思うけれど、状況を考えれば当然の判断だし。
『聖女計画』なるありえない計画が知らないところで進行していて、それを食い止めるだけではない。
何も手を講じずにいたら、卒業と同時に三年前に記憶を失って巻き戻るという可能性が高いのだ。薄氷の上の日常に立っていることは依然変わりない。
素直に「嬉しい、やったー」と思えるような性格ではなかった。
現状問題が立ち塞がっているのなら、乗り越える義務がある。
完全に浮かれて残りの一年半、手放しで楽しめる程心に余裕がないリゼだったのだが。どうやらジェイクは、ちょっと違うらしい。
……嬉しいのは嬉しいのだけど。
夢を見ているだけで幸せだった。
夢を夢で終わらせないために、自分なりに努力はしてきたつもりだ。
だがそれが本当に現実のものとなった時、リゼは自分の恋愛耐性の無さを改めて痛感することになる。
※
あんなに居たたまれない昼食の時間は学園生活始まって以来のことである。
一週間ぶりの学園での食事だったのに、あんな砂を噛むような想いを味わうとは。
庶民グループに所属し、末席で食事を摂る事にはすっかり慣れていた。何も文句はない。
皆同じメニューだ、高貴な人達も皆一緒。
貧乏舌の自分達には過ぎたメニューの数々は飽きるということがない。
食生活が満たされるのはとても幸せなことなのだが……
今朝のジェイク達による爆弾発言が尾を引いて、周囲から珍獣でも見るかのような好奇心に満ちた視線の集中砲火を浴びている。
その対象が自分だけではないことは幸いだが、だからと言って居心地が良くなるわけもなし。
もはや腫物と何ら変わらない扱いを受けているような気がして、三つ子はそれぞれ無言で食事を終わらせた。
何か口を開くと、それをきっかけに怒涛の質問攻めを食らう気しかしなかったからだ。
あのリタでさえ空気を読むように黙々と食べ続けていたのだから、相当なプレッシャーだったことは間違いない。
ジェイクとの関係が表沙汰になったら、また去年ミランダにされたように暴力的な報復を受けるのだろうか、と少し緊張した。
まぁ、女子生徒が束になってかかって来ても跳ねのけるだけの力はあるけれど。
実際は嫌がらせどころか――彼の大っぴらな宣言のせいか、遠巻きに距離を置かれ様子を伺われている現状だ。何とも言えない。
リゼは食事もそこそこに。
まるで逃げるように午後の講義に参加するため、着替えに向かった。
「いやー、凄いことになってたねー」
「もう学園中の人間が知ってるんじゃないか?」
「しばらく周りが煩いかもしれないけど、ま、頑張れよ」
いつもより早めにいつもの訓練棟に向かうと、楽しそうにニヤニヤと。
こちらの様子を知って揶揄するように、からかい交じりの男子生徒数人に声を掛けられた。
「先輩たちは驚かないんですか?」
貴族の出だが、騎士を志し日夜鍛錬に励んでいるお坊ちゃん達。
彼らは比較的話しやすい部類の学園の生徒で、砕けた口調の持ち主が多かった。
上下関係には厳しいけれど、ジェシカやリゼにはそれとなく紳士的に振る舞ってくれる。
ザ・騎士見習い、と言った生徒達であった。
学園卒業後には厳しい騎士団入団試験が待ち受けているので、茫洋と時を過ごしていられない。
彼らは同じグループで切磋琢磨する腕の持ち主同士、今後蹴落とし合うライバルだ。
あまり慣れ合うでもない者同士の彼らが、今は一丸となってリゼに話しかけてくるのは不思議な気持ちだ。
「驚くって、何を?」
先輩の一人、エバンスが首を捻ってリゼに問い直す。
「え? ジェイク様が、いきなり庶民の人間を――って、普通、もっと思うことがあるんじゃないですか?」
特にこの場にいる生徒の多くはロンバルド派所縁の貴族のはずだった。
家を継げない次男以下の生徒にとって、騎士団に入る事は「栄誉」に近い。将来はジェイクと共に騎士団に務める事を目標にしている者ばかり。
だからジェイクの突飛な発言で、さぞ混乱していると思いきや案外皆、落ち着いていた。
むしろこの学園内の騒然とした空気を楽しんでいるようにさえ見える。
「いやー、いつくっつくのかなって見てたから、別に何とも」
「俺はあれで付き合ってなかったんか、って逆に吃驚した」
なー、と互いに顔を見合わせて頷き合う彼らを前にし、頭痛に襲われる。
気づかなかったのは自分だけだったのか?
