第444話 <リタ 2/2>


 突然リタが大声を出し、テーブルを叩いたせいだろうか。

 ラルフは戸惑ったような表情を浮かべる。


「……ラルフ様。

 ラルフ様は本当にそうだと……

 お姉さまの言う愛がどうとか、そんな言葉で全部納得できるんですか?」


 真実の愛と聞いた瞬間、背筋がぞわぞわした。


「勿論僕には、正しい言葉の定義は分からない、個人的主観が全ての話だから無駄なことだと思っている。

 ただ、姉さんがそう信じて言い切る以上――否定する権利はない」


 愛情も友情も全ては形のない概念……だからか。


 試験とは違い、明確な正解がない回答だ。

 個人が持つ愛や恋という一つ一つの感情をさし、これは違うこれは形容するに相応しい、と他人が決めることは出来ない。


 どれだけ他者から不思議だと思えても。

 盲目的に見えても。

 想うことは自由だから、邪魔は出来ない。


 そう結論付けるラルフ自身も決して飲み下せているわけではないのだろう。

 ただ敢えて無理矢理自分達の要望を貫き通したところで姉と一層禍根しか残らず、誰も幸せになれないというだけで。


 だから見守ることしか出来ない状況なのだと思う。


「ありますよ!」


 思わずリタは握りしめた両手を、ブンブンと上下に振った。


「好きな気持ちって言うのは、何でもチャラにできる免罪符じゃないんですよ!?

 好きだからって、誰に迷惑かけてもいいなんてことないですよね?


 ――現にラルフ様をはじめとしたご家族の方は、お姉さま自身の事を心配しています。

 しかもお家にお金の要求があるってことは十分被害も受けてるわけで」


 誰かを好きになるのはとてもとても素晴らしい事だと思う。

 それまでの味気ない世界が七色に輝いて見える、その人と一緒にいられるだけで幸せな気持ちになれる。


 前向きでポジティブなイメージだ。

 だからリタが恋愛物語が好きだし、例え叶わないと分かっていてもラルフの事を好きな自分は結構好きだったりする。

 近づけるように努力して、自分も成長できる気がするから。


 だが、真実の愛だなんだと耳障りの良い言葉で取り繕おうとも――この世界で生きていく中で越えてはいけない一線があるのだ。


 もしもラルフに婚約者がいたら、自分は好きになることを絶対にポジティブにはとらえられなかったしただ苦しいだけだっただろう。


 好きになった相手が妻帯者だったら?

 好きになった相手が自分の想像していた人物像と実は懸け離れていたら?

 自分を騙す詐欺師だったら?

 

 そういう恋愛もこの世には沢山あると思うし、当人が真実の愛と言えば世間が納得して祝福してくれるのかと言えばまた違う話だと思う。 


「お姉さまを悪く言いたいわけではないんです。

 でも……ちゃんとラルフ様達に納得してもらえるよう説得する義務があると思います。

 逃げたまま延々と心配をかけ続け、御実家にも負担をかける……そういうのを真実の愛って言われたら……

 何か、本当に真面目に恋愛してる人達に申し訳ないって言うか、うーん」


 自分は何故こんなにムキになっているのか。

 そもそも、人は人、自分は自分。

 他人の価値観おもいを否定できるほど、自分は偉くない。


 でも、嫌だった。

 自分の好きな人が、そんな曖昧で偽善的で、逃げ道に使う言葉に翻弄されてずっと悲しい想いをしているのだと思うと。

 居ても立っても居られない。


 リタは――クレアの言葉を、否定せずにはいられなかった。



「それ、ただの我儘じゃないですか?」



「………。

 そう……なのかも知れないね」


 ラルフは静かにそう呟く。

 ……だがそれと同時に諦観の念も感じるのだ。


 いくら彼女の想いを外野からああだこうだと言ったところで、原因を作ったのは他ならぬ自分だという負い目がラルフにはずっとあったのだろう。

 もっと強く、無理矢理反対する事も出来ただろうに彼女の好きなようにさせている。


 それは過去、自分が姉を追い詰めた結果だ、と。





「ラルフ様はクレア様を知らない内に傷つけていたのかも知れないです。

 でも、今は違いますよね?

 自分の失敗を知って、自分の行動を改められたって言ったじゃないですか。

 それって凄い事だと思うんです!


