第467話 裏設定
聖女という概念は、カサンドラが思った以上に”ふわっ”としている。
女神様に力を与えられた特別な人間で、その力は人間が手も足も出ない悪魔という化け物すら退けることが出来るという。
ある意味で人間世界にとっての最終兵器のような存在なのかもしれない。
しかも悪魔を倒し封印できる力に、回復の術も使えるのだから――確かに奇跡を体現するかのような女性である。
そんな現人神が地上に再臨し、再び人を襲い来る悪魔から人々を守ったとすれば国中の人間は聖女に対し尊崇の念を抱くはずだ。
この国を表す象徴として、正義の使者と崇め奉られる。
仮に少数派が抵抗したとしても、悪魔さえものともしない人間相手にどうやって対抗すると言うのか。
「聖女の話、か。
これは私が独自に、失われた文献を探し聖アンナ教会や神殿内で秘匿されている情報を収集することで分かったものだ。
……その話に移る前に、まずはこの大陸はどういう歴史を歩んできたかを知ってもらった方が良いな」
シリウスはあまり気が乗らない、と言った様子で口を開く。
「この大陸は北と西に海、南に広大な砂漠、東に険しい山脈という、陸続きの場所から地理的に半ば隔離されているな。
世界地理の端、西大陸と呼ばれるこの大地は有史より魔物と人間の生存競争が全てだったと記されている。
遥か昔、この大陸に辿り着いた流浪の民の集団が開拓を進めていった。
それなりに資源も有り、川沿いの土地は良く肥えていた。
いくつもの集落や村が出来、人はより豊かな土地を求める。
決して平和一辺倒ではなかったが、争いを繰り返しながらも徐々に人間の生存圏を拡大することに成功していた」
シリウスの話を聞いていると、歴史の講義に参加しているような気持ちになる。
要はずっとずっと遥か昔、この地に初めてやってきた人類の話のようだ。
いきなり時代が遡り過ぎて、全く漠然とした感覚しか湧かなかった。
「だが――この大陸に人の手が入っていないことには理由があった。
周辺の地域から魔境と呼ばれている魔物が蔓延る土地だと知らずに、彼らは開拓を進めてしまったのだ。
大陸に生息していた魔物が、人間の作った集落を襲撃を開始するという事件が頻発するようになった。それは大陸中央へ向かえば向かう程顕著だったという。
彼らは人語を解し、獣のような姿を模しており、人間よりも遥かに高い戦闘能力を持った種族だった。
魔物の楽園に足を踏み入れた人間を、害獣を追い払うように『駆除』していくようになった。
だが開拓民にとっては、既に足場を固め生活をしている場所だ。
簡単に放棄して逃げ出す事も出来ない、戦うしかなかった」
そこそこ平和に暮らしていた日常が、多数の魔物の襲来によって壊されてしまった。
彼らは魔物の力に抵抗する術を持たず、魔物に見つからないように山の奥地へと生活圏を狭められていったのだという。
人間が開拓することによって豊かになった土地を、魔物達は嬉々として奪っていった。
彼らの影におびえて細々と暮らす生活を強いられ、暗黒時代に突入と言ったところか」
先に魔物が住んでいた大陸とは言え、苦労して開墾した土地を襲われ奪われるのはさぞつらいことだっただろう。
元々敵性種族、言葉は通じても相容れることはなかったはずだ。
「魔物から自分達の命を守るため、人間が編み出した手段が所謂『魔法』だ。
自然界に遍く精霊の力を魔力を媒介にして借り受け、人間の持つ能力以上の”力”の発動を可能にする術。
魔法は、魔物に良く効いた。
それまで我が物顔で西大陸を牛耳っていた魔物は、人間の生み出した魔法によって逆に掃討される側に回ったのだな。
その時生まれた魔法技術は、他の大陸にも広く伝わり世界の革新に一役買ったと言われている。そして安全になった大陸に、多くの移民がやってくるようになったとも。
――とにかく、魔物は一度歴史上から存在が消えた状態になる。
隠れ、逃げる立場が逆転したのだ」
力によって大地を支配していた魔物という種族は、より大きな力に屈し散り散りになって逃げだした。
一転攻勢というものか。
有史以前の話も歴史講義の中で聞いたことがあるような気がするが……
講義の中では人間が劣勢だったなんて話は出ていなかった。
そもそも先住民が魔物だったなんて初耳だ。
革新的な魔法技術が魔物を倒した、という一言で終わっていた。
「それで話が終われば良かったのだろうが。
……この話の後、不可思議な現象が起こったのだ」
自らの手で取り戻した、魔物に怯えなくても良い生活。
人々は歓喜した。
だが魔法という今まで概念の無かった技術を使い始めたからだろうか。
人間の中に、魔道士とは毛色の違う不思議な力を持つ者が現れ始めた。
「古い文献に、『癒し手』という記述がある。
恐らくこれが、聖女の原型だ。
癒し手――彼女達は魔法という体系とは全く違う奇跡を用い、人間を治癒する女神の力を持っていた。
それはもう、奇跡としか言えんだろうな。
どんな死の淵にある重い病気も癒し、失われた足をも復活させ、盲目の人間に光を与えることもできたという。
……凄いだろう?
