第440話 <リゼ>



 強烈な睡魔に引きずり寄せられ、リゼは深い眠りに落ちていた。



 カサンドラの屋敷を出て以降、殆ど眠っていなかったせいだ。

 少しでも休憩したら、その無駄な時間で間に合わなくなるのではないかと思うととても落ち着けるものではなかった。

 馬には休息が必要で、こんな乗り方をしたらどんな頑丈な馬でも壊れてしまう。だけど、自分の焦りに任せて無理をさせた。


 幸い、荒事の際に使用できるよう訓練を積んだ早馬なのでこちらの無茶苦茶な指示も何とか持ちこたえてくれたけれど。

 最後の方は、完全にへばっていた。

 それでも大きな樹の枝に隠れるように、誰かがアンディに向かって矢の先を番えてようとしている姿が見えてしまったのだからしょうがない。


 最後の力を振り絞れと言わんばかりに馬の腹を蹴った。

 



 ……自分は間に合ったのだろうか。



 記憶は朧気だ。

 ジェイクに会った気がする。


 ちゃんと、言うべきことは言っただろうか?



 曖昧模糊とした景色、霞んだイメージ。

 マーブル状に溶けていく空間――リゼはパチッと瞼を開けた。

 


「………?

 ここは……」


 中途覚醒のせいか、まだおでこがズキズキ痛く意識も茫洋としたままだ。

 まだ夢の世界?


 いや、違うな。


 どうやら室内のようだ、やや埃っぽい石でできた部屋の中か。

 小さめの寝台の上に横たわっていたようで、膝元に茶色の毛布が掛かっていた。

 天井――壁の窓……

 射し込む光の角度から、夕方……か?


「起きたか?」


 決して広くない部屋の中、聞き覚えのある声が響いて反射的に肩が跳ねた。


「ジェイク様!?」


 ぎゃあ、と心臓が口から飛び出かねない程吃驚し、部屋の中央に立ってこちらを見下ろすジェイクの姿を視界に入れる。

 一体いつからそこにいたのか、余りにもぐっすり寝入っていたせいで状況が分からない。

 屋外ではなく屋内に寝かされているということは、事態は収束したのだろうか。


「あ、あの。アンディさんは……無事ですか?」


 小部屋の中には自分とジェイク以外の人影が見当たらない。

 非常に簡素な造りの部屋で、他に誰かが隠れる場所もない。まぁ、隠れる理由も思いつかないが。

 少なくともアンディはこの部屋にいない事だけは分かった。


「ああ、無事だ――と言いたいところだが」


「えっ?」


 何か含みを持たせたジェイクの発言にリゼの動きが止まる。緊張に喉が焼け付き、ひりひり痛い。


「誰かさんに猛スピードで激突されて、地面に腰を打って痛いと言ってた」


 遠くから放たれる直前の矢から庇うのに精いっぱいで、それ以外何も考えられなかった。

 自分の肩口を矢が掠めヒヤリとしたが、幸い上着を掠めただけで済んだようだ。

 途中、暑い! と外套を脱ぎ捨ててしまったが……庇う前提ならちゃんと身に着けたままの方が安全だったかも知れない。

 まぁ、それなら動きが鈍重になってもたついて庇えなかった可能性もあるか。

 とりあえず今、アンディは生きているらしい。その結果だけで十分だ。


 良かった。


 ……はぁぁぁ、と安堵の吐息を落とす。辛かったこの旅程が報われた。


「すみません」


「冗談だ、感謝してるって言ってたぞ。

 お前もずっと寝てたんだ、喉乾いただろ?

 腹も空いてるだろうし、何か食べるか」


「水、下さい……」


 確かにお腹は空いてぐうぐうと鳴り響く寸前だが、渦巻く想いに胸が一杯だった。

 カサンドラの言う通り、確かにこの地でアンディは狙われていて命の危機があって……



 自分は、何かを”変える”事が出来たのだろうか?



