第449話 二人に相談



 果たしてリゼは、そしてリタはどのような状況に置かれているのだろうか。



 彼女達に任せた以上、今更カサンドラが焦ったところで何の役にも立たない事は分かっている。だが全く予測のつかない暗闇の中に放り出されたようで、全く落ち着かない日々が続いている。



 信じるというのはとても難しいと痛感する。

 一歩間違えれば、丸投げになってしまいかねない。



 自分に出来る事は――

 例え彼女達が最善を尽くした行動をしても、その結果を受け入れて今後どうするかを考えるのみだ。

 任せた以上、如何なる結果が齎されても自分は納得するだろう。


 きっと、王子もアレクもその心積もりで彼女達に託したのだ。


 自分も、考えよう。

 ここ数日で様々な情報が一斉に噴出して、余りにも焦点が定まっていないと思う。

 混乱に混乱を重ねている状態だ、そんな中でも冷静に出来る事を、と実行に移している王子やリゼ、リタ達は凄いと思う。



 軸が揺れるのは、良くない。

 自分にとって何が一番大切なことか今一度振り返って考えるべきだと、カサンドラは自室の机に座り瞑目していた。


 そう言えば、最初に『前世の記憶』を思い出したと勘違いしていた時、ゲーム内の情報を紙に書きだすという作業を行った記憶がチラと過ぎった。


 あの時に書いた紙は既に自暴自棄になった過去の自分が勢いの余り握りつぶし、そのまま屑籠に捨てられてしまったので現存しない。

 今から思えば、最も記憶が新しい段階で詳細な条件・内容を記録しておくべきだったのだ。勿体ないことをした。


 前世の記憶を思い出した、と認識していた。

 一度思い出した記憶が薄れていくなんて、一年前は全く想像していなかった。


 だがいくら自分が直前間まで周回プレイしていたゲームでも、一年も経てばぼんやりと「こうだったかな?」程度の記憶に退化していく。


 突然前世を思い出したというわけではなく、ゲームで遊んでいた直後の自分の人格がそのままゲーム内のカサンドラに喚び出されたのが”自分”だ。

 新しい知識を覚える事もあれば、逆に過去の記憶は薄らいでいくこともある。

 過去の事は忘れていく、それが人間に備わった標準機能。


 いくら原作を基にした世界に生きているとは言え、パラメータなどの数値が可視化した状態でもないし。

 何より、一日一日が圧倒的に濃い。

 日々の生活を暮らす間に、自分は核心的な何かを忘れているのではないか? という焦燥感にかられた。


 流石に当時のようにスラスラと設定やエンディングの条件、イベントなどを諳んずることは出来ないけれど。

 王子やリナ、そしてアレクなどから聞いた情報とすり合わせしながら現状を再確認したい。



 ……ハッキリ言って、いかなる奇跡が起こったとしても……全てが解決する、パーフェクトな未来は望めないかもしれない。

 不確実で、人間の理解を越えている現象が起こっている。



 あれも分からないこれも出来ないと焦っていては本質を見失いそうだ。






   カサンドラにとって一番大切な”目的”は何? 





 目的を達成するための手段は、何が考えられる?





 ※




 

昼食が終わった後、アレクに聞いてもらいたい『仮説』を思いついた。

 自分の思い込みや先入観に過ぎないと言われればそれまでだが、カサンドラなりに現状を踏まえて考えた事を誰かに聞いてもらいたかった。

 こういう時、事情を知る人物が身近にいるのはとても心強く有難い事だなと実感する。


 一人で悩み続けることはない。

 頼りになる仲間がいる、なんて頼もしいのだろう。


 じーん、と胸が打ち震える状態に身を任せていると、老齢の家令が突然カサンドラ達に来客を告げに来た。 



「――王子がいらっしゃったのですか?

