第459話 朗報・Ⅱ


 カサンドラは早くこの話を王子やアレクに伝えたい、と。

 いてもたってもいられない焦燥感にかられた。


 数多の偶然が、初めてこの『現実』を動かし本来の物語から方向を変える事が出来たのではないか。

 全てが解決したわけではないけれど、自分達にとっては大きな一歩だと思う。


 今まで救えなかった人の命を救うことが出来た。

 卒業の日まで決して叶うことのなかった想いがこんなにも早い段階で結実する――完全に、本来のゲームの枠を跨いで超えることが出来たのではないだろうか。


 このゲームの主旨はあくまでも主人公達の恋愛に主軸が置かれていて、そこに至るまでの物語だった。

 目的を達成してもなお、自分達はこうして今を生きている。


 もしかして――


 攻略対象のタイプではない、聖女にならない組み合わせの恋愛でエンディングを迎える事が出来れば王子は悪魔にならなくて済むのでは?


 今になってその事実に気づいた。



 聖女にならない場合は卒業パーティの後、告白して想いが叶って『Fin』という文字が画面に刻まれてその周回が終わる。

 当然聖女になっていない以上、悪魔を倒す最終決戦も無しだ。


 ――残念ながらその場合でも恋愛イベントの過程でアンディやクレア、孤児院の子ども達、最初の隊商やその他地方、王都で起こる様々な出来事で犠牲になった人はいる。今まで生じた事件の謎が残ったまま、投げっぱなしエンドと揶揄される状況に陥るわけだ。


 でも防げるだけの悲劇を救いつつ、聖女と悪魔の最終決戦さえ起こらなければ――それこそカサンドラの思い描く未来なのでは?



 そうか、案外単純な話だったのか……

 カサンドラはそう得心がいって、うんうん、と頷く。


 ここで自分が追放されるなんて憂き目に遭わなければ、皆揃ってエンディングを迎えられる。

 その先の未来に行くことが出来るなら、それが自分にとってのベストエンディングではないだろうか。


 ただ……その場合は三家の当主の存在、企み自体が潰えるわけではない。

 いつ何時なんどき聖女が目覚めるか分からないだけ。


 ゲーム内で示唆されなかっただけで、案外すぐに聖女の力が目覚めてしまうのかも。

 そして王子が三家の当主の手によって無理矢理……という最悪な事態に発展する可能性も決して捨てきれないわけだ。


 分からない。

 ただ相性の良い組み合わせで無いと聖女になれない、という真実があるのなら――

 今の状況は考え得る限り最良の選択だったと考えられる。



 結論が先延ばしになってしまっただけ?



 でもそれだとアレクの証言と微妙に合致しないような気がするのだ。


 もう耐えられないと救いを求める程、何度も王子が悪魔になってきた最後を体験して来たはずだ。


 いくら相性の良い相手と言ったところで、そう毎回好みの相手を選ぶだろうか?

 好みのタイプなのは相手であって、主人公が誰を選ぶかはその周回次第である。


 その上、高確率で最終決戦、真エンディングを迎えられる……なんてラッキーが起こり得るのだろうか。そこまで難度の低いエンディングではないはずだが?



 リタの報告に喜びつつも、カサンドラの心境は大きく上下に揺れていた。


 

 リナとシリウスだって、どこかの周回で告白が受け入れられていたこともあったはずだ。

 何十何百という巻き戻りの世界でそんな周回があってもおかしくない。

 特定の組み合わせでエンディングを迎えたら全てが解決するのなら、とっくの昔にリナはこの世界から抜け出しているのでは?

