第462話 自分の役割



 リナ、リタを一緒に乗せたレンドール家の馬車が街の大通りを通り過ぎる。


 まさか今日の今日本当に子供たちのところへ行く事が出来るとは、と皆の判断と行動の早さに目をまたたかせるカサンドラである。


 希望が通ったのは嬉しいのだが、せめて何か援助品を持参すべきではないか、手ぶらで行くことになって良いのかと悩むところである。

 だがまずは彼らの現状をこの目にするのが先であろう。

 何よりまずは、真っ先に駆けつけるという行為自体が意味を持つものだと思う。

 物品を送るだけなら後でも出来る、とカサンドラは自分に言い聞かせた。


「そう言えば、子供たちって今どこで過ごしてるの?

 孤児院を新しく建てるとしても、それまでの仮住まいが必要よね」


 隣に座る同じ顔の妹に、会話の切れ目で何気なく尋ねたリタ。

 窓から外を眺め、これから向かう先を聞いたのだ。


 リタは孤児院を訪れたことがないはずだから、きっとリナと同じ顔の彼女を見て子供たちは吃驚するに相違ない。

 反応を想像しながら、カサンドラは二人の会話をにこにこ微笑みながら眺めていた。

 相変わらず、彼女達の存在自体がほのぼのとしていて癒される。


「シリウス様が仰るには近くの餐館をしばらくの間貸し出されるのだとか」


「そうなんだ、さっすがシリウス様!

 あんな豪華なお屋敷にしばらくでも住めるなら、少しは安心ね」


 しかしリナの返答がカサンドラの思っていたものと違ったので、つい身を乗り出して怪訝そうな声を上げてしまった。


「今馬車が向かっている先は餐館ではありませんよ」


「えっ!?」


 じゃあどこに、と慌てるリナに、行き先は教会だと告げる。


 彼女は驚いた顔を隠すように掌で口元を覆った。


 目を白黒させんばかりの勢いだが、シリウスは行き先を失った子供たちのために奔走していたという。

 自分達のための建物を貸し出すため、色々手続きが必要なのだろうと考えるのが普通だ。

 餐館はシリウスの所有物ではなく、その管理費を王子、ラルフ、シリウス全員が賄っていると最初に聞いた。

 勝手な判断で貸し出せないので煩雑な手続きが必要だった――のかと思いきや。



 カサンドラがシリウスに聞かされた場所は、街の中にある教会の一つだ。

 焼け落ちた孤児院に近い教会であることは間違いない。


 一体どういうことだろうかと首捻ったが、今現在フランツを外に伴って向かっている先は聖アンナ教会。

 そこにいる子ども達の事を考え、三人は顔を見合わせて少し不安そうな顔になった。





 ※






 教会に着き、孤児の慰問に来たと教会勤めのシスターに告げる。

 すると教会の裏庭の奥のシスターたちが生活をしているこぢんまりとした二階建ての建物の前に案内された。


 子供達を二十人以上住まわせるにはどう考えても小さく、聞けば空き部屋に辛うじて寝泊まりする事が出来る状態であるようだった。


 手狭というどころではなく、本来数名の教会勤めの職員が住むべきところに行き先の無い集団が押し掛けてきたのだから――

 どちらにとっても大変な事だろうと思われた。


 裏庭に足を踏み入れた途端、外で遊んでいた子供たちがこちらの姿を目敏く見つけ、一斉にわぁっと駆け寄ってきたのだ。

 建物の中で過ごすには窮屈過ぎるのかもしれない。



「――まぁ、カサンドラ様!

 それにリナさん……と、お姉さんですね?

