第461話 少しの我儘


 とりあえず、現段階では大きな動きを三家が見せる余裕はない。


 楽観的で軽率な判断をしない王子とシリウスがそう言っているのだ。

 少なくとも、今日明日何か大きな動きがあることはないとカサンドラも納得できる。


 彼らはとても慎重で、常に表舞台に立たなくても良いように状況を外部から動かしてきた。

 計画から逸れてしまった場合、それを放棄することも出来る柔軟性を持っているように思う。

 ここで焦って破れかぶれに次の手を、と畳みかけてくる人達ではないだろう。


 それは腑に落ちる。

 同時に一つ、『やりたいこと』が生じたのだ。


 時が経って彼らに余裕が生まれ始める方が自分達に何かが起こる可能性が高いなら、早く動いた方が逆に安全ではないか。


 カサンドラは昼食の最中、チラチラとシリウスの顔を視界の端に収めながら悶々とした想いを抱えていた。

 全く以て、大きな事件が起こった後とは思えない――いや、全てをリナから聞かされた後の態度には見えない相変わらず動きのない貌。

 表情の変化に乏しく、眼鏡の奥の黒い瞳に焦りだとか哀しみだとか、そんな感情を垣間見ることが出来ない。


 流石のポーカーフェイスだ、とカサンドラは逆に感心してしまう。

 内心や状況がどうであれ、決して弱味を他人に見せまいと泰然とした態度のシリウスはこちらの視線を完全に無視して食事を終わらせていく。


 もしも正面にジェイクが座っていたら、何をそんなにシリウスの方ばかり見ているのだと揶揄されたかも知れないが、生憎彼の休みは一週間を経過した。

 未だ王都に帰還することなく、果たして今頃どの辺りにいるのやら。


 まぁ、気さくに話を振ってくるジェイクがいないので食事の時間は静か過ぎる程、静か。

 話す内容も一言二言、それも学園行事である聖アンナ生誕祭に纏わる確認事項ばかりが耳に入る。


 しかし、余りにもカサンドラがシリウスの事を気にしていたからだろう。

 隣に座っているラルフが気づき、肩を竦めてカサンドラに話しかけてくるではないか。


「カサンドラ、先ほどからシリウスに何か言いたいことがあるように見えるけど」


 気になってしょうがない、と彼はカサンドラの視線の先にいるシリウスと自分とを交互に見遣った後。

 ナイフとフォークをお皿の上に乗せ、水の入ったグラスに手を伸ばした。


「なんだ、カサンドラ。

 例の件については、皆が揃ってからと伝えてもらったはずだが」


 シリウスは不満そうにそう言い、眼鏡を指で押し上げる。

 今まで皆がそれぞれ抱えていた『秘密』をある程度共有している段階で、こうして同じ食事の席に着き一切話題の俎上にあげない。

 それは恰も茶番のような寒々しさを感じる光景であることは間違いない。


 だが、カサンドラとてシリウスの意志に反し無理矢理詳細を聞き出したいというわけではないのだ。


「いえ、わたくしが考えていた事は指摘されたものではありません。

 ――シリウス様に別件でお願いがあり、それを提案しても良いのかどうか悩んでいたのです」


 聞き分けの悪い人間だと思われるのも癪である。

 カサンドラが威儀を正し背筋を伸ばしてシリウスを見つめると、彼もまた怪訝そうに眉を顰めて手元の動きを静止させた。

 一体なんだ、と彼の目が問うてくる。

 シリウスの鋭く上がった眦を前に、意気が砕けそうになって喉を鳴らした。


「それは何かな、キャシー」


 シリウスの近くに座る王子が助け舟を出し、一声を掛けてくれたお陰でシリウスはこちらの発言に耳を貸してくれる気になったようだ。


「わたくしの勝手な希望なのですが……

 孤児院の子ども達の慰問を行いたいと強く考えています。シリウス様、どうか訪問の許可を頂けないでしょうか」



「……はぁ、お前もか。

 全く以て、危機意識の薄いことだ」



 シリウスは皮肉げに笑い、そう言葉を返す。

 離れた入り口側の席で食事を勧める特待生の食卓――そちらをシリウスは軽く一瞥し、溜息を落とす。



「今朝、フォスターの姉妹にも同じことを懇願されたがな。

 こんな情勢下で、のこのことお前達を街の中に解き放つような事が出来るとでも?」


 彼は眉を顰めた。

 それは不快だからというわけではなく、どちらかというと悔しい、という感情が勝っているように見える。


 リナだけでなく、リタもそう訴えたということは……

 火事の被害に見舞われた子供たちを心配していたのは自分だけではなかったのだと思うと、胸がじんわりと暖かくなる。


 大人たちの都合で、危うく命を落としかけ命からがら逃げ延びた子供たち。

 彼らが心に深い傷を負っていることは想像に難くなく、せめてカサンドラに出来る事と言えば彼らのところに行って励ますくらいではないかと思ったのだ。


 何も出来ない。

 でも何も出来ないのだと早々に諦めるのではなく、少しでも誰かの役に立つ行動をしたいと思った。


 今の方が数日先より安全だと分かっているなら……

 訪ねるのは、可能な限り直近の方が良いのではないか。

 どうせジェイクとリゼが帰って来るまで、シリウスから重要な情報を知らされることはないのだ。

 今日と同じ状況が明日も続くなら、せめて僅かでも何かしたい、と望むのは――シリウスの言う通り、自分が浅慮で我儘なのだろうか?

