第442話 現実逃避?
まだドキドキしているが、いつまでも無言で部屋に佇んでいるわけにはいかない。
未だよろめく足の先に力をこめ、カサンドラはようやく立ち上がる。
会議で自分が座っていた席に着くことに何とか成功した。
会議の席順は去年と変わらず、完全に見慣れた風景に落ち着きを取り戻す――けれど、王子はやはり躊躇った後、カサンドラの隣の席に腰を下ろした。
ラルフの席を借りて腰を下ろした彼は、僅かに椅子の位置を横にズラしていた。
一定の距離を保とうとする気遣いなのだろうか。
無人の生徒会室とは言え大きな声でする話でもない、だから彼が近くに座るのは当然の事だ。
そんな些細な事に一気にドキドキが再燃しようとする自分を心の中で叱咤し、彼の方に向いて座り直した。
「お話する時間を作って下さってありがとうございました。」
『時間の作り方』については敢えて触れず、カサンドラは頭を下げた。
ここで再度言及したら話も始まらずラルフも待ち惚けを食らって、怒りのボルテージが更に上がる一方に違いない。
「私も今日はレンドール邸にお邪魔するのは難しくてね。
――例の舞踏会の件について、君と話をしておきたかった」
緊張に喉を鳴らして真剣な眼差しの王子と向き合う。
何が真実で、何が裏側にあることなのか。
自分達が確証を持つことは難しい。モヤモヤしていて、ただ不穏な空気だけが周囲を覆っているような気がする。
そんな中、王子を始めアレクや三つ子達がそんな不安を理解してくれていることが何よりも救いであった。
「まず結論から言えば、仮面舞踏会の催しはない。
昨日私が確認した限りは、だけれど。
少なくとも王都内でそんな話はどこにもない、王城で探りを入れてみたけれど同じだった」
連日カサンドラの家を訪れ、更に王城に行けばあれやこれやと情報を集めなければいけない。
彼にしか出来ない事とはいえ、大きな負担をかけていると申し訳なさが押し寄せてくる。
城内の噂話や出来事、そして王国運営に関わることは城に出入りしていないカサンドラに把握する術がないのだ。
「……ということは、やはりリタさんの懸念は正しいのでしょうか。
クレア様の身に危険が迫っていると」
「君が以前話してくれた、今後ラルフに起こる事が前倒しになってしまったのなら――細部に違いがあるけれど、良からぬことに巻き込まれる可能性が高いのではないかと思うよ」
少なくとも、何も起こらない! 気のせいだ! と断定できる要素はない。
その逆も然りという煮え切らない現状であることに変わりはないのだけど。
「その、ラルフ様の一件なのですが。
週末ということは、時間も迫っているのではないかと思われます」
「明日か、明後日。
確信が持てなくても、クレアさんには注意を呼び掛けた方が良いと思う……けれど、一体どう促したものか。
私も彼女には避けられている。やはり行動するならラルフが一緒の方が都合がいいかな」
「王子、そのことなのですが。
今朝リタさんの相談をお受けしたのです」
「……ああ、そう言えば朝、凄い勢いでキャシーが攫われたね」
やや強引で目立つ方法であったが、無事に二人で話が出来た。
クラス中の注目の的になっていたようで、ホームルームが始まる前に慌てて教室に戻った時の突き刺さるような生徒の視線が痛かったことを思い出す。
流石のリタも一斉に注視され、苦笑い状態だったし。
「今回のラルフ様の件、自分一人に任せてもらえないかと……」
「……リタ君が?」
こくり、と頷いた。
彼女なりに思うことがあるのだろうということ。そして王子や自分が『現場』に直接関わることで、不都合が生じるのではないかと心配していたということ。
それらを簡単に王子に告げると、やはり難しい表情で渋面をつくる。
一人で――いや、ラルフと一緒に何とか出来るならそれに越したことはない。
だが最悪のケースを考えると、クレアは帰らぬ人になってしまう可能性があるのだ。
事前に気づき、救出の余地が残されているのにみすみす見過ごしてしまったら?
