第437話 『アンディ』



 アンディは階下に降り、厚手の外套を脱ぐジェイクの姿を確認する。


 そして彼が文字通り単騎であることに目を瞠った。


 確かに大々的な救援が来てしまえば、事はどんどん大きくなる一方だ。

 万が一にも魔道士が動いて駆けつけて来れば、アンディ達の命は助かるだろうが……

 当然こちらの立場も面子もなく、一方的な処分は免れなかっただろう。


 騎士団の中にも魔法の使い手はいるし、彼らも動員されると思っていたが……

 まさかジェイク一人で駆けつけてくるとは。


「――ジェイク君。

 申し訳ない、手を煩わらせてしまって。

 でも……まさか君一人、なのかい?」


「ああ、その方が動きやすい」


 普通、魔物の群れに襲われて籠城中、身動きが取れないという一報を受けて一人で来るか?

 伝令はちゃんと報告したのだろうな、と冷や汗が流れたが……

 実際に砦を何重にも囲う魔物数百体の魔物の群れを意に介さずここまで辿り着いたのだから。


 余計な供がいたら邪魔、という潔い判断は間違っていないのかもしれないけれど。

 彼の行動力にこちらの肝が冷える。



 ただの地方都市の反乱のはずだった。


 元々東部地方は治安が良くない、荒事は多い場所だと事前に分かっていたけれど……

 まさかこんな事態になるなど、一週間前は全く想像もしていなかった。

 鎮圧するはずの町が、既に魔物によって壊滅状態。


 そして魔物はこちらの部隊を見つけるや否や、当然のように襲い掛かり攻撃し、その手を緩めず砦に後退した自分達を未だに包囲しているのだ。

 あの日すぐに中央に報せを出す決断が出来たから、ギリギリジェイクの到着は間に合ったと言っていいのだろうか。


 もし躊躇っていたら、明日明後日にはこの砦は攻め落とされて全滅の憂き目に遭っていたかもしれない。



「状況を説明しろ。

 なんなんだ、あの数は」


 重たい外套を近くの兵士に無造作に手渡しながら、ジェイクは渋面のまま低い声でそう話す。

 彼の指先には朱色の光がパチパチと微かに音を立てて弾けていた。

 まるで残り香のように、先ほど彼が放った魔法弾の力の残滓がそこに纏わりついている。



 説明と言われても、状況を報告することしか今のアンディには出来ない。




 決して短くない距離を駆けて来てくれたのだ。


 疲れただろうと、砦の一室に彼を案内する。

 砦はあちこち修繕が必要な程老朽化が進んでおり、石壁の至るとことに罅が入っていた。


 ――元は混沌時代、国境の砦の一つとして築かれたものだ。

 戦争とは無縁の現代ではほ騎士団の駐屯所以外で使用されることはなかったが、まさか魔物の攻勢を受けて引きこもることになるとは思わなかった。




「私にも何が何だか分からないところなのだけどね。

 ティルサの鎮圧の任を受け、部隊を整えて向かったまでは良かったのだけど。

 ……私達が辿り着くより先に、町は魔物の襲撃に遭っていたようだ。

 町から逃げ惑う者を誘導し、ここに保護するだけで精一杯だった」



「……ふーん」


 ジェイクは椅子にどっかりと腰を下ろし、人差し指をこめかみのあたりに置いた。

 しばらく目を閉じ、眉根を寄せて何か思案しているようだ。




「どうにか『話し合い』に持ち込めないもんかな」


 ボソッと彼が漏らした言葉に、アンディは耳を疑った。


「話し合い……? 正気なのか」


 何の予兆もなく突然一つの町を襲った、魔物の群れ。

 ただの民兵の暴動を鎮圧するための部隊では全くの力不足で、手も足も出ず逃げ籠ることしか出来なかった。


 斥候役によれば町の中は瓦礫の山だったという。

 残虐非道、極悪無比としか言いようがない彼らの行いを聞いてなお、話し合いなんてぬるい単語を使うことが理解できなかった。


 すると彼は、話し合いというのは言い過ぎだけど、と苦笑した。



「なんで今まで魔物が人間を襲わなかったか。

 アンディだって知ってるだろ」


「……。」


 魔物は頑強で残忍な性質の持ち主、人間を虐げる天敵でしかなかった。

 純粋な力の差は普通の手段では埋めがたい。

 対抗するために、人は”魔法”という手段を生み出した。


 精霊の力を借り受け、超常的な威力の攻撃や防御を可能にする。本来人の手には余る力である。

 


