第439話 <ジェイク 2/2>



 『好きにしろ』


 グリムの処置についてダグラスの言質を得たその後の母の行動は、とても素早かった。

 ありがとうございますと礼を言い終わるや否や、固まったように動かない使用人達を動かし即座に医師を呼びつけた。


 ジェイクはひたすら弟の名前を呼んでいた。


 身じろぎするだけ、息をするだけでズキンと激痛が襲い来る。

 そんな状態のジェイクはバタバタと忙しなく動く状況を、ただ床に伏せたまま、嘗てない程鬼気迫る貌で迅速に指示を飛ばす母の鋭い声が頭上を飛び交った。




 呼び寄せた医師、そして高名な薬師の手厚い看護を受け、グリムが辛うじて一命を取り留めたと聞いた時には心底ほっとした。


 だが彼の身体はダグラスが一瞬で看破したように、二度と元通りにはならなかったのである。


 倒れる寸前まで健康優良児としか言えないグリムが、突然吐血して病に伏せるというのはあまりにも不自然な事だ。


 きっとグリムは毒を盛られたのだろう、と。この一件に関わった人間は、誰に確認するまでもなく勘付いていた。

 ジェイクの現状を受け入れられない人間がロンバルドにいて、もしかしたらそれは想像以上に多くいたのかもしれなくて。


 ――父がその調査を面倒がって辞めさせたということもあり、真実は未だ闇の中。


 しかし後継ぎでも何でもなくなったグリムは腫物扱いからやがて厄介者に替わり、そしてダグラスはあれ程執心していた第二夫人の存在を無いものとして振る舞うようになった。


 勝手に期待して、勝手に失望した。


 エマだって「どこへなりとも行け」と言われたところで、身体を壊し日常生活もままならないグリムを連れてどこへ行けばいいのか。

 彼女は未だに寝込んだままのグリムの枕もとでずっと泣き暮らしていた。

 


 父の行動は決して許されないことだ。


 無関係の一般人を勝手に家に引きずり入れてお家騒動に巻き込み、その上使い物にならないと思ったら放り捨てる。


 全部自分の我儘の果てに起こった事に、元凶のダグラスは何一つ責任を持たず切り捨てた。 

 何の力も持たないジェイクがいくら叫ぼうが喚こうが、そんなことで父の存在は微動だにしない、揺るがない。

 ――無力だ。




 ジェイクの母が実家に頼み、遠い田舎の保養地を手配してあげたそうだ。

 


 誰も彼ら母子のことを知らない静かな場所で、ゆっくり養生して欲しい。

 傷ついた心と体を癒すには足りないだろうが、自由に暮らしてくれて構わない。




  ……あの人を止められなくて ごめんなさい。 





 無言のまま幌馬車に乗り込むエマとグリムに、母は落涙しながら何度も謝罪した。





 ジェイクが実の父に向ける嫌悪感は相当なものだった、こんな『家』など欲しくも何ともないというのに。物乞いに対する施しさながら、見下す顔で言われたのだからたまったものじゃない。



 地位も名誉も金も要らない、その気持ちは今も変わらない。

 だが、結局誰かがあの男の跡を継がなければならず、もしも正統な後継者である自分がその責任から逃げ出してしまったら――


 誰かが殺されるかもしれない。

 争いが起こって巻き込まれる、何も知らない子供が出てくるかもしれないのだ。


 継承権を放棄したジェイクさえ「後々邪魔になる」という理由で、一生命を狙われ続ける可能性も否定できない。


 それに……

 今まで自分が後継ぎの立場を剥奪されて過ごしていた間も、ずっと気に掛けて支援してくれていた人も沢山あった。

 もしも自分が継承問題から一抜けてしまったら、自分を表立って支えてくれていた層に大きな迷惑をかけてしまうかもしれない。

 ……そこに彼らの思惑が絡んでいたかいないかは分からないけれど、自分の味方であってくれた人を見捨てて逃げる、というのは選択肢の中に無かった。


 あいつの嫡子に生まれ、こうなってしまった以上、責任はとる。





 ※






 正式にロンバルド家の後継ぎに再指名されたということでアーサーやシリウス、ラルフらと頻繁に関わりを持つようになる。

 元々幼馴染のような関係ではあったものの、グリムの話を聞いた三人には――





   『……修羅の家?』





 真顔でドン引きされた。


 


 ――今でも普通に友人でいられるのは、皆良い奴だったからとしか言いようがない。

 もしもそこが居心地の悪い場所だったら、ジェイクはもっと捻くれて、性格もねじ曲がっていたに違いない。



   



