第434話 <リゼ>



 深夜、街同士をつなぐ街道を一頭の馬がひたすら駆け抜ける。

 鋭く地面を蹴る蹄の音が闇のとばりを引き裂きながら。



 ※



 大きな隊商が王都付近で正体不明の襲撃に遭ったという話はあっという間に王都中を駆け巡り、昼間でも人物の行き来が減ったという街道。

 ならず者達が金持ちの馬車や荷馬車を闇夜に紛れて襲うのは決して珍しい話ではないが、王都近辺は治安が良いと思われている。

 騎士団の目も行き届き、仮に襲われたとしても護衛の兵士や周囲を巡視している騎士達がすぐに追い払ってくれた。


 この辺りで強盗など割に合わない、と思わせることに成功して被害は減った。

 だが今回、襲ったものの正体が不明。隊商が壊滅状態。

 雇った護衛が何の役にも立たなかったということだ。


 王城が事態を重く受け止め、王都の人間に広く注意喚起を行っていることがその危険性を物語る。


 いつもとは違う。

 そんな不穏な空気が街中を覆い始めていた。


 とは言っても、直接影響があるのは街と街を行き交い出入りが頻繁な商人、隊商が主であって普通の民は『なんだか物騒ねぇ』と危機感は緩い。

 まだ、自分には関係が無いこと、と思っているきらいがある。


 だがこのまま隊商の足が鈍り、王都の交易が滞れば徐々に人の暮らしに影響が出てくるだろうなとリゼは思う。

 王都がここまで栄えているのは、国の中心地に構えているというだけではなく淀みなく行われる交易状態のおかげだ。


 仮に王都へ行く隊商全てが同じように襲われる続け、それによって物資の動きが滞ったら――

 王都内だけで、その中に住む全員を満たせるだけの需要を賄いきれない。

 物流が滞り混乱が起こってしまう可能性がある。


 早い内に事件が解決することを願うのみだ。




 まあ、今は街の平和など悠長なことを考えている場合ではないか。




 リゼは初めての馬に乗り必死で駆っている真っ最中だ。

 完全に周囲は闇一色、街道沿いにカサンドラから借りた馬を走らせる。


 普段緊急時の連絡用に使われていると説明を受けたが、まさに駿馬としか言いようがない。

 離れている場所と場所同士で連絡を取り合おうとすれば、どうしても早い動物の足を使う必要があった。


 かなり高度な設備があれば、離れていても会話が出来る古代の叡智アーティファクトが使えると言うがそんなものは王宮魔道士くらいしか使いこなすことは出来ない。

 それに会話が出来たからと言って全てが好転するわけでもない。


 いざという時、実際に人が介在しているか否かで状況も変わる。


 仮に言葉だけでジェイクやアンディに危機を伝えたとしても、それを回避できるかは遠く離れたままでは分からない。


 絶対に止めてやる! という固い意志を持ってリゼは走り続けている。

 


 春が終わりを迎え、夏の兆しが見え始めた季節。

 それでも夜が更けると途端に周辺を取り巻く空気の温度が下がっていく。


 厚手の外套マントを着けて行けとアレクに言われた時は必要ないだろうと思ったが、ひんやり冷えた空気が前方から遠慮なく吹き荒んでいる状況では大変助かるものだった。



 アレク……。

 今はカサンドラの義弟おとうととしてレンドールに匿われていたが、本当は王子の実弟で第二王子だという。

 もしも話だけ聞いたら信じることが大変難しかっただろう。


 カサンドラの屋敷で聞かされた話は全てが全て、あまりにも受け入れがたい話だった。


 今リゼ達が生きている大地は、別の世界の物語を基に創られた世界?

 カサンドラはその別の世界から喚ばれたので、物語の起承転結――この世界の未来を知っている?

 物語ではこの先自分達が聖女の力に目覚め、悪魔となった王子を倒す?



 ――しかも――リナが言うには、全てが終わった後入学式まで時が巻き戻る……?

 彼女は記憶こそないけれど、繰り返していることに気が付いて、一人途方に暮れていたという。



 そうなんですね、と受け入れるにはハードルが余りにも高すぎる諸問題に頭がパンクしそうだった。



 しかし全てを嘘だと突っ撥ねて自分だけ『日常』に戻ろうにも、それがとても難しい。

 安全圏なんてない。

 それに何より、ジェイクの事だ。


 彼がここ数日学園を休んでいるが、彼が東地方ティルサで起こった内乱鎮圧の加勢に向かったということ。

 ……そしてここまでピンポイントで当てはまる”出来事”が、その内乱の際にジェイクが友人を喪う――そんなとんでもないお話だったので。



 もしも彼のことが絡まなければ、自分に出来る事は何もありません、聖女って何かの間違いか勘違いじゃないです?