……彼の好意を全てクラスメイト、仲間として――という受け取り方をしていたせいか。
いや、でも彼は自分の事を女性扱いなどしたことがない、そういう意図を感じ取れという方が無理な話だ。
改めて外野から見ればどういう関係だったのかを矢継ぎ早に言及され、リゼは顔を赤くして俯くしかなった。
完全に玩具のような扱いでからかわれていると、急に彼らの顔色がサッと変わる。
そして持ち前の俊敏な動きでリゼから遠く距離をとり、わざとらしく「いやー、今日も空が青いなー」なんて視線を逸らす様を目の当たりにしてしまった。
急に一体、何だ?
顔を上げて怪訝な表情を浮かべるリゼの背後に、急に人影が迫る。
「今日は早いな、リゼ」
声が降ってきたのを知覚すると、リゼは口を半開きにした状態で戦慄く。
完全に背後をとられてしまったことを不覚に思うよりも何よりも、背中から抱き着かれてしまっている――
え、ここ、公共の場ですけど? と、混乱するリゼの様子を察したのか。
体の前に回してきた手を外し、ジェイクが横に立つ。
動きやすい軽装に着替えたジェイクのいつもの姿と言えばいつもの姿だが。
朝から距離が近すぎて、全く心が落ち着かなかった。
彼にすれば『慣れろ』という事らしいが、一朝一夕に慣れることなど出来ようはずもなかった。
「ジェイク様も早いですね?」
「だって昼休憩にお前の姿を探してもいなかったからさ。
先に訓練棟に入ってるのかと」
「……。
あんな空気で居たたまれないですし」
食事が終わった後、食堂に居座って周囲の生徒と雑談が出来る状況ではなかったと思う。
好奇、敵対、羨望、嫉妬、懐疑――あの感情渦巻く空気の中、平然といられる程リゼも図太くない。
その感情の対象が自分でなければ気にすることはないけれど、間違いなく他の生徒の意味深長な視線の先にはリゼをはじめとした三つ子にあるのだから。
「誰かに何か言われたのか?」
「そういうわけでもないんですけど」
するとジェイクは渋面を作り、腕組みをする。
考え事を始めたようだが、この場合彼が何を言い出すのか分からずリゼも冷や冷やものだ。
「よし、分かった。
リゼ達の食事の席を移動させればいいな。
明日から、俺らと一緒に食べようぜ」
「……何故?」
リゼはどう足掻いても平民出身の特待生である。
いくら実情は違ったとは言え、他の特待生と変わらない待遇で学園に通っているはずだ。
完全に決まった序列があって決まった食堂の座席に文句をつけるつもりはない。
「その方が安心だからだけど?
お前に嫌な想いをさせたいわけじゃない」
当然のような顔で首を傾げられても困る。
「学園の規則で決まってる事です。別に大丈夫ですよ」
「リゼが規則違反を嫌がるのは知ってる、規則自体を変えるぞ。
シリウスやラルフにも協力させるから大丈夫だ」
「――!?」
しまった、彼らは権力者の息子!
最初から分かっていた事だが、彼らはその自分の影響力を自己保身や自分の利益誘導のために堂々と使った事はない。
だから失念していたが、やろうと思えばそれくらい本当に実行可能な人達だった……!
