第455話 <リナ 2/2>


 だが、程なくしてリナは思考を一度遮断することになる。


 考えたくない”仮定”をしてしまったせいで、心臓がバクバクと音を立てていたけれど――すぐに異臭と異音に気づいて寝台の上から飛び起きた。


 何も起こらなければそれでいい。

 でも何かが起こる可能性は否定できない。


 そんな不安定な、覚悟が決まり切らない状態でリナは孤児院に滞在していた。




 急ぎ扉を開け放ち、廊下に転がり出ていく。


 もうもうと黒い煙が地面を侵食しているのを見て、我が目を疑った。


 何かが燃える嫌な臭いに口元を掌で覆う。

 廊下に出た瞬間、熱された空気に当てられて額から汗が噴き出した。





   ………火事!





 ある程度の覚悟はしていたものの、まさか、という非現実的な光景にリナは動揺を隠せなかった。

 パチパチと建材が燃える音が耳に障る。


 子供達のところへ急がないと、とリナは玄関前の広い階段を駆け上がっていく。


「リナさん! 危険です、外へ!」


 廊下を走っていると、同じく火事に気付いた院長が手を伸ばしてリナに声を掛ける。

 いつも被っている頭巾ウィンプルを脱いだ彼女の顔は真っ青だった。


 だが大きな声を出すと煙で噎せ返る。

 リナは首を横に振り、一段飛ばしで階段を駆け上った。


 二階にも熱が届いている――子供たちの寝ている共同寝室の扉を開いた。

 男女の寝所は廊下を挟んで向かいにあり、ドアノブは既に熱が伝わっている。

 それを無理に掴むと、掌に刺すような痛みが走った。



「……リナお姉ちゃん!」



 女子の寝ていた部屋の中にリナが飛び込むと、同時に男の子たちもリナの後ろから雪崩れ込むように突入してきた。

 わぁわぁ、と子供たちが泣き叫ぶ声が部屋の中に響く。



   火の回りが早すぎる。



 全く火が燻り起こる物音も気配も感じなかったのに、ふと気が付くと孤児院全てを炎が覆いつくす勢いではないか。

 リナは泣いている子供たちに「大丈夫よ」と出来る限り優しく声をかけ、頭を撫でる。


 そして廊下の様子をもう一度伺うために、半身部屋から身を乗り出す。

 階段から這い出ずる火勢は強く、もはや階段を使って玄関から逃げることは出来ないのではないかと足が竦んだ。


 掃除の際に使ったまま放置してあるバケツの中。入っている水が目に留まり、リナはそれを抱えて迫り来る炎へ一気にぶちまけた。


 文字通り焼け石に水かと思ったが、水を掛けられた箇所の火の勢いが一時的にでも全く衰えない事に愕然とし、眉を顰める。


 これだけの火の回り、勢い――……


 建物を襲っているのは、もしかして炎の魔法……!?

 

 もしもただの火事であれば、水魔法で皆を身を守りながら階段を降りて玄関から脱出する事を考えただろう。

 だが魔法という人為的な要素が絡んでいるとすれば、流石に二十人以上の子ども達をリナ一人の魔法で守りながら道を切り開くというのは現実的ではない。


 押し寄せる炎が走る廊下を潜り抜け、皆を連れて外に出る……

 この黒煙と炎の立ち込める暗闇の中に皆で突っ込めなんて、幼い子供たちが臆せず出来るとは思えない。

 自分の手元にあるのは、精霊石ではないサファイアのブローチだ。


 触媒にすることは可能とは言え、本職魔道士が精霊石を使って放った魔法から皆を守れるか……?


 一瞬考えこんでいる間でさえ、炎の勢いは止まらない。

 リナは向かいの男子用共同寝室に誰も残っていないことを確認し、自分達が立てこもっている部屋の扉を思いっきり内側から閉めた。

 この部屋も炎の勢いに呑み込まれるのは時間の問題だ。


「………。」


 皆がケホケホと咳き込み始め、リナは窓を開けようとカーテンを開ける。

 すると、窓の向こうは既に炎の壁が燃え盛り、逃がすまいと立ちはだかっているではないか。


 灼熱の火に晒され熱くなった窓を何とか押し開くと、更に部屋の中の温度が急上昇する。

 呼吸が苦しくなって、一瞬クラッと眩暈に襲われた。

 だがここで意識を失っては、全員の命が保たない。


 背後から泣き叫ぶ声と、咳き込む音と。



 熱いよぅ、とすすり泣く声がする。



 この建物に炎の幕が覆いかぶさり巻き付いているかのようだ。

 だが揺らめく炎の壁の向こう、赤い陽炎が照らす景色は今まで通り――

 綺麗な夜空。



 これ・・さえ潜り抜けられれば、多分、助かる。



 脱出するには窓から外に出る他無い。

 ここさえ、この炎の先に出る事が出来れば……!


