第463話 ずっと残る痕


 この教会の神父と軽く挨拶をした後、カサンドラは子供たちのところへ向かっていた。


 折角子供たちに再び会うことが出来たのだ、彼らの元気な姿を見て王子に報告出来ればと思う。

 顔と名前の一致する子もいるが、一年前と比べて顔ぶれも少し変わっているようだ。


 ただ、どの子も今の逆境に負ける事無く、リタやリナと楽しく遊んでいるように見えたのだが……




「おいでよー! もっと一緒にあそぼー?

 おねーさん、寂しいなぁ!」



 リタが声を張り上げると、小さな人影がこそっと動く。


 女の子が柱の陰に隠れてしまった。

 皆が追いかけっこや木登り、かくれんぼをして遊んでいた様子を遠巻きに眺めているだけのように見えるが……


 一緒に遊びたいという気持ちが、幼い少女故に駄々洩れである。


 だからリタが呼びかけているのだが、彼女はその度に身を潜めコソコソと楽しく歓声を上げる友人たちの姿を遠巻きに眺めるのだ。

 折角普段遊びに来ないリタ達がいるのだから、混じって一緒に遊べばいいのに。

 以前孤児院に訪れた際、こんな風に引っ込み思案な子供はいなかったように思うので余計に気になる。


 パッと見た感じだと、三、四歳くらいの女の子か。

 手にぬいぐるみを抱きかかえ、じーっと皆の様子を見つめるだけで、そこに加わる気はないようだ。



「一体どうされたのですか?」



 懸命に明るく声を掛ける二人に、カサンドラは後ろから声を掛けた。

 すると気まずそうに表情を曇らせ、リナは僅かに俯き――片腕を反対側の手でぎゅっと掴む。まるで崩れ落ちる自分の体を、己の手で支えるように。


「あの子、アリサちゃんって名前なんですけど。

 アリサちゃん……首に、真っ赤な火傷の痕が残ってしまって」


 リナは火事に見舞われた救出時の事を思い出したのか、顔が少し青白かった。


「肌が白い子だから、余計に目立ってしまうのかなって思います。

 私がつい……

 痕を見てたのに気づいたのか、アリサちゃん、逃げ出してしまって。

 折角楽しく遊んでたのに、申し訳ないことしました」


 リタも悔しそうに、声を落とした。

 二人に遊んでもらっている内は夢中だったのだろうが、リタは幼い子の首に残る火傷の痕に視線を釘づけにされてしまった。


 痛々しい痕が残る彼女の事を、カサンドラだってその場にいたら可哀想だと思ってしまうはずだ。


 だがその視線が幼い女の子を傷つける事になったのかもしれない。

 本人は忘れようと思っていても。

 嫌でも人の注目を浴びてしまう――幼心にもショックを受けたのか。


 自分の首を押さえ、宿舎の玄関前まで遠ざかってしまったのだという。



 カサンドラ達のの位置からでは遠目過ぎて分からないが、あんな小さな女の子が気にしてしまう程の痕が残ってしまったのかとカサンドラは言葉を失った。

 命に別状はないとはいえ、外傷を負った子供もいるのだと痛ましい事実に胸が苦しくなる。


 季節は初夏、これからどんどん暑さを増して来る。

 薄着になって過ごすことが多い季節、首元まで全部覆うような夏服を持っていないのは当然だ。

 孤児たちへの支援品として、子ども用に長袖や長裾の服を用意すると喜ばれるかもしれないと感じた。


 アリサの他にも、火傷の痕が残った子供もいるだろう。





「お二人とも、少し宜しいでしょうか。

 わたくし、馬車に忘れ物をしてしまいました。一度取りに戻りますね」

 



 カサンドラはふと思いついた事があり、愁いを帯び溜息を落とすリナ達にそう告げたのである。





 ※





「お! カサンドラ様、もうお帰りですか!