「目立って暴れでもしたら、俺みたいに魔法を使える人間が大挙して押し寄せて駆逐しにくるんだぞ。同じようにやり返される、同胞が沢山殺される――大損だ。


 人間の町一つ潰して得られるものなんか多くない、ただ”報復”されるだけ。

 割に合わないよな」


 人間の総力を挙げれば魔物を掃討することは出来る。

 だがその前に力を持たない普通の人間が被害に遭うのは避けられない、相争うのは割に合わない。

 

 相容れないもの同士ではあるが、全く生態の違うものだから――互いに互いの縄張りを冒さないよう生活圏が分離した状態だった。


 相手も言語を操り、社会を構築している以上人間世界の戦争と左程変わりはない。

 勝てば受けた被害よりももっと大きな利益を得られると分かっているから、組織は争うのだ。


 魔物にとってみれば、後ほど大逆襲を受けるなら局所的な勝利は意味もなく。

 人間にとってみれば、自分達に直接害をもたらさない魔物を被害を出しながら掃討する意味もない。


 だから聖女も互いに住み分ける事を望んだ。

 互いに不干渉を貫くことで、無益な争いを遠ざけた。



「急に街を襲った? 百何十年、身を潜めていた奴らが?

 当然、理由わけがあるんだろうよ。

 それを調べないと、今回限りの偶発的な襲撃か――

 裏で動いてる何かがいるのかわからん。

 ハッキリさせておかないとな、何かしら話を聞く必要はある」


「だが、事情を聞くにしてもどうやって?

 聞き出すどころか、大勢の魔物に押しつぶされるだけだ」


 人間を完全に敵と見做し、町を襲い人間を嬲る魔物が大挙して攻撃してくる。

 奴らに話を聞くなんて夢物語も等しいのではないか。


「適当に……ってわけにはいかないけど、それなりに事情を知ってそうな奴を捕まえて事情を聞くしかないだろ。

 普通の縄だと引きちぎられるから、気を付けないとなぁ」


 捕まえるなんてそんな簡単に……とアンディは絶句した。


「今周囲にいる程度なら――俺でも何とかなる。

 あっさり大人しく応じてくれるとは思えないから、奴らの勢いは削がないといけないけどさ。

 あんまり気が乗らないよなぁ」


 若干うんざりしたように顔を顰める。


「……はは、あの量の魔物を君一人でどうにか出来るって?」


「テキトーに全部燃やせばいいんなら話は早いんだが、そういうわけにもな~。

 弱らせて捕まえるって、マジで苦手だ」


 否定しないのか。

 あれだけの魔物を目の当たりにして、怯えるでも怖がるでも臆するでもなく、淡々と。


 人間に対して魔道士が魔法を使うこともないから実感に乏しかったが、魔物がその力を恐れて人間の前から引っ込んでいたのも分かる。


 か弱い人間という種族の中に、彼らからしてみれば突然変異、”常識外れの化け物”が紛れているのだ。目を着けられたらたまったものじゃない。


 人の社会から出来るだけ距離をとろうとするのは彼らなりの自衛の手段か。

 不干渉を貫いていた人間の町を襲うというのなら、それなりの理由があってしかるべきだ。


「大昔の”聖女”の約束守って今の今まで引っ込んでた。それくらいの知恵はあるってわけだ。そこそこ律儀でもあるよな? 百年以上、約束を守って来たんだからさ。

 いくら敵だとは言え、害虫焼き払うのとは違う。

 殺すのは気分の良いもんじゃない」


 種族の違う生き物同士の殺し合い。

 戦争で敵を殺すことを喜ぶような性格はしていないだろうけど。


 こっちは彼らの常識離れした戦闘能力、徒党を組まれて襲われて手も足も出ずに敗走するしかなかったというのに。

 そんな軽々しい口調で言われると、目の前にいる『彼』の方がよっぽど魔物なんかより恐ろしい存在なのではないかと思えてくる。




「君は――ホントに人間かな?」



 彼は後頭部に片手を添え、一度大きな息の塊を落とす。



「親父に比べりゃ十分人間のつもりだけどな。


 まぁ、こっちは町一つ潰されたんだ。

 話し合いだけ・・で済ませるつもりはないけどな」





 魔物に襲われた町。

 騎士団が近くにいたのに、守れなかった。


 民を守るための組織なのに、みすみす魔物の蹂躙を赦してしまった事は大きな落ち度だ。実際に守れるだけの戦力が無かったなんて、言い訳にしかならない。

 理不尽な話だが、目に見える結果が全てだ。

 