今更、背筋がヒヤッと冷たくなる。
「私は他の人から特別扱いされたくないです。
自分の力で実現した事ならともかく、ジェイク様の力を使うのは何か違うと思いますし」
リゼは、結構自分の事が好きだ。
今まで欲しいものは自分の意志で手に入れようと努力してきたし、そのための我慢に堪えることも厭わない。
誰に恥じる事のない生き方をしてきた。
だがここで彼に全部希望を叶えてもらうのは――それを喜んで善しと感じてしまうのは、違う。
自分ではなくなってしまう気がする。
生憎リゼはジェイクが自分の何を見て好意を抱いてくれたのか明確に分からないけれど、自分の軸や価値観が変わってしまったら……
彼が好きだと言ってくれた自分とは別の人間になってしまうという事ではないだろうか、と不安になる。
ジェイクに選ばれたからと我儘を平気で言えるようになったとして、そんな自分は嫌だなぁ、と思う。
自分がそれまで毛嫌いしていた、地位や立場で他人を踏みつける人間と同じになってしまう。
それに彼自身、常に学園生活で周囲の評価を考え、律することが出来ていたではないか。
リゼの存在のせいで「変わってしまった」なんて思われてしまうのも嫌だ。
「そうか」
ジェイクは少しがっかりしたような顔をした。
まるで叱られて哀しそうな目をする大型犬さながらの悄然っぷりにリゼも少し焦る。
別に彼の厚意からの申し出を全て否定したいわけではない。
しかしあまりにも大きな環境の変化によって今まで互いに築き上げてきたものを壊されたくない、と思う。
「私のためにって言うのは嬉しいんですけど、そんなことのためにジェイク様の評価が下がるのは嫌です」
彼だって冷静に考えたら分かるはずだ。
「……うーん……
じゃあ、何か俺にして欲しい事があったら遠慮せず言ってくれるか?」
急にそう真面目な顔で言われたので、虚を突かれ息を呑んだ。
真剣な雰囲気で話しかけられると、ギャップのせいか何なのか、とてもドキドキする。
「ほら、俺って周りの奴らからデリカシーがないとかよく言われるだろ」
自覚があったのか……とリゼは愕然とする。
自覚があって繰り出されてきた過去の言動を思い返すと、もはや何も言えることはない。
「俺もどうすればお前が喜ぶかとか、わからない事も多い。
出来る事があるなら言ってくれ」
そう真顔で詰め寄られるととても言葉の選択に惑う。
「私は、ジェイク様が傍にいてくれたらそれで良いので……」
「もっと具体的にないのか?」
更にもう一歩踏み込まれ、リゼは色々と考えを巡らせた。
今の段階でもう十分すぎる程信じられない幸せな状況だというのに、これ以上彼に何をして欲しいのか。
具体的と言われると、何も言わないわけにはいかない気がする。
ジェイクにして欲しいこと……
「あ、それじゃあ一つお願いしても良いですか?」
「何だ!?
馬でも剣でも入手困難な古い本でも――欲しいものがあったら言ってくれ、用意する」
チョイスが確実にリゼの好みへ寄せてきている。
微妙に心揺れるので勘弁して欲しいと思ったリゼである。
だが頑張れば自分でも手に入れる事が出来ることに、彼の手を借りるというのも気が咎めるわけで。
「……ジェイク様の腹筋は凄いって聞いたことあります、見せてもらえませんか!?」
過去ジェシカから聞かされ、気になっていた事を思い出す。
これなら他の誰にも代理不可能且つ、全く労力もかけることもなく一瞬で終わる!
そう思い至っての選択であったが、何故か彼はリゼを信じられないものでも見るかのような目で見下ろして来るではないか。
「………。
お前、たまに凄いのぶっこんでくるよな。
……いや、別に構わんけどさ……
また今度でいいか?」
もしかして、変な意味にとられてしまったのだろうか?