 残り二人もすぐに来るんですよね!?」



 教会入口で周囲を警戒していたフランツが、カサンドラの姿を確認して飛び上がらんばかりに喜んだ。

 ニコニコ笑顔で口元を緩ませる彼には大変残念なお知らせだが、このまま馬車に乗り込んで帰宅するという選択肢はない。


「いえ、そうではございません。

 馬車に用が出来ただけです、期待させてしまったようですね」


 本来の職務に全く関係ない護衛役を突然王子から任され、彼からしたら貴重な数時間を奪ってしまったわけだ。

 それに関しては気の毒に思うが、一度引き受けた以上はその責務を全うしてもらわなければいけない。

 このまま気がかりなことをそのまま残して帰るつもりはカサンドラには毛頭ない。


 もう少しここで待機する必要があると分かったのかフランツは、


「あー……そうなんですね」


 と肩を落とした後、天を仰いで恨めし気な表情になる。


 そんなフランツの横を通り過ぎ、カサンドラは行儀よく道の端に停まる馬車の横に立つ。

 御者が開けてくれた扉から車内に入り、カサンドラは目的のものを探して視線を馳せた。


「ええと、確かこちらの箱の中に……」


 箱を引き出し開けると、扇や手袋などと言った小物がきちんとセットされている。

 普段これらを使う事は滅多にないので、必要になり得る際に使えるよう予備道具を置いていることを忘れがちになるけれど。

 確かこの中に、使えそうなものがあったはず……





 火傷の痕はすぐに治るものなのだろうか。

 カサンドラは自分が見た目を気にする程の大きな火傷を負ったことがない上、専門知識もない。


 小さな女の子だからこの先成長するに従い、痕もすっかり治るかもしれない――というのは楽観的な判断ではないかと思った。


 周囲の人も気に掛けざるを得ない、大きな火傷痕。

 人前に出たくない、と引っ込み思案になってしまうのはとても悲しい事だと思う。

 彼女は決して何も悪い事をしているわけではないのに、生涯残る痕になってしまったとしたらやりきれない。



 事情を一切知らないまま、自分の命や生活を脅かされている現状。

 カサンドラも本当の事を告げ、謝罪することも出来ない。










「こんにちは、アリサちゃん」


 リタ達が楽しく裏庭で遊んでいる光景をじーっと眺める、可愛い女の子。

 大きな目をキラキラ輝かせる、まさに純真無垢という言葉がぴったりのあどけない幼児だった。


 急に別角度からカサンドラに声を掛けられ、アリサは「きゃあ!?」と可愛い悲鳴を上げて首を竦めた。


 火事の影響だろうか、不揃いに肩で切った髪が大きく揺れる。

 そしてその長さでは隠すことの出来ない、鎖骨から顎下までに広範囲についた赤い痕が目に留まった。

 襟ぐりの広い服だから余計に痛ましく、カサンドラは知らない内に口元を噛み締めている。


 命だけでも無事で良かった、と彼女は言われるだろう。

 だが普通に生きていて命が脅かされること自体、本来あってはならないことだ。


「な、なに……?

