第457話 <シリウス 2/2>
――冗談じゃない。
シリウスは父の計画とやらに唯々諾々と従う気は無かった。
ただ、聖アンナ教団でも殆ど知られていない百五十年前の『真実』に触れる機会があったのは知的好奇心を多少は満足させた。
聖アンナや悪魔の詳しい話は国内でも殆ど文書という形で残っていない。
それに関してはおかしいと思う事はあった。
聖女が悪魔を倒したという”ふわっとした”言い伝えは御伽噺の語り口のようであり、どこか現実味が薄い。
しかし聖女の歴史や今までの経緯がどういうものであれ、シリウスに課せられた父からの依頼が変わるわけではなかった。
そもそも父の言い分、彼が頑なに信じている話が真実なのかさえ確かめようがなく、確かめようがないからこそ言葉だけで彼の思考を変えることは困難であった。
こんなにも思い込みの激しい、頑な人間だとは思っていなかった。
多少なりとも話が分かる人物だと思っていたのだが――
しかし他人を言葉で変えることは極めて難しい、特に立場が上の相手であればそれは顕著だ。
少なくとも彼を納得させるだけの何かを提示させなければ、最悪の結果が待ち受けるだけ。
シリウスは学園に入学する日が、憂鬱でしょうがなかった。
学園の中で自然に男女が仲良くなるケースは多いだろう。
聖女の動向を監視し、恋愛がうまくいくよう誘導する――それが無理なら、状況を正確に報告するようにと厳命を受けたのだ。
それだけでいいのか?
もしかしたら自分がその聖女とやらを所謂”たらし込め”というとんでもない依頼かと思ったが、エリックは声を上げて笑った。
「ははは、お前にそんな芸当など端から期待しておらんわ。
まぁ、お前が恋愛の相手に選ばれると言うのであれば腹を抱える面白い話だが、相手の好みにも左右されるのだからな。
工作は要らん。上っ面の言葉でどうにかなるものでもない。
一応、選ばれやすい状態にはしてあるつもりだがな」
「……選ばれやすい?」
父は頷いた。
シリウスにもジェイクにも、ラルフにも――婚約者がいない。
それはケルン王国の王太子のゴタゴタに巻き込まれているからだと思っていたが、実際は違うようだ。
この歳まで婚約者がいない男子生徒というのも、言われてみれば珍しい。
高位貴族ともなれば猶更。
「人のモノに手を出すような人間など、聖女でなくとも受け入れがたい。
その点、お前たちは今の段階では誰と契約を結んでいるわけでもない、選択の範囲程度には入るだろうよ」
確かに、もし正規の婚約者がいたら普通の常識のある女生徒なら近づこうとも思わないだろう。
決まった相手がいないクラスメイトとなれば、接触する機会も多いかもしれない。
それをキッカケに親しくなる可能性が無いとは言えない。
だがそんなことのために今まで自分達に許嫁がいなかったのかと思うと顔に出さないまでも辟易とする。
シリウスにとっては非常に面倒なことだ、とうんざりする事態ではないか。
定まった相手がいないということは、間違いなく他の女子生徒からアピールを受けざるを得ないと言う事だ。
有閑マダムの密やかなる噂で、自分達は学園で相応しい相手を選ぶつもりらしい、なんて要らない尾鰭までついている。
そんなにうまくいくものか、とシリウスは心で何度も毒づいた。
父にとっては上手く行こうが行くまいが――”消す”対象が変わるだけ、どちらでもいいことなのかもしれない。
その余裕に、腹が立った。
手綱を渡されたシリウスはどちらの道に行くのかも分からず、五里霧中だと言うのに。
※
まさか――と、シリウスは愕然とした。
聖女の資質を持った特待生が三つ子だとは思わなかった。
※
正確な状況を知ったシリウスはしばらく眠れなかった。
たった一人の女生徒を『保身』のために死なせてしまうだけでも寝覚めが悪いと言うのに、まさかの三人である。
三人同時に救えるか? となるとシリウスはそんなことは絶対に無理だと頭を抱えるだけ。
どんな奇跡的な状況が揃えば、三つ子が聖女になるという状況が成立するのだ?
