第428話 <グリム>
『しばらく王都を空ける事になった。
……何もないとは思う……が、余裕があったら――アイツの事も気に掛けてやってくれ』
急に真面目な顔でジェイクに言われ、予期せぬ発言にグリムはしばらく反応に困った。
連れ去られたリゼが騎士団の手によって無事に救出されたと聞いてホッとした後のことなので、余計にどういう顔をすればいいのか分からない。
誘拐という単語の字面の物騒さに、今でも信じられない思いが強い。
まさか、と思った。
自分の見ている目の前で彼女が拐かされるシーンを目撃してしまった時に受けた衝撃は、時間が経っても忘れられなかった。
前後の脈絡もあったものではない。
あまりにも唐突で、狙いすませたかのような手際の良さだ。
彼女が路地裏に姿を消した時は見間違いではないかと己の目を疑ったものだ。
まず助けないといけないと思った。
しかし情けなくも急な発作に襲われてしまった自分。虚弱な体を今更歯痒く感じる。
ようやく体調も回復し、騎士団に現場状況の報告に向かった時。
この件に右往左往しているのかと思ったが、ジェイクは全く別件で時間に追われているようだった。
挨拶もそこそこに、面と向かってそんな言葉を投げかけられたのだから面食らったのは当然だ。
「なんで? ジェイク、どこに行くのさ」
行き先や理由を聞いても、返答がもらえないのは、騎士団絡みの話なのだろうということは推測できる。
教えてもらえないことを一々深く掘り下げて聞いてもしょうがない。
いつまで留守にするのかと聞いても、それさえ分からないという状況に首を傾げた。
そんな先の見通しの立たないような場所に、ロンバルド家の後継ぎを向かわせるというのは大変訝しい話だったからだ。
次から次へと忙しい奴だ、とグリムは彼の後姿を眺めながら肩を竦めた。
尤も、彼の遠出の用が”今”で良かった――のかもしれない。
もしも数日前に彼が王都からいなくなっていたら、果たして彼女が無事だったかどうかさえ定かではない。ぞっと背筋が凍る。
ジェイクの事を怒らせてしまったので、顔を見るのも気まずいなぁ、と思っていたのが嘘のように普通に話が出来たのは有り難かった。
怪我の功名というには
「気に掛ける……ねぇ」
グリムは騎士団の一室に取り残され、溜息を落とした。
女子学生誘拐事件の取り調べを受けるということで騎士団にやってきた。が、ジェイクが忙しいため他の騎士に話をしなければいけないというのは二度手間だしあまり良い気持ちはしなかった。
騎士団の人間と会いたくない気持ちもある。
まぁ、そうは言っていられない事態だったとは分かっているけれども。
再び同じような危険が彼女に降りかからないように気をつけてやってくれと言う事なのだろうが。
ジェイクから直接頼まれてしまっては、否が応でもリゼのことを気にせざるを得ない。
……だがリゼとは親しいわけではなかった。むしろ警戒されていたと思う。
まぁ、身から出た錆と言われればそれまでだけど。調子に乗り過ぎたとは反省している。
もしもリゼと親しかったら、あの日何の問題もなく彼女を寮まで送り届ける事が出来たはずなのに……過ぎた事を一々気にしてもしょうがないとはいえ、悔いは残る。
自分から話しかけに行くような間柄でもなく、学年も違えば選択講義も噛み合わない。
一体どうやって彼女の無事を確認すればいいのだ? と、グリムは少し困っていた。
その後、王都へ発ったはずの隊商が付近で襲撃されたという話を教師から聞かされた。
もしかしてジェイクが王都を空けた原因はこれか? と、机に頬杖をつきながら想像してみた。
いや、違うな。
確かに治安の悪化を懸念せざるを得ない大きな事件かも知れないが、過去に幾度も荷馬車が略奪や襲撃を受けたことはあるだろう。
今回ばかりが特別だと取り上げることは不自然だが、一々学園に通っているジェイクを呼んで調査する――というのは少々突飛な発想だ。それに調査のためにわざわざ彼が王都を空ける必要はない。
むしろ王都を拠点にして行った方が都合が良いだろう。
遠方ではないから、ジェイクの用件とは無関係……か。
だがジェイクが不在の際、リゼの事を気に掛けてやってくれとわざわざ声を掛けてきた理由ではあるのだろう。治安が悪くなったということだ、ジェイクも心配に違いない。
彼女があんな目に遭ったばかりで遠出をしなければいけないというのは、彼も嫌なのだと思う。
でも騎士団の仕事、将軍閣下殿直々の命令なら歯向かうこともできない。
内心怒り狂っているのではあるまいか。
ああ……モヤモヤする。
いきなり学園の特待生が誘拐されてしまうという事件、そして不明の襲撃者に隊商が襲われる、更にジェイクが王都を出払ってしばらく留守にする、だ?