 ええ、いつも使用しているお部屋へご案内して下さい。

 わたくし達もすぐに向かいます」


「畏まりました、お嬢様」


 恭しく頭を下げ、食堂を去っていく家令。

 カサンドラは緑色の目を大きく見開いて今の驚きを表情に出していた。


「兄様、また来たんですか?」


「そのようですね、確か週末はお忙しいと仰っていましたが……」


 そこまで言いかけ、カサンドラは熱くなった頬を両手で隠すように覆う。

 ラルフをその場から追い出すための演技の中、そう言っていた記憶をよみがえらせる。

 同時に間近にあった彼の顔まで思い出し、一気に気恥ずかしさが全身を巡った。


「兄様とお話が出来るのに越したことはないですけど。

 こんなに頻繁で、大丈夫なんでしょうか」


 そう言いながらも、アレクは嬉しそうな表情だ。

 ここのところ、ずっと王子が屋敷を訪ねてくれている――以前まで殆ど寄り付くこともなかったと思えば、雲泥の差だ。


 カサンドラが病気になった時、王子がお見舞いの花を届けてくれて……

 それでも敷地内に入ることは無かったようだ。


 屋敷の場所を知っていた事さえ、今から思えば凄いことのように思える。



「……こうしてはいられません。

 アレク、わたくしは先に支度をしてきます」


 まさか今日王子が訪ねて来てくれるなんて全く予想もしていなかったカサンドラは、自分の格好を食卓の椅子に座ったまま確認して大焦りだ。

 完全にリラックスモードの、ベージュのワンピース。

 全く飾り気もない、辛うじて屋敷内をウロウロ出来る程度の姿は貴族の令嬢としてあるまじき姿である。


 このままの姿で王子に会えと言われたら恥ずかしさの余り蒸発しかねない。

 気心の知れたアレクや使用人の前ならともかく、休日だからと油断している姿を王子に見られるわけにはいかない。



 急ぎ自室に戻り、メイド長のナターシャと一緒に来客向けの衣服をああでもないこうでもない、と選定するところから始めたのである。


 衣装部屋からまだ袖を通した事のない洋服を一着一着手に取って姿見に映して選んでいかなければならない。


 いくら動きやすいとはいえ、地味で年配の女性がするような恰好をするのは止めよう。


 そう決意し、最終的にカサンドラは空色下地のレースワンピースをピックした。

 二枚重ねのワンピースで、上のホワイトの生地は色が透けて中々お洒落だ。

 襟元にはネイビーリボンと、カメリアブローチ。



 王子の前に出て恥ずかしくない格好になっただろうか。




「お屋敷においでになる事が増えましたね。

 王子がいらっしゃるなんて、以前を思えば夢のような話です」


 もう一度念入りに金の髪をかしてもらっている最中、ナターシャが嬉しそうに顔を綻ばせながらそう言った。

 カサンドラや当の王子の内実とは裏腹に、最近のレンドール別邸の使用人達は軒並みモチベーションが上がっているようである。


 彼女達の気持ちは分からなくもない。

 入学した当初は、王子の婚約者と言っても名ばかりの状態であった。

 彼が直接屋敷に顔を出すなど皆無に等しく、使用人達もヤキモキしていたはずだ。

 蔑ろにされていると思っていた者も、いるかもしれない。


 お茶会やガーデンパーティのために迎えに来てもらうだけでも誇らしげな感じだったのに。

 こうも頻繁に王子がカサンドラを訪ねてくれるとなれば、使用人達の気合の入り方が全然違う。


「お忙しい中、本当に有難い事です」


「お嬢様。

 ……本当に、想いが報われてようございましたね」


 目を細めたナターシャの穏やかな表情に、うっと胸が詰まった。

 カサンドラが王子の事を好きで好きでしょうがないというのはこの使用人の共通認識である。

 隠す気もサラサラなかったが、特にナターシャには王子のためにと色々協力を要請したので現状を喜んでいる一人のはずだ。



「ええ、今でも信じられないくらい……嬉しいことです。

 いつぞやはナターシャには迷惑を掛けましたね」


「いえ! 次の王子のお誕生日には、もっと早く入念に準備をしましょう。

 喜んでお手伝いいたします、何なりと私に申し付け下さい!」


 彼女の頼もしい激励に、カサンドラは鏡の中に自分の顔を映したまま。

 想いを確認し、一度頷く。




 今までカサンドラは、ずっと王子の事を考えて日々過ごしていた。

 一番大切なこと、何よりも優先すべきことは何なのかちゃんと分かっている。


 