考えるだけ無駄だとさえ思える。
こうなったら友人であるアーサーの命だけでも守る方向で進む方が良いのではないか。
入学前から終わりが見えた気がした。
彼女達に『この学園から逃げろ』と言えば良いのか?
……それが一番手っ取り早いような気がするが、あの父のことだから国内逃亡では危険な人間が野に解き放たれたと流布し草の根を分けてでも探し出すだろう。
かと言って別の国で生きろと手配すれば、お前は聖女になり得る人間を国から意図的に逃したのかという追及は免れない。
利用できる者なら利用するというスタンスの父の目をいかに欺くか?
シリウスは悶々とした日を過ごしていた。
――もう一つシリウスに課せられた使命があった。
アーサーとカサンドラの動きを監視するというものだ。
王家とレンドール侯爵家が結託し、影響力を増すことも阻止しなければいけない。
聖女の力でアーサーを亡き者にするという恐ろしい計画が万が一遂行された場合、婚約者であるカサンドラも連座的に断頭台に送ることは可能だ。
だが当然のように計画がならず、アーサーが予定通り国王に立つなら――カサンドラの後ろ盾、実家のクラウス侯の存在はとても鬱陶しい。
何とか彼女を排除できるよう、ネタを集め弱みを握り、レンドール家ごと沈ませるような一手を考える事。
アーサーには三家から別の女性を正妃にするよう迫れば良い。
聖女計画とは平たく言えば、彼らにとって都合の悪いもの全てを一挙に消し去ることである。
そんな限りなく都合の良い話が実現しなければ、通常のあるべき未来へ向かう。
失敗しても「惜しかったな」と思うだけで、是が非でも手に入れなければ即座に国が傾くこともない。
動機の無い、無差別殺人犯を捕まえる事は困難だという。
それに似ている。
自分は直接手を下すわけでもないのだから、余計に発覚しづらい。
何も起こらなければ、ただ三つ子が卒業後の進路の先で事故に巻き込まれて亡くなってしまうというだけ。
そこにエリック達の意思が働いたことなど分かるはずもない。
仮に聖女の力に目覚めたとすれば、悪魔となった王子を倒した功績を持つ彼女をそのまま三家が手に入れる。
しかし――
アーサーのためとはいえ、三人の女生徒を見殺しにしなければいけないという事実はシリウスの良心を責め立てた。
当事者であるジェイクやラルフに相談すれば良かったのだろう。
出来なかった。
命の選別の責任を彼らにも負わせるのか?