 相手の事を知ろう、何を考えているのか知ろうって……

 だから……


 私はそのお陰で、ラルフ様と一緒にいられたこの一年、楽しかったです」



 元々リタは分かりやすい性格をしているのかも知れない。

 だけど女の子扱いされるようなこともなかったし、自分の性格上リナのようにはなれないなぁ、と諦めていたところもあった。

 彼は初めて会った時からリタにどう接すれば喜ぶのか分かっていたのではないかというような態度だった。


 いや――


「カサンドラ様でさえ見過ごされた私の変装、分かってくれたのラルフ様だけだったじゃないですか。

 私の誕生日を祝って下さった時、顔はそのままにしてくれました!

 婚約者案件の時も、私の努力を評価して声をかけてくれましたよね!


 ……表面だけ、言葉だけじゃなくて、他人わたしの事を理解してくれようと思ってなかったら、そんな事出来ないですよ。


 ラルフ様。

 自分の行動を変えるって、本当に難しいことだと思います。


 そこまでクレア様に遠慮し続けないといけないんですか?

 同じ姉弟なのに、それは違うんじゃないかって思います。


 ――私は……クレア様の記憶に残ってるラルフ様のままではなくて、今のラルフ様と会って、ちゃんと話をして欲しいです」




 思わず勢いを込めて、一気に捲し立ててしまった。

 いきなりこんな事を全力で訴えられても、彼だって困るだけだろうに。


 肩を上下させていると、呼吸も荒くなる。

 堪えていないと、目から出てはいけない水分が零れてしまいそうだ。

 今はとにかく、クレアの身の安全が最優先だというのに。

 自分の感情に自分で振り回され、勝手に切なくなってどうするのだ。


 しばしの静寂が部屋を支配する。

 雲間から窓へと射し込む光が、雲のかかり具合で光の濃淡を変え。絨毯に焼き付く色を瞬間瞬間で鮮やかに変じていく。




「ありがとう、そう言ってもらえるのは僕も嬉しい」





 ラルフは微笑みながらそう答えてくれた。


 しかしすぐに、また戸惑いや躊躇いを籠め首を横に振るのだ。


「君の言う通り、姉さんの言う”愛”という言葉は、本当にその言葉を使うべき人達にとって失礼な使い方なのかもしれない。

 でもね。

 僕が今まで姉さんの幸せの邪魔をしていたというのなら、例え偽りの想いだろうと……

 今、本人は幸せだと言っている。


 そんな姉さんの幸せを妨げる権利があるのだろうか?」



 幸せの価値観など人それぞれ。

 騙されていても、その時は”幸せ”な時間なのかもしれない。



「――………ラルフ様」  



 今しか、これを渡す機会はないだろう。

 リタはそれまでポケットの中に入れていた、小さな包みをテーブルの上にそっと置いたのだ。




「もしもクレア様が、ラルフ様に助けを求めているとしたらどうでしょう」




 ここに来る前に自分で包んだものだが、余り手先が器用ではないリタである。

 ガチガチに固く紐で縛ってしまって、上手くその包みを開けられなかった。


 焦って、自分で結んだ紐をぶちぶちと引きちぎりながら中身を取り出すという失態を見せてしまったが……

 慌てるというのはやはり良くない事だ、とリタは己の不器用さに顔を真っ赤にしながら”それ”を取り出した。



「これは」


「数日前、ラルフ様の飼われている愛犬が亡くなってしまったと聞きました」


「そう……だけど。

 何故、君がこれを?」


 リタが今までクレアから預かったものだけれども、結局渡すに渡せなかったものだ。

 タイミングが無かったというのもあるが……


 リタはこの犬の首輪の事をどう受け止めるべきか、ずっと考えていたのだ。


 その後カサンドラからこの世界の話を聞き、もしかしたら仮面舞踏会はカサンドラの言う”イベント”の事なのではないかと悪寒が走った要因でもある。




  ――カサンドラに聞こうか迷った。




 ”物語ゲーム”の中で、主人公はクレアから犬の首輪を預かるケースがあるのか? と。



 もしも首輪を預かることが例のラルフの姉殺害事件の件の引き金になるとしたら、もうこれが手元にある時点でクレアには死相が浮かんでいることになるわけだが。

 仮に物語の中で主人公が預かることがキーになるならカサンドラもそれを確認しただろうし。

 仮にリタの聞き損じだったとしても闇の人身売買会場は開かれる事は決定事項だ、とにかくラルフと共にクレアを救いに行かなけれないけない。



 もしもこれが”物語”の中に無いことなら……?

 クレアは自分の意思で、学生にラルフへ犬の遺品を渡してくれと頼んだことになる。


 どちらかの意味を知るため、カサンドラに確認しようかとも思った。

 だが、結局どちらでも同じではないかとリタは口をつぐんだ。



 そもそも、物語内での規定事項であろうがなかろうが、何故クレアはこの首輪をラルフに渡そうとした?