彼女達がいれば、病気や怪我に怯える必要もない。
力のある癒し手は、人の寿命さえ伸ばすことが出来たというのだから。
時の権力者達は癒し手を求めるようになった。
人間同士で大きな争いが生じるなど、皮肉な事態だな。
それまでは魔物という共通の外敵がいたからまとまっていたかのように見えた人間も、奇跡をもたらす癒し手の存在が明らかになると皆目の色を変えて奪い合った」
確かにそんな奇跡がただの人間に起こせるのなら――
そんな力にすがりたいと思うことだってあるだろう。
自分のために家族のために、そして国にとって大切な人に。
「だが神の奇跡を何の代償もなく使えるはずもない。
彼女達は自らの生命力、要は寿命を削って奇跡を起こし他人を癒していたのだ。
自分の残りの命を奇跡の代償に差し出し多くの人間を癒していった。
だが癒し手の存在によって、争いが生まれる。
癒し手の誘拐事件も多発する。
彼女達を守るはずの兵士が、『奇跡』を収奪するために凶行に走る。
当時の小国の入り乱れた統一されていない国同士の戦いは、熾烈を極める一方だった。
彼女達は奇跡という名の己の命を、他人に搾取され続けていたわけだ」
死を待つだけの家族がいる
大病を患う恋人がいる
自分の命を賭しても助けたい人がいて、その奇跡を現実にする人が実在する。
――利用価値など計り知れない。
しかも対価が術者の残り寿命という、目に見えないものなのが厄介だった。
知らされなければ全くのノーリスクで全ての傷や病が癒されていくようにしか見えない。
代償は全て、癒し手が払う。
折角魔物の脅威が去ったというのに、今度は奇跡の癒し手を求めて人間同士が反目するようになってしまったのだ。
”最期の癒し手”と呼ばれる、ある女性はそんな現実を呪った。
わけもわからず幼い頃から『素質がある』と見出されて隔離された挙句、国のためという名目で権力者たちのために自らの命を削られていく事を。
酷い場合は自らの命を消費していることさえ知らされず。
奇跡を人々に齎すためだけに存在している選ばれた人間だ、と。
周囲に洗脳されて使われていたことに。
彼女は憤った。
今この大陸にいる癒し手が、これから生まれる癒し手が、『普通の人生』を歩めない事を怒った。
そして同じ考えを持つ癒し手と共に、自分達の特異な能力を封印することを決意した。
強力な”封印”だった。
自分達と同じ力を持つ者が二度と利用されないように、未来永劫この力を人間にもたらさないという願いという名の呪いをかけた。
生まれた時に勝手に定められた使命などという呪縛を受けず、普通に生きて行けるように。
結局のところ、人の身に余る力は人を不幸にするものだ。
女神と繋がる素質のある人間の『運命の糸』を切った、と言えば良いのか。
「その判断については、何とも言えん。
もしかしたら自ら望んで、命を削ってでも他人を癒したいと願っていた者もいるかもしれんしな。
ただ、力がある以上それを求められ続けるというのは辛いのではないかと私は思う。
癒し手は三十の歳を数えることなく、皆若くして亡くなったというからな」
瀕死の相手を助ける力がある。
でも、それを使えば自分も命も着実に削れていく。
奇跡を使わなければ、自分の良心が痛む。
一人を救って終わりではない、一人救えば他の人も救わなければいけない。
そうでなければ、個人の判断で”命の選別”をしていることになるからだ。
ただの人には重すぎる重圧。
いっそ、救う力など最初からなければ――と呪うのも自然な想いかも知れなかった。