 ※

 




 皮肉な事に、グリムよりもジェイクの方が父親の生き写しだと揶揄されるような容姿を持っていた。

 髪の色も目の色も、自分の姿かたちの全てが憎かった。

 鏡を見るたび苛々する。


 嫌でも血のつながりを意識せざるを得ない。

 その度に『自分は違う』と言い聞かせた。





 ※ 




 時は流れ、後継ぎ教育と言う名の拷問にようやく慣れてきた頃合い、再びジェイクはトラウマを植え付けられる。


 ジェイクは従姉妹に恋をした。

 恋と言うには淡く、仄かで自覚するのも遅かったのだが。


 親戚のお姉さんの彼女は、面差しが母に似ているところがあった。

 優しい人だ。所謂身分目当てと思えるような上辺だけの女性とは違う。


 何故急に将軍の後継者がグリムからジェイクに変わったか、決して進んで口にしたくないあの晩餐の話を――苦しい胸の内を吐露出来るくらい信用していた。


 いつもニコニコ明るく、時には砕けた口調で背中を叩いてくれる彼女。

 理解者だと、ずっと思っていた。



 その頃はまだ十二歳にもなっておらず、彼女には弟としてしか見られていなかっただろうが。




 運の悪いことに、彼女と一緒に街を歩いていたある日――街に突如現れた野盗集団に襲撃されるという事件が起こってしまった。


 何が起こったのか理解していない内にジェイクは背中を斬りつけられ、道の端に蹴り飛ばされた。剣の腕には自信があっても、結局、リアルに身の危険を経験していない内は危機感はぬるい。

 咄嗟の判断に遅れ、醜態を晒す。



 不幸中の幸いと言うべきか、近くを警邏していた騎士の一人が異常を察して現れ窮地を救ってくれた。


 眉一つ動かさず、無駄な動きもない洗練された騎士の身のこなしをただただ瞳に映すしか出来なかった。襟を立てた騎士の制服のシルエット、胸元に輝く騎士の証。

 圧倒的に、彼は力を持つ”善”だ。


 彼女は無傷のまま、救出された。

 ジェイクも傷跡こそ残ったものの、後遺症として引きずるような怪我には至っていない。


 不意を突かれてなすすべもなく倒れ込む自分と、助けに来た騎士は対照的だ。


 颯爽と市民の危機に駆けつけ、傷一つ負うことなく十人以上の屈強な男たちを叩き伏せる騎士の姿は――物凄くかっこよかったし、ジェイクの目にヒーローに映った。


 紛れもない命の恩人で、あの騎士がいなかったら従姉妹は大変なことになっていたはずだ。今思い返しても脂汗が滲み出る。彼女と一緒に街へ出かけるというだけで嬉しくて、浮かれて隙だらけだったから。



 自分には誰も助けることが出来ない。

 力がない人間が何を喚いても、誰も耳を傾けてくれない。

 何も守ることが出来ない。


 それまで以上に剣の稽古に励むようになり、『自分も騎士になる』という目標が出来た。

 学園に入ってしまえばその期間入団試験を受けることが出来ない、その前に何としても騎士の資格を得たいと思った。


 あの時あの騎士は自分に正しい『力』の使い方を教えてくれた。

 自分達を助けてくれた彼のようになりたい、と憧憬の念で一杯だ。


 そして騎士の叙勲を受ける事が出来たら、彼女に自分の想いを伝えて告白しようと思った。




   あの時・・・は守れなかったが、今なら守れる。

 



 自信をもって、そう伝えるために――

 ジェイクは入団するために数年、ずっとずっと努力してきたつもりだった。



 グリムを守れなかった、彼女を守れなかった。

 あの騎士の紋章さえあえば、自分にも守りたい人を守れるのではないかと、自分を鼓舞してライナスの馬鹿みたいな厳しい指導も耐えてきたのだ。





 念願かなって実力が認められ、躊躇うことなく彼女に想いを伝えられる! ジェイクは拳を握りしめて喜びに震えた。




 合格の報せを彼女に伝えに行った丁度その日に、彼女が結婚すると告げられた。

 青天の霹靂とはこのことである。




   しかも相手は、賊に襲われた自分達を助けてくれた、憧憬の騎士その人。



   ……どうしようもない。





 自分よりも何歳も年上で役職に就いている彼は地方へ任官を命じられた。

 だから一緒について来て欲しいとプロポーズされ、彼女は彼と共に遠い大地へと旅立ってしまったのである。

 