 寝台近くのサイドテーブル、その上に置かれていた銀色の水差し。

 ジェイクはそれを無造作に掴み上げ、コップに水を淹れて渡してくれた。

 そこに置かれて随分時間が立っていたのかぬるい水だったが、乾いた喉にゆっくりと染み渡っていきようやく人心地着いた。


「お前はどうだ? 怪我してないか?」


「大丈夫です」


 


 あれ?





  そう言えば私、ちゃんとジェイク様に――好きって言えたっけ?





 ジェイクの態度がいつもと変わった様子には見えない。

 もしかして意識が落ちる瞬間、『好きだ』と言ったのは自分の思い込みだったのか。

 言ったつもりが言葉になっていなかった!?


 もしくは小声過ぎて伝わっていなかった、ハッキリした言葉でなくて聞き取れなかったのかもしれない。


 可能性として、十分に考えられることだ。

 切羽詰まった状況だったし、眠すぎたし、緊張が解けた後の事なので現実と夢の境が曖昧だった。


 それならそれでいい、もう一回ちゃんと言えば良いだけの話である。

 ここまで来たら完全に開き直っているのだ、何回だって言えばいい。

 お互い生きている、こうして話せる環境に在る。

 遅いなんて事はない。


「お前の乗って来た馬に乗せてた荷物、そこに置いてある」


 彼が指差した壁の角に、アレクに用意してもらった大きな革袋。


「あの馬は――駄目だな、しばらく使い物にならんだろ。

 かなり消耗してる」


 あれだけ扱き使って走り通しだった、しょうがない。

 カサンドラの家の馬を使い潰してしまったかも知れないと思うと、申し訳なさでガタガタとコップを持つ両手が震えた。


「それと」


 彼は相変わらず淡々とした口調で矢継ぎ早に話しかけてくる。


 これでは一体、いつ告白のタイミングが訪れるものやら、と。

 機会を伺っているリゼはコップの端にもう一度口を着け――



「俺もお前が好きだ」









    飲んでいた水が噴き出そうになり、慌てて掌で口を覆ったら


    水が気管に散って、盛大に噎せた。



 




 ※



「?????」


 どっと顔中に汗が噴き出てくる。

 そんな、何の前置きもなくさらっと言われても……と思ったが、おぼろげな記憶が確かなら、お互い様なのかも知れない。



 しかし、だ。

 こちらとしては、まず叶う事はないだろうという前提で伝えた告白である。

 なのでそうやって真正面から自分の望む答えが返ってくる方が逆に戸惑いを覚えてしまう。



 ”くるっぽー”と、間の抜けた顔の鳩が自分の頭上で延々鳴き続けている。そんな幻覚と幻聴に同時に襲われた。


 だがジェイクの表情は少し暗かった。

 告白が受け入れられた直後の相手の表情にしては、どこか雰囲気が違うように思えるのだ。


「……お前に好きだって言ってもらえて、嬉しかった。

 それだけで救われた」


「ジェイク様?」


 彼は赤い髪をわしゃわしゃと無造作に掻き、何度も「あー」だの「うー」だの、何かしらの葛藤が垣間見えるような状態である。

 しかし彼の言葉は物凄く不穏当だ。

 嬉しかった――けど、その先は何だ!?


 やっぱり現実的ではない、受け入れられない、というお断りの常套句が続くのか!?


