第433話 魔法の指輪
王子に魔法を施してもらった指輪の入った小箱を枕元にそっと置く。
カサンドラは深夜、ようやく人心地つくことが出来た。
昨日に引き続き今日の目まぐるしい出来事。
もはや頭の中が大混乱で、とても現実のものとは思えなかった。
ほんの数日前まで、何も変わらない日常を送っていたはずなのに。
週末に行ったシャルロッテ達とのお茶会がまるで何か月も過去の話に思えてくる。
しんと静まり返った自室に一人横たわっていると、実はこれが夢の中の話だったのではないか?
そんな都合の良い妄想に縋りたくなってくる。
隊商の襲撃など起きず、王子もアレクも何も事情を知らず――
そんな想像をしても虚しいだけなのにな、と自嘲したカサンドラ。
未だ気持ちが高揚しているのか、先ほどの皆との話し合いが頭から離れてくれない。
考えないように頭を休めようとしても、気になって気になって仕方ない。
そして考えれば考える程深みにはまる。
明日をも知れぬ不安に襲われ、動悸が激しくなるのだ。
今頃、こんな夜更けにもリゼは自分の話を信じて馬で駆けているのだろうかと思うと心臓が苦しくなる一方。
明日は普通に学園に通う予定だが事がここまで極まってしまっては、ろくに集中して授業を受けることなど出来ない。
多少の寝不足、居眠りをしたって構うものか。
そう覚悟を決めたカサンドラは、気分が晴れるまで先ほどの話を振り返ることにした。
乙女ゲームが何たるか、という説明を何度も繰り返しさせられて羞恥心という名の精神力が最大値から八割以上削られている気がするけれど。
もしもこの作品が何度も繰り返し周回することを目的に作られた原作ではなかったら、話は違っていたのかもしれない。普通の小説だったら、違ったのだろうか。
一応メイン骨組みとなるシナリオがあって、それを中心に主人公のスケジュール決定などの無数の”選択”をしていくゲームを基に創られた世界。
リナやアレクが言う繰り返し時間が巻き戻る、というのはこの原作が原因であることで間違いない――と、思う。
でも、世界を創るというのは言う程簡単なことではない。
物理的に無理! というより、いくら舞台設定を整えても、神様にだって制御できない部分があるのではないか。
人間はそれぞれ皆意思がある。
何度も同じことだけを繰り返し決められた台詞しか言えない世界なんて、それは『現実』とは言えないだろう。ただの舞台を映したビデオを繰り返し繰り返し延々眺めるよう名もの。もはや”ゲーム”であれば事足りる。
ゲームを忠実に再現しつつも、”リアル”に存在する世界。
人の息づく世界。
いくら神が舞台設定を用意したと言っても……
主人公が前周回とは違う行動をとることで、選択の差から生じる影響が周囲に波及する――バタフライ・エフェクトが起こり得る。
例え大筋に関係がないかもしれない行き先選択、言葉の選び方、行動でも。
現実は主人公の行動によって小さく、大きく姿や展開を変え得る。
関数や数値やフラグでは管理できない何百何千の人間を、
”何度生まれ変わっても”、という言葉が今では薄ら寒く思えるくらいだ。
何度繰り返しても必ずあるべき結末に向かって収束するように設計された世界。
仕掛けは作動し、ラスボスが作られる。
王子はラスボスだが、ラスボスになってしまう理由を世界が勝手に付け足した、という方向性で良いのだろうか?
この世界のゲームの設定を具現化した世界として成り立たせるために――世界が王子を殺される理由を創った。
神様側の事情で、矛盾なく原作世界が再現されるよう構築したわけだ。
その筋で考えるなら、王子を悪魔に仕立て上げるのに都合の良い人物は御三家の面々しかありえないように思える。
リナ達が聖女だということをあらかじめ把握していた彼らは”主人公”を学園に呼び寄せる。
聖女が目論見通り目覚め、悪魔と化した王子を成敗すれば彼らのミッションはコンプリートだ。
聖女と言う国内の結束を強固にし得る超常的な力を手に入れ、更に自分達に恨みを抱いていてもおかしくない”王子”を抹殺できる。
更に――
もしも聖女と御三家の嫡男がお互いに想い合い、恋愛関係に在ったら?
完璧だ。
新しい国家体制に何の憂いもない。
考えてみれば、リゼの家庭教師の件、そしてロンバルド家での乗馬練習の件、剣術講座での特別枠扱い。
あれは学園側いやロンバルド側がそれを善しとしていた……?
