第452話 <リゼ 2/2>


 アンディが事実関係の確認のため一旦広間を出る。


 ピリピリとした緊張感に覆いつくされた場所に、ポツンと残されることになってしまった。


 緊張感の出所は主に、険しい雰囲気を纏うジェイクだろう。

 誰も身じろぎせず、難しい顔で腕を組んだままのジェイクの様子を恐々と眺めているようだ。

 彼がこの場で魔法を使って何かを攻撃することはありえないのだが、その気になれば魔物だろうが人間だろうが一瞬で焼き尽くせるだけの力が在ると彼らは目の当たりにしてしまった。


 故に、魔物が鎖から外れて暴れ出す心配よりも、皆ジェイクの機嫌の方をハラハラと伺っている様子でもある。

 ……彼の助力が無ければ魔物に掃討されていたのは自分側だと分かっていても、怖いものだろうなとリゼも理解できる。


 皆が自分を怖がっていることを、ジェイクも分かっているのだろう。

 彼が魔法を使わない、講義から出禁状態なのは彼本人が望んでいることなのかなぁ、と思った。


 魔力は生きている限り永続的に使用できるものではなくて、いつか枯渇するものだ。

 前触れなくパタッと使えなくなる者もいればゆっくりゆっくり出力の下降線をたどる魔道士もいる。

 人を無駄に怖がらせるような力は、別にジェイクも要らないのだろうなぁ。

 剣の習練の方に心血を注いでいるのは、本当は人を怖がらせるような魔力など必要ない、という気持ちの表れなのかも。


 誰かに話しかける事も出来ず、事情を知らない兵士達に「何故女の子がここに?」と不思議そうな視線を黙ったまま受けざるを得ない時間は結構手持無沙汰である。



 ――この一件は全て誰かの手回しの結果、故意に生じた出来事ではないか、と直感として浮かんだ事に着目して掘り下げることにした。



 カサンドラがが言うには、ジェイクにとって大切な同僚であり将来の右腕になるアンディが彼の目の前で”死んでしまう”事が必ず彼の身に訪れる悲劇だということだ。

 偶然にしては、そんなシチュエーションが――世界を何度繰り返しても発生するか? と疑問に思えてしまうのだ。

 時期が早まった、ということもその説を後押しする。


 時期を早める事が出来る――それは自然発生ではなく、人為的なイベントだからでは?



 内乱が起こって、それを鎮圧に向かうのがアンディの部隊。

 クローレスの東地方は他と比べて治安が荒れている事は良く聴く話だし、ティルサでなくても内乱を画策し武力蜂起する町は毎年のように存在する。


 たまたま、ティルサで反乱の気があったことを利用した『何者か』がいて、アンディをそこに向かわせる。

 だが普通の内乱ならジェイクが帯同することはまずない。

 学生の身分だということを度外視しても、ただの人同士の争いに彼の助力など必要ない。

 アンディは有能で過去にも多く功績をあげた騎士なのだ。

 ただの反乱など、あっという間に鎮圧してしまうだろう。


 彼がジェイクを呼び寄せる事態は何かと考えれば、魔物の被害を演出することがとても手っ取り早く可能性も高い。

 アンディが救援を求めなくても、その報せをもってジェイクに接触すれば彼はこうやって単身ででも駆けつけて来てくれる。


 おびき寄せた後、アンディを”始末”する。

 ジェイクは助けに来たにも拘わらず、目の間で友人を失ってしまうのだ。



 裏で暗躍していたのが『王子だ』と後に尤もらしい証拠とともに知らされれば――彼は、その解を握りしめてしまうのかもしれない。



 人の手が入っていないと、ここまで物語に都合よく事は起こらないのでは。

 リゼはそう考えた。


 でも人の手、か。

 魔物を介入させるために魔物の子どもを使う……というのは、眉を顰めざるを得ない残忍な方法だと思う。

 だがもし仕組まれた背景を人間側が知らなければ、魔物を自由に操れる『悪魔』が彼らに無差別虐殺を命じたようにしか見えないのではないか。


 悪魔がこの地上にいるのか、いないのか。

 復活のために既に誰か人間を苗床にして力を蓄えているのか――それは定かではないと思っていたが、こんな小細工を弄して魔物の暴走に見せかけるとすれば、少なくとも今現在、魔物を操れる者はいないのだ。