自分達は後悔するのではないか。
もしも気付かないままでも、気づけなかったことを悔やむ。
気づけていたのだから、もっと悔やむ。
「そう、か」
「王子。
わたくしは、リタさんの気持ちも分かります。
どうにもならない場合は手助けの余地が残っているかも知れません。
ですがリタさんが望む以上、クレアさんの件は――」
リタはごく普通の女の子である。
今のリゼのように肝が据わっているというか、剣術などの戦いを経て得た動じない精神を持っているわけではない。
ましてやリナのように、過去の記憶を思い出したというわけでもない。
この間の話し合いも、彼女は素直な意見や疑問を言ってくれたけれども、終始落ち着かない様子であった。
現実だと受け入れたくない、信じられないという気持ちが大きかったのだろうと思う。
それでも自分の”気づき”から、目前に迫るイベントのことを発見できたわけだ。
信じたくない現実と向き合う勇気を持ってくれた。
好きな人のことに関わる事なら誰かの手に頼るより、自分で何とかしたいと強く思うのは自然な感情だと思う。
――ここで自分達が仮に、クレアの後をつけて会場を見つけ、首謀者を縛って結果的に命を救えたとしても。
それでは結局、クレアやラルフの関係は何も変わらないまま。
クレアの命が救われても、ラルフ自身は救われないかもしれない。
まぁ、勘の良いリタが”危険な気がする”という以上、後に全ての責任を押し付けられるのかも知れない王子が――決して表に出せない現場にいるのは不用心なのは確かだろう。
何故そこにいた? 最初からここで何が行われるか知っていたのではないのか? なんて、王子を邪魔に思っている三家から難癖をつけられても筋道だった説明が出来ない。
王子は苦笑し、肩を落とす。
「今の状況を振り返ろう。
元々リゼ君にジェイクの事を任せている時点で、私達は未来を物語の主人公――フォスターの三つ子に託したようなものだ。
この世界が君達の言うように主人公を中心に創られたものなら、彼女達の意思が大きな変化を齎すきっかけになるかもしれない。
逆にリゼ君、リタ君をして『事件発生』を阻止できないなら、果たして私達に止められるものなのか? とも思う。
キャシーは”物語の軸に填められた”私やアレクを楔から抜いて救ってくれた。
彼女達も同じように、ジェイクやラルフ達を救うことが出来るかもしれない」
この世界が物語から創られたものだと。
そして三つ子が主人公だ! と断言し、滔々と説明したのは他ならぬカサンドラだ。
何も知らないリゼ達に、貴女達は物語の舞台の中心にいるのだと宣言した自分が、彼女達を信じなくてどうする。
「……現実問題、リタ君が言う通り確証やどころか彼女の傍証のみで私が王宮の騎士や兵を連れて救出に行くことは困難だ」
勿論単身潜入すればその限りではない。
リタが心配する通り、危険な立場に置かれる可能性もある。
「信じるということは案外難しいことだね。
任せきりにしてしまうのも、罪悪感がある」
「……わたくしは、リゼさん達なら自分の意志でやり遂げて下さると思います」
何とかなるではなく、何とかする。
彼女達の今までを見ているカサンドラは、信じることに王子ほど不安はなかった。
好きな人のために、自分の得意分野を差し置いてでも真面目に努力して取り組める一本気。
他に脇目も振る事無く、ひたすら一途に想っていたことをカサンドラは間近で見て知っている。
強い感情があれば彼女達に成し遂げられないことはないのではないか、それがこの世界の主人公としての加護なのかなと思えてしまう。
もしも彼女の手に負えず。
ラルフが動いてくれないようなら、危険だろうがなんだろうが王子は単身でも救出に向かうというが……
そうならないことを願うのみだ。
「他に今のわたくし達に出来る事……ですけれど。
今の段階では、まだ御三家の皆様が後ろにいるということは確定というわけではない……のですよね?」
「限りなく、違いないとは思う。彼らが一番、動機に当てはまる。
ただこれに関しては、この間の話し合いのように状況証拠を積み重ねていくしかない」
「そう……ですね。
御三家のご当主が、企てた事を皆様の前で宣言して下されば別ですが。
手を下した実行犯でなければ、追及することは難しいと思います」
証拠も何もあったものではない。
第二王子と王妃が殺されてしまった、と王子が確信を持ったのは彼らが王子達を牽制するような思わせぶりな発言をしたからだ。
それがなければ王子も「まさか」と疑っていても確信は持てなかっただろう。
そして王妃たちを事故に見せかけて殺すことで「次はお前だ」と言わんばかりに脅し、プレッシャーをかけていた。
今回の場合、三家は決して尻尾を掴ませるようなことはしないだろう。
あくまでも悪役である王子を正義の聖女に倒させ、『正義』『神の力』の象徴としての聖女を手に入れる。そうして国内の平定や安定をはかることが目的と仮定するならば……
万が一でも三家の裏の思惑が漏れるわけにはいかないはず。
決定的な証拠が見つかるまで、問い詰めてもシラをきられるに決まってる。
でもその証拠がカサンドラ達の前に現れるとすれば王子が悪魔になる時?
