第460話 平穏な週明け


 翌日、カサンドラは若干緊張した状態で通学のため馬車に乗っていた。


 一週間で目まぐるしく変わった自分の周囲の事を考えると、果たして以前の自分はどうやって一日を過ごしていたのだろうか?

 そんな根本的疑問にさえ突き当たってしまう。


 悠長に学園で勉強に励むなんて気持ちになれるはずもなく。


 今のカサンドラの思考は、三家の当主の次の行動の事ばかりであった。


 カサンドラの知っている本来の物語シナリオとは明確に変化が生じた。

 この先は全く未知の領域へ入る。

 思惑が全て失敗したということで、彼らが全てを諦めるのか――と考えると、カサンドラにはそうは思えない。


 こんな手間暇をかけてまで手に入れたがっている『聖女』を簡単に諦めるだろうか。



 しかし、カサンドラ達には今までにない希望がある。

 阻止したイベント――攻略対象達の大切な人を奪うことによって、それを実行した存在への怒りを生じさせる。


 本来友人である王子をいくら悪魔になったからと言って、一方的に倒すなんてフラットな状態の彼らなら出来ないだろう。

 その心理的抵抗を下げるため、王子は敵だったのだと思い込ませるために仕込んだイベントなのだと思う。

 

 そのイベントが失敗したどころか、その目的さえ当人達が知る事となったら絶対にジェイク達は王子を疑う事もなくなるだろう。

 仮に王子が悪魔になったとしても裏で仕組んだのは彼らだと分かっている以上、踊らされることもない。



 ゲーム内ストーリーである勧善懲悪のシナリオには、もはやどう足掻いても戻れない。



 三家当主が描いたシナリオはこの時点で破綻してしまったのだ。





 対するカサンドラ達は皆で同じ情報を共有し、同じ視点で同じ方向を向ける。

 彼らの野望を完全に阻止することも出来るのではないか?



 まぁ、全ては内情を知るシリウスの話を聞いてからの話だと思うけれど。



 あれだけの大事件が起こった週明けだ、どんな顔をしてシリウスと接すれば良いのか――



 カサンドラは表情を強張らせたまま教室に入り、自分の席に着席したのである。

  



 ※




 ――教室内は生徒が増えるに従い、先日の事件について密やかに噂話が重なっていく。


 特に例の闇競売取引を行っていた集団の事だ。

 他国のお偉いさんに始まり、国内有数の資産家、更に高位の貴族が数名一斉に捕縛されてしまったのだ。


 一応箝口令は敷かれているはずだが、王立学園に通う生徒達の中には当然その一件に関わった『家』の知人や親戚も通っている。

 付き合いや親交のある家も多かっただろう。特にクラスメイトだった生徒の実家もその件に関わっていたらしいとなれば一層姦しさは増す。


 とても彼ら全員の口に戸を立てることなど出来るはずがない。

 奴隷などの人身売買に始まり盗品や盗掘品、魔物の革で作られた衣類などの違法商品の競売を主宰ともなれば、この世の悪を集めて煮詰めたような腐敗組織である。

 それに何らかの形で資産家や貴族、他国の人間が関わっていたなんてこんなセンセーショナルな話もない。


 本来なら、三家でもその後に国政に与えるダメージや煩雑さから及び腰にならざるを得ない地下組織のようなモノ。



 なんとヴァイル家の御令嬢が被害に遭いかけたところをロンバルド家が従える分隊が乗り込んで捕縛したわけだ。

 そして身分の高低、重要度に関わらず法官達が公正に裁くとエルディム家がハッキリと宣誓したことでそれらの事件に一切関わっていない家の人間はその英断に喝采。

 後ろ暗いところがある家は、戦々恐々、どこまで追捕の手が届くかと生きた心地がしていない状態だと思われる。


 この件で三家自体も直系の貴族から逮捕者を出したものの、隠す事なく大捕物として白日の下に晒したことでむしろ身内に潜んでいた膿を出し、正義側という印象を与える事に成功している。




 朝の光景は、気を張って臨んでいたカサンドラの想いとは裏腹に――

 思った以上に、普通だった。


 王子、ラルフ、シリウスが一緒に教室に入り、皆に質問攻めされる。

 それは予測で来ていた光景で、彼らも軽く躱すことなど慣れ切ったことと言わんばかりの対応であった。


 もっと緊張感溢れるピリピリした登校風景になるのかと思いきや。

 彼らは相変わらず泰然としており、先週までと変わらない様子で共にいる。


 もしも不穏な空気が流れていたらどうしようかとドキドキしていたけれど、杞憂に終わった。

 彼らの中でどのような折り合いがついているのか、はたまたどこからどこまでの情報を共有しているのかは外からは分からない。


 だが少なくとも、シリウスが王子やラルフと険悪な雰囲気でないことだけは見て取れた。


 リナが彼の事を信じて欲しいと必死に訴えてきた事を思い出すと、表面上だけでも変わらぬ日常が広がっていることに安心するではないか。

 一体週明けにどんな状態なのか不安で、未来予想図は暗闇で塗りつぶされていた。


 だけどこうやって、リゼとジェイク以外は皆揃って登校できていることが嬉しいと感じる。






「王子、大丈夫ですか?