 

「わたくしが王子の正式な婚約者だと孤児院の子ども達も知っております。

 立場、身分というものしか今のわたくしにないことは忸怩たる想いですが……

 ”次期王太子妃”が被害後間を開けず訪問した、という事実は少なからず子供たちの慰めになるのではないでしょうか」


 勿論シリウスがそれを善しとするなら、新しい孤児院を建てるための寄付をすることも考えているし、それはやろうと思えばできる事だ。

 だが今はシリウスの保護下にあり、生活に不備もないし即座に路頭に迷うことはない。衣食住は当面保証されているはず。


 それよりも――自分達の事を、他の人たちも心配して気に掛けてくれているという事を直接知ってもらうことの方が希望になったり、糧になるのではないだろうか。

 カサンドラ個人の訪問に意味がなくとも、将来の王太子妃が再度訪問するとなれば国としても彼らの事をとても心配し憂慮しているのだと分かってもらえる。



「……正直に言えば、カサンドラが直接慰問してくれるなら有難い話かもしれん、一考の余地はある。お前なら帰宅ついでに馬車で乗り付けることも可能だ。

 だがフォスターの姉妹の申し出を即断しておいて、お前にだけ許可を出すのもな」


「それならカサンドラと彼女達も一緒に慰問してもらえばいいのでは?」


 ラルフの真正面から切り込む発言に、シリウスは難しい顔をする。


 ――リナやリタが”聖女”の素質を持っていることを三家の当主達は知っている。

 計画が失敗したとなれば、彼女達を問答無用で拘束して捕まえて、なんて無茶な方法で手に入れようとする可能性は否定できない。

 重要な人物であることには依然変わりないのだから。



 言葉を濁しているとは言え食堂で大っぴらに危険がどうこうなんて真剣な顔で話すのはシリウスも躊躇われるのだろう。



 その意図を汲んで、ここはやはり大人しくしておくべきなのだろうか。

 危険な事件があった後、して良い提案ではなかったのか。


 でも事情を知っていて。

 心に大きな傷を負った子供たちがいる――しかも一度カサンドラは彼らに会った事があるのだ。


 状況が落ち着くまで学園と屋敷を馬車で往復しているだけで良いのだろうか、と後ろめたさも感じる。



 本来なら王子の婚約者なんて看板を掲げて何かをしたいなんて思わない。

 だがそれしか持っていないなら、それがあの子達の少しでも支えになるなら、王家の威でもって臨むことを受け容れたい。


 特にシリウスや王子達が忙しく、とても彼らの様子を見に行ける状況ではないなら猶更だ。



「シリウス。」


 何故かラルフは言葉を濁し、黙すシリウスへ鋭い視線を向ける。



「彼女達が特別に外出してはいけない理由があるなら説明して納得してもらえばいい。

 それが現状できないということであれば、申し出を有り難く受け取れば良いと思うけど」



 ラルフの言葉はカサンドラにとっては援護射撃に聴こえるが、どちらかというと……



「ラルフ様、もしかして……怒っていらっしゃいますか?」



「大体の事情はリタから聞いたけれどね。

 どうやら自分が完全に蚊帳の外だったらしい上に、シリウスは何やら事情を知っていたと聞くし。

 これで何も感じないという方がどうかしている――と、思わないかな」



 仰る通りです、とカサンドラは苦笑いだ。

 というかナチュラルにリタを呼び捨てなのかと、関係性が変わった事を今更ダイレクトに気づかされることになる。


「勿論、君が悪意を持っていたなんて思ってないけれど」


 ラルフは何とも言えない表情で、もう一度グラスの縁に口をつけた。


「……。」


 カサンドラもシリウスが何を抱えどんな想いで過ごしていたのかという詳細な事情は未だに分からない。

 ということはラルフも同じような状態なのだろう、カサンドラ以上にモヤモヤとした想いを抱えているはずだ。

 それをシリウスが『皆が揃うまで待て』と言うからその意を汲んであげているだけであって。

 決して良い気持ちはしない心境でいるのは、分かる。


 だが詳細を説明できないのならカサンドラ達の孤児慰問を受け入れろ、とはラルフもラルフで無茶を言う。


 シリウスに負担をかけたくて提案したわけではないのだが、もしかして自分は余計なことを言ってしまったのだろうか。

 カサンドラの胸中にそんな不安が去来する。




「信頼できる護衛をつければ良い。

 ――そうだろう、シリウス。

 私だって時間さえ許せばあの子達に会って、この目で無事な姿を見たいと思っている。

 キャシーが代わりに訪れてくれるというのなら、私はその厚意に甘えたいと思うよ」  


 王子のやんわりとした言葉に、カサンドラはジンと胸が熱くなった。



「………信頼……ね」



 シリウスは一度眼鏡を外し、懊悩を顔に出す。


 