 リゼも完全に生きた心地がせず、表情を引きつらせたままだった。

 どうにかこうにか、中身を零さないようにと震える手でコップをサイドテーブルに置き直す。


「ホントは言いたくないけどさ。

 騙してるみたいで、後ろめたい。


 ……話、聞いてくれるか?」


 ようやく意を決したのか、ジェイクはリゼの隣に腰を下ろした後。

 息を何度か呑んで、話しかけてきた。

 ただでさえ小さめの寝台だ、こうして端っこ同士に座っていても標準以上の体格のジェイクも並ぶと人一人分の間隔しか空かない。


 黄昏の陽光が窓から差し込み、二人や家具の黒い影を長く伸ばして壁に焼き付ける。



「俺の家の、不名誉な話ってだけなんだけど」



 彼が話してくれた内容は、確かに衝撃的な事だ。

 お父さんであるダグラス将軍、そしてグリムや第二夫人の話。


 リゼはさかさまになっても一般庶民なので、その物騒極まりない晩餐の一時の話は相槌の言葉さえ失う程だ。



 ……彼の家には、何か複雑な事情があるのだろうなということは分かっていた。

 フランツが諸々、言葉を濁していた理由も今なら察する。

 軽々しく吹聴できることではなく――

 グリムの気持ちを考えると胸が詰まった。



 まさか自分のお父さんが、自分好みの女性をどこからともなく連れてきて。

 しかもその結果誰も幸せにならない、傷つくだけだったのに未だに将軍はそれを罪にも感じていない。


 正妻であるジェイクのお母さんと、第二夫人は仲が良かっただとか第二夫人は皆に受け入れられていたとか……

 虚実織り交ざっているものの、リゼの中では得心がいくものだった。




「…………。

 はは、随分馬鹿らしい、ぶっ飛んだヤバイい家だって話だ。

 ……。

 お前もそう思うだろ。

 嫌だし、怖いよな?」

 

「え?」


「……俺が昔、好きだった人は、この話を聞いて逃げ出した。

 そりゃあそうだよな。あんなクソ親父の血を引いてるわけだし?

 逃げ出したくなる気持ちも、分かる。


 ……俺はお前の事は好きだし、一緒にいたいと思ってるけどさ。


 お前の人生を壊したいわけじゃない」



 彼は苦笑しながら、そう語る。

 一瞬、好きな相手が逃げ出した――と聞いて、一体何故その女性が逃げ出したのかピンとこなかった。


 確かに彼のお父さんは倫理的にも全く良くない、とんでもない事をして第二夫人やグリムの人生を滅茶苦茶にしたと言っても良いだろう。


「だから、告白の取り消しも今なら受け付けるぞ」


 彼はその口調とは裏腹に、眉を顰めて――とても、辛そうな顔をした。




  ……嫌なら、逃げろと?




「ジェイク様はそんな酷いことしないですよね?

 なんで逃げる必要があるんですか?」


 確かにとんでもない話ではあるが、ジェイクのお父さんがそういう人だったというだけで。


「俺は……

 よりにもよって、武術大会の日にお前への気持ちに気づいたんだぞ?

 それまでは、普通に、友人でいられると思ってた。

 ……俺は、親父あいつとどう違うんだ? 同じじゃないのか?」



 ああ、とリゼはようやくここで理解できた。


 リゼはあの日、ジェシカに何とか勝利し、上位に入ったわけだ。

 それは一般的に”女だてらにそこそこ強い”と思われてもおかしくない状況である。


 ジェイクも想像していなかった大金星だったのかも知れない。

 それがきっかけで、彼が自分に興味を抱いたのだとしたら?

 好意を持っていると気づいて、その感情が大嫌いな父親と同じ”キッカケ”だと思いショックを受けたのだ。


 全然、違うのに。



「違いますよ! 逆です!

 だって、私がそう思ったから!


 ジェイク様の事が、好きだったから。最初からずっと、好きだったから……

 好きになってもらえるように、私がそう望んだんです。

 ジェイク様に気に留めてもらえるよう、その一心で頑張ってました!

 だからあれがキッカケで気に掛けてもらえたなら、私は嬉しいです。

 

 どうしてジェイク様が悩む必要があるんですか?