 現にシリウスとのイベントの事もどこかで体験し微かに覚えていたら既視感を抱き、その事実に絶望していたと言っていた。





   それでも、世界は繰り返している。




 うーん……

 分からない。


 そもそも今カサンドラが生きている世界は、今まで自分が転移直前まで遊んでいたゲームの世界で。


 だが単純明快で分かりやすいシナリオは、実は裏で三家がそうなるように皆を誘導していたということになった、この世界特有のバックグラウンドを持った異なる世界でもある。

 要は世界ごと組み替え再構成された、壮大で遠大な『二次世界』と言い換えても良いと思う。


 表面上起こった事はゲームのまま、システムも限りなくゲームに寄せたもの。

 三家なんて設定もそうだが、製作者の想定する正史かそうでないかに関わらず、そういうモノと決められた。それを実現可能な範囲に押し上げ、構築された世界。



 永遠に 何度やり直しても

 予め決められたエンディングを迎えるためだけの世界……


 学園生活を何周しても同じイベント、結末が起こるように裏で仕組まれた世界。



 停滞した三年に閉じ込められた、キャラクター達。





 それに気づけたというだけでも度重なる奇跡が起こった結果なのだけど。

 こんなの普通に生きていたら主人公側が気づけるわけもないし、他の誰かが気づいたところで三家の思惑を正確に潰せるわけがない。





 腕組みをして悩んでいる最中、コンコンと扉をノックする音が響き渡った。



「姉上、ただいま戻りました」



 外出していたと言っていたアレクがどうやら帰宅したらしい。

 丁度良いタイミングだ、とカサンドラもホッと胸を撫でおろす。

 リタもいることだし、彼女の話も聞いてもらえる。



 音もなく静かに、スッと開いた扉。

 銀髪の少年アレクは、こちらの様子を視認した瞬間怪訝な顔で首を捻った。


「お二人とも立ったまま、どうかされたのですか?」


 言われてみれば、感極まってぐいぐい押して来るリタの勢いに呑まれたまま。

 この部屋に入ってからまだ一度もソファに座っていない。


 ソファ前にすら辿り着いておらず、向かい合ったまま話し込んでいた自分達の姿を客観視したカサンドラは苦笑いを浮かべた。


「少々話込んでしまいました。

 リタさんから、とても喜ばしいご報告を受けましたので」


 前日までずっと気がかりで、眠れない夜を過ごしていた事の一つが解決したと飛び込んできたのだ。

 人目を気にしなくていいのなら飛び上がって手を叩いて喜びたい事実ではないか。


「それは奇遇ですね、僕も同じなんです」


 アレクはニコッと微笑み、廊下で待機していたらしい『誰か』を手で招く。

 彼が誰かを連れて来ていたとは思っていなかったので身構えるが――

 

「あ、リナ!」


 リタが両手を挙げて声を上げ、三つ子の妹に駆け寄った。

 彼女の言葉通り、アレクに促されて姿を見せたのはリナである。


 リタと全く同じ顔だが、やはり並ぶと全く雰囲気も違う別人にしか見えないのが不思議なものだ。

 すっかりクラスメイトも慣れてしまって、早い段階から自然に彼女達を見分けることが出来るようになっていたと思う。


「お邪魔します、カサンドラ様」


 頭を下げ、にこっと微笑む彼女は若干疲労の色が見え隠れしている。

 リナもまた、リタやリゼの事が心配で眠れなかった一人なのだろうか?