 しばらく呆然とし、屋敷に引きこもった。






    一体自分は何のために………。






 


 ※






 だが後日、もっと衝撃的な話をジェイクは耳にすることになる。







『私は、第二夫人エマさんのようになりたくない!』






 彼女はそう言い残し、ジェイクのところから逃げるために――遠い地方に嫁いでいったのだという。

 




 従姉妹はずっと怯えていた。

 エマやグリムの話を聞き、隠し事のニガテなジェイクの好意を日々感じる度に―― 怖くて怖くて仕方がなかった、と。


 ジェイクに求められれば、自分の立場では”断れない”。

 意志を無視して、人生を滅茶苦茶にされた第二夫人と同じような目に遭ってしまうのではないかと悩んでいたそうだ。


 流石に子供もいる人妻ともなればジェイクも追いかけてはこないだろうと、彼女は決死の覚悟で駆け落ちのように王都から去ってしまったのである。



 一人の人間として、そして男としてこんな屈辱的な話があるだろうか。

 理解者だと思って何でも話してきたのに、彼女はその話を聞いて 次は自分の番・・・・・・ だと怖くなって逃げ出した。



 自分は父のような人間ではないという自負があるのに。

 でも結局、自分の想いは普通の女性にとって、とても迷惑なものなのだと落ち込んだ。



 声をかけてくるのは、生まれや立場という背景にあるものを望む人間ばかりだ。

 儘ならないとしか言いようがなく、常に求めるものと現実はチグハグであった。




 何もかもがどうでもいいと思えた。




 自分が誰かを好きになったり、欲しいと思えばそれは相手にとって恐怖でしかないことだ。



 地位や金という自分の背景に興味を持つような人間、ジェイクだって好きになれない。

 でも――自分が好きになる人は、そんなモノはどうでもいいと心の底から思うがゆえに、ロンバルド家に巻き込まれたくない一心で逃げ出してしまう。

 怖い想いをさせることになる。


 


 自尊心、矜持、というものは既にボロボロだった。

 自分の想いは相手にとって裸足で逃げ出したいくらい迷惑なものだと突きつけられ、恋愛に関してポジティブに考えられるような人間はいない。



 元々、周囲が勝手に決めた女性と政略的な意味合いで結婚するのが当たり前の立場である。

 余計な事は考えず、誰も望まず、誰も欲しいと思わなければそれで自分も傷つくことは無くなる。


 誰かを好きになってしまったこと自体、道を外した愚かな事だったのだ。







   シリウスの言った通りだ、『恋や愛など不要』。

   ラルフが呟いた通りだ、『人を好きになるのは 怖い』。




   グリムの願いは当然だ、『君は他人ヒトの人生を壊さないでね』。

  








 自分達は普通じゃない。

 だから、普通に誰かを好きになる資格はない。






  







  ※







 だから、気づきたくなかった。


 いつの間にか傍にいて、仲良くなって、一緒にいることが楽しかった。

 惹かれているのだと心のどこかで分かっていても、認めたくなくてずっと見ないふりをしていた。



 






 何でなんだ。 





 ジェイクがリゼの事を好きだと自覚したタイミングが、余裕のなかった彼を一層追い詰める事になる。




 彼女が武術大会で活躍したあの日、二人きりになって、自分の気持ちに向き合わざるを得なかった。



 「ただのクラスメイトだ」という付け焼刃の言い訳も効かないくらい、自分はリゼの事が好きなのだとハッキリ自覚してしまったのだ。

 



 だが、何故そのタイミングなのか?


 入学したてはただの運動音痴でしかなかった彼女が、僅か半年の間で並み居る男子生徒達を打ち払っていく姿に心を揺さぶられた。

 真剣な表情が、眼差しがから目を離せなかった。




 でもそのタイミングで想いを自覚してしまえば……






   『血は争えない・・・・・・って奴だもんね?』

  





 グリムに言われたように、確かにジェイクも同じことを思った。


 自分への憤りが止まらなかった。

 別に彼女が”強い”から好きなのではない。


 その日の出来事は――彼女の努力の結果の一つの現象であり、それが全てではない。





 なのに頭の中に憎い父親の顔がぐるぐると薄ら笑いを浮かべて回っていくのだ。





   お前もか、と。

   ニヤリと笑い、見下されている幻覚に苛まれた。

  





 違う、違う、違う!





 自分は親父あいつとは違う!


