第427話 湧き出る懸念
アレクとリゼが応接室から一旦姿を消す。
遠出の準備をしなければいけないので、それなりに時間が掛かるだろう。
カサンドラは、チラッと隣に座る王子の横顔を眺める。
彼は幾分ホッと安堵するかのような表情を見せていたが、やはり先ほど言われたリゼの『感想』が気になるのかもしれない。
斜め上、照明以外何もない天井の一点を眺めて深い思考に入っていった。
第一関門である一年以上早く起こってしまったジェイクの『イベント』をどうするか、という問題には一応対処できた――
と言うか、まだ成否は分からないがこれ以上に上手くいきそうな方法は見当たらない。
誰にも事情を説明せず、緊急で救援要請されて内乱の起こった地方に向かったジェイク。
彼の後を追いかけるなんて簡単な事ではないし、普通なら間に合わないと思う。
だがリゼはこの世界では特殊な立ち位置に置かれた人物、主人公だ。
ジェイクに関することで奇跡と呼ばれる現象を起こすことが出来るなら、彼の攻略ルートに入っているリゼ以外にいないだろう。
それはとても運頼みで、ただサイコロの出目が自分に都合の良いように出てくることを祈る消極的な選択だが。
事情を知っているからと言って、それではカサンドラとアレクと王子が揃ってティルサに急ぎ向かえるかと言われれば中々難しい話だっただろう。
そんな目立つ行動をして、万一間に合わなかったら……
一網打尽だ。
物語が正規ルートへ矯正するように動くとしたら、結果、その内乱さえ自分達が起こしたことだと誤解を与えかねない状況になりかねない。
誰かの協力が不可欠なのは分かる。
では誰に協力を求めるかと言われれば、王子の判断は間違っていないと思う。
去年の夏休みのリゼは乗馬を嗜むという状況に程遠かった事を覚えているから、かなり不安だが……
毎週のように剣術講師のフランツに乗馬指導を受けているという申告通り、腕前は順調に上達し今では見違えるほど馬を乗りこなせるようになったらしい。
何かの技術を身に着けるという点において、着実に積み上がっていく能力は傍から見れば羨ましい限りである。主人公特権と言われてもしょうがない。
「何度この世界を繰り返しても、か」
王子は静かに独り
ゲームの中の設定を出来るだけ違和感なく現実に再現した、それがこの世界だとカサンドラは思っている。
もしかしてゲームのデータの中に取り込まれたのか? と仮に考えてみると、違うと感じる。
ゲームはあくまでもゲームだ。
デートの時に同じ場所に行って同じセリフを繰り返すことがあるのは、ゲームだからしょうがない。
だが現実でそうなったら不自然極まりない。
あくまでも生きている人間同士のやりとりが断続的に続いている。
この世界の住人がゲームそのままだったら同じ決まったセリフしか話せない機械のような存在になってしまう。
皆、それぞれ意思を持った個性あふれる人間ばかりなのは目にして来たとおりである。
イベントの内容がある程度ゲームの内容に沿えば良い程度のアバウトさなのは、不確定要素込みでのこの世界の中の”
余白からはみ出してストーリーを改変しようとしたアレクは、今まで見えない力に阻まれていた。
そう言えば、アレクが今まで体験を語れなかった理由は何だったのだろう。
急に封印が解けたように、今まで押さえつけられた分一気に情報を言葉にすることができたというし。
アレクと自分やリナでは、何か違うのだろうか。
元々、原作の登場人物であったか否かの差、とか?