 だが――街は襲われた後だったが、騎士団が死力を尽くして魔物を撃退したというストーリーであれば、ギリギリ面目も立つ。

 

 勿論アンディはこの任地の責任者として立場は危うくなり、内々で降格などの憂き目にあうかもしれないけれど。

 このまま籠城を続け、いつか門を破られて皆で仲良く魔物に嬲り殺されてしまうよりは、断然マシだ。


 するとジェイクはしれっとした表情でとんでもない事を言った。


「魔物がこんな行動に出た原因が判明して、それが上に報告出来るようなことなら――その情報、お前の手柄って事にしとけばいいんじゃね。

 そうすりゃアンディを処罰って話にはならないだろ」


 反乱を鎮圧するはずの町が魔物に滅ぼされ、騎士団は尻尾を撒いて逃走。


 どうにもならずに宮廷魔道士達に助力を乞うなんて事になったら、どうしようもないこととはいえ事態を予期できず見過ごしたと自分は処罰されるはずだ。

 誰かが責任を負わなければいけないとしたら、任官したばかりの自分は都合よく切り捨てることのできる”駒”だ。


 しかし魔物騒動が他の管轄を煩わせず、騎士団の中で完結できるなら、面目は立つ。


 ティルサの町を事前に救えなかったことの責任を問われる可能性はあるけれど。

 結果的に数百もの魔物の群れを退けることに成功し、逃げだした町の人間を救出したなら身分を剥奪まではいかないと期待できる。


 更に、だ。魔物が急にこんな行動に出た理由を知り、それが今後の騎士団の防衛策上役に立つ情報になれば……

 ジェイクが言う通り、それは大きな手柄になる。


 ――東に任官したばかりのアンディの部隊が魔物の群れから多くの人間を守った、と。状況を捻じ曲げて”上”から褒められる事もあり得るかも知れない。



 この先の結果次第で、自分の進退が全く変わる。

 ティルサの町一つ分潰されてしまった事をチャラに出来る将来こんごへ向けての”情報”を得られれば、アンディの体面は守られる。


 だが面倒をかけ、単身ここまで駆けつけてくれたジェイクにそこまで庇われるのは寝覚めが悪い。

 公平ではない、と思う。

 

 

「……そこまでジェイク君の世話になるわけにはいかない」



「俺だってお前に失脚されたら困んだよ!

 なんで俺が一人で来たと思ってるんだ、絶対にここで収めて帰るぞ」



 アンディごと切り捨てて、それこそ全部自分の功績にしてしまえばいいのに。

 面倒見がいいという言葉を越えているぞ、と思う。






 ※






 大きな動きがあったのは、翌日だった。

 長い距離を馬で移動してきたばかりでジェイクの疲労も溜まっているということ、そして魔物掃討の段取りも必要ということで――アンディも久しぶりに人心地着く時間を与えてもらえたのだ。