 欲しいからと言って無理矢理自分のものにしようなんて絶対思わない。




 ……この感情が相手を不幸にし、怖がらせるものでしかないなら絶対に認めないし、望まない。

 

 


 だからせめて、普通に友人として傍にいることが出来ればいいと思った。

 彼女が普通に幸せなら、それでいい。




 フランツから再三言われた、『巻き込むな』という忠告にどれだけ心を掻き乱された事だろう。

 そんなのは百も承知だ、自分の勝手な一方的な感情で何が起こってしまうのか、それがとても怖かった。


 

 父と同じではないと強く否定する癖に、彼女の努力の結実を目の当たりにした瞬間。

 確かにジェイクの心の底で騒めいた。








               ああ、良いな。

               ……欲しい・・・な。









 そう僅かでも掠めた自分を嫌悪した。

 どれだけ振り払っても、あの血の晩餐を引き起こしたあの男ダグラスとの因果は切れないのかと絶望するほどに。


 




 ずっと、好きだった。

 

 



 でも自分は隠し事は得意じゃない、この想いはいつかバレる。

 だから早い段階で遠ざからなければいけなかったのに、それが出来なかった。






 リゼにそっくりの女性が事件に巻き込まれていると聞いて、もしかしたら自分が原因なのかも知れないと焦った。

 自分が彼女に好意を寄せていると知られてしまえば、与り知らぬところでこちら側の事情に巻き込んでしまうかもしれない。


 身内が何をしでかすかわかったものではないのは、グリムの件で思い知らされた。

 




 ……実際に彼女が攫われたのは自分の事情とは別だったと分かった時は心底ほっとしたが……



 でも現実に縛り上げられて憔悴し、泣いている彼女を前に自分は何も出来ないのだとショックを受けた。


 守ってやることはおろか、抱きしめることさえ。

 自分は彼女にとっての何者でもなかった。

 そして自ら厳重に引いた境界線が、彼女に触れる事さえ許さない。




 これ以上彼女の傍にいるのは、やっぱり駄目なんじゃないか。

 限界だ、と思った。




 シリウスの眼鏡を吹っ飛ばしてしまった時のように我を忘れ、今度は彼女自身に何をしでかすのかも分からない。

 嫌でも目を背けたくても、自分はあの父の血を濃く継いで生まれた人間だ。

 いつ豹変して、自棄になって――取り返しのつかない嫌な思いを彼女にさせてしまうか。


 ジェイクは根本的に、自分に自信がない。

 そして自分を全く信用していない。


 

 


 






 ティルサで生じた魔物襲撃の報告を受けた時、リゼから離れる丁度いい機会だとも思った。

 何なら、用が済んでも王都に戻らなくてもいいかな……とさえ考えていた。


 やむを得ない事情で留年して、学年もクラスも違えばもう彼女の日常を煩わすような事もなくなるのではないか。









 その方がいい。


 いくら こっちが一方的に好きでも 好きだと思っても



 言えない想いに何の意味がある。




 隠しきることも出来ず守る事も出来ず、結果的に迷惑をかけることしか出来ないなら、潔く無関係でいるべきだ。








 ※ ※ ※











  「私、ジェイク様の事、 好きです」


 








 ※ ※ ※  






 唖然とした。



 一瞬何を言われたのか、聞き間違いなのか何度も何度も考えた。

 自分の放った爆弾発言のことなど、無かったことのようにリゼは地面の上で心地よさそうにスヤスヤと寝入ってる。


 じわじわと、彼女の声が思考の中に拡散していく。











 自分の気持ちなんか相手にとって傍迷惑なものでしかないと、そう思って過ごしていた。


 ロンバルド家の後継ぎとしての自分を求められることはあっても、

 『ジェイク』を欲しがる人なんかいない。


 

 最初から諦めていた。

 傷つくのは嫌だった。

 手に入らないから――父と同じような行動に走るかもしれない、それを完全に否定できない自分も嫌いだった。


 欲してはいけないのに、欲してしまう堪え性のなさを疎ましく思った。

 資格がないのに、どうして自分は彼女の事を好きで好きでしょうがないのか、ずっと悩んでいた。




 そんな蟠りがじれた糸をするすると解くように消えてゆく。

 彼女の一言で、長年覆っていた靄が一気に吹き飛んでゆく。



 色んな想いがごちゃごちゃと行き交い、頭の中が空っぽだったけれども。









 え? 好き?





 こんな場所まで、追いかけて伝えてくれたのだ。

 嘘や冗談なわけがない。


 そこに聴き間違いがあるわけがないし、万が一空耳だったら自分はもう二度と立ち直れないという確信があるが――







  自分の存在おもいが許された気がして、ちょっと、泣いた。



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