「あの……ちょっと良いですか?」
王子に引き続き、カサンドラまで少し難しい顔になってしまった。
正面で引きつった表情のまま、戸惑いソファに座るリタは落ち着かない様子で話しかけてきた。
「はい、何でしょうか」
たちまちリゼがこの一件に手を挙げてくれたことで、何とか人心地ついた。
だが胸を撫でおろしているのは自分達だけで、訳の分からない状況に一人取り残されているリタは一層混乱しているようだ。
勿論彼女も主人公の一人で、ここに来てもらったのは自分達の置かれている現状を一緒に共有して欲しかったからだ。
ただ、いくら根が素直なリタでもいきなり全て理解して受け入れることが出来るなんて思っていない。
ある程度冷静に話に耳を傾けてくれたリゼとは違い、彼女は全く受け付けられない――と言った様子で終始驚き続けていたわけだ。
元気な普通の女の子だけれど、非日常の境界線を越えた途端一気に許容量を超えてしまったのかもしれない。
信じたくないと言いつつも、目前に迫った非常事態を知らされ動き始めたリゼとは違うのだろうか。
戸惑うだけのリタに『理解』してもらうために、これからじっくり話をしなければいけないとカサンドラは気を引き締める。
「急なお話、それも俄かには信じがたいものだったでしょう。
何かお聞きになりたいことがあれば、わたくし達の答えらえれる範囲で何でもお答えいたします」
今まで自分側の事情を誰かに知られないようにと意識していたこととは逆だ。
いくらこの二日で転移前の世界の記憶を話すことに慣れた……とは言え、事態はまだ好転していない。
どうしたらいいのか教えて欲しいのは自分達の方で、最初に力を借りたい、と言ったのは本心だった。
「……えーと、何だか実感がないんですけど……
んー、リナやカサンドラ様がそう言うなら、そうなんだろうなぁ、としか言いようがないです。まだ、ふわふわしてますけど」
彼女は当惑ぶりを隠せなかったが、次第に真剣な面持ちになって膝の上に置いた手をぎゅっと固めた。
「カサンドラ様達が急いで私達、というかリゼに声を掛けた理由っていうのも何となく分かります。
リナ達の知っている
だからリゼが急いでジェイク様のところに向かったって事ですよね?」
「はい、わたくし達の記憶とは違い時期が大幅に前倒しになっているようですが。
それも踏まえて、一体何が起こっているのかすら分かっていないのです。
申し上げた通りジェイク様にこれから不幸が訪れる可能性が高く、何としても防ぎたいということがわたくし達の願いです」
「確認したいんですが、ラルフ様にこの先起こる『出来事』。
言葉にしたくはないんですが、お姉さまが殺されてしまうって事で良いんですよね?」
カサンドラは頷いた。
ラルフにとって大切な人が、何者かの手によって命を奪われてしまう。
それもかなり悲惨な状態だ。
攫われ、殺されてしまう……というだけでも誘拐殺人だ。
だが彼女の場合は更に状況が暗いものになっている。実際に起こるとしたら凄惨としか言えない話なので、詳細にこの先の事を考えたくはなかった。
今はそうも言っていられない。
非合法の人身売買組織に誘拐された彼女は、競売にかけられて売られかけてしまう。
しかし彼女は元ヴァイル公爵家の人間だ――競売中、趣味の悪い資産家たちの前で素性が明るみになった。
そんな身分の人間を大枚をはたいて買ったところで、公爵家側に事情が知られれば自分達の進退も危うくなってしまうだろう。本来、絶対手を出してはいけない相手だ。
いなくなっても誰も探さない、影響が少ないみなしご、孤児院の子どもとは事情が違い『大物』過ぎる。
すぐに彼女が行方不明だと騒ぎになり、大規模な捜索が始まる事だろう。
そもそも異国の金持ちに民を売り払う奴隷売買は、違法も違法。
人を拉致して商品のように扱うだけでも、見つかれば大罪として死罪は免れない。
この先彼女の口から闇市の存在が明るみになったら?