違う! と全力で否定したかったが、ここで大袈裟に騒ぐ方がやましい気持ちでもあったのかと思われそうで――耐え難いが、口を噤む。
リゼは彼の微妙な反応に己の過ちを瞬時に悟り、顔が青くなったり赤くなったり、とても忙しかった。
※
午後の訓練が終わり、リゼはジェイクと一緒に廊下を歩いている。
去年までは自分が一番下っ端で実力不足だったので、講義後の後片付けを全部引き受けさせられていたリゼである。
後輩も出来たし、剣の実力も半年前と比べて飛躍的に上がったという現状を鑑み、訓練棟に最後まで居残ることがなくなったのは幸いだ。
自分が望んだこととはいえ、最後まで一人で後片付けをするのは骨が折れる作業だったことは経験済み。
たまにリゼも手伝うことがあったが、今日は手伝おうとすると顔を青くして首を横に振られてしまった。
背後で睨みつけていたジェイクの存在のせいだと思われる。
「ジェイク様はこのまま帰宅されるんですよね?」
「夕方から騎士団に顔出さないといけないからな。
ティルサ案件の処理が終わらないとなぁ……」
残念ながら、今後は二人きりで寮まで下校――という状況が禁止されてしまっている。
学園敷地内ならいざ知らず、寮までの道のりで何かアクシデントがあってはいけない、狙われるとしたらそこだろうというシリウスの進言もあった。
なので構内では一緒にいられるけれど、一歩外門を跨ぐと別行動。
二人で帰るより別々に帰った方がよっぽど身の安全だ、というシリウスの話は納得できるけれど。
これから卒業までそういう状況かもしれないと思うと、かなり寂しい。
かと言って約束を破って万が一のことがあれば申し訳が立たないので、状況が変わるまで耐える他なかった。
「私はこれから図書室に行ってきます。
魔法理論のこと、もう少し資料が欲しいので」
「俺はそういうの苦手だから、お前らに任せるわ」
完全に勘と経験で魔法を使うジェイクには、正確さが要求される魔法陣を利用しての封印魔法は忌避するべき概念らしい。
実行する時には協力できるが、それに至るまでの調整は丸投げと宣言していたので今更だ。
しかし広い学園と言えども、玄関ホールまではあっという間である。
せめて放課後の僅かな時間くらいは一緒にいたいなぁ、という感傷が勝ってしまった。
どちらが言い出したわけでもないが、何となくホールに立つ大きな柱の傍で立ち話をしている。
周囲の視線は痛いが、そのせいでジェイクと話が出来ないというのは嫌だ。
「リゼ、今帰り!?」
十分程度会話をしていただろうか。
廊下の奥から聞き覚えのあり過ぎる声が聴こえ、リゼとジェイクは同時に顔を向ける。
たった一声でも分かる、自分を呼ぶ女子生徒の声。
三つ子の妹のリタが手をぶんぶん振っているのが見えた。
快活な笑顔でリゼの許へやって来るが……スキップなのに、駆け足のように速い速い。
「ラルフももう帰るのか?」
目を凝らさなくても、リタと一緒に廊下を歩いて玄関に向かっていたのはラルフだと瞭然だ。
「一度本邸に戻るよう言われているからね、このまま帰るよ」
「なら一緒に帰ろうぜ」
かなり名残惜しいが、ここでジェイクと別行動だ。
明日になれば普通に会えると分かっていても、やっぱり物寂しいと感じてしまう。
「ねぇねぇ!」
何故か妹は勢いよく距離を詰め、リゼの手をとった。
その素早さたるや、訓練を積んだ自分をも凌ぐのではないかと思わされる、天性の素質か。
「リゼ、これから山に登りに行かない!?
一緒に行こう!?」
は? ………… 山 ? 山登り?
困惑して視線を彷徨わせると、急に噴き出して笑うラルフの姿が目に入ってきて――
猶更混乱するリゼである。
なんで、山なの!?
相変わらず
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