第451話 <リゼ 1/2>






   『好きだ』と言われた。






 頭の中がふわふわしている。


 実は夢ではないのか?

 と、何度も頬をつねってみたが、ただ痛いだけ。……どうやら現実のようだ。



 リゼは狭い寝台の上に仰向けに寝転がったまま、衝動的に叫びたくなる気持ちを必死に押し殺し腹に力を籠めている。


 自分の正直な気持ちを言おう、という決意は確固たるものだった。

 だがそれをジェイクが受け入れてくれるかどうか、好きかどうでもいいか、というところを実のところ深く考えていなかったのである。


 普段のやりとりからして、嫌われているとは思わなかったけれど。

 でも言ったら迷惑だろうなぁ、という不安が纏わりついていた。



 現状維持でいいじゃないかと、卒業までは今の関係を壊したくない――

 つい数日前まで、自分は真剣に考えていたというのに。


 そんな玉虫色の現状を善しとする自分が嫌になった。


 何かに口元を覆われ塞がれているようで気にくわなかったと言っても良い。


 その後の事なんて考えていたら、動けるものも動けない。

 そう覚悟して言えた時は一瞬で目の前の霧が晴れた気持ちだった。

 自分一人の感情ではなく、向ける先があることが嬉しかったのだ。



 それがまさか彼の答えが肯定的なものであったのだから吃驚する。

 尤も、その後に聞かされた話にも当然吃驚したけれど。



 ……でも、あの言い方だと…… 


 リゼは彼との会話を思い出しながら、いてもたってもいられず起き上がる。

 寝台に腰を掛けたまま、背中を丸めて懸命に気恥ずかしさに堪えていた。




  ――え!? 結婚!?




 つい一日前まで、玉砕しても良いからとりあえず気持ちだけを伝える意気込みで動いていた。

 アンディの命を救えるものなら救いたいと思っていたが、全ての行動意欲の根源にいたのはジェイクなのだ。

 彼に悲しんで欲しくない、という想いの方が強かった。


 ……それが今、想いが受け入れられただけではなく、もっと先の未来に繋がっていると気づいて完全に思考がオーバーヒート状態である。


 落ち着け、落ち着け、と。

 自分の意思を無視して全力で左胸を打ち付ける心臓に手を添え、リゼは必死に言い聞かせる。

 ここで奇声を放って、誰かに聞かれでもしたら変人扱いを受けかねない。



 リゼが通っている王立学園は貴族の子女が沢山だ。

 どこを向いても、視線の先にいるのは王侯貴族の一員の皆様。

 当然普通に皆、婚約者なる存在を標準装備しているわけだ。


 ……交際という段階をすっ飛ばす、貴族間の政略結婚。

 だから結婚だの婚約だのという単語は聞き馴染んだ響きのはずである。


 だがいざ自分がその波に乗れるかと言われると、全然話が違う。

 そんなに簡単に、嫁とか結婚とか単語が出て良いのか?


 ジェイクはロンバルド侯爵家の嫡男で、大貴族の御曹司である。

 ゆえに誰かと交際する、付き合う、という段階を認識していないのでは? という疑問が湧いてくる。


 彼の頭の中では「この女性」と決めたり決められたら、絶対に結婚するものという固定観念が存在しているのでは……?


 庶民の感覚だと、まずは気になる男女の想いが通じ合ったら、まずは交際期間と相場が決まっている。

 人生を共に過ごすに足る相手と決心するか、外堀を埋められるか、惰性か――で、縁があって婚姻関係に最終的に行き着くわけだ。



 いきなり、こんなに衝動的に重要な結婚相手を決めて本当に良いのだろうか。

 いや、自分はそうなったら物凄く嬉しいし、一生一緒にいられるのだから幸せなことだと思う。



 うーん……


 まだ学園生活は続く。

 余程の事情がない限り、学生結婚は推奨されないお国柄だ。


 何か動きが在るとしたら卒業後、残された在学期間は結婚を前提とした交際期間、という位置づけになるのだろうか。

 それはそれで、色んな意味で心臓に悪い。


 折角想いが通じたのに、その期間で「やっぱり何か違う」と思われたらどうしよう、という色々な可能性が別の角度から勢いをつけて降り注いでくる。

 想いが叶えば完全無欠な幸福を手に入れられるなんて単純な話はない。




  ――実感なんて無いに等しいのだ。

 




