第453話 約束


 突然カサンドラの屋敷を訪れた王子であったが、滞在もそこそこの時間ですぐに王城へと戻って行ってしまった。

 仕方のないこととはいえ、やはり寂しいものだ。

 

 愛馬に跨って手綱を握る王子の姿に後光が射して見えるのだが、名残惜しいけど、と言い残して屋敷を去る王子は後ろ髪を引かれる様子を全く隠してはいなかった。


 本当にカサンドラ達の様子がどんなものか気がかりだから、無理に時間をとって訪れてくれたのだろうという事は分かる。


「状況が状況とは言え……

 全く、兄様も過保護ですね。

 そんなに単身で街を行き来していたら、目に留まるでしょうに」


 アレクもやや呆れた表情を隠さない。

 現在、三家によって命を狙われているのか――と言えば、カサンドラの予想が正しければむしろ丁重に守られている側だと思う。

 最終的に聖女に倒される悪役として都合の良い人間で、現王族を廃し新しい王を据える理由をつける事さえ可能になり得るという。まさに悪魔的な段取りに必要不可欠な要素だからだ。


 もしも王政反対派や邪教集団が王子の暗殺に動いたとしても、三家の当主は王子という贄を渡すまいと守るだろう。

 この一連の計画が実現しなかったとしても、今まで通り『傀儡の王』として大人しく王子が従うならばそのまま玉座に据えれば不都合もない。

 王子の命も未来も、文字通り彼らの掌の上。


 三家にとって聖女の覚醒は、今の国内をより善くまとめ、強固な支配権を得るための手段の一つでしかない。

 この作戦に全てがかかっていると躍起になって無理をしてボロを出すこともないし、いつでも手を引ける立ち位置で事態を見守っているだけだ。


 全ては主人公達の選択に任せる。

 コントローラーを持たない代わりに、彼女達のどんな選択も受け入れる――マッチポンプのように事件を起こしながらも、本質的には傍観者である。

 ある意味で誰よりも”楽しんでいる””ワクワクしている”存在なのかもしれない。



「ふふ」


 一緒に王子を見送っていたアレクが肩を竦める様子を目の当たりにして、思わずカサンドラも笑みが浮かんでくる。

 いくら口では生意気そうな事を言っていても、アレクは王子が来たらとても嬉しそうだ。

 あまりカサンドラの前では弟という態度をとらない少年だが、兄と二人で話をしている時のはにかんで嬉しそうな顔と来たら。

 気づかれていないと思っているのか、自然とおかしさが込み上げてくるのだ。


 互いにこんない現実でさえなければ、王子と会えて嬉しいのに。

 浮かれて何もかも忘れられる話ではないから、嬉しさも遠慮がちになってしまう。

 リゼやリタ達が自分の見えないところで頑張っているのだと想像すると、喜ぶことにも罪悪感を覚える。それはアレクも同じなのだろうと。


「わたくしは学園に通っている間、王子と毎日会うことが出来ます。

 こうしてわざわざ屋敷にいらして下さっているのは、本当はわたくし以外にお会いしたい方がおられるのでしょう。

 ねぇ、アレク」



「………。

 いえ、僕はお邪魔虫としか思われてない気がしますけど」



 あっさりと言い返されてしまったが、本人も悪い気はしないようだ。

 そっぽを向く顔が嬉しそうなのが、年相応の少年に見えて仕方なかった。




「ところでアレク。

 貴方は……他に気づいた事などはありませんか?

 疑問でも何でも、言ってみてください」


 屋敷に入る前に、カサンドラは何となく空を見上げてそう呟いた。

 部屋の中という閉塞的な空間から解放され、澄み渡った五月の空から射す陽光に目を細める。


 周囲を彩る緑の植木や、庭師が丹精込めて世話をしている色とりどりの花を咲かせる花壇。

 喧騒から遠く、静かだ。

 風も緩やかで心地よく、午前中まで自室に籠りきりだったカサンドラにはいつも以上に幸福を抱く時間である。



「……そう……ですね。

 分からない事と言えば全てが分からないわけですが。

 ただ、ちょっと不自然だなぁ、という気はするんです」


「不自然?」


「ええ。

 姉上の仰る事は核心に近いところを突いているのかもしれません。

 十中八九、兄様をあんな目に遭わせるのは三家の当主なのだろうということも。

 ただ……

 彼らだけ、でしょうか」


 アレクはぽつりと呟く。

 まるで自分に問いかけるように。


「少なくとも僕が”逆行した”という何周という記憶の内、兄様は殆どの場合聖女に倒されるという結果に終わっています」


 確かに言われてみれば、リナも大体誰かと恋人になって聖女として目覚め、悪魔と化した王子を倒す、という”過去の記憶”を映像付きで触れたと言っていた。

 