 昔可愛がっていた犬が亡くなったと聞いても、お墓に行くわけでもない。

 ただ手元にあっても困る、と通りすがりの女生徒に「好きにしていい」と遺品を渡す。



 まるで可愛がっていた犬などどうでもいいかのような投げやりな反応だが、ラルフに確実に届く保証もないのに第三者に手渡す、ということが不思議な話だ。

 手元に置きたくないなら自分で処分すれば良い、最初から持って出なければ良かった。



「クレア様に、下校中に頼まれたんです。

 これをラルフ様に渡して欲しい、でも、別に渡さなくても構わないと」


 名前はコロンと言ったか。

 最初は自分に懐いていた仔犬が、ラルフが飼い主であるかのように懐いてしまったと。 


「あの子は、姉さんが拾った犬でね。

 ずっと可愛がっていた、そう、この首輪が黒毛に良く似合っていたな。

 ……懐かしい。


 できれば……姉さんも一緒に、見送って欲しかった」




「ラルフ様、これ、クレア様のSOSじゃないですか?」




 クレアは決して性格が歪んだ悪人というわけではない。

 本当にそんな人間ならば、ラルフがここまで心を配り痛めることもないはずだ。



 ――弱い人や手助けをしなければいけない人を守り、頼られる事に生き甲斐を感じる人なのだろう。



 リナも自己犠牲精神が強く優しい性格――最初にラルフがリナにクレアの面影を見た理由も少し分かる。

 だが自分も長年一緒に暮らしていれば分かるが、リナは決して他人への献身に自分の価値を置いて振り回されるような芯がブレる女の子ではない。自分の価値を他人に依存するような意思の弱い子ではない。

 彼女は彼女なりの別の軸を持った子だ。


 彼女はラルフにコンプレックスを抱いていたと言っていたが、その通り劣等感を抱きやすい自己評価の低い性格の女の子だったのかも知れない。

 あまり優秀ではない弟を助ける事で自分の自尊心を満たし、心のバランスを保っていた。

 

 だがそれがラルフの急成長によって崩れ、彼女は一方的に劣等感に押しつぶされそうになる。

 そんな時に『自分が必要だ』と助けを求め、縋ってくる男性が現れたら……


 己の足りない心を埋めるため、自己肯定感を満たすためにその手をとってしまいたくなるのではないだろうか。



「本当は……クレア様、幸せじゃないのかもしれないです。

 痛い想いしたい人、普通いませんし……」



 生来は気弱で優しい性格なのだろうクレア。


 相手は自分や自分の実家を食い物にする人間でも、弱いところや自分を本当に必要としているところがあるのも理解している。

 究極の破れ鍋に綴じ蓋なのかも知れないが、クレアは完全に相手を”見限る””捨てる”事が出来ない。


   

「この間の演奏会の時も、常に旦那さんに監視されてる感じでしたし。

 自分の意思で話が出来ない? なんて思えたくらいで……

 もしかしたら、クレア様、逃げ出さないように見張られてるのかなって。


 逃げたいって言えない?

 ううん、もしかしたらそういう意識もないのかも?」


 一度添うた相手から逃げる、という選択肢も彼女には最初からないかもしれない。




   求められれば、与えられるもの全てを無理をしてでも与えてしまう。


   それを優しさだと思い込んでいる。





 幼い弟ラルフに対してはその愛情はとても良い方向に働いた。

 だが同じ愛情も、与える相手が違えば結果も違う。



 どこかで違和感を抱いて、逃げたいと思う瞬間があるのかも?

 口に出したらあの旦那さんの事だ、暴力や拘束がもっと酷くなりそうだから彼女は間違っても表に出せないけれど。



 この首輪は――ギリギリ旦那さんが許してくれた、ラルフへ何か届けるための手段だったのではないだろうか。

 それでも旦那さんはクレアやリタの様子を間近で見張り、下手をしたら会話を聞いていた可能性もある。


 不興を買うリスクをとって、クレアは郵送ではなくクラスメイトに言伝という形で渡した。

 それが彼女に許された少ない意思表示だとしたら……




「このままじゃ嫌だから――心のどこかで、ラルフ様に助けて欲しいって。

 そう思ってる、そんな可能性はないですか?」






 全ては憶測でしかない話だ。

 自分が勝手にクレアの思っている事や人格を仮定して……

 もしかしたら全て自分の都合のいいように、ラルフを言いくるめようとしているだけなのかもしれない。


 でも!