色んな事が一気に起こり過ぎではないだろうか。
少なくとも、話を聞いた限り、去年の王都はとても平和としか言えなかったのに。
学園内の様子に変化はないが、外側で何かが起こっているのではないか?
という気がしてならない。
数年ぶりに王都に戻ってきた自分がこんなモヤモヤした気持ちを抱えると言うのも不思議な話である。
ジェイクに頼まれてしまったのだから、無視できない。
積極的にリゼの後を追いまわしたいというわけではないのに、彼女の無事を確認しないと気が落ち着かない。
かと言って自分が一緒に行動すると名乗りを上げても彼女は嫌がるだろう。
講義が終わった後、リゼに気づかれないように寮まで帰るのを見届けることにした。
でも連日彼女の後ろをこそこそついて回って、グリムは既にうんざり気味だ。
ストーカーみたいで、嫌だ。
今度会う機会があったらせめて下校くらいは一緒に帰らせてくれるよう、リゼと交渉しようかな。
誘拐事件に巻き込まれてしまった以上、自分の提案なら一蹴される事もないだろうし。
ジェイクが戻って来るまでの間だ。
未定とは言え、まさか一月も二月も王都を空けるということはないだろう。
一、二週間くらい一緒に帰宅させてくれと言えば、彼女は頷いてくれるだろうか?
※ ※ ※
グリムにとって俄かには信じがたい出来事はまだ続いた。
アーサーからの伝言は丁度今、女子寮に赴きリゼ達に伝えたばかりである。
「うーん……一体、ホントに何が起こってるんだ……?」
ジェイクの身に関わることなので、誰にも内緒で三つ子をレンドール家に呼んで欲しいなんて……
リゼもポカンとしていたが、伝言を頼まれたグリムだって意味が分からない。
招集理由も現地で当人に聞いてくれとしか言いようがなく、頭を抱えた。
何かが起こっていることは分かっても全く全容が掴めず、まるで地に足がつかない。不穏な空気を肌で感じるのに、全く予想もできないのだ。
しかし――アーサーの奴はズルい、とグリムは女子寮からようやく解き放たれ、外気を大きく吸い込んだ。
いくら来客室を使った面会とは言え、女子寮の一角に滞在するのはとても落ち着かず奇妙な感覚だったから。外に出てホッとした。
三つ子をレンドール邸に呼ぶよう伝言を任されても、いきなり過ぎて困る。事情を聞きたいと言っても「今は言えない」の一点張り。
そのくせ、ジェイクの身の危険に関わる事だと言われれば――言う通りに動くしかないではないか。
何故自分が、アーサーの伝言を伝えるため”だけ”に、リゼ達を呼び出してもらわなければいけないのか。
物凄く釈然としない、苦虫を噛みつぶしたような顔になるグリムである。
だが彼が冗談や遊びで自分にあんなお願いをするとは思えない。
ジェイクの身に関わることだと真剣な顔で言われた。
断ったら――……
危険な事が起こるのか?
アーサーの指示に従わざるを得なかった。
自分に出来る事は、彼から伝言を頼まれた事やその内容を誰にも言わずに胸に秘めておくことくらいか。
「は?」と目を点にしてポカンと呆けた表情をしたリゼの顔が過ぎった。
そりゃあ、王子からの依頼で三人揃ってレンドール邸に来てくれ、なんて言われたら誰だってそんな表情になるだろう。
不承不承でも、言うことを聞いて行動してくれた事は幸いだった。
『曲がりなりにもグリムは私の命の恩人だし、貴方がそう言うならカサンドラ様の屋敷に行く。
でも、一体何があったのか本当に見当もつかないの?』
『僕も全く分からないんだ。
直接アーサーに聞いて欲しい』
今度アーサーにあったら少しでもいいから事情を教えてもらわないと――モヤモヤして眠れない!