 前髪が炎の先に触れてチリッと焦げた。



 炎に怯んでいては、誰も助からない。




「皆、お願いだから良く聞いて。

 これから、お姉ちゃんが外の火を頑張って消すからね。


 火が消えたら……


  ……大きい子が、小さい子を抱えて、ここから飛び降りれるかな?」



「え、こ、こんな火の中に入ったら死んじゃうよ!」


 少年の一人が叫ぶと、再びわぁわぁと堰を切ったように少女たちはへたり込んで号泣を始める。



「大丈夫。

 ――ほら、この通り」



 リナは胸元のブローチに手を翳し、浅い呼吸しか出来ず集中が難しい状況の中。

 懸命に手元に己の魔力を集め――



水精霊ウンディーネ!」


 呪文を長々と唱えている余裕もない。

 頭の中でイメージしろ。

 それさえ精霊に伝われば、彼らは力を貸してくれるはず。


 リナの広げた両手の幅に合わせて、その間だけぽっかりと炎に穴が穿たれる。

 厚く熱い炎の壁の向こうは、日常の――星の煌めく夜空が、静かな宵闇が広がっているのだ。


 出来る限り魔力を乗せ、炎から切り離された『空間』を下に向かって伸ばしていき――

 窓から、一階の地面まで。より垂直に、真っ直ぐに。


 両脇から、上から押し寄せる炎を割り裂いてぽっかりと青い光の道を作る。

 滝のように、リナの魔力を上から下へ流し込むイメージを保ち結界を維持する。


 これなら下に降りた途端炎に巻かれることなく、逃げ出す事も出来るだろう。


 窓枠一杯に腕を広げ、リナは無理矢理笑ってみせた。



「ほら、熱くないから、大丈夫」



 炎の勢いは強い。

 自分が張った他の魔法を弾く結界さえ押しつぶさんばかりの強い圧力がリナの精神を追い詰めていく。

 思考もろとも、身体が焼き切れそうだ。



 ――部屋の前まで炎は迫っている、ここでもたもたしていたら全滅だ。



 青色の光輪が、炎を裂いてぽっかりと空隙を作る。

 二階という高さから飛び降りろというのも、酷な話なのかもしれない。


 他に良い方法はあるのだろう、一人一人に結界を? いや、そこまでの魔力は自分にはない。長時間、部屋全体を保てるほど、自分は強くない。




「……分かった! おい、アリサ行くぞ」


「え? ……ちょ……ちょっとまって……

 こわい!」


 室温の高さに茹りそうだ。

 意識は朦朧としかけているが、そんな中、一人の少年が立ち上がって蹲って泣いているアリサを抱え上げた。


 小柄な彼女は抵抗の気配を見せたが、階段でも崩れ落ちたのだろう凄まじい破壊音が響き渡り、血相を変えて立ち上がる。

 ここにいたら、諸共焼き尽くされてしまう。


「二階だろ? 二階。

 ……いつも登ってる樹と大差ねーよ。

 ほら、行くぞ」


 ダンはアリサを抱きかかえたまま、窓の桟に足を掛け――

 リナが作った穴をくぐって、そのままひょいっと落ちていく。

 きゃああ! とアリサの悲鳴も聞こえたが……


 どんっと強い衝撃音が響いた、しばらく両足の裏が痛むのかその場で微動だにしなかったダンだけれど。

 アリサが彼の腕から抜け出し四つん這いでよたよたと建物から離れていく。


「まぁ、ダン! アリサ!」


 すると、建物の外に逃げ延びていたのだろうか、院長が一心不乱に二人の許へと駆け寄って来た。

 子供達の寝室付近で声が聴こえ、急いで裏から回ってきてくれたようだ。


「院長先生ー! なんで先に逃げてるんだよぉ!」


