第435話 聞き込み



 ああ、もう学園に着いたのか。


 カサンドラは御者が明けてくれた馬車の扉から出、ステップをゆっくりと降りる。

 平衡感覚が欠けているのか、危うく滑って転げ落ちる寸前だ。

 驚く御者に誤魔化し笑いを向けて、カサンドラはいそいそと通い慣れた通学路を前進した。




 ※





 いくらカサンドラ達の現状が昨日と比べ圧倒的に様変わりしてしまった――とは言え。


 世界はそんなことお構いなく、いつも通り朝を迎える。

 万人に等しく時は刻まれ、この世界の歪つさを知ってしまった自分もその流れから勝手に脱することはできない。


 睡眠不足で眠たいカサンドラの瞼に、初夏の朝陽は憎らしい程の光を燦々と照りつけて来る。

 完全に馬車の中で舟を漕いでいたカサンドラは、目の端を擦りながら学園の門をくぐり、エントランスホールへ向かう並木道を歩いていた。


 植わった樹々は瑞々しい青さを強調し、まさに新緑、と言った清々しい光景である。


 尤も、そんな景色も今のカサンドラには癒し効果にはならない。

 チカチカと眩しい外の姿が視界に馴染むよう、目と目の間を指先で揉み解す。

 いくら授業を真面目に聞けなくてもしょうがないと覚悟を決めていたとは言え、たった二、三時間の睡眠時間では立って歩くのも不都合が生じる。

 体力の無さは自覚していたが、ダイエットのために多少運動していてもこの有様だ、情けない。


 まさか大あくびをするわけにもいかず、カサンドラは何とか気力を振り絞って教室に向かっていた。



「おはようございます、カサンドラ様」



 背後から名を呼び掛けられ、ギクッと両肩を跳ね上げる。

 昨日一昨日とあんな話をした後だからだろうか。

 神経が過敏になり過ぎているのかもしれない。


 今までは王子が悪魔にされるという点で、裏にいる存在が何なのか漠然としていたけれど。

 そこに『三家の当主』という一度会ったことのある人間が浮上してくると、一気に緊張感が増す。

 そうと決まったわけではないけれど、他に心当たりもない。


 警戒するに越したことはないが――

 その三家の当主、というのが曲者だ。


 攻略対象の実親。

 流石に実の父親が王妃のみならず弟王子も、そして友人の王子さえも抹殺しようと考えているなんて軽々しく告げられる内容ではない。

 主人公である三つ子は、リナのおかげで何とか信用を得るに至ったけれども。

 自分の親がそんな非道な事を考えている”かもしれない”と、気軽に相談出来ない状況に頭が痛かった。


 まぁ、悪魔の件が無かったとしても王妃暗殺事件のことを話すことは躊躇われるし、かなりデリケートな関係だったとは思うけれど。


「キャロルさん、おはようございます」

 登校の時間が重なるとは、奇遇ですね」


 振り返ったキャロルは少し息が上がっているようで、それにも驚いた。


「ふふ、馬車に乗っている時、カサンドラ様のお姿をお見かけしましたの。

 つい急いで追いかけてしまいました」


 深窓のお嬢様がバタバタと忙しなく走る姿はかなり珍しいシーンであると思われる。

 キャロルは相当頑張って走って来たのか、うっすらと肌が汗ばんでいる。

 綺麗に梳かれた亜麻色の髪、その数本が彼女の赤く蒸気する頬に張り付いた。


 それが鬱陶しかったのか彼女は手の甲で横髪を振り払う。


 彼女の髪が波打つように広がり、目を奪われた。


 丁度首元あたりに目線を遣っていたせいで、制服ブラウスの襟元でキラリと何かが銀色に光る。

 今までなら、目にしても気になる事はなかったはずだ。

 お洒落なネックレスやペンダントをこっそり見えないように持ち込んでいるのだろう、という意識しかなかった。


 派手に見せびらかすように身を飾るのでなければ、誰も一々注意して回ることはない。

 紛失や盗難にあった場合は自己責任、というだけの話だ。


 つい注目してしまったのは、同じものを今のカサンドラも身に着けているから。

 銀の鎖は目立たないように制服の内側に隠しているものの、何かの拍子に垣間見えてしまうこともあるようだ。

 自分も気を付けなければ。



「キャロルさん、そちらは」


「……あ!

