第429話 深淵


 リゼを無事に送り出したアレクが応接室に戻って来た。


 遅くなってしまったが皆揃った後、夕食を摂ることにする。

 考えなければいけない事は山積している、すぐに解散できる雰囲気ではない。


 空腹のままでは良いアイデアも浮かんでこないだろう。


 第一、唐突に信じがたい話を聞かされ、自ら望んで単騎夜の街道へ駆ってくれているリゼの事を思うと、何もしないわけにはいられなかった。

 彼女に心身ともに多大な負担をかけている、それはカサンドラも心苦しく思う事だ。


 リゼは一度こうと決めたら脇目を振らない性格だ。

 内心では戸惑いや不安で一杯だろうに、『万が一』が起こらないために延々と馬上の人にならなければいけない状況、心も揺らぐかもしれない。

 でも、彼女ならしっかりと確かに気を持って進んでくれるだろうという信頼がある。




 流石に唐突に大勢集まり、皆で食堂でフルコースというわけにもいかず、それぞれが手軽に手でつまめるような軽食を用意してもらった。

 空腹だが食欲があるわけでもない。

 胸につかえたモヤモヤのせいで、食べているパンの味がしなかった。

 砂を噛んでいるようだ。




 ※




 食後のコーヒーを淹れてもらい、人心地着く――とはいかない。


 未だに各々、難しい顔をしてテーブルに向かっている。

 話の内容を皆で共有することは出来たものの、その先についてはサッパリだったからだ。


 一番恐ろしいのは、『正解がない』ことだ。

 自分達がいくらこの先のシナリオに抗おうとしても、強制的に世界が自分達を操り人形のように動かす……そんな事があり得た場合、今の話し合いなど無意味だ。

 まるで劇をさせるように現実を改変してしまうことが可能なら、意思があるだけ、より辛い。

  

 だが今は、見えている希望に縋りたい。

 王子だけではなく、アレク。そして主人公の三つ子達が自分達の状況に理解を示してくれ――信じてくれた事。

 一人で悩まなくても良いというのは、幸せな事だ。


 この場にいる皆、そして単身ティルサに向かっているリゼは運命共同体のようなものだ。

 一度真実に触れてしまった以上、聞かなかったことには出来ない。



「急に皆、黙ってしまったね。

 折角集まってもらったんだ、もう少し話が出来ればいいと思う」


 完全に硬直した空気を動かすために、カップをソーサーに戻しながら王子は静かに笑った。

 流石にいつも通りのアルカイックスマイルとは言わないが、こんな時でも落ち着いて話を進めようとしてくれる彼の存在はとても頼もしく見えた。


「キャシーの話、そしてアレクの話。リナ君の話。

 リタ君は、どう思った?」


「……えっ」


 急に名指しされ、リタは慌てた。

 だが喉元まで出かかっていた言葉があったのだろう。

 いや、彼女が何か聞きたそうな表情をしていたからこそ、王子は話を向けたのかもしれない。


「私、理解力そんなに高くなくて……

 あの、聞き逃しとかもあったと思うんですけど……」


 何度もそう前置きして、うーん、とリタは指先で頬を掻く。





「――『悪意の種』って何なんですか?

 私、そんなの聞いたことないんですけど」




 彼女の言葉に、カサンドラはハッと押し黙る。

 そう言えば――この世界に転生したと思い込んでいた直後、真っ先に『悪意の種』が何であるのかを調べたことを思い出した。

 だが学園の図書館にも悪魔関係の書籍はなく、日常生活で『悪意の種』という言葉が使われた場面に遭遇したこともない。


 カサンドラ・・・・・の幼少時からの記憶を掘り起こしても、童話なや英雄譚などの話の中にそんな単語は思い当たらない。

 勿論聖女や悪魔がどんな存在だったのかということは、幼い子供でも知っている。


 悪魔は魔物を操り人間を滅ぼそうとする悪い存在で、聖女は悪魔を斃せる唯一の力を持った存在であるという事。


「――私もその単語の事は気になっていた。

 聞き覚えがないけれど、要するに”封印された悪魔”の核をそう呼称しているのだろうね」


「悪魔が厳重に封印されているっていうのは皆さんも知っているでしょう?