 わーん、とダンは泣きながら院長に飛びついた。

 まだ足が痛むのか、右足を引きずりながら。


「せめて水を汲んで行こうとしたのだけど……階段を登ることができなくって。

 怖かったでしょう、ごめんなさい。

 ああ……」


 あっという間に燃え広がった炎の勢いを考えると、水場に寄ったその隙に手が付けられない火の手になってしまったのだろう。

 しかもこれはただの火事ではない、多少水を掛けたところで勢いが弱まるわけもないことはリナも分かっている。


 院長先生が無事でいてくれただけでホッとした。

 一階は文字通り火の海だろうから。




「皆、外に降りたら、院長先生が待っててくれてるからね。

 ……大丈夫、怖くないから、飛んでみて?」



 時間が無い。

 廊下と部屋とを隔てる扉一枚、もう数分も持ちこたえる事はできないだろう。


 子供達は、外で院長と抱き合うダン達の姿を見て勇気づけられたのか、足が竦んで動けない小さな子を抱き上げたり、おんぶしたり。

 年上――とは言っても十歳前後のまだ子供たちが、勇気を振り絞って二階から飛び降りる。

 リナだってこれ以上結界を維持するのは限界だ、常に圧迫されているような息苦しさを覚え、青い光が弱まってくる。

 この『道』が炎に再び覆われてしまっては、もうどこからも逃げられない。



 ここが三階だったら絶対無事ではいられなかっただろうが、この高さなら命まで落とすような怪我はしないだろう。

 運悪く足を捻った子供もいたが、抱えられて守られていた幼い子達も含め、全員無事に脱出することが出来たようだ。


 リナは慌てて、自分も窓枠に手を掛けて――

 えいや、と背後から迫り来る炎から逃げるために、思いっきり飛び降りた。





 運動神経は良くもないが、悪くもない。

 去年まで、学園で体力づくりのため体術講座に通い詰めていたお陰か着地からの受け身は自分でも思っていたほど満点の出来栄えだった。

 ごろんと横に一回転した後、膝をついて立ち上がる。

 まさかこんなところで、学園での教えが役に立つとは。


 服に着いた砂埃を払っている暇もない。

 院長の指示に従い、燃え盛り瓦礫と化していく孤児院から急いで距離をとった。





「少し離れたところに厩舎と物置があります。

 藁に直寝になってしまいますが、このまま外で待つよりはいいでしょう」


 丘を少し下った川沿いに、小さな……今にも崩れそうな厩舎がぽつんと立っている。

 樹を挟んで向かいに、鍵もなく開いたままの物置が。その中には錆びた農具が立てかけてあるだけで、明かりも何もない。



 しかし野風に吹き曝しのままよりはマシだ。

 こんな信じられない事故に見舞われ、子供達は混乱しているしとても正気を保ち続けるのは難しい。

 熱い空気を吸ったせいで、喉が痛いと訴える子もいた。

 皆、手足にところどころ火傷を負っている。

 傍の小川に慎重に近寄り、院長と二人で子供達の傷を水で冷やしてやる。


 子ども達は恐怖と緊張から解放され、涙ぐんでいた。


 大切な思い出が、住んでいた大切な家が炎に包まれ燃え上がってしまった。

 その悲しみはいかばかりだろうか、命さえ無事ならそれでいいというわけにはいかない。





「リナさん、本当にありがとうございます。

 貴女が我が身を省みず二階に向かって下さらなければ、この子達の命は無かったでしょう」 

 