 カサンドラは机の上に置いていた紙を携え、自室を出た。






 ※ 





 緊張に息を飲む。

 王子とは毎日のように学園で顔を合わせているのに、やはり会う場所が違えば緊張が走ってしまう。 



「王子、遅くなって申し訳ございません」



「やぁ、キャシー。

 いつも連絡なく訪ねてしまっているね。こちらこそ、ごめん」


 ソファに座っていた王子がカサンドラの方に向き直る。

 やはり誤報でも何でもなく、確かに王子だ。


「あの、先日のお話ではお忙しいとの事でしたが……」


 彼が来てくれて嬉しいけれど、無理をして欲しいわけではない。

 本来の予定を無視して自分勝手に動くことで彼の評判に僅かでも瑕が入ってしまうのではないかと思うと足が震えた。

 王子様業の忙しさは、去年チラっと覗き見た真っ黒に塗りつぶされたスケジュール帳で良く分かっているつもりだ。


 本当に自分は休日、のほほんと家で過ごしていてよかったのだろうか?

 王子も去年の段階ではカサンドラとの婚約を継続するつもりはなかったから、敢えて王妃教育だなんだという話を一切話題に出さず自由に過ごせたわけだけど。

 彼との近い将来を考えたら、ちゃんと自分も相応の指導を受けるべきなのではないだろうか。


 ……尤も、現状の問題全てを解決しないと提案し辛いことであるが。


「姉上……。

 そんなに気合をいれなくても」


「アレク!」


 時間をかけて身だしなみを整えてきたカサンドラの姿を一瞥したアレクは、呆れたような表情で肩を竦めた。

 つい、口の端を引きつらせて”言うな!”と言外の圧でアレクを威嚇する。


 先ほどまで一緒に食事をしていて、全く油断しきっていたカサンドラの格好をバッチリ目撃した人間がここにいるという不都合。

 全く、いくら小生意気でさかしい義弟とはいえ乙女心というものをてんで分かっていない。

 これでは彼に恋人が出来た時、きっと相手も苦労することだろう。


「昨日?