人々は、神の奇跡を失ったのだ。
「『癒し手』は最終的に彼女達自身の手によって封じられ、大陸から消失した。
素質――女神の加護を持つ人間はそれからぱったりと消え失せることになる。
権力者たちが癒し手自ら自分達の力を封じたことをどう感じたのかは分からんが……
彼らは癒し手という名の存在を歴史から消すことにした。
自分らが彼女達を利用し、そのせいで姿を消したということを民衆に知られることを恐れたのだな。
最期の癒し手が亡くなった後、その後数百年に渡って癒し手の存在はヴァーディア信仰の中でも禁忌とされる扱いになった。
その後人間は争いを自重するわけでも懲りる事も無く、国同士が覇権を巡って争い合う『混沌時代』へ向かう」
群雄割拠の、小国大国入り乱れて大陸内で領地を求め戦争が勃発する王国乱立の時代。
歴史の時間に、クローレス王国がこの大陸を治める以前の様子を聴講したことは何度もあった。
例えば去年観劇したニルヴェの大河の演劇。
その舞台となった国も、その混沌時代にあったと言われる史書を基に創られた物語だ。
「魔法技術の発展により、魔物の脅威は去った。
癒し手という、権力者が目の色を変えて欲する力も失った。
だが人はより豊かな暮らしや領土を求め、勝手に国境線を引き互いに自陣営の利を主張し、大義を掲げて争いを続けた。
過去には魔法を使った人間同士の大戦争が甚大な被害を与えるなどの人災も経験し、魔道士の関わる戦争も大戦を最後に聞かなくなったが……
いつの時代も、争ってばかりだな」
人間のためにと精霊は力を貸してくれているはずなのに、その力を人間同士で使い合っては今度は精霊が人間にそっぽを向いて自然を敵に回してしまうかもしれない。
どこまでも都合の良い話だが、自分達の生活を向上させる利便性を追い求めた魔法は日常で使えるよう創意工夫を行い、攻撃魔法や補助魔法という戦闘向きの魔法は魔物にのみ使うものだと魔道士達が線引きをした。
万が一精霊の機嫌を損ね、魔法が使えなくなることが怖かったからだ。
「人間同士相争う戦乱時代のことは、記録にも比較的新しい。知っている者も多いだろう。
さて、そんな風に魔物の恐ろしさから遠ざかって幾百年もの月日が経った、今より百五十年ほど前の出来事だ。
今度は魔物達が再び大陸の覇権を取り戻すため、結集し立ち上がった。
――彼らは精霊の魔法に弱い。
だから精霊よりも上位の存在である悪魔、魔族、魔王といった存在をこの大陸に呼び出して力を貸してもらおうとしたわけだ。
人間が魔法に縋ったように、魔物は魔界に住む支配者たちに助けを求めた。
呼び声に応じる形で、大陸を蹂躙するだけの力を持った『悪魔』がとうとうこの世界に降り立ってしまったのだな。
不死身の化け物だ。
精霊より遥かに強い力を持つ言葉にするのも悍ましい、悪意の化身。
降臨した悪魔は魔物の願いを叶えるべく、彼らに特異な能力を与えた。
遊び半分で、人を踏みつぶしながら。
人を食らうと『より強くなる』という捕食の能力を、地上の魔物全てに。
――どれほど脅威だっただろうな。人間社会にとって絶望を齎したことは間違いない」
悪魔は 空を黒い影で覆いつくし 数千数万の異界の魔物と共に
眷属の積年の恨みを成就させるため 異界より地上に降り立った
カサンドラは驚き、絶句した。
この世界は曖昧で定まっていない隙間の設定を無理なく「つじつまを合わせる」ように構成された世界だと結論付けた。
こんなに壮大で、信じられない規模の歴史を、この”ゲーム舞台の三年間”のために作り上げたと言うのか?