リタの件だって、偽りの婚約者にリタを指名してヴァイル家の当主が納得して任せる、というのも不自然な気がする。
全て納得尽くでなければ実現自体が困難なのでは?
自分達に利益をもたらす存在だから特別扱いしていた? 黙認?
むしろくっついて欲しかった?
ますます以て、全て裏で都合の良い絵図を描いていたのは三家の当主なのではないかと言う疑惑が高まっていく。
だが、それと同時に違和感もある。
どういう状況でも、時系列がおかしい。
いくら三家が彼女達を聖女だと見破ってお膳立てをしていたとしても。
普通のエンディングのように、聖女の力に目覚めない結末を迎えた場合はどうなる?
また、誰とも結ばれずに幼馴染のテオに面倒を見てもらう、というバッドエンディングだってある。
隊商の襲撃は当然のように起こって不穏な空気は未解決のまま、エンディング突入のケース。
そもそも真エンディングではないと聖女になれず、王子が黒幕だと見破る事さえ出来ないシナリオになっている。
……聖女が覚醒しない段階で、原作も”今”も、こうして悪魔憑きとなった王子が実行したとされる数々の事件が起きているわけだ。
既に悪意の種が蠢いている……? 誰かの中に、芽吹いている……?
もしも三家の人間が既に王子を悪意の種を植え付け悪魔を憑り付けてやろうと画策したとして、だ。
主人公が聖女に覚醒しないエンディングを迎えたら悪魔は野放し、それこそ被害甚大で国ごと滅亡コースだ。
国の安寧を守ろうと画策した結果、
でも、今こうして事件が起きている……
なんだかチグハグだ。
三家は関わっていないのか? 王子の想像は今回無関係だったのか……?
いや。
三家が関わっていないにしても、そもそも今回の隊商襲撃、ティルサ地方の内乱は『何』が起こした?
実行を指示した人間がいないと、事件は起こらないはず。
今、考えられるケースは――
現段階で王子を悪魔にするという事を諦めた御三家が、別の人間を利用して悪魔にしたてようと悪意の種を植え付けた。
この隊商襲撃は、その身代わりになった人物Xが起こした事件?
もう一つは、今起こった、もしくは進行中の事件は人為的なものだということ。
三家側が手を尽くした自作自演の大騒動。
だがその場合アンディやクレア達を犠牲にしていることになり、理解しがたいというのが本音だ。
………考えたくない、最悪のケースは……
実は王子が既に悪意の種を植え付けられ、知らない間に身体を乗っ取られている。
本当に考えたくないが、可能性として完全に切れるかと言えば難しい。
王子は表向き自分達に理解を示して解決策を模索しているが、例えば眠っている間に人格が入れ替わって本人も知らない内に事を起こしてしまった。
当人の意思ではなくとも、徐々に体を蝕まれているがゆえの行動だとしたら?
より原作に近似したコースを辿っているわけで、絶望しかない。
ゲームのシナリオは、凄く単純明快だったのに。
恋人と結ばれ、その恋人の危機を救うために聖女の力に目覚める主人公。
――王国を覆う災厄の元凶が王子であることを知り、大いなる禍に覚醒した力を以て対峙する。
ラスボスを倒せば世界は救われるという、悪く言えば捻りがない内容の物語をよくもここまで三回転半以上に捻じれさせたものだ。
まだ何か仕掛けがある?