 も、申し訳ありません。

 学園内に装飾品の持ち込みは禁止されている事は承知しているのですけれど」


 小柄で線の細い彼女は、カサンドラの傍から一歩横に距離を空けて立ち尽くす。


「その、エドガーさんからいただいたものなので……

 ええと、指輪を提げているのです。

 どうか、どうかお目こぼしくださいませんか?」


 彼女は焦げ茶色の鞄を抱え、上目遣いにこちらに訴えて来る。

 大切なものだからこそ身に着けていたいという気持ちは分かるし、他にも一定数同じ行動をしている女生徒もいるはずだ。

 それを咎めるつもりも、資格もない。


 先週末のお茶会で彼女は指輪を填めていたが、きっとその時と同じ指輪が銀色のチェーンの先端に吊られているのだろう。


「いえ、良いのですよ。

 わたくしも同じですから」


 何となく、仲間意識が芽生える。

 若干の背徳感。


 本当は校則違反なので良くないけれど、その後ろめたさが一層共感を呼ぶ。

 カサンドラが自分の首元を軽く指差した。

 他の生徒も続々と登校を続ける並木道で胸元から指輪を出して翳すことはできないが、その仕草だけでキャロルも理解してくれたようだ。


「カサンドラ様も……!?

 それは存じ上げませんでした」


 今日から身に着けて来ることになったので、彼女が知っている道理がないのだけど。

 彼女の中では、ずっと前からカサンドラが王子にもらった婚約指輪を学園に持ってきていたことになっているようだ。

 特に訂正する意味もないので、カサンドラは彼女に合わせてニコニコ頷いておいた。


 含み笑いを覗かせ、言っておく。


「お互いに秘密にいたしましょう」


 この国では、婚約指輪を婚約相手に贈るのは一般的な習慣ではない。

 別に婚約したからと言って贈る必要も身に着ける必要もないもので、男性側の厚意で成立する。

 一々パーティの場でこれは婚約の約束の指輪なのだと触れ回ることもないので、他人からは分からない。

 当人達だけが知る、自己満足のやりとりだ。


 だが、だからこそもらえた時には嬉しい。

 カサンドラも身を以て知っているから、それは確かだ。


「ありがとうございます」 


 キャロルが表情を綻ばせ、カサンドラの隣を歩く。

 意識はまだ茫洋としていたけれど、一人で歩いているよりは誰かが傍にいてくれた方が気がまぎれる。

 先週のお茶会の話を楽しそうに話すキャロルを眺めながら、ゆっくりと歩みを進めた。


 キャロルの話しぶりを見ていると、初対面の印象がどこかに吹き飛び完全に塗り替えられていくかのようだ。

 明るい女の子というアイリスの言葉を思い出すが、こうして気兼ねなく話をしてもらえるのはとても嬉しかった。


 そう言えばアイリスは元気にしているだろうか。

 つい数週間前に会ったばかりなのに、あまりにその間色んな事がありすぎて全く過去の出来事にカテゴライズされてしまっている。


 楽し気にお茶会での話を続けていたキャロルが、少し間を空ける。

 会話の切れ目で、もしも沈黙を気まずいと感じる相手なら気を遣い、次の話題を一生懸命探さなければならなかっただろう。


 しかし何も言わなくてもニコッと微笑む彼女がいるだけで、場の空気がほんわか暖かく、居心地の悪さは一切感じない。

 黙って微笑むだけでここまで雰囲気を和ませることが出来るのか。


 もしもカサンドラが突然押し黙ってしまえば、皆機嫌でも悪くなったのかと逆に気を遣わせてしまうだろう。

 無言でいるだけできっと怒っていると勘違いされてしまうのだ。

 まぁ、元々の性格の差もあるのかもしれないけれど。

 自分には癒し効果なんか元から無い、無いものを欲しがってもしょうがない。


 折角キャロル――ヴァイル派の女性との”リーダー”と会話をする機会を得られたのだ。

 王子ばかりに情報収集を任せるのは大変申し訳ないので、カサンドラも絶好の機会を逃す手はなかった。


「つかぬことをお伺いいたします。

 あの、キャロルさん。貴女は大勢のお家から、舞踏会やパーティに招待されていると思うのですが」


「私ですか?