 聖女は確かに悪魔を倒すことには成功したけれど、消滅させることまでは出来なかったわけですし」


 王子の言葉にアレクも続いた。

 話に聞いたことはなくても、実際にそういうモノがあることは間違いない。


 もしも存在自体が消滅していたら、物語が成り立たない。

 『悪意の種』を使って復活した悪魔に乗っ取られた王子を打ち倒す、という流れが真エンディングの流れだからだ。


 悪魔は、確かにこの地上に在る。

 それだけは間違いのない事実だ、と言って良いだろう。



「私が思ったのは、何でラルフ様達が『悪意の種』なんて知ってるのかなって。

 物語の中で突然そういう単語が出てきた……ってことですよね?

 悪魔になってしまう王子を前に立ち向かう私達に、ジェイク様達が教えてくれるんですよね?


 でも、悪魔の核だか封印された何かだかをそう呼ぶって――


 誰に教えてもらったんでしょう」



 リタの疑問は、カサンドラにとってはクリティカル過ぎる指摘だった。

 そう言えばそうだ、今カサンドラやリナが『悪意の種』という単語を知っているのは、攻略対象がイベントで教えてくれたからだ。

 一般的に知られていない、誰も使用していないだろう単語を彼らが知っていた理由?




  誰に教えてもらったの?



 王子でさえ聞いたことがないその解答を、彼らはどこで目にしたの?

 そういうものだと思い込んでいたところを突かれ、カサンドラは言葉に詰まった。

 確かに。

 その単語を知っていること自体、違和感しかない。

 皆が知っている単語ならともかく。


 ゲームの中なら「唐突だなぁ」と思いつつもそういう設定か、で呑み込めることもある。

 特に魔王だ勇者だ聖剣だ、というお約束の一種の認識が根底にあって。

 『悪意の種』は――ああ、邪悪な力の源ね、と。

 何となく把握できてしまう。


 でも世界の現実を長年過ごしていると、確かに違和感しかない。

 だって、本当に調べようと思ってもそんな単語がどこにも載っていないのだ。



「……。」


 リナは斜め隣に座るリナは、深く深く押し黙る。

 彼女も聖女になって悪魔を倒した記憶があるのだから、当然その単語は知っている。

 目まぐるしく押し寄せて来るイベントの会話の中、紛れ込んでいたワード。

 こうやって改めて考えてみると、不思議だと思わずにはいられない。

 



「…………………。

 成程。

 これは、あながちリゼ君が言っていた事は的外れではないかもしれないね」


 王子もまた、何か思い至る節でもあるのだろうか。再度険しい表情になる。


「私はそんなモノを知らない。

 しかし誰かにこの先教えられるか無理矢理押し付けられるかして、物語通りの結末になってしまうのだろう。

 誰がその役目を――私を悪魔に変えてしまうよう誘導するのか?

 ……候補は、多くないね」


 多くない、ということは少なからず心当たりが?


 今、話の中に出てきたのは、攻略対象。

 つまり――あの三人だ。


 ぞっと背筋が凍り付く。

 まさか王子は彼らを疑って……!?


「そんな、まさか。ジェイク様達が最初からそれを知っていて、友人である王子を罠に填めたと仰るのですか?

 考えづらいと思います。

 あの方たちにそんなことをする動機もないでしょう」

 


 仮にそんなカラクリだったとしたら、究極のマッチポンプではないか。

 脳裏に過ぎる彼らの姿を思い浮かべる。


 仲の良い幼馴染。

 とても王子を騙し、『悪意の種』の存在を仄めかしたり、ましてや王子に植え付けるという光景が想像もつかない。


「そうだね、私もそう思う。

 流石にラルフ達が私にそんなことをする理由は思いつかない……かな」


 ホッと胸を撫で下ろした。

 王子の友人を疑うなんて、そんな疑心暗鬼状態は御免だ。



「物語の中で――大切な人を喪うのは、ジェイク様方なのですから。

 私もそんなことはないと思いますが……」


 恐る恐る、リナも同調してくれた。


 彼女の言う通りだ。

 これから悲しい体験をするのは彼ら、悲しいイベントに遭うよう定められた攻略対象ではないか。


 自分の大切な人を王子が死なせたと思い込んだから、最終的に直接対抗する道を選んだ。

 聖剣で王子ごと倒して欲しいと望まれたから、主人公達は正義の旗の名の下に王子を斬った。

 