 地面の上に雑魚寝状態。

 皆、辛い現実から逃げるように。それぞれ寄り添ってその場に横になっていた。


 誰一人欠けることなく逃げ出せることが出来たのは、運が良かったと思う。


 相当運が良くても、まず助かる事のない勢いで燃え盛った炎。

 明らかに子供達を燻し、燃やそうと荒れ狂い、孤児院を覆った炎の壁。


 ……ただの放火ではない。

 誰かが、魔法でも使わなければこうはならない。

 水を掛ければ勢いが弱まるなら雨が降ったら鎮火したかもしれないが、きっとそんなことは関係なくあの炎は建物を塵芥へと帰していたはずだ。





 ……火事によって――この孤児院にいる皆を……





 こんな酷いことが出来る人間がこの世にいるのだということに戦慄する。


 何の罪もないただの子ども達が、何故犠牲にならなければいけなかったのか。


 丘の上で未だ上がる火柱を見据え、歯噛みする。




 ※




 炎は燃やすものを失ったのか、次第にその勢いを減じていく。


 孤児院を黒焦げに。

 大きな骨組みしか残さず燃やし尽くした炎は、明け方近くになってやっと物言わぬ煙と成り果てたのである。




 ※




 院長はこの一晩で十歳は年を取ったのではないかというくらい憔悴しており、魘される子供達の手を握りしめながら神に祈りを捧げている。




「私、何か焼け残っているものが無いか……見て来ます」



 目が醒めた時、何か一つでも形に残っているものがあれば、子供たちも喜ぶかもしれない。

 せめて原型を留めている思い出の品を見つけてこよう、とリナは立ち上がった。


 一睡もできなかったが、このままひとところに留まって休みたいという想いより、状況を確認したいという気持ちが勝った結果だ。


 院長マーヤは、もはや引き留めることもせず、疲れた顔と悲しみに塞いだ瞳を向けて微かに頷いた。






 ※ 





 焦げ臭い。

 周囲を漂う嫌な臭いを遮るよう袖口で口元を押さえ、もはや黒い瓦礫と化した孤児院に辿り着いた。

 何か、残っていないだろうか。


 燃えずに、形を残しているものは……


 リナはその場にしゃがみこんで、目を凝らす。

 まだ夜明け前、明かりは乏しく視界は不良である。


 ――形あるものは全て焼かれてしまったのだろうか。


 一生懸命探しているリナの耳に、馬の嘶く声が聴こえた。


 誰か来た? 幻聴?

 あまりの火の勢いに、近所の人たちも近づかないようにと遠巻きに見ていた。


 丘の上にぽつんと建っていたこともあり、近隣に飛び火する事が無かったのは幸いだが……

 そう言えば火事に気付いた誰一人、救援に駆けつけてはくれなかったな、と今になって気づく。


 この建物が燃える事を、誰も止めることが許されないかのような。

 現世から隔絶された空間の中、よくもまぁ自分は無事だったものだ。


 今夜、孤児院で火事が起こる! という確信があったら、もっと周到に考えて動けたのだろうか。

 「かもしれない」という曖昧な情報で、そこまで危機感を抱けなかった自分の判断間違いだ。


 いや……

 自分は、己の力を過信していたのだ。


 ぎゅっと、胸元のブローチを指で抓んだ。

 自分は魔法が使える、孤児院が火事になるのなら水魔法でも氷魔法でも使って火を消し止めることが出来ると油断していたのだ。


 だが実際は、そんなに簡単にはいかなかった。


 炎の魔法によって生み出された力に、自分が対抗し子供たち全てを救うことなどとてもできる事ではない。


 魔法を使えない人よりは、魔法を使える分出来る事が多い――そう己惚れていた自分のせい。


 いくら魔法講座で一端の魔法が使えても、あれは精霊石による力添えが大きいものだ。それさえ手元にない状態でこの災禍と渡り合うつもりだったなんて、想像力がないにも程がある。




 自嘲した後、リナは顔を上げた。

 どうやら馬の鳴き声や蹄鉄の音は気のせいではなかったらしい。

 誰かが駆けつけてくれたのだ。




 視線を遣ると……

 孤児院の玄関だったものの傍に、がっくりと膝をついて項垂れている人影が見えた。


 


 シリウスだ、ということはすぐに分かった。

 夜明けを待つ、昏い空。

 しかし仄かに白い月が照らすその光に浮かび上がる彼は――

 頭を抱えて、その場で咆哮を上げた。


 ビクッと肩が跳ね上がる。

 彼は、声にならない声で呻き、何度も何度も地面を拳で叩いた。


 既に焼け落ちてしまった建物の前で。

 そんな様子を柱の影から、リナは見てしまった。



 皆は無事だと言うために、彼に声をかけようとした。


 だが、彼は何度も何度も、繰り返す。






    「私のせいで!

     私のせいで、こんなことに」






 喪われてしまったと思い込んでいる命をただ悼むのではなく、悔恨を表す言葉に他ならなかった。




 すまない、と謝る彼にかけようと思って伸ばした手を一度引っ込める。






 何故?


 何故、彼が謝る必要があるのだろう?


 考えられる理由は、あまりにも少ない。



 







「シリウス様」



 覚悟を決めて、リナは青年の前に姿を現す。

 


 彼は顔を上げ視線を合わせると、思いきり黒い瞳を開いて驚愕の視線を向けていた。



「リナ・フォスター……?

 お前が、何故」




「先ほど、この孤児院が火事になりました。

 安心して下さい、院長先生も、子供たちも皆、無事です」



 すると彼は立ち上がり、思いっきりリナの肩を掴んで前後に揺すった。


「本当か!?