「全て成り行き任せの”主人公次第”という悪く言えば穴だらけの計画が、そんなに高確率で結実するものでしょうか。

 特に愛だ恋だなんて、他人が干渉しづらいところですよね?」


「それは……」


 アレクの言う通り、明らかに成功確率が高いように思える。

 アレクが悲観し、嘆く程王子は幾度も悪魔にさせられてしまった。その運命から逃れる術はなかった。

 とりもなおさず、主人公が高確率で聖女になった――恋愛が成就した結果だということだ。


「……僕は……

 少なくとも、学園内にいると思います。

 姉上や兄様、フォスターの三つ子、そして彼女達の”恋のお相手”に深く干渉できる協力者・・・が。


 ――そうでなければ、ここまで三家の思惑に填まるような結果になるとは考えづらくないですか?

 成功率の高さへの疑問が、それで全て解決するとは言い難いですが……」



 カサンドラは改めてアレクに指摘され、ぐうの音も出なかった。

 即座に何か言えるようなイメージが湧いてこない。


 だが……

 アレクの疑問は尤もではないだろうか。


 三家の当主が計画を立てたとして、学園内に実際に彼らが出向いて様子を伺っているわけではない。

 そこまで暇ではないはずだ。


 彼らが今まで学園に来て学生と接触したのは、それぞれ一度だけ。


 聖アンナ生誕祭の時に、ヴァイル公爵レイモンドが。

 武術大会観戦の時に、ロンバルド侯爵ダグラスが。

 収穫祭の時に、エルディム侯爵エリックが。


 それ以外、生徒と学園内で会話をする機会は無かったと思われる。

 外から見えない密室状態の学園で、内情を把握しないまま計画を進めるなんてあまりにも行き当たりばったり過ぎる。

 言われてみれば、直接手を下さないまでも、主人公達の行動を彼らに報告する者は絶対にいるはず。


 そして報告だけではない。

 座して見ているわけではなく、三家の意向に沿うように主人公や攻略対象を促し協力する……そんな協力者がいてもおかしくない。



 そこまで考えて、ふとカサンドラは自分のこの一年間の行動を思い出していた。

 当時は全くの知見不足で、ゲームの記憶しか頼るものが無かった。


 悪魔が一たび現れてしまえば、主人公が聖女になれなければ世界が終わるのでは? と考えていたくらいだ。


 保険の意味合いも込めて、主人公達の恋愛を応援しようと思った。

 だが、今振り返ってみれば、そんな自分の行動は本当の黒幕にとっては都合の良い存在だったのだろうなぁ、と苦笑いしてしまう。


 しょうがない。彼女達を見ていたら、応援したくなってしまう。

 頑張っている姿はいつも前向きで、一途でとても好感が持てるものだ。

 仮に聖女と悪魔が紐づいた存在だと知っていても……自分は、彼女達の恋愛を邪魔するなんてできなかっただろうな。


 はからずも、カサンドラは三家の当主の目論見に沿うような動きをしていたことになる。


 カサンドラという存在が三家の当主にとってただ目障りで邪魔なだけだったら、今頃自分はどうなっていたのだろう。

 王子の婚約者として着実に地盤を固めるような、悪評を塗り替えるような”標準的な侯爵令嬢”の立ち居振る舞いをしただけだったら。

 カサンドラを取り巻く状況も、今と変わっていたのだろうか。


 勿論想像することしか出来ないが、アレクの言う”協力者”顔負けのスーパー恋愛指南者として攻略法を伝授していた今までの”自分”に気づき、何とも言えない気持ちになる。


 王子に接触し、想いを確かめ、レンドール家のバックアップを取り付ける――という状況に至っても放置状態で野放しのまま過ごせたのは、カサンドラが彼らにとって利用価値のある存在だったから?


 今まで学園内外で不利益を被らず過ごせたのは、自分が聖女を覚醒させる手助けをしていたからなのかも?