 言葉にはしないまでも、彼が思っていることは何となく分かる。


 三家の当主が自分達に敵対していることが事実だとすれば、一体誰が事情を知っている敵で、誰が純粋な味方なのかさえ判然としない。

 事情を知っているのが唯一シリウスだけというのはお粗末な気がするし、他にも三家の目論見の片棒を担がされている人間がいるのかも。



 信頼でき、カサンドラ達を絶対に守ってくれる人間は誰だ?



 だがそれを言い出したら、学園にいようが寮にいようが屋敷にいようが、安全地帯など無い。

 どこにいても、三家の出方次第で危険に晒され得る。


 全てを疑って縮こまって身動きが取れないまま自縄自縛状態も決して良策とは言えないのでは?




 眉間の皺を一層濃くしたシリウスは友人二人の視線を受け、諦めの吐息をテーブルに添えた手の甲に落としたのである。







 ※







 その日の講義が終わり、王子に指示を受けた通り校門前でリナ、リタと共に『彼』の到着を待っていた。


 いくら安全『だろう』と思われる期間でも、用心に越したことはない。


 自分達の身の危険を危惧するシリウスの気持ちは分かるけれど、リナもリタも、そして自分もまきこまれてしまった子供たちの事が気にならないわけがなかった。


 命が助かって翌日くらいまでは、どこか現実感がなく見知らぬ環境でも高揚感を感じながら過ごせるかもしれない。

 しかし次第に自分達の戻らない日々を思い返し、悲しく辛い想いに苛まれる事も多くなるだろう。不安な想いが少しでも紛れればいいのだが……



「良かったです、シリウス様が訪問の許可を下さって」


「私もこればっかりは許せなくて。

 ……リナ一人だけって言うのも心配だし、一緒について行きたいってお願いしたんです」

 

 リナとリタも終業と共に急いで駆け寄って来た。

 カサンドラの馬車に乗って慰問に行くということで、置いて行かれてはたまらないと急いだのかも知れない。

 まさか彼女達を置いて一人で向かうわけがないのに。



「カサンドラ様がお願いして下さったと聞きました、ありがとうございます!」


「いえ、子供たちの元気な姿を見たいと思ったわたくしの我儘なのです。

 ……シリウス様が懸念されていた通り、聊か不用心で軽率な提案だったのではないかとも思ってしまいます」


「大丈夫じゃないですか?

 ちゃんと護衛をつけてくれたんですから、安全安心ですよ!」



 リタはその護衛に対してこの上ない信頼を寄せているようだ。

 まぁ、人選としては間違っていない。


 少なくとも――彼は、自分達に敵対はしない事が明らかだし、王子達もそう判断したわけだ。

 シリウスも納得の人選である。

 



「――いやー、カサンドラ様ご無沙汰しております。

 突然の話で吃驚していますが、身の安全はお任せください」




 野太い男性の声が響き、カサンドラ達は雑談を辞めて同時に振り返る。 


 リゼの剣の師匠とでも言うべき、初心者剣術講座の講師に任命されたフランツ・ローレル。

 カサンドラも去年リゼに付き添うように講座に参加した時に会ったことがある。

 精悍で大柄な男性が口の端を引きつらせながら現れた。


 ロンバルドで剣を扱う人間は筋肉が盛り上がった男性しかいないのかという偏見を持つに至った剣士フランツ。

 

 彼は半分自棄になっているのか、笑顔を無理矢理貼り付けて自分達の前に立っている。

 毎週月曜日はフランツの講座が用意されているという話は聞いていたが、いつも受講しているリゼは今日は欠席だ。


 仕事がなくてラッキーと思っていただろう彼に、急遽舞い込んだのは――カサンドラ達の護衛役。




「フランツさん、本日は急なお話ですがよろしくお願いいたします」




「ええ、もう唐突なのは慣れました。

 はぁ……

 王子とヴァイルの坊ちゃんにお願いされたら、断れませんよ……」


 彼はボサボサ頭を武骨な手で掻き乱し、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。



 この間は例の闇取引会場に討ち入り。

 見事参加者全てを率いた部隊でひっ捕らえることに成功し、一躍時の人となったフランツである。



 ロンバルド家に仕えるはずの人間なのに、右へ左へ忙しい事だ。



 今度はこっちかぁ、と顔を覆って嘆くフランツの背中には哀愁が漂っていた。



 腕は確かだし、ラルフの要請を受けて部隊を動かしてくれた彼。

 三家の意図に沿って行動していることは無いだろう、今は彼の存在がとても有難かった。




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