 皆、無事なのか!?」



 普段冷静沈着で、殆ど表情を変えない彼とは思えない。

 縋るように、こちらを必死に問い詰める彼の顔。


「はい、皆、近くの小屋の中に避難しています。

 ……建物は……残念でしたけれど」


 何も残さず、黒く煤けている孤児院だったものを視界の端に入れた。

 凄まじい熱量によって、すべて燃やし尽くされてしまったかのようだ。


「そう、か……」


 彼は口を覆い、俯いた。

 シリウスの目から、一筋の涙が伝い、落ちる。


 良かった、と何度も譫言うわごとのように繰り返しながら。




「シリウス様」


「………。」






「………貴方は――……

 お父様達が、何をされようとしているのか。



 …………知っていたのではないですか?」








 ※







 

 全てを知っていたのかまでは分からない。

 どこまで協力していたのかは、分からない。



 だが少なくとも三家の当主の意向に沿うように彼が動いていたのではないか、と思う。

 そもそも、聖女を手に入れることが目的であるならば――三家の息子達が予め情報を知らされ、手に入れるように動く方が現実的なのではないか。

 完全に自由恋愛、運を天に任せるような采配で”上手くいく”ことを望むのは分が悪すぎないだろうか。



 シリウスは三家側の意を汲んで動いている可能性がある。

 王子はそう危惧していたからこそ、シリウスに対しカサンドラへの想いを隠すように『演技』をすることを迫られていたと言っていた。



 であれば――シリウスは三家の裏側の事情をもっと深く知った上で計画に沿うよう監視し、動いていた可能性は高い。

 ジェイクやラルフがその役回りと考えるより、現実的だ。というか特にジェイクやラルフはそんな話に絶対乗らないように思える。友人を犠牲にしてまで、聖女など欲しくないと怒るだろう。


 唯一、シリウスだけその話に乗る可能性がある。

 聖女がいれば、彼の夢は……――……


 いや、そこまでは穿ち過ぎだ。

 彼の心の内面まで、自分が知ったように断定すべきではない。




 ただ、今考えられる大きな可能性として、カサンドラの言う物語、そして皆で考えた事……


 聖女を手に入れ、王子を悪魔にした後、倒させる。

 あまりにも罪深い話を、シリウスは事前に知っていたのではないだろうか。








 シリウスが王子とカサンドラを『別れさせる』方向に誘導した意味が、最初聞いた時は良く分からなかった。

 彼がそこまで他人の恋愛にお節介なようには見えなかったからだ。


 彼だけが鈍感ゆえに、他人の恋路を無駄に掻き乱す――という状況にモヤモヤとした違和感を抱いた。

 彼は意味のない行動を嫌う、目的の無い行動は起こさない人だ。



 それに王子がカサンドラを額面通りに「迷惑だ」と思っているなど、本気で信じていたのか?

 ラルフが血相を変えて「そんなことはない」とカサンドラを思いとどまらせるほど強い確信を抱いていたのに、シリウスだけ見えていた景色が違うなどありえるのだろうか。

 

 




 カサンドラと王子を別れさせることで、彼は何をしたかったのだろう。


 王子とカサンドラを、引きはがしたかった?




 ――王子が三家の目論見通り、聖女に『倒される』悪魔の役回りを与えられることを、彼だけ事前に知っていたのだとしたら?

 一旦仮定することで、彼の行動の意味がストンと納得できたのだ。




 このまま王子の傍にいれば、計画が進めば。

 カサンドラは否が応でもこの一連の事件で大きな巻き添えを食らってしまう。



 三家にとって邪魔だという理由で、『物語』通りに追放されるのかもしれない。

 瑕疵なく追放を免れても――悪魔と化した王子を愛していた婚約者なんて! 王子を庇うような言動をすれば、処刑されたっておかしくない。




 王子の婚約者のままでは、この先危険しかない。

 関係を解消して、自分達の傍から逃げて・・・欲しい。





 カサンドラという存在は、シリウスからは哀れな被害者にしか見えなかったはずだ。

 強く望んで王子の婚約者になったはいいものの、実は王子諸共”潰される”役回りを与えられただけなのだから。



 彼なりに、無関係・・・のカサンドラを助けてあげたかったのかな?

 限りなく遠回りなやりとりは、シリウスらしいと思えた。



 真実を一切口にせず、口にさせず。

  


 円満に遠ざけたかった。

 その望みは、当人たちの強い想いによって叶わなかったわけだが。





 


「………。」




 彼は黙した。

 視線は地面を這っている。 






 何も知らなかったとしたら、どうしてシリウスは、この瓦礫と化した建物の前で謝罪の言葉を、悔恨の言葉を口にしたのだろうか。





  何に対して、謝ったの?





 こうなると知っていたから?

 知っていたのに止められなかったから……?


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