――こんな話を諾したのかと彼らに軽蔑されてしまう可能性もある。
……彼らの反応が分からず、言葉を呑み込んだ。
シリウスは彼らに拒絶されることは何より嫌だと思った。
これを契機に自分達の関係性が変容してしまうことを恐れた。
自分が何とかしかなければ。
自分が責任を持って、結末を決めなければ。
まだ、何とかなる。
自分をそう騙し騙し、誤魔化して。
自分にとっての最良とは何かを、ずっと探し求めていた。
※
この事態を恐れていたのか、望んでいたのか、シリウスは頭を抱えた。
ジェイクはリゼを好きになってしまった。
ラルフもリタを選んでしまった。
………選んで、しまった。
そこに自分の介在する余地など無く、あまりにもスムーズに。
『カサンドラは自分達にとってとても都合の良い存在だから』と牽制はしていたが、本当に彼女の存在は大きかった。
予想だにしない早さで、彼らの仲は急速に進展していったのである。
どこから見ても想い合っている状態という、あと一押しがあればそのまま――
という緊張感溢れる事態まで追い詰められてしまった。
父はその結果に大変満足していた。
カサンドラが自分から断頭台に登る行いをしていることを嗤った。
自分はとんでもないことをしようとしているのだ、それに協力してしまったのだ、と。
後悔した時にはもう遅かった。
『シリウス様』
気が付けば自分の心の中には、彼女が住み着いていた。
傍観者であるはずの自分が、いつの間にかその渦中にすっかり足を踏み入れていたことに気づいて蒼褪めた。
穏やかで優しく、そして努力家な
自分でもわけがわからなかった。
何故だろうと考えても上手く言葉にすることが難しい。
理屈で割り切れることではなく、自分でもコントロールできない。
この感情を恋だの愛だのと定義づけることが出来るとするなら、成程何と不安定な状態だと言うのか。
聖女という存在を利用したくても、それが個人的感情に基づく力であるがゆえに慎重に慎重を期し、人知れず無かったことにする――
という父の方針も分からなくもないな、と自嘲した。
自分が身を以て知ってしまったからだ。
それが故に、一層シリウスは悩みの沼にハマってしまった。
このまま、もしも事が運べば――アーサーは父の手によって破滅してしまうことは想像に難くない。
だが自分さえそれから目を背ければ、ジェイクもラルフも想いが叶う。
三つ子も助かるのではないか?
あまりにも利己的な考えがチラつく自分が嫌になった。
それでも時間は過ぎていく。
せめて巻き添えを減らそうとカサンドラを引きはがそうとしても無駄だった。
……結局自分は、都合の良い未来を淡く期待し、しょうがない、という言葉で友人を犠牲にしようとしているだけだ。
焦りが募る。
想いばかりが先へ進む。
このまま、時間が止まれば良いと思った。
皆で普通に、一緒に過ごせる時間がずっと続けば良い。
進級もなく卒業もなく、この不安定だが居心地の良い優しい世界の中でずっと過ごすことが出来たなら。
まだ何も始まっていない。
今なら誰も失わずに済むのではないか。
三つ子もアーサーも決して両天秤にかけるものではなく、今の段階で少なくともリゼやリタはジェイクやラルフに――要は三家に惜しみなく協力してくれるはずだ。
二人も聖女になる可能性を秘めた存在が現状手の内にあるのなら、わざわざアーサーを犠牲にせずとも体制側の圧倒的優位は変わらない。
計画はここで終わりで良いではないか。
現状維持のままでも、十分な成果だ!
この先仮に聖女が目覚めたとしても、父が憂慮する事態にはなりえないのだから。
※
だがそんなシリウスの
自分が甘かったのだ。
「シリウス、お前は良くやっている。
このように早く次の段階に進める事が出来るなど、想像もしていなかったぞ」
彼は珍しく上機嫌だ。
こんなに直接的にシリウスの事を褒めたのは、初めてのことではないだろうか。
「次の……段階?」
シリウスは眉を顰めた。
「ああ、そうだ。
いきなり王子が悪魔に変貌したと言ったところで、ジェイクやラルフと言ったアレの友人は簡単に信じはしないだろう。
恐らく裏があると考えるはずだ。
そこまでいかずとも、悪魔と化したアレを倒す際、躊躇って人的被害を想定以上に広げる――という可能性もあろう。
……事前に、不審のタネも蒔いておかねばならん。
彼らがアレと敵対するに足る、大きな
