第441話 インパクト勝負


 果たしてリゼは間に合ったのだろうか、間に合うのだろうか。

 

 水曜の学園が終わった夜にリゼは出て行った。


 まだティルサの現場に到着していないはずだが、彼女の現在位置や状況が分からないのでヤキモキするばかりだ。

 瞬間移動――は無理でも、せめて遠隔で会話が出来る道具でもあれば良かったのに。

 この世界にそこまで都合のいい便利なものは発明されていないそうだ。

 遠く離れた場所にいる人と会話をする、という発想自体この世界の人にはピンとこないのだろう。



 今ばかりは、その不便な世界に生きている事に焦燥感しか覚えない。



 どうか間に合って欲しいと祈り、カサンドラは今週最後の学園生活に臨もうとしていた。


 今日は金曜日だ、放課後には生徒会役員会も開かれる。

 ジェイクがいない役員会なので恐らく彼の不在に関わる仕事の割り振りなどの見直しもあるだろうし、すぐには終わらないはずだ。


 そしてカサンドラや王子が気に掛けているのはジェイクのこともそうだが、ラルフのこともある。

 リタの勘が正しければ、時間が迫っているのはこちらも同じだ。


 王子は昨日仮面舞踏会がどこかで開催されるか探りを入れてみると話していたが、キャロルとのやりとりを思い返すと――とてもどこかで開催が予定されているような雰囲気は感じなかった。


 ではクレアは、一体どこに連れて行かれてしまうのか?

 アンディとは違い、王都内の出来事なら?


 自分の手の届く範囲で、救出に間に合うのなら……

 じっとしたまま事態を静観していていいはずがない。


 王子と協力してラルフの姉の危機を救う必要があるのでは、と。

 一人胸中で焦るカサンドラ。



「――カサンドラ様!」



 だが、カサンドラが教室に入った途端。

 王子が毎朝の挨拶のため近くに移動してくるよりも何歩も早く、こちらに駆け寄ったリタが話しかけてきたのである。


「お話というか、お願いがあるんです。

 どうか聞いてくれませんか!?」


 こちらの両肩を掴んで”かっくんかっくん”と前後に揺するリタの勢いに気圧され、クラスメイト達は唖然とした様子でこちらを見遣っていた。

 腕を掴まれ、廊下の外に連れ出される。


 そんなカサンドラの姿を、唖然とした表情のまま見送っている生徒達。視界の端に映った王子は、手を伸ばしたまま静止していた。




 ※




「リタさん、大丈夫ですか?」



 彼女が今までこんなに思いつめた表情で自分に話しかけたことがあっただろうか。


 ずんずんずん、と腕を引っ張られて連れられた先、ようやく腕を離され自由になったカサンドラは声をかけた。


 気が付けば生徒会室前の中庭に辿り着いていた。あまり人の通らない、物寂しい庭だ。王子と放課後、ここで話をしたなぁと思い出に浸っている余裕はなかった。


 医務室と生徒会室を間に挟む広い中庭では、相変わらず三段の噴水が霧のような細かい水しぶきを上げている。


「……カサンドラ様。

 やっぱり、舞踏会なんてない……ですよね?」


「少なくとも、そのような話は聴こえて来ませんでした。

 確定はしておりませんが、こうなってしまった以上――

 以前お話した通りのことが起こると考えてわたくし達も動くべきではないかと思うのです」


 すると彼女は顔を跳ね上げ、唇をぎゅっと噛み締めた。


 もしかしたら、ラルフにとって最悪の事態が訪れるかもしれない。

 それを止める手段があるなら、見過ごすなど以ての外だ。



 緊張した空気が、二人の間を駆け抜ける。


 


 彼女は突如、思いっきり――頭を下げた。

 栗色の髪がふわりと空を舞う。


「お願いします!

 私が……いえ、私に! この件、任せてくれませんか!?

 私がラルフ様と一緒に、クレア様を助けます!」


「……え?」


 予想外の彼女の『お願い』に、カサンドラは目を白黒させた。

 ”この件”というのは、クレアが参加するという仮面舞踏会が、実は仮面舞踏会ではないのではないか? という話と思って良いだろう。


 闇の競りが行われ、そこで彼女は正体を看破されてしまう。主催者に口封じのために殺されるというのは、ゲーム内で何度も語られていたことだ。


「きっと、あの旦那さん、クレア様に酷いことをすると思うんです!

 私はそれを止めたい……!」


 リタの発言によると、細部では微妙に話が違うようだった。


 オークション会場に連れて行くのが、彼女の旦那さん。


 本当に彼女が命の危機に晒されるとすれば、攫われたわけではなく、実の夫に裏切られ”売り飛ばされる”ことにならないか?