 このような場所まで足を運んでいただけるなど、なんと得難い幸運なのでしょう!」



 子供達と一緒に遊んでいた院長も当然カサンドラ達の訪問に気づき、目を細めて近づいて来た。



「わぁ! 前に王子と一緒に来た、お姉ちゃん!」


「リナお姉ちゃん、何で同じお顔の人がいるの?」


「だれ? だれ? 同じ制服だから、学園の生徒!? すごーい!」


 勝手気ままに口々に、子供達は恐ろしい火事に見舞われたことなど感じさせない、とても明るい様子で纏わりついてくる。

 元気な様子にカサンドラもホッと一息だ。


 この子達が無事であったことに、今更ながら熱い感情が喉元に込み上げてくる。

 この世界が繰り返される度、火事によってこの子達の命は喪われていたのだ。

 たまたま、今回は奇跡が起こってリナの手で救われた命。


 ただの画面越し、文章だけで告げられる人の生死にかかわる情報と比べ――

 実際にこうして触れた経験があると、勝手な事だがその重みは何十倍にまで感じてしまうのだ。


 良かった。本当に……

 彼、彼女達は火事によって大切なものを失ってしまったけれども、生きてさえいれば。




「よーし、じゃあ今日は私が目いっぱい君達に付き合ってもらおうかなぁ!」



 元気過ぎてエネルギーを持て余しているらしい子供たち、いや、もしかしたら現実から目を逸らすためにわざと明るく振る舞っているのかもしれないが。

 そんな彼らに大胆に宣言し、リタが子供たちの輪の中に入っていく。

 生来人懐っこく明るい性格の彼女である、一気に子供たちに気に入られ腕を左右に引っ張られている。



「……カサンドラ様、こちらは陽射しが強うございます、中にお入りになって下さい。

 こちらの教会の神父にも、是非お声を掛けて頂ければと思います。」


 疲労の色が濃く、以前会った時より何歳も一気に老け込んでしまったように見える孤児院の院長をしていたマーヤ。

 子供たちがはしゃぎ、子供たちに取り囲まれているリタ達のことを嬉しそうに遠望する。


 カサンドラのことをチラチラ気にする子供もいるのだが、やはり雰囲気的に近寄りがたいのだろうか。

 視線は感じるけれども、何処か遠巻きなような……


 傍観者になる直前のカサンドラ。そんな自分を院長は教会の中へと案内してくれたのである。




 シスター達は教会の中で祈りを捧げたり仕事に励んだりと大変忙しそうだ。


 教会の責任者である神父は現在、信者の懺悔を聞き迷える者を導くという大変宗教的な行いに励んでいるそうだ。

 まぁ、教会というまさに宗教施設の中なのだから当然の話なのだが。


 静謐で、時の流れと隔離されたような――長椅子が整然と並ぶ礼拝の間で、ステンドグラスの天井を見上げ透き通る陽光に視線を奪われた。




 ※




 神父が来るのを待つ、ということで院長と共に控室に案内された。


 以前見たことがある大聖堂、そして立派な支部教会とは違ってこの教会は、少々古ぼけた印象を受ける。

 歴史の深さを感じさせる様子が貫録を与えるということもあるかもしれないが、ところどころ朽ちかけた箇所が目に入るとこの建物が倒壊しないか勝手に心配してしまう。

 