早い段階で――アレが悪魔に蝕まれていたと推測される伏線、それらを施すことは大事だとは思わないか」
嫌な予感がした。
こんな穴だらけで実現しうるかも分からない計画――しかし彼は上手く可能性を捨てず、しっかり考えていたのだと今更ながら動悸がした。
「本当はもう少し機が熟してからと考えていたが、中々どうして、全て予定通りというわけにはいかんな。
――近頃、王子とその婚約者の学園内外での評価はが著しく高まっているのはお前だけではなく、学園長らの報告からも分かっている」
「はい」
元々アーサーは天才気質の少年だった。
性格も明るく、皆をまとめて先導することを全く苦にしない、誰からも頼りにされるような子供だったのだ。
しかしいつ頃からか、自分の存在を極力隠すように……物理的に奥に引っ込むことが増えた。
あまり目立たないように、と自分を押さえていたはずの彼。
彼が本来の性格を取り戻したように自信を取り戻し、とても前向きに明るくなったことにシリウスは驚いた。
友人として、今の彼の状況は良い事だと思う。
しかし、それはエリックにとっては当然楽しい事ではない。
「アレが優秀な事は知っていたつもりだが……
己の才覚を前に出し、自己主張をし始めたのは危険だな。
王宮内でも何かと地盤を固めるような動きを見せるようにもなった」
エリックの言葉が突き刺さる。
出る杭は打たれるというが、今までアーサーが控えめな性格になっていたのは父によって脅され大人しくせざるを得なかったから、だ。
「学園の小娘どももすっかりレンドールの娘に尻尾を振っている状態と聞く。
全く、大した人間でもないというのにどのように取り入ったのか」
父は眉を寄せて眉間に皺を作った。
――学園内は現在、極めて平穏な状況だ。
カサンドラがその芽を事前に摘んでいるようだという話は聞いている。
それはシリウスも驚いている事だ、大きな功績を残したわけでもない地味な存在だと思っていたが、何故か彼女は人から反感を持たれることが少ない。
外見だけはどう見ても悪事を働く側にしか見えないのに、不思議な事である。
「それに……クラウスが地方で明確な意図を持って動いているという報告も聞いている、気に食わん。
奴め、本気で中央に切り込んで第四の勢力でも気取るつもりか。
王都にも彼の息がかかった人間が徐々に増えている――。
これ以上奴らを野放しにしては、アレが悪魔になったということをそのまま額面通りに世間が受け容れ難くなる可能性も考えられる」
入学前に想定していた、
『いつも笑顔だが内心何を考えているのだかよく分からない王子』
『偉そうで傲慢で王子の威を借る田舎の令嬢』
『自分の領地の保身に走り、娘の助力には消極的なレンドール侯』
――という状況がこの一年でひっくり返ってしまった。
このままでは彼を亡き者にしたところで、勧善懲悪という単純な話に済ませる事が出来ないかもしれない。
特にレンドール侯爵が乗り出し、真実を究明しようと周囲を扇動するようなことを言い出せば都合が悪かった。
そんな状況下で、想像よりも早く聖女との関係が進み、客観的には相思相愛状態。
計画を前倒しにすることは十分に可能だ、彼はそう淡々と状況を説明した。
「ティルサの内乱でアンディを、例の闇競売の組織にレイモンドの娘を。
……アレの責任にしてしまえば、いくら友人とは言え怨恨、疑義は残る。
最終的に敵対せざるを得んだろう」
「………! まさか、こんなことのために他の人間を犠牲にするというのですか!?
そんな話は聞いておりません!」
ザーッと血の気が引く音がした。足元が震えた。
「事前に知らされるよりマシだろうに。
お前に余計な罪悪感を持たせまいという親心のつもりだがな。
……まぁ、もう全てが終わった後だ。
お前は、もう、先に進むしか出来ん。
ここまで大きな犠牲を払ったのだ!
犠牲を無駄にしないためにも、計画を最後まで遂行する他ない。
……分かるな?」
もう、後戻りはできない
先に進まなければ、お膳立てのために無理矢理生じた犠牲の全てが無駄になる。
既に渡った橋は焼け落ちており、皆のところへ戻る事も出来ない。
アンディやクレアを殺したことをアーサーのせいにするだって!?
やめてくれ!
何故彼らが殺され、ジェイクやラルフが苦しまなければならないのだ、全ては何の覚悟も無かった自分のせいではないか。
エリックに呼び出されるまで、彼の温情に、良心に、人情に――微かに期待していた自分が!