 実際にクレアがそういう場所で命を落とす事、それを主導しているものがもしも三家の人間であったら――

 誘拐だろうが実の夫に売られようが経緯は問わない、ということなのかもしれない。イベント内容のアバウトさは今までの通りだろう。


 ラルフを王子の敵に回すためだけに……彼女は、死に至ってしまうのだろうか。

 彼女クレアが殺されるという事実さえあれば、ラルフが王子を疑い最終的に主人公に協力してくれることになるわけだから。


 それが事件を起こす狙いなのだとカサンドラは思っている。

 普段友人として共にいる王子を敵と見做し、倒す事に協力してもらうだけの理由を創ったということか。


「リタさん。何を仰っているのです? とても危険ですよ」


「危険って……。

 リゼは、一人で行ったじゃないですか!

 ジェイク様に纏わる『未来』を変えるために、遠い場所に一人で向かってます。

 私だって、ラルフ様のために身体の一つや二つ張りますよ!」


「それは……単身で動ける方がリゼさん以外にいなかったからです。

 クレアさんの一件は、わたくし達も協力して救うことが出来るかもしれないのですよ。

 人命がかかっているのです、貴女達だけでは手に余る事態かもしれません」


 遠いティルサにいて注意喚起さえ間に合わないアンディとは事情が違う。

 もしも王都内のどこか、隠れて開かれる闇市ならば。

 王子や自分達だって助けになれる。


「これがもし裏にいる人たちが仕組んだことなら、私は現場に王子やカサンドラ様が来るべきではないと思うんです。

 関わっているように見做されたら、厄介なことになりません?

 その場にいたら、どんな濡れ衣を着せられるかわからないですよ!

 王子を悪魔にして私達に倒させようなんて、おかしなこと考えてる人達なんですよね?


 そんな表沙汰に出来ないような怪しいオークション会場に王子がいる事自体、私は危険な事なんじゃないでしょうか。

 王子やカサンドラ様を悪役にしたい人がいるんですよね?」


 彼女の意見に、カサンドラは知らず息を呑んだ。

 きっとリタもこの一日、ずっと悩んで考えていたのだろう。

 もしも――事件が起こるとするなら、どうやったら彼女を救えるのだろうか、と。



「正直言えば、怖いです。

 ラルフ様が私の言葉を信じてくれるかどうかも自信ないです。

 でも、私はそれが良いと思います。

 ――カサンドラ様はどう思われますか? 私に任せてくれない……ですか?」


「……。」


 突然聞かれても、即答は難しい。


 もしもシナリオ通り、闇深い競り会場が実在したとしたら――きっと厳重な警備が敷かれているはずだ。

 口止めにクレアさえ殺されるような場所、リタ達だけに任せるのは危険な気がする。

 しかし彼女の言う通り三家が裏にいて、王子がひょっこりその場に現れたらどうなるだろう。逆にその状況を利用して何を言い出すやらわかったものではない。



「無茶な言い分だとは思ってます、ラルフ様が取り合ってくれなかったら、王子に縋るしかないかもしれないですけど。

 でもそれ、裏にいる人の思う壺な気がするんですよね。


 ――お願いします!」 



 彼女の決意は固いようだ。


 ジェイクのことは王子の話で、イベントが起こってしまうと危惧した結果リゼが行くことになった。

 ラルフのことはリタの話で、そうなってしまう可能性があるのでは? と気が付いただけ。


 本当に起こるかどうかさえ、実際にその時が訪れないと把握できないのである。

 未来を知っているはずなのに、知っているからこそ時間軸のズレや状況の一致などで混乱して役に立てない。


 リタ達の情報があって、初めてそうかもしれない、と危険を予知できた。



 ――リタは『主人公』。

 意志に漲る青い瞳には迷いや躊躇いを感じない、切り拓くものの意志が燃え盛っている。



 ラルフの事を誰よりも想っているのは、間違いなく彼女で。

 強い意志を持って、任せてくれと言うなら自分の介入は逆に邪魔になりえるのかもしれない。



 ……彼女が言う通りこんな正確性に欠けた情報で王子が動くのは難しいだろうし、もしもそんな事件が今回は無かったとしたら……

 王子が目立った動きをしたことで、三家の行動に全く未知の選択が生まれて対応できなくなるかもしれない。


 自分達は知っていることを基に、予測して動くしかないのだ。

 当たっているか外れているかも……

 その時にならないと、判別がつかない。



 ――綱渡りだな。



「わかりました。

 リタさん、困った時はいつでも頼って下さいね。

 ……ええと、頼り甲斐がなく申し訳ないのですけれど」


「ありがとうございます!