 随分お疲れのように見えますが」


 特に変わり映えの無い日常の一部。

 王子に話しかけられ、廊下で互いの近況を報告し合う、カサンドラにとっては心の洗濯に足る時間である。

 愛称と共に話しかけられ、一緒に歓談する光景はクラスメイトもすっかり慣れたものだ。


 だが、隣の窓枠の傍に立って微笑む王子の表情が近くで見れば見る程疲弊している。

 遠目から見てるだけでは華々しいオーラに誤魔化されるところだ。


「大丈夫だよ――と言いたいところだけど。

 キャシーに隠し通せるわけがないね。

 指摘の通り、過去一番疲れているかもしれない」


 はぁ、と彼は珍しくそう呟いて肩を落とした。


 普段どれだけ疲れていても、辛くても決してそれを他人に見せる事無く三百六十日ずっと平然とした佇まいの王子である。

 そんな彼が弱音を吐くように「しんどい」という状態を自ら肯定したことに驚く。


「差し出がましいこととは存じますが、せめて午前中だけでも医務室でお休みになられてはいかがでしょう。わたくしが随伴致します」


「ありがとう、本当に倒れそうになったら連れて行ってもらうよ。

 こうやってキャシーと話をしていれば、元気になれるから。まだ平気かな」


 立ち話を強要しているようなものなので、逆に疲れてしまうのでは!?

 と、カサンドラはどっと背に汗を掻いた。


「調子が悪い時に正直に悪いって言えると、こんなに気が楽になるとは知らなかった。

 少し前の自分だったら、とても言えなかっただろうから。


 ……そうだね、君に甘えてしまっているのかもしれない」


 そりゃあいくら強靭な身体や不屈の精神を持っている人間でも、疲れる時は疲れるし辛い時は辛い。


 きっと王子は今まで、大丈夫ではない時も心配されたら大丈夫だと答えざるを得ないような毎日を送っていたのだと思う。


 微笑む彼の顔を見ていると、何だか凄くドキドキする。

 そうやって本心を普通に伝えてくれるくらいには、信用されている――親しくなれたのかも知れない。






「……このまま、普通に過ごしても大丈夫なのでしょうか」

   


 朝、再びこうして王子と話が出来ているだけでカサンドラは幸せだ。

 この先の全く五里霧中な未来を想うと足が震えそうになるけれど、王子も自分も破滅することなく。

 そして皆が幸せのまま過ごすことが出来るかもしれない、そんな希望を感じる事が出来るから。


 ああ、これが現実なんだ、と安心できる。



「その、彼らが計画の失敗を知って、別の方向から何か仕掛けてくるということは……」

  


 可能な限り声の大きさを落とし、カサンドラは一番の不安要素を口にした。


 シリウスは自分の知っていることを教えてくれると言っていたらしい。

 しかしリゼ達が一体何日後に戻って来るかは定かではない。

 事態が収束したらすぐに王都に戻ってくると思うが、あと数日このまま宙ぶらりんの状態が続くのかと思うと居心地が悪かった。


「キャシーの心配も分かる。

 しばらくの間、とても彼らはそんな策謀に頭や人員を使っている暇は無いだろうね。

 それは私とシリウスの見解が一致しているよ。

 ……私も昨日一日、あんなに目まぐるしく城内を行き来したのは初めてかもしれない。


 国内の問題に留まらず、他国の重鎮も城に拘留している状態でね。

 他に関わっている貴族などはいないかの追調査も重なって、王城内は上を下への大騒ぎだから」


 計画――当初の思惑からは外れてクレアも孤児院の子ども達も生きている。

 だが、その結果に拘って別の一手を実行するだけのリソースは三家の当主には無いだろう、ということだ。


「そんなにも大掛かりな事態になると分かっていて、何故彼らは重要イベントにそれを選んだのでしょう」


「どこから見ても、あの”仮面舞踏会”に参加した者達がしてきたことは悪の所業としか言いようがない。

 奴隷や人の命の売り買いだけではなく、言葉にするのも悍ましい取引もあった。


 実は悪魔と化した自国の『王子』がそれに関わっていたという噂が広まってしまえば――

 私が聖女によって倒されたことを、民衆は挙って歓喜するだろう。

 悪の象徴として皆から恨まれ、誰にも省みられることもなくなる。

 私に消えない悪評を擦り付けるのに都合の良い組織だったのではないか……と思うよ」


 ひそひそ、と王子がカサンドラだけに聴こえるように耳の傍で囁いた。

 かなり戸惑いを含んだ言葉ではあったが……



 クレアを生贄のように扱い命を奪いラルフの憎悪を掻き立てつつ、その闇取引を誘引していたのは全て王子! 悪魔に操られた王子のやらかした事だったのだ!