「想定外の事情でこちらも切羽詰まっている。
これ以上仲良しこよし状態で屯されるのも不都合なのでな。
物語は、ここで動かす」
「ジェイク達がどれだけ悲しむ事か」
「そう案ずるな、聖女がその悲しみを癒してくれるのではないか?
多少の悲劇性でもないと、”感情”は揺さぶられないものだろう」
嫌悪がとまらなかった。
こんな――こんなことが許されて良いのか、と憤りに拳が震えた。
既に、事が起こった後?
そう言えばジェイクが数日学園を休んでいるのは知っていたが――
エリックが不確定な事を言うはずがない。
駄目だ。今からでは、間に合わない……
「それに、悲しいのはラルフ達だけではない。
お前も等しく、彼らと同じ立場になったのだから」
憐れむようにそう言い、ぽん、とエリックは自分の肩に手を乗せた。
俯いていたシリウスは、彼の言葉の意味を即座に理解できなかった。
だが畳みかけるような彼の声に、全身がぞわっと
「お前にだけ、
大丈夫だ。お前も、ちゃんと被害者だ。
アーサーによって大切なものを失った――同志なのだから」
「私の、大切な……?」
「もうそろそろ、火の手が上がる頃か。
流石に、ここからではわからんな」
エリックは窓を覆う分厚いカーテンを開け、ある方向をじっと見つめている。
その方向に、微かに……
淡い、オレンジ色の光が見えるような。
こんな夜中に?
火の手?
何が起こっているのか分かってしまったシリウスは、その場で絶叫した。
自分の勘が間違っていて欲しい、だが父の憐れみの表情に全てを悟らざるを得ない。
我を忘れ、シリウスは父の書斎を飛び出した。
驚く衛兵に説明もなく、自分の馬に飛び乗って――シリウスは『間違いであってくれ』と何度も何度も繰り返し呟きながら真夜中の王都を横断する。
一番効果的に人を傷つける方法を父は知っている。
自分にとっての泣き所など、彼には百も承知ではないか。
もしかしたら、あの孤児院の経営に全く嘴を挟まず自由にさせていたのは、こういう形で利用するためだったのかと思うと目の前が真っ暗になった。
自分は人を不幸にしか出来ない。
自分のせいで、何の罪もない子供たちが炎に巻かれて死んでしまうのかと思ったら、罪の意識にそのまま頭を打ち付けて死んでしまいたくなる。
責任も何もかも投げ捨て、楽になりたいと思った。
※
「皆……無事、なのか……」
シリウスはその場に両膝をついて、項垂れた。
止め処なく涙が零れ落ちる、良かった、という安堵の涙だ。
どんな奇跡が起こったのであれ、子供達が助かったのならそれでいいと思えた。
自分のせいで。
自分が己を過信し、奢っていたせいで――
自分が、友人と彼女達との命を勝手に比較し選ぶなんて、そんな傲慢な『選択』を受け容れたから。
彼らに、彼女らに知られて悲しませたくない、悩ませたくない、あわよくばなど思わなければ。
何故自分は、あの父が現状を鑑み、自分達に譲歩してくれるかもしれないなど僅かでも考えたのだ。
「シリウス様、今まで、ずっと一人で悩まれていたのではないでしょうか」
急に目の前が暗くなった。
自分の影に、もう一人の影が重なる。
もはや彼女に合わせる顔などないと思っていた、だが彼女は何も言えずに言葉を詰まらせる自分を、ぎゅうっと上から抱き締めてくれたのだ。
――誰かに、そんな風に慰められるなど、記憶にもない。
悩みは誰かに知られて良いものではなかった。
弱みは全て後ろ手に隠し通さなければいけなかった。
誰かを頼り、縋るという発想など許されない。
ずっと思い込んでいた。
「私も、この間まで、ずっと誰にも言えなくて辛かった悩みがあったのです。
本当の事を言っても信じてもらえないって、最初から諦めていたんですね」
彼女の声は、いつも