 いや、アレクが”僕も同じ”と言っていた事を思い出す。

 何が同じなのだろう。


 まさかリナも――


「ようこそおいでくださいました。

 是非、リナさんのお話を聞かせてください」


 どのみち、リタの話は皆に聞いて欲しいと思っていた事だ。

 丁度事情を知る面々が集まってくれた幸運に、カサンドラはようやくゆっくりと腰を据えて話をするきっかけを得たのである。





 ※





 アレクがリナと一緒に現れたのは、決して偶然ではなかった。


 カサンドラが朝食を食べることが出来ず離席した後、アレクは給仕から世間話の一環として――

 王都内のある場所で近年で類を見ない大捕物が行われたこと、そして大きな火事が起こって施設が完全に燃え尽きてしまったことを知った。


 ただでさえ王都は警戒態勢が敷かれている、不穏な事件は一夜にして王都中を駆け巡ったのだという。

 朝市に食材に向かった使用人が小耳に挟んだ情報、それが巡ってアレクの耳に入った。


 当然、火事それが何を意味するのかアレクも良く知っているはずだ。


 大捕物――要はリタが絡んだ事件についてはある程度予測で来ていたものの、火事については完全に虚を突かれた形になった。

 『まさか』と慌て、彼は事実を確かめるために火事現場へと馬車を向かわせる。


 孤児院ではなく、別の施設であってくれ、と願いながら。


 何の前触れもなく、シリウスに纏わる孤児院のイベントが完遂されてしまったのかと。

 半分以上諦めかけていた彼は、黒焦げになってとても生存者など望めない孤児院だった建物を前に絶句した。


 カサンドラの話にあったように、孤児院の子ども達は皆三家の企みによって火事に見舞われ、命を落としてしまったに違いない。

 一体この話をどうカサンドラに報告するべきか、馬車の中でアレクは頭を抱えていたのである。


 折角リゼやリタが悲惨な出来事の結果を変えようと動いていたのに、そちらにばかり気をとられていたせいで――……




 帰路についたアレクの馬車の横を、一人の少女が同じ方向に向かって歩いている姿を発見した。

 彼女に何と声を掛けたら良いのかわからなかったが、無視して通り過ぎる事も出来ない。

 アレクは忸怩たる想いで、車窓から「どちらへ?」とリナに声をかける他なかった。


 『カサンドラ様のところへお伺いする途中です』と予想通りの答えを返され、同乗を提案したアレクである。

 が、先ほど目の前で見てきた光景を隠し通せるわけもない。






「馬車の中で、彼女から事の顛末を聞かせてもらいました。

 結論から言えば、孤児院は全焼しましたが子供達の命は無事です。

 火傷など外傷を負った子供もいますが、元気で過ごしているそうですよ」




 喜色混じったアレクの言葉を受けたカサンドラは、緑色の目を大きく見開きリナを凝視する。

 ニコニコといつも通り微笑むリナ、彼女の言うことが確かなら……

 見落としかけていた攻略対象に関わる最後の事件を、彼女が阻止した事になる。



「リナ、凄い!

 私、自分の事に精一杯でぜんっぜん気づかなかった……!

 リナがいなかったらとんでもないことになってたかもしれないじゃない」



 リタも当然驚いていたが、隣に座るリナの肩を大きく揺すり手放しで褒め称えた。

 それはカサンドラも同じ想いだ。


 ジェイク、ラルフの周辺で不穏な動きが起こりそうだとは思っていた、そこでシリウスだけ何もないというのは確かに不自然である。


「アンディさんやクレアさんの身に本当に危険が迫っているのかも分からなかったですし……

 絶対に何かしらの事件が起こるとも言いがたい状況でした。

 私が孤児院に滞在したのは、偶然に近かったです」


 全てが自分の知っていたイベントの断片、条件を積み重ねた推論の上の行動だった。

 確信を持って何かが起きる、という自信が誰にもなかった。

 そんな頼りない状況でも彼女達が実際に動いてくれたから、信じてもらえたから。

 一歩前に気づき、防ぐことが出来たのだと思う。


「ここまで事件が重なったのなら。

 姉上が再三仰っていたいように、ティルサでも同じようなイベントが発生したと考えた方が自然でしょう。彼女が防ぐことが出来たのかどうかまでは分かりませんが……

 時期こそずれているものの、仕組まれていた事件が発生した。

 それだけは確かだと、僕も思います」


 アレクも嬉しそうだ、抑えているが声が弾んでいるように聞こえる。

 彼からすれば何度となく繰り返していたこの三年間の中、今までと全く違う展開を迎えているのだ。

 そんな状態で興奮するなという方が酷なのかもしれない。


 しかも孤児院が火事という現実を目の当たりにして「もう駄目だ」と絶望していた時からの逆転現象である。

 浮かれるのも当然だと思われた。


「じゃあ、後はリゼがどうなったかってだけですよね!」


 リタはやや興奮気味にそう言い、立ち上がる。




「実は……

 まだ、アレク様に申し上げていない事があります。

 ……。


 今まで起こっていた事は、カサンドラ様達の仰る通り――御三家の当主が中心となってたてられた計画に沿ったものであることは間違いありません」



「リナさん?

 あの……

 まだそれは検証することも難しい、仮説の段階なのでは」




 するとリナは、それまで見せていた笑顔を引っ込める。

 緊張した面持ちで俯いて……



 カサンドラがチラと考えた、そうであって欲しくない、という予想が当たった事を教えてくれた。





「私達が聖女になり得る人間であること、そしてご当主の方々がその力を利用しようと考えていたこと。

 それらをシリウス様はご存知だったそうです」




「………えええ!? リナ、何言ってるの!?