「当然そんな絶望的な状況に追いやられ、人間同士で争っている事態ではなくなった。
大陸中の国がその魔物の侵攻を食い止めようと全力を賭したが、悪魔は文字通り不死身だ。そして常識外れの性能を持っている。
奴が腕を一度払えば、町一つが消えた――当時の魔道士の遺した手記に在ったな。
しかも人を食えば強くなると知った魔物が人間を襲い、更に強靭な力を手に入れるのだ」
なんという地獄絵図……と。カサンドラは想像したくなくて首を横に振った。
「当時小国の一つであったクローレス王国の城に悪魔が迫り、もはやこの国の命運は尽きたも同然であった。
その窮地を救ったのが、アンナという一人の女性だ。
どこからともなく姿を現した彼女は、白く神々しい輝きを放つ剣を携え悪魔の前に立ちはだかったという。
何百何千もの騎兵を一瞬で灰と化すほど破壊の限りを尽くす悪魔だ。
手の付けられない無敵の悪魔に大きな傷をつけ、周囲の人間を唖然とさせた。
奴の攻撃などものともせず、いともたやすく悪魔を切り伏せ――外殻を消滅させ『核』の状態にすることに成功した。
不死身なのは言葉通り、『核』はすぐに再生を開始する。
――アンナは女神の力を使ってそれを封じた。
悪魔の脅威から大陸を救い、更に彼女は傷ついた人間を奇跡の力で癒し始める。
大陸中暴れ回っていた魔物は悪魔に与えられた捕食の能力を失い、弱体化した。
再び人類に敗北を喫したわけだ」
女神に奇跡を授かり世界を救ったアンナを誰もが『聖女』と呼んだ。
彼女は新生クローレス王国の女王に即位し、魔物の襲撃によって疲弊した多くの国を併呑していくことになる。
聖女の威光は凄まじく、あらゆる国が是が非でも彼女の加護、恩恵に預かりたいと頭を下げた」
悪魔でなくとも異界から似たような上位存在が降臨したら、と考えると聖女の存在は絶大の信頼感を得ていただろう。
ボロボロにされた生活を立て直すためにも、精神的なよりどころが存在するのは大きい。
そもそも悪魔をも退ける聖女の力に対抗しうる軍隊など、どの国も有していなかった。
ごく自然に、平和的に――聖アンナは大陸統一を成し遂げるという、世にも稀なる偉業を達成してのけた。
「これが過去にあった、聖女と悪魔の物語だ。
聖女の活躍ぶりは広く世に知られているが、誇張なく獅子奮迅の活躍ぶりだな。
……ここで『おしまい』なら……綺麗に閉じることの出来た物語だったはずだ」
はぁ、と。
シリウスは一層眉間の皺を濃くしながら、大仰な溜息をついた。
「問題はここからだ。
聖女アンナは奇跡の癒しの術を使うということから、遥か昔に消えた『癒し手』の素質を持つ人間であることが判明した。
ヴァーディア教の信徒たちは彼女の能力などを調べ、本人の協力もあって大まかな事実が解明されることになったのだが……。
聖アンナは癒し手に施された封印では抑えられない、もっと強い潜在能力を秘めた人間だった。再度誕生した新人類か。
今まで他人を癒すことしか出来ないと言われていた女神の力。
それを『聖剣』という攻撃の力に変換し、悪魔を吹き飛ばすほどの圧倒的な破壊力を顕現させることが出来ることを証明した。
聖アンナが大陸を統治する手段として、その奇跡の強さは有益なものだ。
だが――
もしも聖アンナ以降、同じような力に目覚めた人間が出現したら?