 と、都合よくあらゆる矛先を向け、そのまま沈めるに丁度いいと考えたのかもしれない。



 こんな大がかりな――とカサンドラは自分で口にして気が付いた。

 そう言えば、元々のシナリオでは闇取引の会場にいた人間を一網打尽に捕まえたわけではない。

 姉の足取りを辿ったラルフが単身会場に乗り込んできた事を契機に、多くの参加者が蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったはずだ。

 ラルフは会場の隅に打ち捨てられた既に息絶えた姉を見つけ頽れ。冷たい彼女の体を掻きいだく。それが彼の口から語られるイベントであった。


 だが今回はクレアは無事だし、たまたま通報を受け待機していたフランツの部隊が会場に参加していた人間を全員逮捕したわけだ。


 関わった者全員捕まえる、という事態が先方にとっては予想外なのかも知れない。

 国際問題にならないよう、敢えてとり逃がすはずだった他国の貴族まで騎士団に引っ立てられたとしたら――それは三家も予想出来ない大騒ぎになるかも。


 結果的に彼らの描いた通りのシナリオにはならないばかりか、ただただ違法組織摘発によるその後処理のゴタゴタに予想以上に政務関係リソースを大幅に割かれ国政に影響が出そうな騒ぎにまで発展してしまった。



 カサンドラから見ればそんな人間が捕まって正しく裁かれ、多少国内で混乱があったとしても王国が概念的な意味で『綺麗』になるのなら全く悪い結果ではない。


 実は全部王子の仕業でした! なんて後出しじゃんけんのように”敗北”を強いられることがないのなら。

 クレアの命を売り買いし、皆の前で楽しく死にゆくさまを眺めようなんて悪趣味極まりない人間達が法の裁きを受けるのは願ったりかなったりだ。




 つまり現状、彼らは自分の弄した策に足を引っ張られている。



 聖女問題に改めて本腰を入れられない状態なのか?

 時間的猶予があると王子もシリウスも判断していることは、安心できる材料であった。




「実際に私もシリウスもその件の余波を受け、深夜遅くまで文官達の手伝いをしていたわけだから。

 今の王城の混乱ぶりは誰よりも実感できているよ」


 王子は珍しく、やや倦んだ表情で溜息を落とす。

 相当神経を使っていたのか、ただ忙しいと言うだけではなく一国の政務の一端を担う存在として慎重に立ち回る場面も多かったのだろう。

 彼が音を上げる事態というのも珍しい。



「アレクが言っていたように、この世界が何度も繰り返されているのなら……

 過去の私はいつも、この事件の後は忙しくしていたのだろうね」


「ええ、仰る通りかと。

 ここまで大規模な捕物にならなかったにせよ、彼らは裏で闇競売の主宰やクレア様殺害の罪を着せるような工作にも忙しかったのでしょうから……

 王子にも影響があったと考えられます」


 王子が懸命にクレア殺害という一大事件の対処に奔走している中、彼らは裏で舌を出しながらどうやって王子のせいにしてやろうかと細工をしていたのだろう。

 一生懸命王城内を駆けずり回る王子を、自分の悪事が露見しないように必死だったと印象付けるよう仕組んでいたのかも。



「……。

 これだけ宰相たちに協力を続けているのに、その都度背中から斬りつけられるような事をされてきたのか……

 流石に、少々思うことも出て来るね」



 うーん、と王子は顎に手を当てて眉を顰める。




 聖人君子としか思えない王子様だが、優しく我慢強いというだけではなく当然、不満を抱くこともあるのだ。




 先程の”疲れた”発言と併せて、今まで見えていなかった彼の姿は、限りなく自然体に近いものなのではないだろうか。 





 彼もまた、皆と変わらない十六歳の男子だ。

 立場に相応しい振る舞いをいつも強いられていて、それが常態になっていて中々見えてこない、彼の”素”。





 ほんの少しそれが垣間見えただけなのに、心が暖かくなった。







 

      もっと知りたい。


      明日明後日の彼だけでなく


      一年、五年、十年先の未来の彼も全部込みで。



 

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