「ここは、以前私が務めていた教会なのです。

 その伝手で、しばらく間借りさせていただけるようになったのですよ。

 無理を言いましたが、受け入れてもらえて有難いことです」


「院長にお聞きしたいことがあります。

 大変失礼ですが、シリウス様の手配して下さったお屋敷ではなくこちらの教会を頼りにされたのは何故でしょう?」


 カサンドラも餐館には何度も訪れたことがある。

 同じくらいの規模の屋敷がこの王都にはいくつもあるというのだから驚きだ。


 大貴族の坊ちゃん達が常日頃からいつでも使えるようにと用意させた館の一つ、二十人程度の子どもなど簡単に収容できる広さも十分だ。

 世話をしてくれる使用人もズラっと並んでいて、全く不自由のない生活が保障されている。


 院長はその申し出を断ったのだろうか。



「……シリウス様にそこまでしていただくわけには参りません。

 有形無形を問わず、今までも数多くの支援を頂戴しました、それだけで十分感謝しております。


 あの方の用意して下さった軒先は、私共には分不相応であった。ただそれだけのことなのです」


 分不相応。

 その言葉にカサンドラは絶句した。


 火事によって住むところを追われた子供たちが、束の間の夢のような生活を送ることも許されないのか、と。

 ぎゅうぎゅう詰めになって寝起きし、新しい孤児院が建つか――もしくは別の孤児院へ引き取りが決まるまで今までより不自由な場所で暮らすことを余儀なくされる。


「あまりに贅沢な暮らしを無償で提供されたとあっては、他所の孤児院からも良い目で見てもらえなくなってしまいますからね」


 とても現実に起こるとは思えないが、焼け出された子の厚遇された噂を聞くと羨ましくなって、自分の住んでいる建物に火をつける子どもが現れるかもしれないからだ、とマーヤは表情を翳らせてそう言った。


 孤児院で育つ子の中には将来を悲観している子も多い。

 自分の境遇を嘆き、前に進めないままの子も。


「そんな……

 住むところを失って悲しんでいる彼らに、僅かな恵みも許されないなど」

 

 だが反論しつつも、カサンドラは何となく、状況が何となく呑み込めてしまうことに絶望した。


 人は自分よりも不遇な相手に対しては同情を抱きやすい生き物だ。優しく、憐れみを以て接することは容易い。

 だが一たび同じ立場の人間が自分よりも恵まれ、厚遇されていると知れば――そこに至るまでの過程さえ無視して『ズルい』と感じてしまうこともある。

 その感情は理屈ではない。


 ”恵まれない子”達である者が、酷い目に遭ったからと言って自分達よりもいい暮らしを体験するなど「ズルい」と言われるかもしれない。

 ――酷い話だ、と。そんな想像をしてしまった自分が嫌になる。

 