 お姉ちゃん……? だれ?」


 カサンドラが以前丘の上の孤児院を訪ねた時には見なかった女の子だ。

 様々な事情で孤児院で暮らすことになった孤児たちだが、こんな年の女の子が急に預けられることもある。

 ――でも拾い上げてくれる施設があったから、ここに住んでいた皆は元気に日々を逞しく過ごしてこれた。


 彼女達は幸せな方だったのかもしれない。

 勿論事件に巻き込まれる以前は、の話だが。



「リタさんやリナさんのお友達ですよ。

 ……アリサちゃんも、皆と一緒に遊びませんか?」


 カサンドラは背の低い幼児が自分の外見に怯えないよう、しゃがんで視線を合わせてみる。

 大きな蒼い瞳には、自分の顔がいっぱいに映っていた。


 出来る限りにこにこ笑いながら、楽し気な声の響く裏庭をチラッと視界に入れた。


 教会の壁の横に生えた高い樹の枝にリタが身軽に乗る姿が見える。

 ひょいひょい、と。

 上で待つ少年たちを追い抜く勢いで足を掛けて登っていく。


 彼女がその樹を揺すると大きく枝が撓り、隣で同じく木登りをしていた少年たちが慌てて樹の幹にしがみつく。

 葉の生い茂った樹の枝からボトボトっと毛虫が落ち、下で見上げていた女の子達が「きゃー」と口々に悲鳴を上げて大騒ぎだ。


 活き活きと子供らに遠慮ない悪戯をするリタには、カサンドラもちょっと吃驚してしまう。



「べつに、いい……」


 アリサは身体を捩り角度を変え、カサンドラの視線から首元を遠ざけようとする。


 そんな彼女の前に、カサンドラは大きな布を広げた。

 傾きかけた陽の光を透かす薄い布がひらひら揺れている。


 アリサはきょとんとし、眼前に翳された布を見た。


「……ハンカチ?」


 それにしては大きく、手触りも滑らかなものだ。

 薄桃色の生地に、白と赤で花模様を刺繍した――要はスカーフである。


 カサンドラはその布を彼女の目の前で三角に折り、驚く少女の首にふわっとそれを巻きつけた。

 火傷痕に擦れないようゆとりを持って。

 あまり手先が器用ではないので少々不格好になってしまったが、リボンを二つ重ねたように飾り結びをする。

 丁度赤い痕が覆い隠れるように。

 ――少し捲れて傷跡が見えても、それがスカーフの模様だと空目してしまうように。



「……え? あの、お姉ちゃん。

 これ……いいの?」


 彼女は左手で端っこが焦げたぬいぐるみを抱え、右手で首元を覆うスカーフに手を当てた。

 何度も突つき、引っ張って、生地の感触に目をキラキラ輝かせる。



「ずっと使っていないものですから。

 アリサちゃんに使ってもらえたら、とても嬉しく思います」


「……アリサだけもらうのは、だめだよね?」


 院長の言いつけ、教育が行き届いているのか。

 この年齢の子だったらそのまま素直に喜んで受け取るものかと思ったが、自分だけ何かをもらうのは駄目だ、と。

 きょろきょろ周りを確認する彼女の、後ろめたさが混じった様子に再度胸が締め付けられる。

 カサンドラは、静かにアリサの肩に手を添えた。



「こちらのスカーフはアリサちゃんにお貸しします。

 必要が無くなったら、わたくしに返して下されば良いのです。

 ……傷を覆い隠すことしかできないですけれど」


 根本的な解決にはならないけれど、彼女が人の目を気にすることが少しでも減れば良いと思った。



「ありがとう、お姉ちゃん」



 嬉しそうにはにかむ少女は、そのまま持って帰りたいくらい可愛いかった。


 いっぱい動いたら、とれちゃうかな?


 そんな風に何度も気にしながら、アリサはトテトテと歩いて――

 近くの花壇に座って休んでいるリナに、横から飛びついた。




 よしよし、とリナに頭を撫でられたアリサ。

 幼い女の子はどこか誇らしそうに、何度もスカーフで結んだリボンの先っぽを抓んでいた。





 わいわいと、子供達が騒いでいる。

 一番体格が良く、力がありそうな男の子が自信満々にリタと腕相撲を始め――それを一瞬で容赦なくねじ伏せるリタの大人げなさは一周回って微笑ましく。

 男の子何人がかりでも彼女はびくともしなかったのは凄い光景だ。



 アリサを含めた女の子達がリナと一緒に、シロツメクサを摘んで花冠を作り始める。




 その平和な光景が、カサンドラの胸を焦がした。

 全てリナが救った命であると同時に、彼らがこの先今のように、穏やかで平和な生活を営める。

 そんな努力も、自分達に必要なのだろう。



 依怙贔屓や特別扱いではなく、皆の暮らしを一緒に底上げする……

 それがシリウスの望む国のあり方なのだろうな、と。





   子供達を見ていると、自然とそう思えた。









 ※







 時が経つのはあっという間だ、子供達に惜しまれ泣かれながらも、自分達の帰還を待ち望んでいたフランツの許へと戻る。



 夕食も一緒にと声を掛けられたが、流石に子供たちの大切な食糧を分けてもらうわけにはいかないので丁重に断った。

 絶対に支援品を子供達に送ろうと心に決め、カサンドラは馬車に乗り込む。


 実際に己の目で見たおかげで彼らに本当に必要なものが分かった、それが救いである。



 だが……

 様々な、言い表しようのない想いが思考を埋め尽くす。





「………。」


「………。」


「………。」





 帰りの馬車の中、カサンドラ達三人はそれぞれ眉を顰め、黙り込んでいた。





 彼女達もカサンドラと同じように、それぞれ思うことがあったのかもしれない。

 特に、リタの表情が険しかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る