 関係ないです、お父さんの状況と全然違いますよ!」



 一度想いを口にしてしまえば、一々それを言い訳したり包み隠したり、誤魔化す必要もなくなって。

 なんで自分はこんなに恥ずかしいことを延々と話しているのだろうと思ったが、どうにかジェイクはこちらの気持ちを分かってくれたようだ。


 リゼも普段言わないような単語を連続で声にすることで、完全に顔は真っ赤だった。



「そうか。

 ……なんて言ったらいいのかよくわからないけど、うん。

 ホント、ありがとな」


 だが改めて横に座るジェイクの顔も照れたように赤かったので、うっと言葉に詰まる。


「リゼ。

 これからも、俺の傍にいてくれるのか?」


 まるで”逃げるなら今の内”とでも言いたげではないか。


 好きな人に過去の話をし、恐れをなして逃げ出された! という話は彼にとって辛い思い出なのだろうな。こちらも胸が痛くなる。


 そりゃあリゼだって、好きでも何でもない権力者に全く知らないところで気に入られて、わけのわからない内に「今日からここに住め」なんて言われ拘束されたら……

 逃げ出したくもなるし、自分はなんて不幸なんだ! と嘆くだろう。

 もしも逆らってしまえば故郷にいる家族や妹達にどんな不利益がもたらされるか分からない、更に純粋に取り押さえられて逃げられないなら猶更だ。


 でもリゼは自分から望んでジェイクと一緒にいたいと思っている、意志を無視されているわけじゃない。

 そんな事情があるから、受け入れられないと拒絶される方が――こちらの想いを蔑ろにされていると感じるだろう。

 結局は気持ち一つで、状況は変わる。


 彼が好きになってくれた、自分と同じ想いだと分かった。

 もう――それ以上、欲張れない。




  覚悟は出来ている。




「勿論です!

 ジェイク様、そんなに心配しないでください」


 力強くそう宣言し、リゼは更に追撃の言葉をかける。



「私、自分の立場は理解しているつもりです。

 大丈夫です、ジェイク様のお嫁さんともちゃんと上手く付き合えるよう努力します!」










     ――――――?????






 今までリゼの頭の上に座り込んでいた鳩が、豆をジェイクに投げつけ続けている。

 そんな情景を想起させるほど、ジェイクは今まで見た事もないくらい「わけがわからない」という顔で硬直していた。




「……は? リゼ? お前、何……」



「ジェイク様が先ほど第二夫人エマさんの話をしたのは、要は私にそうなる覚悟があるのかって確認する意味も込められていたんですよね?

 大丈夫です、私は自分の意思でジェイク様の傍にいるわけですし。

 奥さんと喧嘩しないように、そこだけは肝に銘じます」




  「いや待て、お前、何言ってんだ?」




 理解を越える何かを凝視するかのように、ジェイクは強張った顔のまま――

 思いっきり怒鳴った。


「はぁ!? お前、今の話聞いて俺がお前以外の女を嫁にするとか、そんな風に考えてるのか!?

 俺はお前の事が好きだっつったよな!?」



「え?

 ……だって……

 どう考えても身分の差が差ですし。

 そこまで血統ってものに重きを置くお家なら、絶対に高貴な血を引いた貴族のお姫様と婚姻しないといけないのでは?」


 