 そうですね、お声を掛けて頂くことも多いです。全てに出席できるとは限りませんが。

 ですがこの時期は招待状が手元にあることは珍しいです」


「王宮舞踏会がまだですものね、社交の季節にはまだ早い――

 当然、舞踏会が開かれるとなれば珍しいお話でしょう」


「舞踏会――。

 そうですね、王宮舞踏会の開催までは時期外れです。

 お茶会やパーティならともかく、とても珍しいことではないでしょうか」


 キャロルは大きく頷いた。

 去年カサンドラは国王陛下が主催する王宮舞踏会に王子のパートナー、婚約者としてお披露目された。


 王宮舞踏会は学園の夏休みの始まりと共に、社交の季節の始まりを知らしめるイベントでもあった。

 その舞踏会開催を待たずして、こんな中途半端な閑散期に舞踏会を開くのは珍しいと彼女は言う。


「キャロルさんのお耳に、仮面舞踏会などのお知らせは……?」


「仮面……? ですか。

 言葉は知っていまが、今までお呼ばれされたことはなかったと思います。

 顔を仮面で隠すなんて、お互い誰とも分かりませんし。

 ちょっと怖いですよね、楽しそうでもありますが」


 字面や響きでは、ちょっとアンダーグラウンドなイメージがある。


 正統派お嬢様のキャロルには無縁の話かもしれない。

 成人した有閑貴族達のお遊び、ちょっと特殊な舞台設定。


 大々的に開かれるものではないとしても、キャロルが全く知らないというのなら。

 一体ラルフのお姉さんは、どこの家の舞踏会に招かれているというのだろう。


「では近々に仮面舞踏会が開かれるようなことはないのですね?」


 余り良い予感はしない。

 カサンドラは寝不足の頭をフル回転させながら、いつも通り振る舞おうとしていた。


「もしかしてカサンドラ様、仮面舞踏会に興味がお有りなのですか?」


 だが、キャロルは瞳をキラキラ輝かせ、これは良いことを聞いたと言わんばかりに言葉を掴み上げていく。

 耳慣れない単語を出したのだ、普通、興味の欠片もない言葉が飛び交うことはない。


「え? ……そうなのです。

 わたくしも今まで参加の経験がありません。どのような雰囲気なのかと、興味を惹かれただけなのです」


「ふふ、カサンドラ様は仮面を着けていらしてもすぐに分かってしまうでしょうね。

 とてもお似合いになると思います!」




  ――どういう意味かな?




 頭の中に、派手な金縁の黒いバタフライの仮面を身に着けた自分の姿が思い浮かんでしまう。

 確かに、自分のことながら普通の舞踏会のドレスより似合っている気がしてならない……と愕然とした。

 悪役の女性幹部の格好のシンボルのような蝶のマスクが――美人と言えなくもないがキツい雰囲気の自分の濃い容姿に嫌でもマッチしてしまう。

 キャロルやらシャルロッテがそんな恰好をしたら「似合わないからお止めなさい」と制止する事もできようが。


 多分自分やミランダは結構似合うぞ……?

 と、ここにいないミランダまでとばっちりを食らわせつつ、カサンドラは頬を引きつらせてなんとか微笑みを保っている。


「お母様やお姉様に相談して、今年は我が家でも仮面舞踏会を開けないか聞いてみますね。

 その暁には是非カサンドラ様を御招待します」



「いえ! 結構です、本当に!

 どうかこの件はキャロルさんのお心に留めておいてください」


 そんな事を唐突に提案したら、アイリスは間違いなく吃驚してキャロルを二度見するだろう。


「もしもレンドールのお屋敷で仮面舞踏会を開かれるなら、是非私もお招きくださいね。

 ――約束して下さいますか?」


「ええ、もしも、万が一、その場合はお声をお掛け致しましょう」


 万が一、という箇所を念入りに強調してカサンドラはこの話を切り上げようと別の話題を探し脳内記憶を活性化させ始める。

 自分から墓穴を掘りに行く趣味はないし、それにキャロルの口から周囲に仮面舞踏会、という単語が誰かに伝わったら――

 裏でそれを開催しようとしている人間の耳に届き、警戒され。下手をしたらキャロルを巻き込んでしまいかねない。



「ですから、指輪の件と合わせてこの場だけの秘密にして頂けませんか?」



「分かりました!

 お姉様にも言えない内緒事、ちょっとドキドキします」



 こっちも別の意味でドキドキなので、彼女の口が堅いことを祈らざるを得ない。

 直接的に印象的なキーワードを出してしまったのは良くなかっただろうか。


 ……自分は聞き込みに向いていないのかもしれない。







 だが彼女の話しぶりからすると、本当に仮面舞踏会など滅多に開かれないことなのだろう。

 一たび開催の告知があれば人の口の端に登るだろうということも。




 ――誰も知らない、秘密の仮面舞踏会?





 一体どんな集まりなんだ?

 もしかして、本当に――闇の競売所の暗喩的表現だとでも言うのか。


 もしもそうなら、四の五の言っていられない。

 今すぐにでもクレアの身の安全を確保しなければいけないはずだが……


 理由なく彼女を屋敷から連れ去れば、誘拐犯としてお縄に着くのはこちらだ。

 かと言って証拠もない、リタの不穏な空気を察知したという証言だけでは相手を糾弾することもできない。



 こちらもこちらでかなり切羽詰まった状態なのではないか、とカサンドラは身体が竦み上がりそうな悪寒に襲われていた。


 


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