この学園に入学して、思った以上に平和で驚いていたというのに。
一月経ったら、こんなに怒涛の事態が巻き起こるなんて想像もしていなかった。
丁度夕食の時間帯だったので、部屋に戻る前に食堂で食事を済ませる。
あまりグリムにすすんで話しかけてくるような男子生徒もおらず、自由な時間は結構暇だ。
今まで年の近しい話し相手もおらず、外界と隔離されたような生活を強いられていた。
声を聞く相手と言えば、母親か身辺の世話をしてくれたメイドくらい。
王都に戻っても、こうして距離を置かれて遠巻きに見られる。世知辛い世の中だよなぁ、と自嘲しながら自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
思っていたより風当たりは強くないけれど、かと言って学園を一歩外に出れば気軽に話しかけてくれる友人がいるわけでもない。
一人、だ。
……何となく、足が特別棟の方向に向いた。
中に入って彼らと話が出来るわけはないけれど、何となく。
グリムにとってはかなり希少な、幼馴染と言える存在が住んでいる場所だから。
※
誰もいないに違いないと思って特別棟までの入り口を視界に入れながら横切ろうとしたグリム。
だが、普段見かけない光景に自然と立ち止まり、困惑気味の表情を浮かべて様子を伺っていた。
特別棟への門前で、数名が顔を突き合わせて喧々諤々の大騒ぎ状態だったからだ。
正確に述べるのであれば、お冠状態で怒っているのはシリウスだけだ。
彼の声だけがやたらと周囲に響いていた。
シリウスの叱責を受けているのが、特別寮の警護責任者である寮監のオジサンだ。
生徒達の二倍、三倍は生きているであろう年上のおじさんを、シリウスは容赦なく責め立てている。
そんなシリウスを「まぁまぁ」とうんざり顔で宥めているのはラルフだ。
一体何があったのか気にならないわけがない。
「何かあったの?」
敷居を跨がず、通常男子寮と特別寮の境目を踏み出さないよう気をつけながらグリムは片手を挙げて話しかける。
もしも一般生徒が許可なくこの境界を踏み越えれば、問答無用でひっ捕らえられるか下手をしたら切り捨てられるだろう。
入寮の際に厳重に警告を受けているので、この入口フロアの前を通りかかる生徒は少なかった。
「――グリムか」
怒気を発し、苛立ちを隠せない様子で腕を組むシリウス。
彼は口を「へ」の字に結んで、むすっとしている。いつも以上に機嫌が悪そうだ。
「何かあるも何も……
あいつは、どこか狂ってしまったのではないか?」
「あいつ?」
はて? と、グリムは首を傾けた。
「城から戻って来たはずのアーサーがどこにもいない。
一体どうしたのかと不思議に思っていたら――こんな時間にカサンドラの屋敷まで向かったと聞かされてね。
それでシリウスがこんなに怒っているんだよ」
苦笑しながらシリウスとグリムをゆっくり交互に眺めるラルフ。
相変わらず凛とした貴公子様だこと、と煌めく容姿の二人を眼前にしてグリムは目を細めた。
アーサー王子が、寮から一人で外出した。
言われてみれば大問題な気がする。
ラルフは全く気にしていない様子だが、シリウスはそうはいかないのか苦々しい表情のまま眼鏡の位置を指で直した。
「ジェイクもいないこの時期に!
一人でノコノコと外出など、何かあったらどうするつもりだ。
あいつは自分の立場を分かっているのか!?
よくも許可を出したな、ウル!」
寮監は叱責を受けているものの、決してシリウスの勢いに気圧されているだけではない。
守衛も兼ねているためか、屈強な体つきの寮監は肩を竦めて”何がいけないのかわからない”と言いたげにエントランスホールの高い天井を見上げていた。
「そう仰られましても……
どうしてもレンドールのお嬢様にお会いしたいと言う王子を止めることなど、私にはとてもとても」
「それを止めるのがお前の仕事だろうが!