 そう言い切って耳と目を塞ぎ、聞かなかったことにしよう! と。常識と言う壁を盾に自分の心の平穏を保とうとしたかもしれない。 

 もしくは聞いた話をもとに、時間をかけて自分なりの仮説や対策などを考える作業に籠るか、か。

 少なくとも、ここまで動揺し身を捩らんばかりの逼迫感を憶えなかっただろう。



 彼女達の話を理解を越える現象と切り離してしまう事が出来なかった。

 アンディが傷つくどころか遠方で命を落としてしまったら、ジェイクの悲しみも凄まじいだろうがミランダの事を考えると更に絶望が上乗せされる。

 冗談じゃない。


 そんな事が起こらないのが一番だが、”未来を知っている”カサンドラやリナが言うのなら……

 背を向けたくない。


 信じる方に労力を賭けたい、そして自分の目で確かめたい。

 果たしてこの世界が何であるのか、この手で解き明かしてやりたい。


 自分達の人生を弄ぶような存在がいるのなら、ドロップキックをめり込ませたい心持ちである。


 物語の中の主人公に反逆される『世界』が、果たしてあり得るのかと言う話になるのだけれど。





 主人公……。

 主人公、ねぇ。



「……気に入らない」



 リゼが話を聞いていて一番ピンとこなかったのは、この世界が主人公である自分のために創られた世界ではないか、と前提そのものだった。

 物語の中核を担い、運命を握り自分の意志で選択を続けシナリオを進めていく存在。




 そう、自分は主人公だ。それに異論はない。


 


 だが自分達だけが主人公なわけがない、誰にとっても自分の人生は自分が主人公に決まっている。


 リゼはリゼの人生、カサンドラはカサンドラの、ジェイクにはジェイクの。

 皆自分を中心に生きている、自分の人生で脇役などあり得ない。皆、主役だ。


 リゼだって他の人間の視点からは”エキストラ”であるべきなのに。世界が自分のために在る、なんて驚きを通り越して滑稽な話だとさえ思った。


 誰か知らない存在に主人公たれなどと定義づけられずとも、主人公以外の何者でもないわ、と吠えたくなる。



 勿論、恩恵がないわけではない。

 自分が特殊な立場であると言うから、こうやって馬を走らせていることが出来る。


 それについては有難いと思うが、勝手に見知らぬ何かにそう決められていた、と思うと苦虫を噛みつぶしたような顔になるのだ。


 ”分岐のある物語”を永遠に何度も繰り返すという状況を創り出すために、無理矢理王子にそんな役を押し付けて。

 語られない場面や背景を都合よく勝手に組み立てて、世界丸ごと三年という砂時計中に閉じ込める?



 時が満ちたら、世界をさかさまにひっくり返してやり直し――



 心底ぞっとする話だ。

 自分は常に未来に向かって進んでいると思っているのに、実際は三年の記憶を失ってやり直し続けているとしたら。

 自覚がなければ、当然のように明日、来年、十年後が来ると思って疑わずに生きている。



 でもアレクやリナが言うには、皆記憶を失ったまま逆行してしまう。

 自分達はこの先も永遠に、学園生活を繰り返す。



  牢獄か? この世界は。 




 それを変えるきっかけになれるとしたら、かなり責任重大な話ではないだろうか。






 ――ジェイクのためでもあり、皆のためでもあり、そして自分自身のために。






 ※





 長時間集中しながら馬をっている最中、油断すると強烈な疲労感に襲われる。

 心身ともに興奮状態が続いているからだろう。

 そして街道を逸れないように、月明かりを頼りに駆けるのはかなり集中力を要した。

 こんな場所まで一人で来たことがないどころか、地図でしか目にしたことがない街の名前を記した立て札が見えた。


 そこそこ大きな町が近いらしい。


 数時間ぶりに他の町の外壁に辿り着いたようだが……


 既に空は白み始めており、もう一時間もしない内に夜明けが訪れるのだろう。


 休んだ方が良いのかとアレクの助言が脳裏をかすめたが、とてもそんな気にはなれなかった。

 こんな時間に飛び込んできた人間は目立つだろう。すぐに宿を手配できるとも思えない。


 少なくともリゼが宿屋の店主なら、鶏も鳴かない薄暗い夜明け前に疲労困憊で単身「休ませてくれ」と女性がやってきたら警戒する。

 身の証を立てる事はかなり難しいので、大きな街に入って宿屋を探してお金を支払って――という一連の行為に躓いたら時間を食うだけではないか。


 こうしている間にも、ジェイク達は既にアンディと合流しているのかもしれない。


 あと一歩で間に合わなかった! なんて、最悪な事態が思考を掠める。


 とりあえず馬に休憩を取らせるため二、三度街道沿いに設けられた水汲み場を使わせてもらったけれど。

 それだけで手痛いタイムロスだ、とヤキモキしてしまった。

 悠長に仮眠をとるのも躊躇われ、リゼは何かにとりつかれたように東へ向かっていた。

 