 ならばやはり、これは誰かの指示を基に発生した人為的な事件と考える方が自然な気がする。




 あれこれ検討していると、アンディが広間に戻って来た。

 そして――逃げ延びてきたティルサの民による証言を、「魔物の言う状況に大きな矛盾はないようだ」と静かに告げた。



 ティルサの住民にとって、少々事情が異なっていたことも付け加える。




 魔物の偵察部隊が町の近隣をうろついている。そんな情報が彼らの耳に入ったことが発端だ。

 これから町の自治権を武力で奪い返し独立を目指すにあたり、まさか魔物に襲われるような事があってはならない。

 下手をしたら正規兵と魔物の挟撃を受け、本格的な戦いの狼煙を上げる前に皆殺しにされてしまうのではないか。

 そう判断した町の男たちは急ぎ、その魔物を討伐しに向かった。


 数体程度の小型の魔物であれば、自分達だけでも何とかなる。

 予想に反し、その魔物達は魔物と言うには烏滸がましい程脆く、小さく、弱い異形であった。


 彼らは小さいからと油断することなく魔物全てを完全に討伐した。


 戦意高揚のために魔物を討伐した事を、殊更大きな戦果として町の人間に触れ回ったのだ。


 

 魔物を打ち倒せる強い味方が沢山いるのだから、領主の正規兵など物の数ではないと王国からの独立を求めた若い青年達は大いに奮い立った。



 ――その行為が魔物の逆鱗に触れ、相打ち覚悟で総力を掛けた彼らに街を襲われることになった。

 アンディ達が街の様子を見た時には既に事は起こった後。





「あいつらが偵察部隊だ!?

 見りゃあわかるだろうが、まだ生まれて数年も経ってねぇチビどもだ!

 人の町には近づくなと言ってあった、連れ去られたか迷い込んだかしか考えられねぇ!」



 狼の形を模した魔物は、大きな口を上下にくわっと開いて再び藻掻き叫んだ。


 

 敢えて間違った情報を町の人間に伝えた誰か・・がいる。

 子どもの魔物を攫ったのもそいつなのかもしれない。


 特殊な状況に特殊な事態を混ぜ込んで、常識的な判断を狂わせる。

 ティルサが魔物に襲われやすい環境を事前に作り出しておいたのでは?




「よく分かった。

 こちら側の軽率な行動が、今回の件の原因に挙げられるようだ。


 ……国も大勢の民を失ったが、お前たちも何百と犠牲になった。

 お前らの怒りを収め我慢しろとは言えた状況ではないが……

 今までと同様人間側に不干渉を続けてくれると言うならこれ以上お前達を追うような事はさせない。

 それは俺が約束する」



「…………。

 ハッ、そんなこと言いながらも、目の色を変えて狩りに来るんじゃねぇのか。

 お前みたいな化け物が、他にもうぞうぞいるんだろ。

 まぁ、どっちみち俺らに戦える奴なんかもう殆ど残ってないさ、好きにしろよ」





同胞こどものために不利を覚悟で立ち上がったんだろう?

 はは、人間よりも人間らしい動機じゃないか。


 大丈夫だ、何とかする」





 ジェイクはそうきっぱりと言い切り、頷いた。



 