 彼の剣幕に多少仰け反り、両手を掲げてリゼは返答する。


 好きだ、と告白をすることを決めた。

 それが受け入れられたとしても、現実に立ちはだかる壁の高さや厚さは分かっていたつもりだ。

 実際にグリムの身に起こったことを聞けば、ロンバルド家がどれほど血統に拘る者がいる家系なのかが浮き彫りになってくる。

 第二夫人や愛人がいるのは構わないけれど、子どもは由緒正しい血筋でなければ受け入れられない。庶民とは相容れない考え方を持っている。

 そんな家の次期当主にいくら好きだと言い、言われ、想いが通じたとしても――彼は絶対に、ちゃんとした正規ルートのお嫁さんを娶る必要があるのではないか。


 それを嫌だと駄々をこねたところで、最初から……

 彼に恋をした時から、分かっていた事じゃないか。


 リゼからすれば、ジェイクこそ何を言っているのかと首を傾げる話である。



 だが彼の怒りの導火線に火を着けてしまったようだ。

 完全に目を据わらせ、怒りに震えながら大きく吠えた。



「ふっっっざけんなよ、俺はお前以外の女は要らん!」



 心に真ストレートに突き刺さる衝撃に一瞬喜びが湧き上がり、その言葉に理性を捨てて縋りつきたくなってしまう。


「でも、それは」


 リゼは彼の事を好きになって人生観や価値観に新しいものを見い出した。


 でも結局、現実主義者であることには変わらない。

 いくら一時の感情で夢や理想を語ろうが、大きな力を前にそれが吹き飛ばされることもあると分かってる。

 簡単に常識や習慣が変わるなんて思ってない。



「他に嫁をとれって周りに責められるんなら、俺は全部捨てる。

 お前連れて、別の国に出て行ってもいい」


「な……っ」


 それは要するに手に取を取り合って駆け落ちということか!?

 そこまで強く決意を固めてくれているのは、リゼにとって大きく心を揺さぶられることではある。

 今持っているものを全部放棄して、一緒に二人だけで過ごせるというのなら――


 それもまた楽しく過ごせるのかもしれない。

 全部全部……



 でも、ジェイクは友人に会えなくなるし。

 自分も家族に会えなくなるし。


 それだけじゃない。


「嬉しいけど、駄目でしょ?

 ジェイク様がいなくなったら、絶対混乱しますよ。

 前に言ってたじゃないですか! ジェイク様の傍で今まで助けてくれた人たちが路頭に迷うかもしれないんですよ!?」


 自分達だけ幸せならそれでもいいのか、と言われればそれは全く違うと思う。

 飛び出た結果、絶対に後悔しないのか?

 何も悪いことをしていないのに、後ろめたい想いを抱えて過ごしていくのか?


「……じゃ、お前は俺が他の女を押し付けられても当然だって?

 それで何とも思わないのか」



 今度はリゼの我慢の糸がぶちんと切れる。

 横に座るジェイクの左肩をドンッと拳で叩いた。

 ポカポカと軽い感じの抗議にしようと思っていたのに、自分でも制御できないやるせなさが彼の身体を大きく傾がせる。


「そんなわけが、ないでしょう!」


 告白が受け入れられたというだけで、もう頭の中はそのことしか考えられないくらい浮かれた。

 嬉しい、今までの想いが実った、これ以上幸せな事はないと思う。

 それと同時に現実が押し寄せてくるのだ。


 彼がグリムの事を暗い表情で話してくれたように、きっと現実はそんなに甘い話じゃない。

 そこの折り合いをつけるには、自分の立場を理解して弁えなければいけなかった。

 物わかりの良いフリをしていたわけではなく、現実だから受け入れる、それだけだ。

 

 彼が自分の知らないどこかのお嬢様と結婚するのに何も思わないわけがない、嫌に決まってる。


 俯いたまま、微かに唸ると、しばらく互いに言葉がなくなる。

 しばらく静寂が訪れ――


「……。悪かった」


 ジェイクは一言、呟いた。


「でも、俺は本気だ。そんな事態になったら、全部捨てて逃げても後悔しない」




 元々、想いが通じた事が奇跡だ。

 色んな状況が積み重なって自分はここにいる。

 

 物語、シナリオ、決まった未来など知ったことかと本気で思った。


 自分は当然、このまま――未来を生きる。

 彼の傍にいる、一緒にいたい!




「絶対……そんなの駄目。

 それなら、私がロンバルドの人たちに認めてもらえるよう努力する方が先。

 私が役に立つ人間だって分かってもらうしかない……」

 

「……リゼ?」


 俯いたまま、リゼは誰にともなくぶつぶつと独りつ。


 泣いてしまいたいくらい心は悲しい、感情が焼ききれそうな程苦しい。

 彼と一緒にいるにはそれしか方法が無いとは言え、所詮は周りから認められない関係だ。単なる”好きな人”、口さがなく言えば”愛人”どまりでしかいられないのは悔しい。


 でも泣いたって状況が変わるわけではない。

 第一、何もしていない内から諦めるような事を言った自分が馬鹿だった! と思い直す。

 



「私、やっぱり諦めません。

 お家の方――将軍の眼鏡に適う程、もっと強くなって交渉します!