こんな情けない姿を見られたいわけではなかった、だがもはや彼女の抱擁に抵抗できない程体に力が入らない。
安堵で緊張の糸がぷっつり切れてしまったからだろうか。
「でも勇気を出して話をしたら、皆、信じてくれました。
突飛な話でも、決して否定されることはありませんでした。
――ずっと、受け入れられなかったら……って躊躇って。
でも話を聞いてもらえるだけで本当に救われました。
……ああ、信じて良かったって。
信じてもらえて良かったって」
誰かに話す事など出来ないと思っていた。
全てを話してしまえばエリックの逆鱗に触れるからというだけではなく、もしも自分の家族が王妃を手に掛ける話に共謀していたなんて知ったら、『今の関係』が音を立てて崩れてしまうのではないかと恐れた。
腹芸とは無縁のジェイクはもとより、ラルフだって罪悪感を抱いてアーサーへの態度が変わってしまうかもしれない。
過去は無かったことにしようとフラットな態度で接してくれているアーサーの気遣い全部を無駄にしてしまうのではないか。
四人の立ち位置が全然違う方にちぎれ、バラバラになってしまうのではないかと。
何故、父らの一方的な蛮行で、皆が傷つかなくてはいけないのか。
「シリウス様。
貴方は間違っていたのだと思います。
……一人で解決できないなら、皆に相談すれば良かったんです。
信用して、話していれば――
一人で苦しまれることは無かった。
少なくとも私は貴方が一人で抱えて悩まれていた事を知って、とても悲しいです。
きっと何も教えてもらっていないご友人たちも、悲しいのではないでしょうか。
いえ、きっと怒るのではないでしょうか。
逆の立場なら、貴方は――何故黙っていた、と激怒すると思いますから」
自分一人が、全ての汚泥を被って黙すことが、自分の役目だと思っていた。
真実など知らない方が良い、知らなければ知らないで、幸せでいられるはずだと思い込んでいた。
嫌悪感を抱くが……父に似て、思考が硬直して視野が余りにも狭かったのかもしれない。
他人の命を自分が勝手に預かった気になっていたが、それは違う。
正しく伝えるべきだった。
「そう……かもしれない。
だが、もう遅い。
アーサーもそうだが……ジェイクもラルフも、私を許さないだろう」
自分が状況判断を誤り父に先手を打たれてしまったせいで、彼らに取り返しのつかない哀しみをもたらしてしまった。
しかも自分だけその不幸をリナによって回避していることが、より一層シリウスの罪悪感を深くする。
もっと早く。
手に負えない事態に手を貸して欲しいと言えたら、こんな最悪な事態にはならなかったのではないか。
そのせいで、と考えると何もかもが自分のせいだという思考の袋小路に押し込められる。
「それに関しては、きっとリゼやリタが何とかしてくれたのではないかと思いますが……」
彼女は意味の分からない事を言って、シリウスから少し離れた。
躊躇った後に顔を上げると、朝焼けの光を浴びてキラキラ輝くリナの笑顔が眼前にあった。
自然に、目を奪われる。
「シリウス様。
後悔している事があるなら、ちゃんと話して謝りましょう。
悪いことをした時に気づかれまいと黙ってやり過ごしても――必ず、いつか真実は明らかにされるもの。
貴方の心が疲弊して、傷つくだけです。
私も一緒です、傍にいます、勇気を出しましょう!
これからもずっと――私は、皆一緒がいいです」
シリウスは一度眼鏡を外し、袖口で両目の涙をぎゅっと
「……すまなかった」
気が休まらなかった学園生活、彼女の存在にどれだけ救われたか分からない。
こんな時にまで彼女に救われるなんて、思ってもいない事だった。
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