 そもそも、リゼは学園に入るまで恋だ異性だという浮ついた話を鼻で笑っていたような人間である。

 努力が実って想いが通じたとしても……

 その先の教書は真っ白だ、白紙の紙面が続くだけ。



 紅くなったり青くなったり、難しい顔をしているリゼ。

 ジェイクが部屋を出て行って四半刻が過ぎた頃、扉が遠慮がちにノックされた。


 膝を立てて座るというお行儀の悪い格好をしていた自分に気づき、慌てて居住まいを正す。


「はい、どうぞー」


 このノックの仕方は恐らくジェイクではないだろうな、と思う。

 遠慮がちにコツコツ手の甲で打つ理由もないし。


「休憩中ごめんね、失礼するよ」


 聞き覚えのある声に、リゼは勢いよく顔を上げた。

 元気そうな様子で、にっこりと微笑む年上の青年騎士アンディが視界に映り込んだ。


 膝と膝をくっつけ、更に背筋を伸ばす。


「……アンディさん!

 良かったです、無事だったんですね」


「お陰様でね。

 ありがとう、全部君のお陰だよ。

 助けてもらえなかったら、今頃この世にはいなかっただろうね」


 そう言いながら彼は自身の喉仏あたりをトントンと指先でつついた。

 彼も自分へ向けられた殺意を悟り、飛んでくる矢に気づいていたということか。

 流石は熟練の騎士である、動体視力も半端ないということが分かってしまう。


「いえ、決して私だけの力というわけでは」


 全てはカサンドラや王子達の助言の結果だ。

 そう思い返すと空寒さを覚えるけれど、こうしてアンディは今の段階でも生きている。


 勿論、まだティルサという地方の内乱に関わる一件が全て収束したわけではない。

 この先も彼は命を狙われ続けるのだろうか?

 答えのない未来のことを考えても、決してすっきりすることはない。


 今はこうして彼が目の前で微笑んでいるという事実を喜ぼう。


 ――間に合った、それだけで十分だ。


 そしてアンディが実際に危機に晒されていた以上、あの話は俄然真実味を帯びる。




「体調に支障が無かったら、是非君にも来て欲しい。

 私達と一緒に、話を聞いてもらいたいんだ」


「体は大丈夫ですけど、話って何ですか?」


 ジェイクに対して話さなければいけないことは山ほどあるのだけど。

 それより先に騎士団の方から話を聞いて欲しい、とはこれ如何に。


「ティルサの町を壊滅させ、今日までこの砦を攻め立てた魔物――その一匹を捕縛することに成功した。

 これから捕虜の話を聞く手はずになっててね。


 ジェイク君も、可能なら君に同席して欲しいと言っているよ」


 ティルサの内乱ということで、本来は人同士の戦いであるべきだった。

 それなのにアンディの指揮する部隊が籠る砦を襲っていたのは大勢の魔物の群れ。そんな信じ難い光景が広がっていたわけで。


 常識では考えられない、大規模な魔物の襲撃をリゼも目の当たりにした。


 ジェイクが遠慮なく魔法を使っていたお陰で場所の特定は遠くからでも容易かったが、緊急事態過ぎる話ではないか。


 魔物が何故、地方の町を襲ったのか?

 その疑問の答えを知っているのは襲ってきた魔物側だけだろうが、意識のある魔物をしっかり拘束出来たのだから騎士団は有能だ。


「え!? 良いんですか!?

 良いなら、行きます。

 ……私も、何があったか聞きたいです!」


「うん、それじゃあ一緒に行こうか。

 私達も魔物がこんなに徒党を成して人里を襲うなんて初めてのことで、面食らっているんだ」


「そう……ですよね」


 魔物が人間の生活圏に出没することは中々考えづらいことだ。


 彼らはかつて大陸の覇権を巡って人間と争い、敗れた種族だ。

 動物の形などを模しながらも、言葉を話し、簡単な道具を利用でき、社会性をもって集団生活を営むものが魔物だと言われている。


 動物と違ってはっきりとした知性があり、人間には甚だ敵対的。

 二本足で歩く魔物も多く、人間と動物を悪意をもって融合させたかのような禍々しい見た目を持つ者が多い。

 元は魔王の治める異界にいた生き物で、この世界を侵略するため放たれたものだという説もある。

 人語を理解し、意志の疎通は出来るが対立や抗争を経た歴史を持つために決して受け入れらることのない敵性種族。


 彼らは魔法の力を恐れ、人の踏み込まないような僻地や山岳に暮らしている。

 人間に恨みを持っているけれど、侵攻すれば返り討ちに遭うという現実を前に棲み分けを望んでいる状態だ。


 人間側だって、わざわざ害をもたらさない魔物相手に戦いを挑むような真似もしない。

 魔物だって殴られれば殴り返してくる、下手に危機意識を与えて集団で街を襲われたら普通の人間の集落ではひとたまりもないのだ。



 ジェイクの魔法で瞬殺が出来る群れでも、今回のように魔道士がいない街一つを落とすことは容易い。いや、仮に魔道士がいたとしてもあの物量で突然現れたら普通の身体能力しか持たない魔道士にはなすすべもないだろう。