 彼の内心は推し量る事しか出来ないが……


 原因がリゼの思った通り人間側にあるとしたら、勝手な都合で子供を殺された魔物を「街を襲った」という理由で討伐をしようなど。

 流石に理もなにもあったものではない、どうかこの魔物がこちらの言い分を呑んで集落の皆に正確に伝えてくれればいいのだけれど。





 ※





 話し合いには同席させてもらったその後、夕食と休憩時間を与えられた。


 窓から射し込む月の光からも分かるように、すっかり夜遅い時間帯である。


 二、三日も休憩なしで馬を駆り、そのご爆睡。

 湯を浴びることが出来、ようやく人としての尊厳を取り戻した気持ちである。


 持ち込んだ荷物の中から着替えを借り、身も心もサッパリだ。

 カサンドラの屋敷を出る前に用意してもらったものだ。中身はシンプルな上着とズボンだが、自分が今まで着たこともないような上質な布で仕立ててあって吃驚する。


 今日一日起こった事を思い出しながら、リゼはぼんやりと壁を見つめる。

 石壁に生じた細かい亀裂、罅割れた箇所を無意識に目で追いながら。


 頭を空っぽにしたいが、まずはジェイクにあの事を話さなくては。

 きっとジェイクだって何故リゼがここに来たのか、そしてアンディを救えたのかということを不思議に思っているはずである。


 ちゃんと説明しなければいけないが、果たしてジェイクが信じてくれるかは話してみるまで分からない。


 うつらうつら、と瞼が降りて来そうになった頃――

 ドンドンドン、と扉が大きく叩かれ跳ね起きる。


 どう考えてもジェイクだろうなぁ、と思ったら本当に扉の向こうにいたのはジェイクであった。



 邪魔するぞ、と一声かけて入って来たジェイクはやはり疲労の色が濃く滲んでいる。

 こんな遠くまでやってきて、しかも早々に魔物と対峙して、そして今回の納得いかない顛末に苦虫を噛みつぶしたような顔になっているのも当然だ。


「はー、疲れたーーー!

 急で悪いが、一時間くらい休んだらこのまま王都に帰るぞ」


「え!? これからですか!?」


 まさか今日ティルサに到着して、その日の夜にとんぼ返りになるとはリゼも思っていなかった。

 夜にベッドで休んで帰れるものだとばかり思っていたので、声がひっくり返りそうだ。


「俺だって休みたいのは山々なんだけどな。

 ……今回の件、一刻も早くシリウスに伝えに行きたい」


 言われてみれば……

 ティルサという一つの町が魔物に襲撃された、という情報は既にアンディ達騎士団だけのものではないかもしれない。

 町を逃げ延びた人間が別方向に落ち延び、他の町に辿り着いて救援を要請している可能性。また、町に用事があった隊商や旅人が街が壊滅状態だと知って中央に報告へ向かったかもしれない。


 今回の魔物の襲撃動機を知っているのは自分達しかない以上、少しでも後れを取ったら――

 ジェイク達の関与できないところで魔物討伐部隊が編成されてこちらに行軍を始めるかもしれないのだ。


 魔物に向かうなら宮廷魔道士の出番だが、彼らが一度動き出したらジェイクでも待ったをかけるのは難しい。魔物が人間に危害を加えたのは事実だから。


 宮廷魔道士のお偉いさんに顔が効くシリウスに状況を報告し、討伐以外で別の解決策を模索するべきだと言いくるめる必要があるわけだ。


 一刻も早く。

 夜明けまでも待っていられない、強行軍。


「お前を残していくわけにもいかないしな。

 無理をさせるが頑張れるか?」


 ジェイクに置いて行かれるわけにはいかない。

 幸い昼間に仮眠をとれたので、多少の無理は効くはずだ。


 自分にそう言い聞かせる。


「大丈夫です!」


 グッ、と拳を握りしめてリゼは力強く頷いた。

 こんなところで音をあげている場合ではないのだ。


 それに――一刻も早く王都に戻りたいのは、リゼだって同じだ。

 皆にアンディの無事を報告したい。

 カサンドラ達は喜んでくれるだろうか。



「出発前にお前の話を聞かないとな」


 ジェイクはそう言ってこちらに近づいて来た。

 元々狭い部屋なので、家具らしい家具は小さめの寝台くらいしかない。

 その上にちょこんと腰を下ろしていたリゼだが……


「………!?」



 ジェイクが隣に座った、かと思いきや。

 急にぐいっと身体ごと持ち上げられ、彼の膝と膝の間に平行移動――そのままストンと座らされてしまったのである。

 全く身構えていなかったせいもあって、リゼは何が起こったのか即座に判断できなかった。



 後ろから完全に抱きすくめられている姿勢になっている……!




 背中や後頭部が彼の上半身に完全に当たっている。

 思わず反射的に前に飛び出そうとしたが、思いっきり腹に腕を回されてしまったのでそれも叶わない。


 いや、別に逃げたいわけではない。慣れない状況に対する条件反射のようなものだ。

 が、心臓が口から飛び出しそうなくらい暴れている。



「で、どうしてお前がここにいるんだ。

 ……何か理由があるんだろうと、さっきも同席して話聞いてもらったけどさ。

 説明する気はあるな?」


「あ、あります!