カサンドラが感じる不自然さをカバーするよう、彼らは動いているはずだ。
それに――例え三家の企みを阻止したとしても、依然この世界はループ現象に捕らわれたままという最難関が待ち構えている。
こちらの方は、もう根源的かつ、個人の手に負えるレベルの話ではない。
何か決定的な真実でも掴まない限り、永遠にカサンドラも同じ時を繰り返すことになるのかも知れない。
今の記憶が残っているのかどうかも、分からない……
未来は変わったと思ったのに。
王子と共に、皆と一緒にこれからも生きていけるのだと希望を抱いたのに。
それが幻だったなんて、辛すぎる。
「わたくし……一体、何の役に立てるのかしら」
アレクの想いに引き寄せられるよう、この世界に導かれた『自分』。
自分に出来る事って何だろう。
主人公でも、ラスボスと言う当事者でも、攻略対象でもない。
ただの主人公の邪魔をするためだけの登場人物に、世界を救う手助けなんかできるのだろうか。
弱気になって、仰向けになったまま溜息をついた。
ころんと横向きになって体勢を変えると、カサンドラの翡翠色の両眼間近にケースに入った婚約指輪がアップで映った。
カーテンの隙間から漏れ出る星々の明かりが、紺色の小箱に射し込む。
小箱の周囲を包み込むように白い光の粒がキラキラと浮かび上がり、カサンドラは暖かい気持ちになった。
これから先どんな事があるとしても自分は王子を信じている。
先ほど挙げた最悪のケースがもしも万が一、億が一当てはまることになったとしても絶対に結末を変えてみせる。
この先に迫る、物語を決定づける大きな出来事。
遠くから願う事しか出来ないが――どうか、間に合って。
もしも『結果』が変われば、文字通り世界が変わるかもしれない。
カサンドラは指輪の入った小箱を両手に握ったままウトウト微睡み、やがて深い深い夢の世界へと落ちていく。
※
翌朝目覚めた後、既に屋敷に王子、そしてリタとリナの姿は無かった。
カサンドラと一緒に馬車で登校するわけにもいかないし、鞄も制服も寮に置いたまま。ここから一緒に登校は無理と判断したらしい。
食堂に行けば皆と会えると思っていたが、予想は完全に外れていた。
昨夜から分かっていた事だが、平日だ。
自分一人、自室であることを良いことに寝過ごしてしまったようだ。
「姉上、少しはお休みになれましたか?」
自分が熟睡している間に……と、壁掛け時計を見遣って狼狽していると、アレクがいつもの澄ました顔で声を掛けてきた。
「おはようございます、アレク。
貴方こそ。まだ疲れているように見えますよ。
……まだ七時前なのに、皆さんお帰りになったのですね」
「ええ、先に兄様が。
その後すぐ、クラスメイトの彼女達も一度帰りたいと」
歩いて帰るという彼女達を制し、慌てて馬車で送る手配をしたらしい。
あまり目立った行動はしない方が良い、と。別々にいつも通り登校する方を選んだ。
ただでさえリゼは今日からしばらく学園を休むことになってしまう。
今の段階で完全に不審な目で自分達が見られているのではないか、と不安に駆られる。
「……姉上。
そちらの指輪は?」
アレクがこちらの姿を見つめ、首を傾げる。
そして彼は自分の胸元をトントン、と指で突ついた。
カサンドラの胸元に何かがある、と。
指輪を填めていく、それも大きな宝石の婚約指輪は学習の場に相応しくない。
高価値な私物を学園内に持ち込むのはトラブルの素でしかないので、大きな宝石粒入りのアクセサリーの装飾は行事の時のみ、身に着ける機会。
特に生徒会役員でもあるカサンドラが率先して規則違反の格好で学園を闊歩するわけにはいかない。
ポケットに入れておくのも不用心なので、指輪に銀色のチェーンをくぐらせネックレス状にした。
制服の下に隠しておけば見咎められて没収ということもないだろうし、シリウスから小言を言われることもあるまい。
「王子が以前下さった指輪なのですが……
昨夜、外出の際はこの指輪を常に身に着けておくようにと指示を受けました」
チェーンを抓み上げ、指輪を掲げる。
微かな金属音とともに指輪は大きく左右に揺れ、燭台の明かりを乱反射させていた。
「ああ、護身用の魔法を”入れた”んですね。
だからあんなに疲労困憊になってた、と」
椅子に座り直しながら、肩を大袈裟に竦めるアレク。
「アレク?」
今度はカサンドラの方が意味深長な彼の反応に疑問を抱く番だ。
「兄様、昨夜は僕の部屋に入って来た途端『疲れた。寝る』ってソファに突っ伏して爆睡してしまったので。吃驚しました」
「え、だ、大丈夫なのですか!?」
確かに魔法を使った時、彼はかなり消耗していた様子だった。
倒れ込む程の憔悴ぶりだったなんて、「おやすみ」と手を振る姿からは想像できなかったので絶句である。
「大丈夫か大丈夫でないかと言われたら、大丈夫じゃなかったですよ」
「!?」
「主に寝癖が。
あんなところで寝てるものだから酷いことになって。ま、起き抜けに笑わせてもらいましたけど」
ははは、と彼はこちらをからかうように明るく笑った。
「兄様の体調は心配要りませんよ、たかが数時間の話し合いでどうにかなるほどヤワな生活送ってないでしょうから」
でもカサンドラのことを心配して、わざわざ魔法を使ってくれた。
それで疲弊したのは間違いない。
――今日、学園で会ったらちゃんとお礼を言わないと。
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