今までのように下から切り使い捨てる、トカゲの尻尾斬りでは終われない。主催側にまで追捕、調査の手が届く。
このまま生かしておく方が危険だと焦った貴族の手によって、彼女はその場で殺されてしまうのだ。
救出に向かったラルフは間に合わない。
彼らはいつだって一歩手が及ばない。
見えない手に、障壁に遮られるように――物語の都合上間に合わない。
この学園に通う生徒達の多くは善良な人間だという事はカサンドラも知っている。
強い光輝が周囲を照らせば、作られた影もまた濃くなるもの。
綺麗ごとだけで世界は存続できないことは歴史が物語っている。この世界でも変わりはしない。
実際に人を人とも思わないような醜悪な価値観を持った権力者もいるだろう。地方に行けば聞くに堪えない横暴な領主の話は溢れている。
際限なく湧き上がる人の欲望を満たすために、地中深くに掘り進められる眉を顰めたくなる世界はある。
貴族や資産家たちはそれぞれ正体を隠すよう、余興じみた仮面を着けて闇の競売に集う――らしい。
こそこそと悪いことをする人間を完全に排除することは難しい。
ラルフの姉がそのあくどい集団の被害に遭ったということは辛い事だが、少なくとも御三家はその闇の部分には関与していないことだけははっきりしている事実と言える。
可愛らしく微笑ましい恋愛話から突然降って湧いた衝撃の出来事。
直滑降のイベントの連続を初めて見た時は驚いたものだ。
折角のファンタジー世界観だから、その世界に合った設定を盛り込もうとしたのだろうが……現代学園恋愛では流石に作れないシナリオである。
それにしたって原作では誘拐を手配した人間が王子だという話だから、いくら操られていると言ってもやり過ぎだろうと思ってしまう。
「気のせい……というか、勘違いなら良いんですけど……
その場所って、もしかしてどこかの貴族のお屋敷です?」
「ええ、そうだったと思います」
ジェイクの時と同じく、実際に主人公はその場面に遭遇していない。
後で彼らから、何が起こったのかを知らされるのだ。
思いもよらない悲しい出来事に衝撃を受け、いつもと違う様子の彼らから聞かされた情景。
そんなことをした黒幕に恨みを募らせるのに十分である。
すると彼女は何か考え事をするかのように、瞑目する。
唇を結び、うーん、と。真面目な顔で記憶を掘り起こしているかのようだった。
「実はですね」
そう言って彼女はそわそわと落ち着かない様子でカサンドラを――ではなく、自分の隣に座る王子をチラチラと視線に入れて口籠る。
「昨日、ラルフ様、お休みだったじゃないですか」
リタに改めて指摘されるまでもなく、ラルフは昨日学園を欠席している。
何かの事件と関わりがあるのかと思ったが、実家で飼っていた飼い犬が亡くなってしまったという私的な理由だ。
カサンドラは今も昔もペットを飼っていたことはないが、ペットを飼っている人は皆家族の一員だと口を揃えて言う。
ましてや動物好きで可愛がっていたラルフだ。悲しい報せを受けてそちらに向かってしまう気持ちは分かる。
リタ達に話した物語、シナリオとは直接関係があるようには思えない。
「がっかりしていた下校途中、ラルフ様のお姉さまに声をかけられたんです。
……ラルフ様は言った通りお休みですし、ちょっと困りました」
「そうだったのですか」
昨日カサンドラが隊商襲撃の報を受けて衝撃を受け、顔を真っ青にして王子に事情を打ち明けるべきだと気を塞いでいたのと同時に。
リタは突然、ラルフの姉に話しかけられたと?
まさかリリエーヌの正体が彼女にバレ、詰問を受けたのか? と。カサンドラは内心ドキッとした。
「少しお話をしていたのですが、まぁ、その時に色々……
そう、色々ありまして」
ごにょごにょと彼女は言葉を濁した。
公には言えないような後ろ暗いことでもあったのか? と穿ちたくなるくらい、彼女は挙動不審な仕草で汗を流す。
「で、あの方と旦那様との話をチラッと聞いてしまったんです。
今週末、仮面舞踏会があってそちらに出席するという話をしていて。
……でも、なんだか会話の様子がおかしくて、ちょっと気になってたんですよね。
こんなことを言ってはアレなんですけど、御主人、凄く悪そうな顔してたんで」
仮面舞踏会が開催されるなんて珍しい。
中央の社交界に殆ど顔を出さないカサンドラはそんな催しに声を掛けられたこともない。
有閑マダム達同士で行われる社交手段の一つなのだろうか。
「――。何も関係が無いとは思うのですが。
嫌な予感としか言いようがないのは分かってるんです」
「仮面舞踏会……ですか。
ラルフ様の姉君が出席するのであれば、当然それなりのお家で開かれるのでしょうね」
「この時期に舞踏会? それも、仮面?