だとしらその段階でアウトなわけで……
ああ、未来のシナリオを知っていてもなお、企みを阻止することがこんなに難しいなんて。
そもそもゲーム脚本という”表にあった”流れはこうじゃなかったから、しょうがないことかもしれないが……
「……実はね、キャシー。
以前私がアレクの部屋に滞在した時、二つの質問を受けたんだ。
一つは君にも話したね。
――私に力があったら、彼らに復讐をしたいと思ったか? という質問だ」
「はい、覚えております」
ズキッと心が痛む。
その質問、あの時のアレクがどんな想いで実の兄にしたのだろうかと思うと胸が塞ぐ想いだ。
結果的に全ての知っている事情を吐露することが出来たとはいえ、見ている事しか出来ないと思い込んでいるアレクの内心の嘆きを想像するとやりきれない。
「もう一つはただの雑談の中で出てきたもので、今まで失念していたのだけど。
……どうして私にはキャシーという婚約者がいるのに、ラルフ達には婚約者がいないのか? という話だったんだ」
「そのお話はジェイク様にお聞きしました。
確かケルン王国の王太子が関わるお話だったと覚えております」
何故今更そんな話を?
カサンドラは首を傾げそうになった。
王太子が婚約者の姫君と婚約破棄騒ぎになっていて、その余波がこのクローレス王国に伝わった結果だと。
当然そんな内情は世間一般に知られるものではないので、婚約者はまだ決まっていない、という宙ぶらりんの状態で。
だからこそ多くの女生徒からアプローチを受けることになって、三人ともうんざりしていたわけで……
そういえば……
ケルン王国は友好国であるにも関わらず、王子が認識できるくらい国防にプレッシャーをかけてきていると言っていた。
面積こそ島国でクローレスより狭く総合的な国力は互角かもしれないが、海戦なら向こうに大きなアドバンテージがある。
その状態で自国の王太子の婚約者だった姫をクローレスの有力貴族に嫁がせる……というのも、何というかチグハグだな、と思う。
万一侵略戦争にでもなろうものなら、姫君は完全に人質状態になる。
一方的に婚約破棄をするような男に娘はやらん、という父親がそんな危険な関係になるかもしれない国に嫁がせるか?
姫君を通してクローレス王国の内部に入り込もうとするなら、敢えて北の領土を狙う動きを見せ警戒させる必要もない気が。
ケルン王国の公爵令嬢が欲しいから、三家の当主は我慢している? うーん?
「状況証拠と自分で話していて、つい考えてしまったよ。
――もしもその話自体が、三家の作り話だったとしたら……?」
ひゅっと息を呑んだ。
……え?
「普通、ジェイク達の立場で婚約者がいないというのは不自然な話だ。
そこで、表には出せないけれどもこういう事情があるから決まっていない、という仮の事情をつくる。
周囲の皆は婚約者が決まっていない事を不審に思うかもしれない、万が一探りを入れたらケルン王国が関わっている”仮の事情”を知る――
『そういう事情なら』と納得させることが出来るよね。
キャシーや私、当のジェイク達がそういう事情か、呆れた話だ、と。
特段疑わなかったように」
ぽかんと口を開けそうになってしまった。
ここだけの話だけど、と打ち明けてもらった話が作り話の可能性?
「王太子の婚約破棄が、
海を隔てた遠い国の、しかも箝口令が敷かれた話と尤もらしく言われればそれが嘘だなんて思わない。
だって婚約者が決まらない理由を、そんな遠方の国を勝手に貶め利用する形で騙る意味がないから。
意味があるとすれば、婚約者がいないことに理由をつけるため。
では何故三人に婚約者がいてはいけなかったのか?
……後に聖女になると分かっている主人公を――面倒ごとなく与える……ため?