 彼が砦に到着した後、生き残った兵士達の顔色や士気が全く昨日までと違った。

 このまま押し寄せた魔物に殺されるのだろうかと生きた心地がしなかった、そんな雰囲気とは雲泥の差である。


 ジェイクが言うことが本当なら、今砦をぐるっと囲んでいる数百の魔物を倒す事はそう難しくないらしい。



 重要な事は、話が出来る魔物を捕まえ、この騒動が何が原因なのかを聞き出さなくてはならないという部分だ。


 魔物を話が出来る状態で生け捕りにするということは難儀としか言いようがない。


 敵を全滅させても駄目、捕まえる事が出来ずに逃走されてもいけない。


 当然砦の結界を破られ、中に雪崩れ込まれて保護している市民たちを危険に晒すことも出来ない。

 人的な被害をこれ以上出すことなく、魔物を捕らえる必要がある。

 アンディが目の当たりにした屈強で、人間より二回りも二回りも大きな動物の顔を持つ魔物達。

 中には角が生えていたり、毛むくじゃらで獰猛な獣が二足歩行しているかのような恐ろしいものもチラホラ見える。



 どの魔物も捕まえようとすれば決して無傷では済まないだろう。

 刺し違える覚悟で相対するだけの覚悟がいる、そんな魔物を倒すではなく拘束する、か。


 倒すにせよ捕まえるにせよ、砦の門を開けて向かわなければいけない。

 そして捕まえる――ということにジェイクは力を使えない。


 魔物が大挙して制圧に掛かってくるのを魔力弾で一掃、薙ぎ払ってこちらの戦線を押し上げていかなければいけない。

 ジェイクだって無から有を生み出すわけではなく魔法の詠唱や術行使の集中も必要でその間彼の周囲を固める盾役も必要だ。





 ――自分が、捕まえてやる。


 アンディはその役に、当然のように立候補した。

 危険な役目だと分かっているが、そのくらい役に立たなければ申し訳が立たない。


 こちらから攻勢を仕掛ける今日が、魔物を捕まえる最初で最後の機会だ。

 もしも『魔法』の威力に恐れをなし、奴らが途中で潰走してしまえば追いかけて足取りを掴む事は更に難しくなる。

 生き残った魔物が現場に残っていればいいが、ジェイクは魔力の出力調整がとことん苦手なタイプだという。


 生き残りがいるか、そいつが喋れるか、事情を知っているか? 結果予測は難しい。


 一番確実なのは、捕らえて話を聞くこと。



  何故ティルサの町を襲った?

 


 今まで互いに不可侵を貫いていた均衡を、何故破った?


 

 この襲撃を退けて、それでめでたしめでたし、という幕引きにはならない。

 魔物が他の場所でも、町を襲いに来るのでは?

 その危険が払しょくできない以上、不安要素が王国に一つのしかかり増えただけだ。



 この先の対応を考えるためにも、奴らの真意を知る必要がある。




 どうやって魔物から逃げ延びるか、一体でも多く倒せるか?

 劣勢から生き残れるか?