かつて魔物との闘いの後、突如『癒し手』なる存在が現れたように、聖アンナのような特異な女神のを持つ人間が後続で生まれ始めたら?」
アンナは困惑する信徒たちの前であっけらかんと笑って言い放った。
『女神の声が聴こえたのも、あたしが起きたのも。
全部、
愛は、世界を救うのよ!』
え?
少々、聖アンナのイメージが神々しさから逸れた気がするのだが……?
「―ー……。
このことは聖アンナ教団でも極秘中の極秘事項だが……」
シリウスは顔を俯け、表情を引きつらせて視線を少しズラした。
「聖アンナはな。
……実は、奴隷の出でな……。
文字も読めず、教養とは無縁……」
アホの子だった。
シリウスは顔を片手で覆う。
「あまりの無知無学さに、周囲は驚いた。
戦うことにかけては一級品だが全く世間一般の常識というものを知らん娘だったそうでな。
当時の国王に請われて玉座に立ったはいいものの、文字も読めず書けない女王など仕事は出来んだろう」
王様! 浅慮が過ぎる!
聖女の戦いぶりに感激したか、その力の凄まじさを恐れたか――
荒廃した国を立て直すということを倦んだのか。
簡単に玉座を明け渡すとろくなことにはならない、という例であろうか。
「そんな彼女を支えるべく、彼女の人柄に入れ込んで献身的に仕えた人間が三名。
王国軍を指揮していた将軍ロンバルド、摂政として政務を代行したエルディム、荒れ果てた国の産業を復興させるために私財を擲って奔走したヴァイル。
彼らはそれぞれ、聖アンナの王政を支えるために尽力した。
……御三家、という存在はこの時の名残だな。
彼らは無知な女王に辟易しているかと思ったのだが。
案外、その方が国が上手く回る事に気が付いたのだ。
今までの絶対的な王権を使用した独断専横ではなく、三人で話し合って国政を進める事が出来る。
それぞれの実権バランスも三人が丁度良く――独裁は出来ないが、有能な人間がそれぞれ国の中枢を担うことでより強固な王国基盤を築くことに成功したわけだ」
国王は君臨すれども統治せず、という概念か。
「そして三人は悩んだ。
今後聖アンナのような、かつて彼女達の先祖が課した封印では抑えられない――女神の加護を持って生まれた人間がいたらどうするのか、と。
とても人間に制御できる力ではない。
扱いが難しいのは変わらん。
平時に大陸のどこかで罷り間違って覚醒でもして衆目の目に触れることとなれば、過去の歴史の再現にしかならんだろう。
聖アンナの偉業はそのままに、今後聖女の素質を持った人間が現れた際に中央政権に囲い込む手段が必要だと考えた。
しかも聖アンナが覚醒に『愛』が必要だなどと抽象的な事を言い出したせいで、現場は一層の混乱を極めた。
過去『癒し手』の時代にあったように、素質がある人間を捕まえて神殿や聖地に閉じ込めておけば良いというのもでもない。
聖剣を振り回せる攻撃能力も持った聖女、扱いは困難を極める。
数値で制限できない概念に全てが託されるなど、国家運営において邪魔なファクターにしかならん。
だが先の事を考えると聖女が癒し手のように自ら封印して歴史から一切消えてしまう――というのも危機が再び迫った時困る」
彼らが思いついたのが、建設予定の王立学園を利用することだった。
一気に版図を拡大し大陸の覇権を握ることになったクローレス王国だが、この支配を今後も継続し強固にしていくための『教育機関』が必要だ、と。
王立学園の建設が進められていた。
貴族の子女、各地の有力者の係累を学園で教育することで、王国にとって有益な存在に育てる施設――
聖女の資質を持った女性をそこに入れることで、様々な分野の知識を学ばせ、常識や道徳を身につけさせ、貴族の子女と交流を深め……
思想を探り、本人の能力をはかる。
学園内で恋愛をしてくれればもっと都合がいい。
それで”愛”の問題もクリアできる。
まぁ、そんな制度を使わなくても聖女など生まれなければそれでいい、とエルディムは思っただろうが。
「聖アンナは、無学であった。そして底抜けのお人好しでもあった。
簡単に人を信用し、利用され続けた。
自分の力が自分の寿命を削ると言われても、意味が分からないと言って多くの人間を癒し続けたのだな。