 ありますから……!


 でも、この体勢はどうかと」

 

 声が頭上から降ってくる。

 真正面にも横にも話す相手がいないというのは、物凄く不安定な状態だと思い知る。

 


 彼に話をしなければ、と考え。

 果たしてどう口火を切るべきか悩んでいた数分前の自分が爆発四散した状況だ。

 顔が赤いのがバレないのは助かるかもしれないが、そもそも顔が赤くなるのはこんな体勢だからで……


 目がぐるぐると回りそうだ。



「嫌か?」


「いえ!? そ、そういうわけでは。

 慣れないので、ちょっと話し辛いかなと」


 ストレートに切り返され、一層口籠る。

 唯一の救いは、先ほど久しぶりに張った湯に入った後だという事実だけだ。

 数日の間被ったままの埃を落とした後で本当に命拾いした。


「じゃあ慣れろ」


 今から思い返せば、偶然やらアクシデントやらもあって彼に接触する機会は多かった気がする。

 その度に心の中で悲鳴をあげていたものだが、全く偶然でも何でもなく、完全なる意思で動けないほど抱き締められるというのは当然初めての事だ。

 感情の大波が小難しい話の一切合切を押し流していく。


 ヘソの辺りで交差する彼の腕の力が、一層強まった。

 滅茶苦茶、近い。

 左肩の後ろから重低音の声が響く。




「俺はずっと、こうしたかった」





 誤解の余地もないハッキリとした言葉に、リゼは――現状をあるがまま、受け入れることにした。


 耳の端まで真っ赤になっていることだろう。






 ※






 何とか四苦八苦しながら、リゼはカサンドラの屋敷で聞かされた突拍子もない話を再現するようにジェイクに伝えた。


 ゲームだとか、シナリオだとか。

 そういう異世界の知識に関しては漠然とした理解だが、彼女の言っていることを信じざるを得ない状況だと思う。


 自分がギリギリでも間に合ったのは……

 主人公という特殊な立場だから?

 運命を無理矢理手繰り寄せる事が出来た結果と言われても、納得せざるを得ない状況ではないか。



「……。

 ここが物語を基にして創られた世界で、しかも何度も繰り返している、と。

 ……ふーん……」


 まさかリゼがそんな突拍子もない非現実な話を持ち出して来るとは思っていなかっただろうジェイクは、かなり面食らったようだ。

 リゼが聞かされ、知っていることは伝えたつもりだ。


「やっぱり、信じられないですか?」



「いや? むしろそっちの方がスッキリする。

 カサンドラが未来で起こることを知ってたから、お前がここに来たってわけだ。

 こんな状況で疑ってもしょうがないだろ、それに……」



 ようやく少しこの体勢にも慣れた。

 ずっと真後ろにいるジェイクに話をするという妙な状況だったことに加え、彼の反応も気になる。

 首を傾け、斜め上を見遣った。


 至近距離の橙色の瞳と視線が合って、再び息を呑んだ。





「カサンドラって妙に要らん情報知ってるから、前々から不思議だったんだよなぁ。

 人が変わったってのも、そりゃあ異世界人に入れ替わられたんだから当然だな、うん。


 それなら納得」





 案外、すんなり受け入れてくれたようだ。

 思った以上に素直な人だ……!





 ジェイクの父であるロンバルド家の当主が、王妃や第二王子を事故に見せかけて殺害したという事については自分が話して良いのか分からなかったので伏せてある。

 そして死んだはずの第二王子が、アレクという名前でカサンドラの義弟になっているということも。





「でも絶対その物語おかしいよな。

 お前が聖女の素質があるのはまだいいとして、アーサーが悪魔に……ねぇ。

 ないだろ、どういう状況だよ一体」




 その点に関しては、また皆と話し合わなければいけないだろう。

 自分がいない間、進展があったかもしれない。


 何よりアンディが無事だった、ということは大切な情報だ。



 大丈夫、きっと未来は変わる。

 変えられる。










   早く皆のところに戻って、伝えたい。




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