 無駄に魔物と争い死闘を繰り広げ国力を下げるような事はしない、かかってくる火の粉だけ振り払え。

 だがもしもの時のために魔法の研究や習練は怠るな――それがクローレス王国の方針だと歴史の授業でも習った。


 聖アンナの提唱した通り、人と魔物は共生は出来ずとも別々の生存圏で生きることは出来るのだから。

 


 リゼが今まで生きていた田舎の村でも魔物の被害なんて聞いたことがない。

 王都にいれば猶更、聖女や悪魔や魔物なんて本当に存在したのか疑わしい、そんな物語の世界の存在でしかなかった。

 領土間の紛争、国境近くの戦いに携わらない普通の民衆の日常は、結構平和なものだ。


 人の敵は、常に同胞――であったはず。

 一致団結した時なんて、無数の魔物を従えた悪魔がこの大地を蹂躙し、西大陸から人間という種が滅亡の危機に立たされたときくらいではないか。




「一体、何があったんでしょうね」



 リゼはアンディと共に、埃が舞う狭い廊下を並んで歩いていた。

 篝火が、石でできた建物内部を煌々と照らし出している。





 ※




 アンディに連れられて入った部屋は、調度品など殆ど置かれていないだだっ広い石畳の広間であった。

 部屋の端には兵士が並び、部屋の中央には見慣れない”何か”が拘束され蹲っていた。

 狼に似た頭を持っているが、二足歩行できる魔物のようだ。

 革の胸当てらしきものを上半身に着けていることから、魔物の中でも戦いに長けた者なのだろうことは分かる。


 ただ、その魔物は片方の腕を切り落とされていた。

 しっかりと止血処置を施されているものの、意識を保つのが難しい尋常ではない痛みだろうに。

 その魔物は血走った鋭い目で、正面で威圧するジェイクを睨み殺さんばかりの敵意を隠さない。

 うー、と低い唸り声を発し、緩んだ口元から涎が垂れている。


 パッと見て真っ先に感じるのは『嫌悪』だ。

 元々人間に敵対する存在だからという要素があるのかもしれないが、生理的に受け付けない、得体のしれない”相容れなさ”を感じる。

 いくら獣のような外見を持っていても、本質は全く異なる。

 元は異界の生き物という説も、強ち間違っていないのかも知れないとリゼは内心怯んでしまった。


「来たか」


 注意深く魔物の様子を伺っていたジェイクが、視線はそちらに向けたまま呼びかけてくれる。

 眉を顰め、真剣な表情の彼を見た瞬間浮ついた気持ちが一気に萎んだ。




「傷も深い中、待たせて悪かったな。

 話だけ聞かせてくれたらゆっくり休んでいい」


 どうやら二度手間にならないよう、彼への質問はストップしていた状態だったようだ。

 アンディ、そしてリゼが少し遠巻きに魔物の様子を伺っていることを確認するとジェイクは抑揚のない声で捕虜にそう告げた。

 人同士の争いでもないのに捕虜という言い方もおかしな状況だが。



「…………。

 ハッ、どうせ殺されるんだろう?

 まぁ、今更もうどうでもいいがな」



「そりゃあ殺してやりたい程、こっちも腹が立ってるさ。


 だが、約束は守る。

 俺が知りたいのは、そっち側の事情だ。


 お前だって、このままだと何が起こるか分かっているはずだ。


 ――中央から魔道士が押し寄せて来るぞ?

 このあたりに住む魔物を探し出し、掃討して回ることになる。


 今回の襲撃に関わっていない集落の魔物まで、魔道士連中と騎士団総力で全部狩る。

 そうしないと、皆が安心して暮らせないからな」


 ジェイクは本当に淡々と、魔物を宥めるように言葉を選んでいる。

 実際に彼の言う言葉は脅しでもなんでもない、町一つを壊滅させた危険な魔物の群れが現れたと報告をすれば、この近隣を根城にしている魔物は見つけ次第問答無用で倒されてしまうだろう。

 害虫を駆除するように。





「――……が……」




 魔物は更に恨みを籠め、低く唸った。





「お前らの……せいだろうが!