 カサンドラは言っていた、ラルフはお姉さんであるクレアの死をとても悼んでいたと。

 助けが間に合わなくて絶望して……

 お姉さんを殺した存在を、そんな目に遭わせた黒幕に憤りを抱き主人公に味方してくれるのだ、と。


 お姉さんが大切な人であることは、時が経っても変わっていないはずだ。


 ただ自分が話し合いの初っ端、緊急性を示すために”クレアの旦那様”が主犯であるかのような物言いをしてしまったせい。

 それでラルフはこの件に手出しが出来ないと諦めてしまったのだと思う。


 



 ならば――なんとしてでも説得する、という鋼の決意に燃えていた。





 ※









「君がくれるものはいつも、予想がつかないね」








 ※





 彼はそう言って立ち上がり、リタが乱暴に破り開けた包みの上、赤い首輪を大事そうに手で拾い上げた。



「ラルフ様?」



「……分かってる。

 君にそこまで言わせて、もしも本当に姉さんの身に何かが起これば……

 僕は絶対に悲しむし、後悔するだろう。



 行動しない言い訳を君にするのも、もう嫌だからね」



 良かった、とリタは胸を撫でおろした。

 全身から力が抜けて、ふにゃふにゃの軟体動物と化したかのようにテーブルの上に前身を乗せて突っ伏した。


 まだ事件が終わったわけではない。

 だがようやく一歩先に進めるのだと、リタは束の間の安堵感に身を任せるのみだ。



「君に聴きたい事は沢山あるよ。

 まずはその”仮面舞踏会”がいつどこで行われるのか分からないとどうにもならない、というところからだけど」



「い、一応週末だと言っていたので。

 今日か明日だと思います……けど」


 それに表ざたには出来ない催しを行うのなら、真昼間よりは夕方以降……夜に行われるのではないか、とは思う。

 もし何かアクシデントがあった時に、闇に紛れた方が誤魔化しやすいだろうし。


「まぁ、全く心当たりがないわけではないから。

 ……流石にこのケースは人手が要る、根回しに行くよ」


「心当たりがあるんですか!?」


 心底吃驚した。

 まさかヴァイル家がそんな催しに僅かでも関わっているなど、到底思いたくないのだけれど……

 いや、黒幕の一人がヴァイル公爵家当主なら、もしや!?


「この前、王都で誘拐未遂事件があってね」


「はぁ」


 聞きなれない単語に、首を傾げる。

 隊商襲撃だけではなく、そんな物騒な事件まであったのだなぁ、とリタはポカンと口を開いた。


「実行犯が言うには、捕まった女の子はある貴族に売られ、更にどこかに商品・・として出される予定だったのだとか。

 聞いた時は誘拐犯にしては稚拙な出鱈目、荒唐無稽な話だと思ったけれど……

 闇の深い組織がこの国にあるのは本当みたいだね」


「……。」


 そういう情報が下地にあったから、突拍子もない! と一刀両断されずにすんだのか。

 リタは少し納得した。



「まぁ、それはジェイクから聞かされた話だけどね。

 確かに無関係な話ではなかったし」




 じろじろ。



 何故かラルフの視線が頭上から突き刺さってくる。


 まるで自分も関係者の一員であるかのような意味深長な視線に、今度は身体が仰け反る。


 一体自分がその誘拐事件とやらと、何の関係があるというのだ。

 お偉い人の考える事はよくわからない。



「え、ええと。

 時間が無いかもですし、お話はまたこの件が終わったら……!」



 与太話をしている間にあと一歩間に合わなかった、なんて事になったら目も当てられない。

 リタがそう言って無理矢理笑顔を作って立ち上がると。



「そうだね。

 この一件が終わったら――」



 ラルフはニコッと優しい笑みを浮かべ、事も無げに一言。




「あんなに怒るほど、君が好きな相手は誰かということは聞かせてもらおうかな」

 

 それじゃ、準備があるから少し待ってて、と言い置いて彼は部屋を出て行った。


 足音が遠ざかる。







   …………ん?






 


『私だけじゃなくって!

 カサンドラ様や、リゼやリナ――世界中で恋愛してる女の子達に物凄く失礼だと思いませんか!?』






 私だけじゃなく……


 私……?


 わた…… 






 ………――ハッ。







   自分がうっかりとんでもない発言をしてしまったことにようやく気付いたリタ。



   一人残された部屋の絨毯に身体をパタッと横たえたまま、石像と化した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る