改めてアレクの疑問に答えようとしたら、常識ではかれない話ではないだろうか。
歴史ある大国の王太子が、ただの我儘で婚約破棄とかありえない。
国益を損なうことしかならない愚をよりにもよってケルンの王太子がするだろうか。
勿論、婚約破棄があるかないかで考えれば、可能性としてなくはない。
ありえるかもしれない――が、タイミング・都合があまりにも三家にとって良すぎる話だと思う。
考え始めると疑念が湧き上がることを抑えることができなくなってくる。
「まず婚約破棄があったか否か調べる必要があるのだけどね。
流石にケルンの内情を王城にいたまま探るのは困難だ。
確認にはかなりの時間を要する。
……すぐに確証は得られないけれど、何となく、状況が懐疑的に見えてはこないだろうか」
頭が痛くなってきた。
確証はないけれど、そうかもしれない、と疑い始めるとキリがないことを知る。
いよいよ、目の前に立ち塞がる障壁の影に『三家の当主』という名前が大きく浮き上がってくる。
ただの偶然だったと思っていたこと全てに作為があるのでは、と。
そんな風に思わされる王子との話に、カサンドラは背筋に冷たいものが落ちるのを確かに感じた。
いや――
これは良い気づきなのだ、と思う。
一つ一つ、状況的に”彼ら”が動いているのだと納得し、判断できる材料になるのだから。
起こってしまったことはもう変えることはできない。
まだ起こっていないことなら、変えられるかもしれない。
三つ子が彼らに恋をした事は変えられない。その軌跡は、例え誰の思惑通りだろうが――決して無駄ではない、まさに運命だ。
いいことはそのままに、未来へ向かうことだけを考えよう。
※
「さて、そろそろラルフのところに行こうか。
随分待たせてしまった、きっと不機嫌になっているだろうね」
呆然としていたカサンドラに王子の声が届く。
動揺のあまり俯いていたせいで、彼がこちらに手を伸ばしていた事に気づくのが遅れた。
視界の端から、急に割り込んできた王子の手。
驚き、反射的にビクッと身を竦めてしまう。
先ほど彼に抱き寄せられ、間近で見た綺麗な瞳が脳裏を過ぎったのもある。
「あ……。
ご、ごめん。その、驚かせるつもりではなかった。
気分が悪いのかと思って……」
慌てて視線を上げると、王子が困ったように笑っている。
振り払ったわけではないけれど、まるで怖がるような反応をした事に今更気づく。
表情には出していないけれど、もしかしたら王子を傷つけてしまったかもしれない。
「も、申し訳ありません。
あの、慣れていなくて……ええと……」
逃げ出したいわけでも、ましてや嫌なわけではないのに。
「慣れている方が私も吃驚するよ。
距離感を掴めていないみたいだ、怖がらせてしまってごめん。
……。
馬車までラルフと送るから、一緒に行こう」
彼が少し距離をとって、優しく言ってくれる。
いつかは、慣れるのだろうか。
朝の時間王子と話をすることが日常にとってかわったように。
彼が傍にいることも、彼に触れられることも次第に慣れていくのだろうか。
……。
カサンドラは、机の上に置いたままの鞄を手に取ろうとした王子の左手に。
己の衝動に任せ――両手でぎゅっと覆いかぶせた。
「………キャシー?」
もう一度、顔を伏せてしまった。
まぁ、その行動に意味はないだろう。今の自分は、きっと耳まで真っ赤だ。
……でも、僅かでも誤解されたくない。
自分の考えている事、これからの事。
彼を傷つけたいわけではない、という事。
「……王子!
申し訳ありません、どうかわたくしが慣れるまで……協力をお願いしても宜しいですか?」
「? 協力?」
彼は当然訝しそうな顔。
急に何を言い出すのかと言わんばかりの呆気にとられた王子。
「はい。
ええと、こうしていれば、少しは……慣れるのではないかと」
普段から少しでも触っている時間があれば、急な接近や接触のたびに一々動揺しなくても済むのでは?
大変シンプルで分かりやすい解決法だが、常に身構えておくよりもこちらの方が現実的な気がする。
何度か目瞬きをした王子は、やがて蒼い瞳を細め微笑んだ。
「…………。
じゃあ、音楽室まで繋いで行こうか」
まるで小さい子供を遊び場に引き連れる、保護者のような言い方だと思った。
孤児院でも子供達に懐かれていたし、子供が好きなのだろう。
「ありがとうございます!」
ぎこちない動きで、彼に手を握られたまま生徒会室を後にする。
先ほどまで深刻な話をしていたはずなのに、自分のせいで危機感が薄れてしまったのではないかと申し訳なく思うのだけど。
あまりにも気がかりな事が多すぎて、一つ一つ真面目に思い悩んでいたら気が塞がってしまいそうな閉塞感の中。
この瞬間だけ、現実逃避をしてしまったカサンドラ。
きっと彼は、良いお父さんになるのだろうな、と。
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