 そんな息を詰める状態から、目標が一気に変わった事に驚かざるを得ない。





「――行くぞ」




 まだ夜が明けたばかりの静寂の台地に、再び門が大きく押し広げられる。


 それと同時に、まるで石造りの砦の門自体が火を吐く怪物であるかのように。

 灼熱の炎が、ぽっかり空いた扉の奥から真っ直ぐに投射された。


 砦の入り口に寄せ集まり、張られている結界をゴリゴリと削ろうと身を打ち付けていた数体の魔物は――突然放たれた火柱に包まれ、悲鳴を上げる間もなく蒸発した。



 それを合図に、まだ五体満足で得物を振るえる騎士、兵士たちが門の奥から姿を現す。

 突然の攻撃に怯んだ様子を見せた魔物達は、騎士の姿を見ると血気盛んな様子に早変わりしその太い腕を振り上げ、襲い掛かってくる。

 棍棒や金棒を振る被る巨体も迫り、もしも一対一で戦えと言われたら身が竦んで動けなくなっただろう。

 足が地面にへばりついたようにとどまっていたに違いない。


 だが騎士達に襲い掛かってくる魔物、その一体一体全ての頭を正確に赤い矢のような光が射抜く。


 彼は愛馬に乗ったまま、前方を鋭い視線で睨み据えている――彼の周囲にはいくつもの赤い光が夢幻のようにふわふわと浮かび纏わりついている。



 ジェイクが手を翳し、指をさした方向へその光の弾が放たれるのをアンディは見た。


 弓もないのに、正確に彼の背後から魔法弾が矢のように射出されていく。

 しかも全く途切れることなく、次から次へと浮かび上がる炎の弾は敵の動きに反応して狙いを貫いていくのだから恐ろしい。



 岩のように固そうな一匹の魔物の頭が柘榴ザクロのように弾け飛んだ光景は、血に慣れている自分でも気分が悪くなるものだった。




 ああ、駄目だ。

 自分は自分の仕事をこなさないと。


 普通の縄では捕まえたところで引きちぎられてしまう、とジェイクは言っていた。

 頑丈な鎖を両手に抱え、アンディは注意深く周囲に視線を遣る。

 その場に集まる魔物は皆ジェイクの魔力弾を警戒し、注視し距離をじりじりと空けていた。



 この鎖で魔物を捕らえ――話を聞く。

 人間相手だったら、どれだけ楽か。


 ともすれば自分などあっさり片手で首の骨を折られる巨躯の魔物を取り押さえないといけないのだ。


 出来れば手負いの魔物が良い。

 しかし手加減は出来ないというジェイクの放つ魔力弾はあまりにも正確で強力、無駄なく確実に一体一体仕留めていく。


 一斉に襲い掛けられたところで、腕を横に一閃。

 自身の馬の前に炎の柱を数本生み出し魔物達を薙ぎ払う。




  

 本当に人間かな? と絶句した。





 以前山を一つ燃やし尽くした事があるとは聞いたが、どこか話半分でイメージできなかったところはある。


 ……魔法の使用が禁止されているのは、冗談でもなんでもないな。


 将軍は彼よりも人間離れしているとすれば、この家系ロンバルドはどこか狂っていると畏怖しか感じない。





 決して油断していたわけではない。

 ただ、ジェイクの傍にいても生きている魔物がいないので、少し離れた場所に足を進めていた。



 茂みの奥で、何かが蠢く音がした。

 声にならない声を挙げ、足を一本捥がれた狼の姿を模した魔物が悶絶するようにごろごろとのたうちまわっている。


 炎の障壁でここまで弾き飛ばされた魔物か。





 ……これなら――……いける。捕らえられる。




 鎖を持つ手に、大きく力を籠めた。


 流石に足を一本失った魔物相手なら、アンディでも捕まえることくらいできるだろう。


  





 だが、その時不意に”誰か”の視線を感じた。


 魔物を縛り上げるために、一歩叢に向かって足を出したアンディ。

 しかし強烈な敵意――殺意を感じ、反射的に視線の主を目で追った。



「……アンディ!? どうした?」




 動きを止めた自分の様子が、遠くのジェイクから不審に見えたのだろうか。

 自分を叱咤するジェイクの声が聴こえるのと――





 茂みの向こう。

 大きな樹の枝の間。

 日の届かない暗がりで、キラリと矢の先端が光ったのは同時だった。




 弓を番え   アンディの首元に向かって    矢を射かける






 ヒュッと矢が風を裂いた音が、視覚として目に”見えた”気がした。





 寸分の狂いなく、矢の先がアンディの喉を、     。







     あ、これは――死んだな。






 恐怖よりも驚きの方が勝った。

 予想外が過ぎる。


 魔物の中にこんなに正確に弓矢を扱える器用な種族がいるのか……

 こんなに遠くから正確に射かけられたら、ジェイクも危険だろう。

 気を付けないと。



 ……ああ、注意喚起をすることさえ、もう出来ないのか。












  「――――――――!!!」






 だが不思議な事に一秒経っても二秒経っても、意識はまだあった。

 替わりに訪れたのは、大きな衝撃だ。


 どさっ!


 

 背中が地面に叩きつけられる。

 上から『何か』が覆いかぶさって来たというか、のしかかってきたというか、文字通り押し倒されたと言えば良いのか。




 自分を押しのけ、上に乗っている少女にアンディは見覚えがあった。



 近くには彼女が乗って来たと思われる馬が、急に乗り手を失い不思議そうに立ち止まっている。




 ……まさか。

 走っている馬から飛び降り、その勢いとともに自分を突き飛ばしたのか、彼女は。

 生半可な鍛え方をした人間だったら、その勢いで突き飛ばされたら全身打撲か骨折で大怪我をしていたのではないか。



「痛っ………」



 アンディは自分が呻いた事が不思議だった。


 今、自分は矢に射抜かれて死んだはずでは? 





 何で痛いという感覚があるのだ? 






「間に合った?

 ……アンディさん、無事?」





 彼女は完全に目を据わらせたまま、震える自分の肩をぎゅっと手で押さえていた。


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