 カサンドラ様がいてくれたから今まで頑張ってこれたんです。

 むしろ頼りきりでごめんなさい、です」



 彼女はそう言って、いつも見せてくれる屈託ない明るい笑みを浮かべる。


 前向きなエネルギーに溢れた元気の良さが、カサンドラも大好きだ。

 



 ※





 ――もしクレアが向かう先が舞踏会ではなく、ゲーム内であったような闇の催しだとしたら。


 人の命が懸かっている、と背筋に冷たい汗が滑り落ちる。


 情報源がカサンドラの前世の記憶、そしてリタの証言のみでは王子も動くに動けないだろう。

 単身乗り込むことになれば、リタが反対していたようにその状況を利用されて事態を悪化させる可能性も十分考えられる。


 だが、クレアの身の安全を考えるなら王子にちゃんと話を通しておくべきだと思う。

 本当にリタに任せていいのか、自分一人では冷静に判断が出来ないからだ。



 機会をうかがっていたものの、結局生徒会定例会議が終わる放課後まで王子とまともに話をする機会は得られなかった。

 自分達が本当の裏にいる黒幕に感づいていると悟らせないよう、学園生活を普通の生徒として過ごしている。

 絶対に三家の当主の企みだという証拠はないが、他にこれだという人物が思い浮かばない。彼らが敵だ、と現状仮定して行動するしかない。


 学園内は安全であるが、代わりにあちらこちらに他の生徒の目がある。


 リタと話をすることで、王子との朝の雑談時間がなくなってしまった。

 彼女との会話はとても大事なものだったが、その内容を王子に直接話すことが出来ない。

 ただ二人で話がしたいだけなのに、と。とても歯痒いものである。


 王子は昼休みも学園長に呼び出されていたようだし、事件に関わらないところでも王子が多忙であることは何も変わらないのだ。

 今までカサンドラのお願いを聞き入れ、自宅に来てもらえていたことが奇跡な状態である。



 どうにかして、リタの決意を伝えられないものか。


 

 会議が終わった後、チラ、チラ、と王子に目線を遣る。




 予想通り、会議中はジェイクがしばらく不在という話題が多くを占めた。

 今後生誕祭の催しに向けてどのような役割を担っていくか。分担の再配置に焦点が当たり、その度にカサンドラの胃はキリキリと痛んだ。

 ジェイクがこの場にいないということが、急に現実味を伴って襲い来る。


 夢ではなく、今遠い場所でジェイクが戦っているのかもしれないと思うと中々感情をフラットには出来なかった。


 その上、王子に伝えなくてはいけないこともある。

 頭の中があちらこちら、忙しない。


 カサンドラには前とは違い、事情を知って共に協力し立ち向かってくれる仲間が出来た。

 だからこそ情報は共有しなければいけないし迷った時には相談したい。




「じゃあアーサー、僕達も帰ろうか」


 何も知らないラルフは、他の役員達が皆生徒会室から出た後。

 当然のように、部屋に残っている王子に向かって声を掛けた。


 ジェイクがいないので、シリウスかラルフが王子の護衛を兼ねて一緒に登下校することになる。

 シリウスはリナと一緒に早々と生徒会室を後にしているので、数分前までは十人以上が席に着いて圧迫感のあった室内は自分達だけ。


 がらんとしている室内を見渡し、カサンドラは溜息を落とした。

 ここなら、他に誰かが入ってくることもないだろうに。


 出来れば王子と今、話がしたい……!

 折角一緒にいるのに!


 王子が一人でフラフラ校外を出歩くなんてかなりのレアケース、常に護衛と共にある窮屈な生活をずっと送っているわけだ。

 ラルフ達と一緒に下校しなければいけないということは、彼と二人で一緒に話が出来る機会もぐんと減るということ。


 こっそり王子に耳打ちするか?

 いや、無理だ。


 これから話す内容が内容だけに、ラルフに僅かでも盗み聞かれるようなことがあってはいけない。


 一番手っ取り早いのはこの場でラルフに姉の危機を正確に伝える事だが――

 それはリタの意志を蔑ろにしていることになる。




 ラルフに信用してもらえるかも、分からない。

 一度でも不信感を持たれたらおしまいだ。




 数歩歩けば、王子の隣。

 手を伸ばせば触れられる距離。


 こんなに近い場所にいるのに、二人きりになれないから大切な話も出来ない。

 カサンドラが絶望していると――


 急に王子が動いた。

 カサンドラとラルフ、双方が同時に彼の動きを目で追う。


「ラルフ、申し訳ないけど……少しだけ私とキャシーを二人にしてもらえないかな」


「なんだ?