 剣だけじゃない、私が優秀な人間で嫁にしたら得だって! そう分かってもらえればいいだけの話だと思いませんか?」




 ……そう口にした瞬間、ふとした違和感を覚えた。

 だがその感覚は、この場の勢いの中で一瞬で霧散し、感情の波に押しつぶされる。



 ジェイクはやはり呆気にとられ、何度も目瞬きを繰り返していたけれど。

 数拍置いて、思いっきり笑い出した。

 お腹を抱えて上体を前に倒し、両肩を震わせる。


 彼がここまで笑った姿を見たことがないかも知れない、というくらいだ。


 自分は爆笑されるほどおかしなことを言ったのだろうか、とリゼはそわそわと落ち着かない。


 


「……ほんっと、根性論者だな。ここまで来ても」 

 

 彼は目の端に涙の粒を浮かべる程ツボにはまったのか、全く遠慮なく笑い続けている。

 いくらなんでも笑い過ぎではないだろうか、とリゼはつい片頬を膨らませる――が。




「お前のそういうところ、良いよなぁ。

 うん、うん」



 ははは、と彼は笑いながら立ち上がる。

 年季の入った寝台がその振動で、ギシッと窮屈で痛そうな悲鳴を漏らした。


 何を納得しているのか知らないけれど。

 彼は先ほどまでの深刻そうな顔だったり怒った顔だったり、そんな表情とは打って変わってどこか吹っ切れたように見える。

 


「悪い、少し他の奴らと話してくる。

 すぐに戻る、待っててくれるか?

 まだまだ聞きたい事もあるしな」



「あ、私も……! ジェイク様に伝えないといけないことがあります」




 告白の一件のせいで、完全に機を逸してしまった。

 だがジェイクもジェイクで、どうしてリゼがここにいるのか、アンディを庇えたのか、など疑問に思っている事もあるはずだ。

 ちゃんと伝えるべきことは全部伝えないと……




 ようやくリゼの頭が冷え、冷静になってくる。


 それと同時に、疑念が鎌首をもたげるのだ。



 一応好きだ、と言う想いは伝えた。

 そして彼も自分の事を憎からず思っていてくれたらしい、それが分かって嬉しかった。


 だけど……

 今の時間に交わした、喧嘩上等と思われんばかりの会話が脳裏をサーっと過ぎっていく。



  

   あれ?

 



 とても告白し合った男女の会話とは思えない。

 怒鳴り合っていただけのような?



 ……自分は何か間違ったのだろうか?



 劇的に二人の関係性、距離感。何かが変わると勝手に想像していたリゼとしては、こういう状況は予想外の話だ。


 上手くいっても、フラれても。

 きっともう少し……恋だ愛だという話になると思っていたのに、完全に友人のノリだった気がする。


 まぁ、それくらいが自分達には合っているのかもしれないな、と自分を納得させるしかない。


 事態が事態だし、本来なら好きだとか、愛しているとか、結婚だとか、この先のことだとか――

 話している場合ではないのは事実だし。








「リゼ」


 呼ばれて顔を上げると、目の前にジェイクが立っていた。

 今度は何かと頭を上げる。


 すると、ぎゅうっと身体に圧迫感が――自分が抱きすくめられていることに気が付くのに、軽く数秒を要した。



「……ありがとう」



 耳元で彼の低い声が生じ、背中がぞくぞくした。



 驚き完全に静止したリゼの左頬に『何か』が当たる。

 

 微かに、ちゅ、と。音が耳に触れる。





「じゃ、また後でな」



 彼は自分に背を向けて立ち上がる。

 ひらひらと片手を振り――そのまま、扉を押し開けて外へ出て行く。








   左頬に掌を押し当てる。

 




「……――~~~!?」











 固い寝台の上にばたりと背中から倒れ込んだ。

 衝動冷めやらず、全身が震えている。



 大変だ。







    嬉し過ぎて、けてしまう。




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