 それさえ実現してしまえば、カサンドラや王子が学園でどんな立ち位置でも後の展開では吹けば飛ぶような些末な問題である。

 結局、王子は悪魔にされて殺されてしまうのだから。


 ――ただ、彼らにとっての誤算があるとすれば、たまたま彼らにとって都合よく動いていたカサンドラがこの先のシナリオを知っていて。

 それを端緒に、本当に後ろで糸を引いている存在を見つけた、という事なのだ。


 神ならぬ普通の一般人には、決して悟られるはずのない彼らの計画。

 それを皆の協力を得て今の段階で暴けたというのは、大きなアドバンテージなのだと思いたい。



 そこまで考え、アレクの疑問に思考を戻す。


 今回はたまたまカサンドラが恋のキューピッドであるかのようにお節介を焼いたり、助言をしたことで彼女達の恋愛は上手くいった。

 上手く行き過ぎた、という感触さえある。

 攻略対象三人の主人公達に対する好感度はかなり高い、と確信をもって言える。

 超スピード攻略と言っても過言ではあるまい。


 全ては主人公達の努力あってこそだが、それに加えて的確なパラメータ上げをアドバイスした影響は大きかっただろう。



 では自分がいなかった今までの周回は、一体どうやって主人公の恋が成就するような流れを作っていたのだろうか。



「協力者……」


 過去の周回で、学園内において主人公の行動を監視したり、恋愛方向に促すよう動いた人間がいたということか?



 え? 誰?

 全くイメージできない。

 そんな都合の良い存在が、学園の中にいたっけ?




   ……――。




 その瞬間、カサンドラは背筋にぞくっと冷たいモノが触れたように震えを起こした。




 今までのことがザアッと脳裏を駆け巡る。


 それに至った王子の言葉が残響となってカサンドラの聴覚を奪う。



 まさか………


 いや、それは少々暴論が過ぎる。

 だって、あまりにも酷い。


 それは、絶対にあってはならない事なのだ。

 辻褄だって合わない、矛盾する事ばかりじゃないか。






「……あ、カサンドラ様、アレク様!」



 王子を見送った後の、昼下がり。

 良い天気だと玄関前の敷石の傍で呆然と突っ立っていたカサンドラを正気に戻したのは、外門からこちらに呼びかけてくる少女の存在だった。


 片腕に大きなバスケットを提げ、満面の笑顔で手を振る女の子。

 肩で揃えたふわふわの柔らかい栗色の髪、空のように明るい蒼い瞳!


 小柄で可愛い、サファイアのブローチを胸元に着けたクラスメイト。――リナだ。


「まぁ、リナさん。ごきげんよう」


 勝手に門の中には入れないと道からこちらを覗き込むリナに気づいて、カサンドラは小走りで門扉へと急いだ。


 白いワンピースに、青いブローチが良く映える。

 大きな一抱えもある薄茶のバスケットが、これからピクニックにでも行くのかと思わせた。


「急にご訪問して申し訳ありません」


 王子が去った後、使用人が閉めた鉄製の扉を開く。

 恐縮した様子のリナに、中に入るよう提案したのだが、彼女はやんわりと首を横に振って恐縮する。


「お渡ししたいものがあって、お伺いしただけなのです。

 あの、この間は私の話を聞いて下さって、そして……

 リゼやリタ達にも、話を聞いてもらえる場を作って頂いて本当にありがとうございました」


 深々と彼女は頭を下げた。


「お顔を上げてください、リナさん。

 わたくしこそ、リナさんにとても感謝しているのです。

 貴女があの日勇気を出して話しかけてくださらなかったら、わたくしは……」


 リナがもしかしたら”敵側”なのではないか、と疑心暗鬼になっていたかもしれない。

 突拍子もない事と自覚して尚、分かってもらおうとカサンドラを頼ってくれたのだ。


 その勇気に敬服するし、この先の事を知っている彼女に信じて頼ってもらえたことは何よりも得難い幸運だったと思う。


 第一、皆を即座に集めるという機転を利かせて動いたのは王子である。


「いつもカサンドラ様に話を聞いてもらってばかりですね。

 お茶をご馳走になったり、お夕飯までご相伴に与ったり……

 あの、このようなものでしかお返しできず申し訳ないのですが。


 ――どうか召し上がって下さい」


 彼女はバスケットを覆う赤と白のチェック空の布を少し捲って、中から小袋を取り出した。

 両の掌にすっぽりと収まる大きさの袋を受け取って、カサンドラは瞠目した。


「昨日、何だか寝付けなくて……

 厨房を借りて、シュークリームを焼いてみました」


「シュークリーム!」


 カサンドラが思わずそう感嘆の声をあげると、リナは少し照れたように微笑んでバスケットの中身が良く見えるように布を捲った。

 そこにはいくつもの美味しそうなシュークリームがバスケットにずらっと並んでいたのである。

 手前にぽっかり空いた空洞は、今カサンドラに手渡してくれた袋を置いていたスペースだろうか。


 パッと見た限り、職人の手が入っていると唸るような綺麗な形のシュークリームだ。

 難しいという先入観のあるこのお菓子を、こんなに沢山美しく焼けるなんて……!



「美味しそうですね、有難く頂戴します」



「良かったです!