 その最中、今までの思い出が蘇っては消え、蘇っては消えていく。


 この一年は、信じられないくらい濃い時間だった。

 王立学園に姉妹揃って入学でき、そこで思いもよらない経験が沢山出来たこと。

 カサンドラとの出会いに始まり、未知の世界は自分の価値観を大きく変えてくれたのだ。



 転換点はあの日だ。ジェイクのことを知ってから自分の『今まで』が音を立てて崩れた事を思い出す。

 その想いは消えるどころか、形や勢いを変じても今なお心の中の一番大事な部分を占めている。



 彼の事を好きになって、同じように思ってもらいたい。

 その一念で、運動音痴だった自分が剣を習いはじめるなどというとんでもない行為にまで及んだのだ。

 しかも剣術大会では望外の結果を出すこともでき、彼との距離も信じられない程縮まって親しくなったと思う。


 そこで満足していた。

 均衡を壊したくなかった。

 徐々に親しくなっていく過程、その足場が脆いことを知っていて崩れるのが嫌だった。






  果たして自分はそんなに臆病だっただろうか。

  




 ジェイクに気持ちを言えない事の理由ばかりを探して、それは駄目だと躊躇い、無理だと諦める。

 こんなにも仲良くなれたのに。

 恋愛感情ではないかもしれないけれど、彼の好意はちゃんと伝わっているのに。



 何故自分は、足踏みしている?

 この学園に入る前の自分なら、玉砕覚悟でも例え失敗して、その先気まずくなろうとも。

 中途半端な友人関係に痺れを切らして、直接『好きだ』と言えたんじゃないだろうか。

 何故言えなかった?





 『一連のイベントが成功し、卒業パーティの日に主人公が相手に告白をします。

  その結果――』



 

 カサンドラが教えてくれた、この世界の”原典”とやらを聞いていて頭がくらくらした。


 今更怖気が走る。

 ぞわっと全身総毛立つ感覚、未だ体に纏わりつく憔悴感。




 自分のこの臆病で慎重な、現状維持の”選択”。

 卒業式の日に告白しようという決心。



 それが彼女カサンドラの言う物語の筋書き通り過ぎて、ぞっとしたのだ。




 違う、違う。


 自分は誰かの敷いた道を歩いてジェイクの事を好きになったわけではない。


 最初は憧憬の感情が強かったが、彼と一緒にいる時間が好きだ。

 そのために自分の将来を曲げてまで、必死でしがみついて来た。



 惚れてもない人間のために、あそこまで努力なんかしないわ!

 どれだけ辛かったか、向いていない分野の努力に毎日心が擦り減っていったか。


 でも最初、カサンドラに受けた助言のお陰で徐々に仲良くなれていると実感できたから続けることが出来た。

 案外楽しかったし、向いているわけではないと思い込んでいても身に着くものなのだなと気づきもあった。


 きっかけはカサンドラの助言から。

 でも、自分がしたいから続けた事だ。



 この感情も、思い出も、全て自分のものだ。

 自分の意志だ。


 自分が選んだ。





 ……。


 そんな筋書きストーリーなら、壊してやる。

 アンディを、これから起こると思われている事件を阻止するのが第一目的だが――





 絶対に、言う。




 日常が、今の関係が崩れるのが怖いから今は告白しない?

 自分の気持ちは言わずに、卒業の日までとっておく?



 やめだ、やめ。


 停滞した関係を善しとし、モヤモヤした気持ちを抱えたまま。

 傍にいられるだけでいい。


 自分はそんな殊勝な人間だったか?


 ……”この世界”に都合よく動かされるなんてまっぴらだ。



 グレーのままが心地よいだなんて曖昧なこと、自分らしくないとハッキリ感じる。






 卒業と言う時が来るのを待つよりも

 言えない理由を探すよりも






   『好き』って言いたい。

 

 


  



 憂いなく伝えるために……






  ――  間に合え!


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