 彼らが黒幕――手を下した主犯側と考えるには因果関係が逆転し過ぎている。

 『悪意の種』というワードを口にした、知っていたという理由で黒幕を押し付けるのは暴論過ぎる話だ。


 王子も彼らを疑っていないと思っている、それにホッとした。


「兄様は、誰が裏にいると考えていますか?」


「ジェイク達を思うように動かし『悪意の種』の概念を教え、全ての事件を私が”やった”と偽の証拠をでっちあげることが可能な人間が誰かと言えば……

 順当に考えれば、三家の当主の誰かだろうね。

 もしくは、三人が共謀しているか」



 改めて、言葉にされると上手く反応できなかった。

 今まで自分が会ったことがある人達が、まさか……


 宰相のエリック、公爵レイモンド、将軍ダグラス。


 しかし決して突拍子もない話ではなかった。

 王妃様を事故死に見せかけて殺したのが彼らだということは、アレクの証言によって明らかになっている。

 陰謀論でも与太話でもなく、彼らは王子の命など何とも思っていないのではないか。



 いや、王子の命だけではなく……

 彼らが裏にいた場合、自分の息子達の想いさえ”どうでもいい”ということか?


 王子に全ての罪を着せ、問答無用で切り捨てる存在とするために息子達の大切な人を死なせた、ということになる。

 レイモンドに至っては実の娘だ。

 お嫁にいったとはいえ、自分の娘をも残酷に殺すことが出来るものなのか……?


 全く確信の段階には至っていないが、彼らが裏で動いていたというのなら、それこそ悪魔じみた思考で動いていると言わざるを得ない。


「勿論、彼らが共謀して事件を動かしていたと考えるにはまだ早計だと思う」




 息が詰まりそうだ。

 頭が痛い。




 そうかもしれない、という仮定をするだけでこうも心がズキズキ痛むものなのか。

 何の確証もない、推論だというのに……



「ええ、そもそも動機がないのでは?

 彼らは王家を傀儡に仕立て、既に実権を握っています。

 父様や兄様でさえ、彼らの決定に背くことは難しいわけですよね」


「――そう言われると忸怩たる思いだけれど、アレクの言う通りだ。

 私に何の力もないから、表立って弟の死を糾弾することも叶わなかった」


「現在思うままに強権をふるっているのに、王家を乗っ取ることに意味を感じないと言いますか……

 混乱を招くだけですし、平穏や安定を第一とする彼らの気質に合いませんよね」


 三家が対立していると見せかけ、パワーバランスをとって全権を彼らが掌握している。

 陰から王国を支配している『御三家』。


 だがカサンドラの父クラウスが言うように、彼らは別に苛政を行うわけではなかった。

 本当に野心があれば、泥沼の権力闘争が現実に起こっていたのではあるまいか。

 善政と言うにはほど遠いが、彼らは彼らなりにこの国を守っている。

 中央重視、貴族偏重とは言われるが全ての階層の民を満足させるなど不可能だ。


 内乱は各地で起こるものの、この広大な王国をそれなりに纏めている。

 その功績は認めざるを得ないところがあった。

 彼らが悪政を敷いてくれれば、王子も黙ったままではいなかっただろうに。



 アレクが指摘する通り、現状王子を悪魔に仕立てて殺さそうとする理由がないのでは。カサンドラは首を捻った。



「三家の当主が『こういう形』で私を殺す理由があるとすれば……

 一つだけ、思い当たることがある」


「王子?」


 皆が一斉に、自嘲めいた笑みを浮かべる王子に視線を向けた。



「皆はこの国が、クローレス王国がどういう経緯で成り立った国か知っているね」


「それは勿論。

 聖女アンナが………」


 何を突然分かり切った事を、と言いかけてカサンドラは口を塞ぐ。

 王子の言わんとすることに自分も思い至ったから。


「現状、これを彼らの動機に数えるには致命的な欠陥を抱えている、話をするだけ無駄かもしれない。

 しかしこの物語が成立した際、彼らに『メリット』がないとは言いきれない事だけは伝えておきたい。


 ……内乱、反乱……

 近頃は東の国境に隣国の軍が睨みを利かせている状態。

 更に友国のはずのケルン王国も、最近はクローレスの北方を隙あらばと伺っている。そんな報告を聞いたことがある。


 皆が思っているよりクローレス王国は盤石というわけではない。

 この国は広すぎる。


 百五十年前のクローレスは、広大な西大陸の中央付近に位置する一つの小国でしかなかった。

 その小国が各地の小競り合いを続けていた数多の国を併呑し大王国を築くことが出来たのは……


 悪魔の脅威からこの世界を救った『聖女』の存在があったから。

 彼女の存在が、彼女の力が実現困難な大陸統一を成し遂げたと言っていい。

 全てアンナの功績だ」

 