 な、なんでシリウス様がそんなこと……

 え? 全部知ってて、それで……こんなことをしたの!?」




「成程、シリウスさんが監視役だったのですか。

 ……まぁ、事情を知っている近しい人間でもいないと、こうも上手く誘導できるとは思えないので僕としては腑に落ちます」


 アレク自身、誰か協力者がいるのではないかと疑っていた。


 三家の人間が王妃やアレクを謀殺したとシリウスが知っていたとするなら――王子が彼を最初から警戒して過ごしていた状況は決して思い過ごしでも勘違いでもなかったということだ。

 過剰な反応というわけでも。



「シリウス様にお話をお聞きしたいです。

 何故、そのような――」


 胸がつかえて、カサンドラは言葉を詰まらせた。

 

 彼が王子を悪魔にしても構わないと言う気持ちでずっと過ごしていたのかと想像すると心が引き裂かれそうだ。

 一体、彼は今までどんな気持ちで……!



「シリウス様も今の事態を決して望んでいたわけではありません。

 知っていること全て話したいと仰っていました。


 お願いします!

 どうかシリウス様の事を信じて頂けないでしょうか」



 リナの懸命な訴えに、アレクと思わず視線を交叉させる。



 ここに彼を呼んできてあれこれ問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。


 彼が完全な悪意を持って今まで自分達に接していたとはとても思えない。

 孤児院の子ども達を手に掛けてまでそんな非道な行動を採るなんて、そちらの方が非現実的な話ではないか。


 順当に考えれば、彼にはそうせざるを得ない事情があったとしか思えない。

 しかし、この場に彼がいないのなら勝手に想像を巡らせてもしょうがないわけで。



「信じる……も何も、実際にシリウスさんにお話を聞かないことには判断がつきませんよ」



 明らかに戸惑った様子でアレクはそう返答する。



「シリウス様は今、住むところを失った子供たちが過ごせる場所を手配するため奔走されています。

 また、クレア様に関わる闇競売を主導していた組織の件でも後処理に加わる必要があると……

 事態が落ち着いた後、改めて皆様とお話をしたいとの事でした」

  


 大事件が同時発生してしまい、一夜明けた今日、王城内が大騒ぎであることはカサンドラの想像に難くない。


 それを放り投げて――というわけにもいかない、か。

 当然王子もその事後処理の手伝いをすることになるだろうし、流石に今日レンドール別邸へ顔を出せる状況とは考えづらい。




「私、自分の知っている事やカサンドラ様に教えて頂いたこと、シリウス様にお話ししたんです。

 困っているのは自分一人だけじゃないって知って欲しくて」





 例え何か人に言えない事情を抱えていたとしても

 誰にも相談できない、と一人で何とかしようと足掻こうとしていたとしても


 躊躇いを抱えているのは決して自分だけではない。




 超弩級と呼べる、カサンドラやリナ、そしてアレクの話――

 平常時に唐突に聞かされたら「何をわけのわからないことを」と一蹴されてしまいそうな話。


 証拠を見せろと言われても困難なのだ、それを見せ終わるころには全てが終わってしまっている、という状況だから。

 信じてもらうことがとても高いハードルだと、リナもカサンドラもずっと口を閉ざすしかなかった事。



 そんな話を聞かされたシリウスは果たして何を思ったのだろう。





「ご自身が今までずっと悩んでいたことは何だったんだと仰っていましたよ。

 閉じた世界で、いつまでも何度も、一人で悩んでいたのかと」

  






  シリウスはいつも通り――皮肉げな笑みを浮かべ、独り言ちた。

  黒い瞳に、憤りの炎を立ち昇らせながら。






  まるで  道化ピエロじゃないか  と。







 ※






 ――全員揃ったら今後の事を話し合いたいそうだ。 





  どうせ長話になるなら、一度で済ませたい。




 リナ伝いに聞かされた彼の要望を受け、カサンドラはぐっと下唇を噛み締めて唸ってしまう。





 実際に何度も何度も同じ説明を繰り返してきたカサンドラには、彼の気持ちが分かり過ぎる程よく分かるからである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る