 差し入れに行く途中なのですが、カサンドラ様に直接お会いできてラッキーでした」

 

「差し入れ?」


 今日は土曜日だ。

 一体彼女がどこに何をしに行くのか分からず、首を傾げるカサンドラ。

 シリウスとデートか?

 ……いや、彼がこんなにも沢山食べる姿は思い浮かばない。



「お休みの日は、孤児院へお手伝いに行くことも多いのです。

 今日は子供達に差し入れです!」


 ああ、成程。

 アルバイトの一つに、教会の慈善奉仕というものがあった。

 アルバイトというには収入は微々たるものだが、モラルのパラメータがぐんと上昇する、シリウス攻略には大変お世話になったアルバイトである。

 

 孤児院は、聖アンナ教会が運営しているものが普通である。

 慈善奉仕活動の一環として、孤児院のお手伝いも範疇にあたるのだと納得した。


「シリウス様が関わっていらっしゃる、丘の上の孤児院ですか?」


「はい、そうです。

 カサンドラ様も一度お顔を出して下さったことがあるのですよね?

 院長にお聞きしました」


 教会以外、貴族や金持ちが後ろについている孤児院は、余り良い噂を聞かないので――

 あの孤児院でお世話になっている子供達は、まだ幸せな方なのだろう。



「私からお願いする事ではないと思うのですが、カサンドラ様もまたいつか足を運んで下さいませんか?

 ダン君、王子の婚約者があれから来てくれないのは自分が失礼な事言ったからだって事あるごとに嘆いているんですよ」


 絵本を読んでいた時の事を思い出し、その詳細な記憶に心がざわついたけれど。

 こちらはいい歳をした学生だ、子どもの軽口に口を尖らせるのも大人げなさ過ぎる。


「勿論、またご訪問させてください」


 実際、誰かに声を掛けられないと自分から孤児院を訪問するのは難儀な事だ。

 特にシリウスが経営に携わっているところなので、彼に話を通さず通うのも憚られた。

 面と向かって訪問して良いか、と尋ねる機会もないまま今日に至っているのである。

 あの時だって、王子とジェイクに急に行き先変更を告げられて向かっただけだったし。


 リナはその口ぶりから、何度も孤児院に通っているのだろう。

 微笑ましい光景が容易にイメージ出来た。




「………カサンドラ様。あの……」



「何ですか?」






「――いえ。

 ちょっとだけ、嫌な予感がするだけで……」





 アンディが殺されるのではないか、と思えるような状況が起こって。

 クレアが殺されるのではないか、と憂慮して動くような状態になって。




 シリウスに関わるイベントは?

 彼に関わることは同時進行していない! と考える方が楽観的すぎないか?





 互いに言葉で確認するわけではなく、自然に孤児院の建っている方角へと視線が向かう。




 孤児院への、放火――

 逃げ遅れた子供達。



 普段ポーカーフェイスで感情を表に出さない彼が、その惨状に滂沱し崩れ落ち嘆く。

 慟哭する姿は画面の向こう側の出来事だというのに、心に突き刺さった。





 ……。





 

 リナが不安に想い、昨日寝付けなかったという理由もよく分かる。


 何も起こらなければ、それに越したことはない。

 リゼにせよリタにせよ、何かが起こったのか何も無かったのか知るのは再び彼女達に会ってからだ。



 裏を返せば――今は、何が起こっても不思議ではない。

 



「リナさん、お願いがあります」


 思い悩み、沈んだ雰囲気になりかけている彼女にカサンドラは努めて明るく話しかけた。



「今度、わたくしにシュークリームの作り方を教えてくださらないでしょうか」


「……?

 カサンドラ様に、ですか」


 突然シュークリームを作りたいと言われ、リナも戸惑ったようだ。

 話を転換するにしても、違和感があったのかもしれない。


 だが以前王子に手作りクッキーを振る舞った際、シュークリームを所望された事。

 試しに挑戦しても全く上手くいかなかった事を彼女に説明してみせた。




「そういう事情でしたら、是非協力させてください!」

 

 




 勿論、作り過ぎて食べ過ぎて、ダイエットの再来にならないように気を付けないといけない。








 ※







 ――未来が。先に進むことが、明日が、怖いと思う。






 でも……少しで良い、この先に確かに楽しいこともあるのだ! と。

 そんな心の拠り所が欲しかった。


 リナも同じ想いでいてくれるのだろうか。





 これから往く孤児院で何かあるのではないかと緊張に震える彼女の手に、カサンドラは片手を添えた。





 『大丈夫』なんていい加減な事は、口が裂けても言えないけれど。



 


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