 彼の話す内容は、容易に脳内でもイメージできる。

 かつて何度も歴史の講義で学んだ、現体制の始祖である聖女アンナの存在。

 

 もしも彼女が再臨し、王国に訪れた災厄をうち倒してくれれば?


「悪魔を倒した聖女を――言い方はアレですが、国内を纏める求心力に使える、と。

 兄様はそう仰りたいのですね」


 凶悪な災厄、悪魔さえも退ける巨大な力を持った存在が中央にいれば、地方は恭順せざるを得ない。

 感謝する、有難く思う――または恐れる、畏怖する。


 半端な反乱などパッタリ止むだろう。

 他国も世界を救う力を持った聖女を戴く王国へ侵攻を考えることはなくなるだろう。



 聖女は正義だ。

 人類を救う希望の光だ。

 彼女の名の下に、ほつれかけた王国地図が再び強く縫い合わされることになる。


 聖女を国内の結束力に使用する?

 三家にとって、喉から手が出る程欲しい力だ。


 聖女が悪魔を倒すというストーリーが実現した際、王子という存在が残っていれば――邪魔だ。

 過去に王妃を殺し恨みをかっている王子が万が一聖女を王室に迎えるなどということになれば、三家と雖も力関係はひっくり返されてしまうかもしれない。


 だがこの物語が予定通り進めば、自分達に恨みを持つ王子を排除しつつ、聖女の力を三家のものとして利用できる。





「尤もらしい話をしてしまったけれど、邪推のようなものかな。

 大きな問題点があるからね」


 王子の言うことは、もしかしたらそういう理由で三家が裏で動いていたのかもしれないという想像を働かせるには十分だった。

 だがこれはあくまでも、この物語が今まで通りに進んだ時に得られる彼らのメリットだ。

 利益があるなら、動機になり得るというだけの話である。



「ええ、そうですよね。

 悪魔を起こしたところで聖女が王国のどこにもいなかったら、御三家のご当主様方の望みは叶いません。

 それどころか、自ら利用しようとした悪魔に――守りたいはずの王国を滅ぼされてしまう可能性の方が高いわけですし」


 リナの指摘にカサンドラも頷く。

 たまたまリナ達主人公が学園に通っていたから、王子が悪魔に操られ乗っ取られてしまってもハッピーエンドになっただけで。

 聖女ありきの計画過ぎて、ギャンブルが過ぎる。


「リナさんの仰る通りかと、わたくしも思います。

 運よく聖女が王国を救ってくれたとしても、それは諸刃の剣のようなもの、

 聖女が三家に敵対する側の思想の持主ということも十分考えられます。

 メリットとデメリットが釣り合っていません」


「君達の言う通り、博打が過ぎる”メリット”だからね。

 三家が裏で動いていたというのは、考えづらいかな」


 王子も非現実的な話だと分かっていたのだろう。

 だが可能性を挙げて一つ一つ考えていく事は、それぞれの考えを共有出来て良い手段だ。


 仮にこの先、理想通りに物語が進めば三家にメリットはあるというだけでも、今後何かの判断材料になるかもしれない。


 それに王子は邪推と言いながら、彼らならばやりかねない、と考えているのかも。

 実際に彼らに母を殺されてしまった彼の心情を思うと、結び付けてしまいたくなる気持ちは分かる。


 そう思った矢先、それまで右往左往と落ち着かない様子のリタが再び背中を丸めておずおずと声をあげる。

 今度は何を聞いてくれるのだろう、とカサンドラも真剣な眼差しで彼女を見つめる。


 リタの質問からここまで話が続いたのだ、まだ他に題材があるのかと期待を込めた。









  「私達が最初から聖女だって分かってたら、実行可能って事ですか?」







 躊躇いがちな姿勢で、でもハッキリと放たれた声。


 リタの言葉が脳裏を巡る。






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