エルディムたちが必死に止めても、彼女は求められれば己の命を差し出した。
――彼女は当然のように、夭逝したそうだ。
聖女の存在は、まだまだ王国にとって必要だったというのにな」
聖女が身罷って何十年か経ち、大陸に女神の加護を持った人間が確認された。
危惧していたことが起こったということだ。
突然変異で生まれた聖アンナ同様の力を秘めた人間が、彼女の後にも生まれ得る。
――為政者にとって恐怖でしかない。
人の手でコントロールできない、そんな大いなる力を秘めた存在が今後も大陸に生じ得るのか、と。
三家の人間は慎重に、その女性を学園に誘導し素晴らしい環境で彼女を教育していった。
だが素質があるからと言って人間的に優れているとは限らない。
聖女になり得るとはとても思えない、眉を顰めるような人間性が明らかになった時――
後々の憂いを断つために、当時既に老齢であったエルディム当人が彼女を”処分した”。
こんなものが聖女など絶対に認めない、と。
三家は、まるで何者かによって呪いをかけられているかのようだ。
全て、理想的な素晴らしい『聖女』を手に入れるため。
聖アンナのように清廉潔白。
それだけにとどまらず、学と教養、優れた人格をもち、三家に忠誠と愛を注ぎ協力を惜しまない――完璧な聖女像を追い求め、それが叶わないまま今に到る。
「自分達が都合よく利用できる聖女が覚醒した暁には『聖女再臨』という新しい王国の夜明けを迎え、強権を発動させ国政の大きな助けとする。
三家の人間は未だに夢見ているのだろう」
ただ癒しの力があるというだけでは、聖女として役者不足だ。
ゆえに大いなる脅威――封じられた悪魔を再び蘇らせ、それを打ち取り封印させることでこの先”何度も”、救国の聖女を手に入れることができる。
百五十年の時をかけた、何とも壮大なマッチポンプ劇場である。
もはや本末転倒としか言えない。
※
「ああ……成程、だからこの学園は共学なのか」
今の話を聞いて何も言い出せなかったカサンドラだが、ラルフがそう軽い口調で呟いたことで場の緊張が一気に解けた。
「確かになー、貴族のお偉いさんの子どもが揃ってるっていうのに、男女で分かれてないのっておかしいよな」
うんうん、とジェイクも頷き追従する。
「まさか学園設立当初から、恋愛交流を推奨していたなんて思いもよらなかった」
王子も苦笑いだ。
女子生徒、男子生徒に分かれた学園生活だったら――彼らにとってはもう少し過ごしやすい学園生活だっただろうから、さもありなん。
実際は聖女が存分に学び青春を謳歌し、その力を覚醒させるための養成機関のような側面も持っていたということなのだから。
「――ということを、私も二年近く慎重に注意深く調べを重ねてきて知ったのだが……
かなり苦労して、断片情報から骨組みを建てたつもりだ。
まぁ、私の知らん過去の事情も大いにあるのだろうがな。不明な個所も、それなりの事情があるのだろう。
何と言うことはない。
今話した過去全て、この三年間の『シナリオ』を補完するために世界が縒り合わせて創った設定だったのだろう?
有史以前の事から何とか文献を探し求めて紐解いていった歴史が、何の意味も持たなかったわけだ。
聖女の由来や今までの人間と魔物の歴史など、その方が現在において都合がいいからそういうことになっている、と。
ああ、バカバカしい」
全く、骨折り損のくたびれもうけだとシリウスは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
この世界の過去には、多くの信じられないような真実がまだ隠されているのかもしれない。
だが全ては、リナ達が主人公の聖女で、攻略対象と学園で恋愛をして、王子が悪魔になってそれを倒して――という舞台を支える裏設定に過ぎない。
シリウスの嫌そうな顔に、カサンドラは同情した。
だが聖アンナがそんな人だったなんて、想像もしていなかった。
会えるものなら会ってみたいな、と。
そんな現実逃避さえ行うカサンドラである。
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