耳慣れない響きだ、私も少し気になる。
王都で開かれる舞踏会、それも近々の話なら……調べればすぐに分かると思うけれど」
「ねえ、リタ。
もしかして舞踏会でお姉さんが何か事件に巻き込まれる可能性があると思ったの?」
それまで黙って頷きながら話を聞いていたリナが、やんわりと同じ顔の姉にそう尋ねる。
「自分でも考えすぎって思う、ハッキリ言って飛躍した話よね。
でも、今ジェイク様が皆が知らないところで遠出して、そこでアンディさんが被害に遭うんじゃないかってバタバタ動いているわけでしょ?
ラルフ様は大丈夫かな、何もないかなって考えて――……」
ラルフが喪ってしまうのは、姉。
話の流れでそう断定されてしまって、リタはどうしても昨日の話で払しょくできない不安に襲われたのだという。
カサンドラとしては舞踏会開催なんて珍しい事でもない、リタの発想は少々極端で考えすぎのように思えるのだけど。
「確かに……
クレアさんが舞踏会に出席なんてラルフが聞けば驚くのではないかな。
王宮舞踏会さえ欠席続き、人前に滅多に姿を見せなくなったのに」
普段と違うと感じる出来事、それに引っ掛かる要素が他ならぬリタから報告されたのだ。
全く関係がないことと切り捨てるには、あまりにも状況が極まっている。
ジェイクの一件が動いているのなら、ラルフやシリウスの出来事も既に動いているのではないか? と連想するのは、決して飛躍しすぎではないだろう。
「リタ君、教えてくれてありがとう。
明日舞踏会が開かれる予定があるのか、それとなく調べてみようと思う。
――杞憂であるとは思うよ。
しかし万が一、そんな催しがどこにも『無い』ということになれば、話は大きく変わってくるかもしれない」
「私の聞き違いや勘違いかもしれません!
でも昨日の旦那様の笑顔が黒くて黒くて、忘れられないんですよー!」
クレアの旦那は外面はいいが、家の中では妻に暴力を振るうようなろくでなしである。
商売を始めるたび失敗し、何度も何度も妻づてにヴァイル家からの援助をたかっているような――前世の価値観で言えばヒモとしか言いようがない人間だ。
常に金の無心をするような彼が、演奏会鑑賞と比して何倍も金がかかる舞踏会に嬉々としてクレアを連れて行くのか? と言われれば、首を傾げるような話だ。
それにしても、リタが人の悪口らしき印象を語るのは初めて見た。
勿論、彼女の印象は決して間違ってない。
外見が優男風で弱腰に見える男性だからと騙される人間は多いだろう。
健全な精神状態のリタは、人を見る目はしっかりしているので胡散臭い雰囲気を瞬時に感じ取ったに違いない。
カサンドラも全く彼に関わりたいと思えない人物だ。
悪い男に引っ掛かってしまった彼女を可哀想にも思うが、本人が相手を好きでしょうがないというのだから外野にはどうすることもできない。
「タイミングがタイミングですから、私も心配です。
……何事もなければ良いのですが」
リナも不安そうな表情で、感情を吐露する。
彼女にとって、攻略相性の良い相手はラルフだ。
今までの記憶の中に彼に纏わるイベントが多く刻まれていた事は想像に難くない。
いつも自分の手の届かないところで、物語の流れで殺されてしまうラルフのお姉さん。
同じことがこの世界で起こるなんて考えたくない、それはカサンドラも同じ気持ちだ。
応接室が重苦しい雰囲気になり、ただ壁掛け時計の秒針が正確に時を刻む音だけが響く。
今頃、アレクとリゼは出立の準備を滞りなく進めているのだろうか。
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