 シリウスの心境を考えると、居たたまれない想いである。


 カサンドラに慰問に行ってくれるなら助かる、とこぼした気持ちも分かった。

 自分のせいで孤児院が焼かれ落ちるという悲惨な目に遭ったと自覚があって、せめて何とかその後の生活を保障しようと手を配っても。

 院長はその厚意を固辞し、受け取ってくれなかったのだ。


 本当の事を言うわけにもいかず、さぞ歯痒い想いをしただろう。

 だからカサンドラのような立場の人間が訪れることで、少しでもここが子供たちにとって住み心地の良い環境になって欲しいと思っているのかも。



「人は生まれながらに平等ではありません。

 恵まれた者、そうでない者。

 生まれ落ちた環境は、自分ではどうすることもできません。

 全て神から与えられたものなのですから、それを受け容れ日々精一杯生きる他ないのですよ」



 院長はそう言って、小さく微笑んだ。

 生まれ落ちた先でその後が全て決まる。自分では変えようがない。

 それは、レンドールの貴族の娘の己の立場に思いっきり突き刺さる。

 何の努力もなく手に入れたものだからだ。



「このような境遇に身を寄せ、あの子達は自分を不幸だと感じているかも知れませんね。

 ですが――それもまた、現実です。世界は時に残酷なもの。

 困ったことがあった時は自ら立たずとも、シリウス様のような方が必ず手を差し伸べて助けてくれるのだ……と、教えるわけにはいかないのです」



 この先孤児院を出て行った後、彼らは自分達の身一つ、能力一つで渡り合っていかなければいけない。


 孤児院は彼らを働ける年齢まで育てる機関ではあるが、決して親ではない。


 誰かのコネに頼ることもできなければ、転んだ時に声を掛け休ませてくれる”家族”もなくなる。


 どんなことがあっても――彼らは現実をあるがまま受け容れなければいけない。


 逆境に在る時こそ、自分達の持つ考え方一つ、決意一つで困難を我慢し乗り越える経験も必要なのだ、と彼女は微笑んだ。


 下手に豪華な部屋や待遇を覚えてしまえば、それが子供達を惑わせる。

 分不相応を求めること程、不幸なことはないのだと。


 院長は優しい表情とは裏腹に冷酷とも思える話をする。


 勿論彼女だって子供達に幸せになって欲しいと思っているのだろうが……


 カサンドラにはどうすることもできない現実がそこにあった。

 独りの力で、全ての恵まれない子を救うなど出来ない事だ。

 目に入る子だけ助ければ良いのか、知っている子だけ助かれば良いのか。

 どこで線を引けば良いのか。

 そしてただ家を貸し与え食事を提供することが、本当に救いになるものなのか。


 ……とても難しい問題だ。

 それこそ国の施策の根本から変えようとしなければ、現実は変わらない。



 シリウスがそういう境遇の子どもを一人でも無くしたい、と思う理由に到り、身に詰まされる。

 立場が弱すぎて、こんなことさえ我慢しなければいけない子供たちを見たくない。

  

 そんな想いを抱く彼が、まさかあの子達を死なせようとしたなどやはり考えられない。

 きっと――騙されていたのだろう。


 遣る瀬無い想いに、カサンドラは一人黙した。




「誰しも聖アンナのように――生きる意味があり、役割があり、人はそれを見つけるために生きているのだと思います」



 手を組み、院長は静かに言い添える。

 彼女は敬虔な信徒である。

 神を、そして神の御使いとされる聖アンナを”信仰”しているのだ。



「聖アンナは市井の生まれの少女だったと云われています。

 彼女は、悪魔を退けるだけの大いなる力を神より授かりました。

 常人には受け入れがたい、大きな使命を与えられたのです。

 それにも関わらず彼女は……与えられた使命を、役割を、人々のために果たしてくださいました。


 ――誰もが『役割』を神から授かり、全うできる力も同時に与えられているのでしょう。


 どんな生い立ちの子であっても、どんな境遇に置かれていても……私は皆の可能性を信じています。


 小さなことでも、大きなことでも。

 皆が神より与えられた役割を果たし社会に貢献していくこと。

 それがよりよい世界を創ることに繋がるのだと、私は信じているのですよ」



 打ち捨てられていい命はない。

 人生は決して平等ではないが、命は一つしかなく誰にとっても等しく大切なものだ。

 無闇に奪われ、踏みにじられる間際の命を一つでも救うために彼女は孤児院に携わっているのだと言う。




 神の試練、神の意志、神の与えた――という言い方はカサンドラには少々納得しづらく、素直に受け入れがたい概念ではある。

 どちらかというと、生きることに一々意味を考えるというのは窮屈に感じるし、怠惰な存在は許されないのかとも。


 しかし”誰もが役割を持っている”という言葉フレーズにドキッとした。


 自分は決して神、いや、この世界で創られた人間ではない。

 別の世界から混入した異分子のような存在である。


 皆それぞれ神様に与えられた使命とやらを粛々とはたしているのだとしたら……





 自分カサンドラはこの世界でどんな使命を、役割を担えるのだろうか。

 元々は悪役令嬢という役割を神から与えられたらしいこの身体。

 それに外界の記憶を重ねた今の自分。



 神の采配ではなく、自分の意志で――何か、果たせることがあるのだろうか?




 




「大変お待たせいたしました。

 この度はカサンドラ様自らご足労頂戴し、誠に恐れ多い事でございます」



 



 黒い衣服キャソックを身にまとった、禿頭の老爺が部屋に入って来た。

 彼がこの教会の責任者なのだろう。


 カサンドラは院長との話を一旦辞め、急な訪問となったことを詫びる。





 カサンドラが直接教会を訪問したことに慄き、彼は頭部から流れ落ちる汗をハンカチで拭っている。


 何か思うところでもあるのか――終始強張った表情で子供たちの生活待遇の改善をこちらからお願いするでもなく一気に捲し立てられてしまった。

 これにはカサンドラも苦笑する他ない。




 それが実現するならば今日ここに来てよかったと思う。





 巻き込まれてしまった子供たちが、一日でも早く日常を取り戻す事が出来ればいいのだが。



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