 話したいことがあるなら、そこで話せばいいだろう。

 アーサーから目を離さないように、シリウスから煩く言われているし」


 そう言った張本人シリウスは、リナが図書館に行くのに同行すると颯爽と部屋を出て行ったわけで。

 ラルフが釈然としない顔で、早く寮の部屋に帰りたいと若干不満そうな態度なのもよく分かる。


 そんなに早く帰りたいなら猶の事、王子と話をするのは無理だとカサンドラは顔に出さないまでも内心悲壮感で一杯だった。

 可能なら顔を覆って嘆きたいくらいだ。


 


 そんなカサンドラの落ち込んだ様子を見たせいだろうか。

 ――急に王子が動いた。


 ゆっくりと、一歩一歩。カサンドラに歩み寄り……



「………!?」


 カサンドラは今、自分の身に起こっている事がよく理解できなかった。

 持ち上げようとしていた鞄を掴んでいた指から、完全に力が抜ける。

 支えを失った学生鞄は、机の上にバタンと横倒しに倒れた。


 肩を王子に片腕で抱かれ、硬直した。


 更に彼は空いた方の手で――カサンドラの顎に指を添え、俯き加減の顎を”くいっ”と上げさせる。

 その一連の所作があまりにも予測不可能なものだったので、カサンドラは呼吸も忘れて全身を震わせるのみだ。



 

  !?!?!?




 完全に思考を止め、鼓動の音だけがやたらと身体を打ち付けているのを知るカサンドラ。



「ラルフ、本当にそれでいいのか?

 私はこれから、土日に会えないキャシーに伝えたいことが沢山あるのだけれど。


 ――流石に友人の前で想いの丈を語り合うのは、私も慣れないかな」



 物凄い密着体勢、しかも顎を掴まれて強制的に見つめあわされている状況である。

 声にならない悲鳴を上げる。


 王子の精巧な美術品とも例えられる綺麗な顔が、本当に僅か二、三センチの間近に迫って見下ろしていて気絶寸前である。

 彼に見つめられている間、瞳孔が開いていたと言われてもおかしくない。


 もしもラルフがそのままそこで待機しているなら、ここで恋人同士の甘いやりとりを披露するがそれでも構わないのか。という――牽制、脅しの一環か。


 しかしいくら”フリ”とは言え、この体勢は心臓に悪すぎる!

 何か言葉を発しようとしても、ちっとも喉が動いてくれない。

 喉もとにも、彼の指が微かに振れているから。


 だが――

 そんな迫真の王子の『演技』を目の当たりにしたラルフの行動は実に分かりやすく、そして早かった。


 鞄を抱えたまま後退り、険しい顔で無言のまま――生徒会室の扉を後ろ手で開け。





「――。

 しばらく音楽室にいる。

 愛の囁きでもなんでもご自由に」



 もはや目を合わせる気もないようだ。

 引きつった表情で斜め下に視線を下ろし、強張った声。


 触れてはならない、見てはならない光景を前にした。

 そんな奇妙奇天烈な”何か”を目の当たりにしたと言わんばかりのおののきぶりだ。


 幽霊に遭遇しても、ここまでなすすべなく逃げ出すことはないだろうに。


 ピアノなら隣のサロンに立派なものがあるのだが、それさえ嫌だと言う事か。



 ばたん! と、扉を閉める激しい音が部屋の空気を大きく揺るがす。

 品行方正でパッと見で穏やかとしか言えないラルフの所業とは思えない力技に、カサンドラは肩を跳ね上げる。



 それに釣られ、王子がカサンドラの顔から指を離す。

 ようやく彼の戒めから解放されたはいいものの、カサンドラの視界は未だにクラクラ揺れていた。






「……良かった、ラルフが退いてくれて――

 ……キャシー?」




 少し離れたところで背を丸めて呆然とするカサンドラに驚いたのか、彼も焦って手を横に振った。

 彼も我に還ったのか、頬の端が少し赤い。




「な、何もしないよ、大丈夫だから!

 打ち合わせなく勝手な行動をして、ごめん」




 演技、そう。演技だ。

 この場にラルフに居座られては都合が悪いというカサンドラの事情を察知し、王子が機転を利かせてくれただけだ。







    だというのに――



    腰が砕けてその場にへたり込んでしまう。


    予想外の出来事すぎる!





 こんな非常時だというのに、紅潮した頬を両手で覆って隠すのでいっぱいいっぱいだった。


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