 なぁに言ってやがる、最初からそのつもりだったんだろ!?」



 鎖によってぐるぐる巻きにされた魔物は、その戒めを片腕で藻掻いて抜け出そうと身を捩る。

 だが流石に本来の力は発揮できず、灰色の床を舐めるように這い蹲った。


 だがそのままの姿勢でも憤りが止まらない、魔物は咆哮する。



「先にこっちに手ェ出したのは、そっちじゃねぇか!

 オレらが一体、何したってんだよ!」



 先に街を襲ったのは魔物の方だ。

 そういう認識の強い自分達にとって、その言葉は驚きに値するものであった。

 



「………?

 どういうことだ」



「どうもこうもねぇわ!

 オレらのムラからガキかっさらって何人も殺したのは、あの人間どもだ!


 ……殺された後まで石を投げられて……ぼろっぼろになったまま捨てられて……

 そこまでされて、我慢できるわけがねぇだろ。

 長だって、こんなん全滅覚悟だ!



 ――どうせてめぇらに殺されるんなら、一匹でも多く殺してやる」



 彼ががなり立てる話の内容が全く分からず、リゼとアンディは顔を見合わせた。

 この魔物の話に、想像が全く追い付かないのだ。


 流石にそんな訴えが来るとは思っていなかったのだろう、ジェイクも驚いてもう一度聞き返す。



「魔物を……?

 ティルサの人間がやったのか?」



「他に誰がいるんだ」



「そうか。

 ここにはお前たちの襲撃から逃げた人間も多くいる、事実かどうか確認は可能だ」


 この魔物の言った事が正しければ、本当に彼らは報復、復讐のために街を襲ったということになる。


 嘘をついてまで人の町を襲撃する理由もないだろうが、俄かには信じがたい話だ。


 彼らとて、大暴れしたところで結局は追い込まれるのは自分達だという覚悟を持っていた。

 全く見当違いの理由で、無理をする動機もないが……


 事実であれ勘違いであれ、魔物達が集落の子ども達を攫われて無残に殺されてしまったことに腹を立てていることに変わりはない。

 多くの人間が凶悪な武装をし、自分達を狩る準備をしていると判断したのなら――



 やられる前に、やれ、という考え方は実に魔物らしいではないか。



 実際にティルサの民は、内乱を起こし領主を襲うなど戦闘状態にあった。

 アンディ達騎士団が鎮圧に向かったというのは武力蜂起があったからだ、当然武装した町の人間も多かったはず。



 町を闊歩する戦闘要員を魔物を討伐に来る勢力だと勘違いし、先手を打って先に攻め込み滅ぼそうとした。



 同胞の子らが見るも無残な姿になり果て、しかもその子供達を襲ったと思われる町の中では武器を振りかざした人間ばかりが集まっていた。



 狩られるのが自分まもの側だと勘違いしても無理はない……か?



 アンディ達騎士団を見て町の人間の加勢に来たと判断したから、死に物狂いで襲い掛かった。


 それならアンディ達を砦に追い込んだ後も、ジェイクに薙ぎ払われても、可能な限り徹底交戦する姿勢だったことも納得できる。

 彼らは討伐されることを覚悟の上、座して排除されるくらいなら一人でも多く倒そうと人間憎しで攻めてきたわけだ。





 リゼは腕を組み、渋面を作る。





 短絡的で向こう見ずな行動は”魔物らしい”と言えばそれらしく感じる。

 だが集落で子供を大切にするという社会性を持って暮らしている彼らが、状況判断だけで人の町に特攻をかけるものだろうか。

 


 ジェイクの言う通り、この地方全域に魔物討伐令が出されてもおかしくないのに?


 黙っていても殺されるくらいなら、という気持ちも分かるが……

 話し合いさえなく、襲い掛かるものなのか?

 敵対種族だから?


 




「ティルサの住人に、話を聞いてくるよ。

 少しばかり時間をもらえないかな、ジェイク君」



 この魔物の苦し紛れの作り話という可能性も捨てきれない。

 アンディは即座に手を挙げ、提案する。




「ああ、頼む」







 リゼはモヤモヤしていた。




 もしかして……

 これ、何者だれかが仕組んだ事なんじゃ………?





 疑問が、焦燥感が、リゼの周囲に湧き上がり渦巻いていた。



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