一、二度目溢ししてやったとは言え――
あんな事件が起こった後だ。今日無事に帰宅するとは限らない、それが分からない程お前も愚かではないだろう!」
この歳に再会したシリウスが、こんなに怒っている姿は初めて見たかもしれない。
子供の頃の印象通り、クールで感情の見えない青年に成長したのかと思いきや。
友人の突然の常識外れの行動に、カンカンに怒っている。
このままでは本当に寮監を追及し、アーサーの不在を大事件かの如く扱われかねない。
そうなってしまった場合、アーサーには大変都合が悪い事なのではないか。
これから重大かつ内密の集まりが今レンドール邸で開かれるのだろうし。
下手に公にされたら、わざわざグリムに伝言を頼んでまでアーサーが目立たないように動いた意味がないのでは?
そう危惧していた矢先、ラルフがやんわりとフォローを入れてくれた。
「まぁまぁ、そう怒らなくても。
彼だって自分の立場を分かっている、問題を起こして誰かに迷惑をかける人間ではないよ」
「そうですよ、帰宅が遅くなるようならレンドール邸に宿泊されると仰っていました。
深夜の移動ではないのなら、危険なことはそうそうないでしょう。
いやぁ、王子があそこまで通いたい女性が出来たと言うのであれば喜ばしいことではありませんか」
「お前が懐柔されてどうする。
はぁ……。
滅多なことは起こらないとは思うが、その状況も大変外聞の悪いものではないか」
刺々しい雰囲気はそのままに、シリウスは軽く舌打ちをする。
今まで品行方正で通っていた王子が急に夜間の外出が増え、しかも行き先が婚約者とは言え女生徒の家であることは確かに驚くべきことだとは思うけれど。
「ラルフ、お前は何も思わないのか?
何か問題が生じれば、私達の監督不行き届として追及されかねないぞ」
「うーん……
シリウスの心配も分かるけれど、会いに行くのに問題のない相手が婚約者であるなら、会いに行きたいという気持ちも分かる。
何とも言えないね」
「ええ、ええ。
学園内では二人きりになることもできないと普段仰っておられるわけです。
たまには良いと私は思いますよ。
楽しみでもなければ、毎日寮と学園と王宮の往復で疲れるだけでしょう」
寮監は完全にアーサーの肩を持つような発言を繰り返す。
余程慕われているか、もしくは買収でもされたのかという勢いだ。
緊急時とはいえアーサーにそんな真似が出来るとは思えないので、どちらかと言えば前者なのだろうが。
「それにシリウス様。外聞が悪いと心配されていますが、王子がレンドールのお嬢様のご自宅に向かっていることを知っているのは、ここにいる者だけ。
よもやそのような事を触れ回るような間柄でもないでしょう。
どうか寛容な心で見逃して頂けませんか」
王子が無断外泊ということになれば、シリウスの言う通り外聞が悪いどころの騒ぎではない。でも、知られなければ大きな問題にはならない。
シリウスだって友人の醜聞を触れ回る趣味はないはずだ。
どうかここだけの話におさめてくれ、と寮監は促しているのだ。
「何を言っても無駄のようだな。
全く……誰も彼も、余計なことばかり。
――見逃してやるのは今回限りだ。
次からは供を連れて行動するよう強く注意しろ。
外出の是非は裁量に任せているとは言え、こんな時期に単身出歩くなどどうかしている。
やはり気でも狂ったのか、あいつは」
「狂う……ね。
その点は、君も人の事を言えたものではないと思うけれどね」
明後日の方向を向き、ボソッと呟くラルフの言葉をシリウスは聞き逃さなかったようだ。
「ハッ、お前にそう言われるとは思わなかったぞ。
アーサーに負けず劣らずの入れ込みよう、私が知らないとでも?」
シリウスの矛先が軽口を呟いたラルフに向かう。
何だかよく分からない言い合いに発展しそうで、グリムは無言でその場を去ることにした。
君子危うきに近寄らず、昔の人は良い教訓を後世に残してくれたものである。
それにしても――
皆、会わない間に変わったなぁ、と。驚きを隠せない。
どうせ、何を言ったところで親の決めた婚約者と結婚することになる。
面倒だ。
それが彼らの共通認識だった気がする。
最初から『恋愛』という概念さえ存在しない立場だっただろう彼らの変貌ぶりに、グリムは時の流れを感じずにはいられなかった。
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