 ……ああ、あれは単なるラルフへの言い訳だから。

 まさかこんな状況で、いつも通りに過ごすなんて出来ないよ」


 彼も昨日のやりとりを思い出し、少しだけ気恥ずかしそうに笑んだ。

 土日と会えないから、今ゆっくり話をしたいのだという言い訳……か。

 ラルフもかなり気まずい想いをしたに違いない。


「……。

 キャシーに会いたかった、というのが一番の理由かな。

 折角大手を振って訪ねる事が出来るのだから」


 王子の言葉に、カサンドラは座りかけた腰がそのまま滑り落ちて転んでしまうところだった。

 そんな風にはにかみながら言われると、嬉しくて表情がありえない形に崩れてしまいそうだ。


「はぁ。僕、部屋を出た方が良いですか?」


 若干倦んだ表情のアレクは「あー、暑いなー」と胸元の棒タイを緩めながらパタパタと手扇であおぎはじめた。

 視線を外し、貴族のお坊ちゃんらしくない仕草である。

 彼はすると決めたら本当に実行するので、何も言わなかったらアッサリと気を利かせるつもりで応接室から退出しかねない。


「いいえ! アレクにも話を聞いてもらいたいのです!」


 慌ててカサンドラは去り行こうとするアレクに手を伸ばした。


 王子と逢えた事に浮かれ気分のままではいけない、今日はカサンドラも彼らに聞いて一緒に考えて欲しいことがある。

 だから当然アレクにも傍にいて欲しい。


 間髪入れずのカサンドラの制止に、それなら、とアレクは再度こちらに視線を向けた。



 向かいに座るのは、アレク。

 斜め横に座っているのは、王子。


 丸いテーブルを囲うように話をしている状態だが……


 改めてアレクと王子が同じ空間にいるとその煌めきに目が眩みそうになる。


 王子は制服ではなく私服だ、襟の立った白いシャツ、黒いズボンのシンプルなモノトーンの組み合わせ。派手さは全く無い。

 だというのに、彼自身をこの上なく引き立てて全身がまばゆく光の粒子を振りまいている……!


 同じ格好をその辺りを歩く平凡な青年がしても、こんな高級感など絶対に出ない。

 顔が良い人は何を着ても似合う、を地で行く人である。


 綺麗な金の髪に青い瞳という文句のつけようのない、物語に出てくる金髪碧眼の王子様そのもの。神がかった美の化身として絵画に描かれていても全くおかしくない。

 白馬が似合い過ぎる、カサンドラの好みをこれでもかと積み上げた容姿なのだと今更思い知らされる。

 もはや視覚を殴りつけてくる暴力と変わりない。


 しかも彼の傍にいるのは弟のアレク、攻撃力は更に加速する。

 元々アレクは図抜けて綺麗な顔立ちをしていると思っていたが、王子の弟ならそりゃあ将来の美形を確約されたようなものではないか。

 王子とは違って母親譲りの銀髪だから印象はまるで違うけれど。


 豪華絢爛な兄弟、こうして同じ空間にいるだけで部屋の空気が華やぐというものだ。アレクは先ほど出ていくと言ったが、この場にいてはいけない異物は自分なのでは?


 人間外見が全てではないと思うのだが、彼らは顔の造作だけでなく所作もとても優雅で気品に溢れている。

 飲み物を飲むというだけの一瞬の動作を切り取っても、そのまま絵になる美しさというのは反則だ。



 ああ、いけない。

 朝から王子に関することばかりを考えていたものだから――いざ本人が突然会いに来てくれて、完全に浮足立っている。



 完全に彼らの光輝に当てられてしまったカサンドラ。

 そんな自分に替わって話の口火を切ったのは王子だった。


「……そう言えば城を発つ前、王城でラルフに会ってね。

 声を掛ける事が躊躇われるほど、険しい表情をしていたよ」


「ラルフ様が」


 王子の真面目な顔つきに、カサンドラも浮ついた心を引き締める。


 ラルフが何か行動を起こしている――ということならば、リタの説得が上手くいったのだろうか。


 ラルフに起こるイベント。

 姉が殺されてしまうという結末なんて、絶対に回避したい。


 膝の上に乗せている、四つ折りに畳んだ紙を押さえる手が震えた。


 少なくとも、リタの一件は週明けには何らかの結果として知らされるはずだ。

 王子や自分は現場を探したり近づくつもりはないけれど、気になってしょうがない。


 リゼは? リタは?


 彼女達の手でイベントの結果を変える事が出来れば、何かが変わるかもしれない。そんな分水嶺だと思うから。

 




「ジェイク様のことも、ラルフ様のことも……

 今は、彼女達が事件発生を阻止できるよう祈る他ありません。


 ですがこのまま思考を停止し、報告を待つだけというのも気が重たい話ではないでしょうか。

 わたくしの仮説を聞いて頂きたいのです」


「姉上? 何か気づいたことでもあるのですか?」









 カサンドラは手に持っていた白い紙を広げて中央のテーブルの上に置く。

 丁度三人が囲って見ることが出来るように。



 折った紙同士の擦れる音が、静かな室内を擽った。












    願いはずっと変わっていない。




    王子を――救いたい。




    それがカサンドラの、最優先事項。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る