第425話 リゼの雑感



「こんばんは、お邪魔しま……す!?」


 やや遠慮がちに、部屋の扉が開かれる。

 廊下からひんやりした空気が僅かに流れ込み、緊張感に支配された場が微かに揺れた。


 そ~っと、中を伺いながら訪ねてくる二人の少女。

 顔のパーツ一つ一つは全く同じだというのに、性格が違えばここまで放つ雰囲気が違うのかと驚いてしまう。

 そんな奇跡のような三つ子が、全く予期しなかったことにカサンドラの屋敷に揃ってしまった。


「えっ」


 広い応接室の中央で思いもよらないメンバーが集っていたなら、しょうがない。

 仮にカサンドラが彼女達の立場で会ったとしても、ここに呼び出されたら意味が分からないと動きも思考も完全にフリーズしてしまうだろう。


「カサンドラ様、王子、リナ……?

 ……?

 これは一体、何の集いなんでしょう」


 完全に表情を引きつらせながら、リゼは部屋に入ったは良いが一歩壁際に向かって後退。


「あ、リナ! 先に来てたんだ?

 姿が見えないから、また寝込んじゃったのかってちょっと心配だった」


 逆にリタはこちら側にリナの姿を発見し、安心したようにオーバーリアクションで安堵の仕草を見せた。


「急に呼び出してしまって申し訳ない。

 忙しい時間だっただろう」


 混乱し、目を回しかけている二人を宥めるよう、王子は努めて穏やかな――いつも通りの口調で彼女達に話しかける。

 空中を飛び回っていた魂が、彼の声掛けで正位置に戻った。

 同時に背筋を伸ばし、大仰に首を横に振る。


「いえ!?

 王子のお声掛けということで驚いただけです。

 ……何かのサプライズ演出の打ち合わせか何か……ですか?」


 実際に驚くことになるのはこの二人ということになるのだろうが。


「残念ながら、ゆっくりお話をしている時間はありません。

 リゼさん、リタさん。

 ……わたくし達の話を信じて下さることを、心から望みます」



 こちらの逼迫した状況は伝わったのだろうか。

 挨拶もそこそこに、招き入れられたリゼ達は不安そうに互いに顔を見合わせながら席に着く。



貴女方あなたがたのお力と知恵をお借りしたいのです」



 今考え、思っていることがそのままそっくり複写されて彼女達の脳内に写すことが出来ればいいのに。

 生憎自分達の体験や思考は言語を介してでしか伝えることができない。

 黙って瞳を見つめるだけで、テレパシーのようなやりとりが出来たらもっと人と人はコミュニケーションしやすくなるのだろうか。


 しかし無い能力をねだってもしょうがない。

 もはや何度目かは忘れる勢いで、昨日に引き続きこの世界の成り立ちやカサンドラの存在について話をしなければいけない事態に陥る。

 勿論、アレクやリナの体験は当人達に直接語ってもらうとして――


 カサンドラだけは、どうしてもこの世界の根源、原作。

 元になった乙女ゲームの仕組みや概念を可能な限り正確に伝える必要があり、相変わらず精神的拷問に等しい時間を齎されることになる。

 今回はリタとリゼの二人同時に説明できるだけ、手間暇が省けたと喜ぶべきなのだろうか。




 ※





 カサンドラの知っていること。

 王子を取り巻く現状。

 アレクの逆行体験。

 リナに至っては繰り返し体験を経、数日前に記憶を思い出したこと。


 それらを順に説明していくのに、たっぷり一時間はかかっただろうか。

 思ったより時間がかかってしまったのは、要所要所でリタが完全に頭を抱えて苦悩のポーズをとって「待って! 待って!」と叫んだせいだ。

 完全に脳内に許容できる「想像」を越えてしまったようで、その度に彼女が落ち着くまで待たねばならなかった。


 だがそれはある意味で普通の女の子の普通の反応である。

 特に彼女たち自身は、王子と同じように自分も不思議体験を持っているわけではない。


 その上、他人に言えないような秘密を抱えているわけでもない。


 リナがそうだったように、もしかしたら彼女達も既視感やら何かしらの形で繰り返し体験の残滓を有しているのかと思ったが、生憎そういう都合の良い話にはならなかった。

 全てにおいてわけのわからない話だっただろう。


 ごく普通の生活をしていた彼女達にとって、カサンドラ達の真剣な表情で畳みかける言葉は、通じる言語だけど話の通じない相手と交信を試みているような心境ではなかっただろうか。

 

「………リゼさん、リタさん。

 あの、大丈夫……ですか?」


 完全に頭から湯気を出す勢いのリタ。

 その隣で低く呻き声を上げ、腕を組んで険しい表情を作るリゼ。


 リナの話を聞き終えた後訪れた沈黙に堪えられず、カサンドラは恐る恐る二人に問うてみる。

 重苦しい沈黙。


 こめかみの辺りを思いっきり指先で押し、痛む頭に辟易する様を見せるリゼはゆっくりと閉じていた瞼を開けた。

 固唾をのんで見守るカサンドラの縋るような視線に彼女は何を思っただろうか。



「正直に言えば、信じられないです。

 ……というか信じたくないです」


 それはリゼの偽らざる本心からの台詞だったのだろう。

 信じる信じない以前に、”信じたくない”。

 

 自分の未来が完全に二年後には消失し、再度同じ時を繰り返すのだという状況は「はぁ?」と顎が外れてしまう突拍子もない話だ。



「第一王子が悪魔に? 私達が聖女?

 ここが物語の世界?

 カサンドラ様が異世界人?

 全く……

 こんな話を聞かされたのがカサンドラ様やリナ相手じゃなかったら、鼻で笑ってますよ」


 はは、と彼女は乾いた笑いを浮かべる。

 カラカラの口内を湿らせるように、テーブルの上に淹れられた紅茶に口をつけた。

 琥珀色の液体は完全にぬるく、冷え切っているだろう。



「言われただけで簡単に信じるって、難しいです」



 でしょうね、とカサンドラも頷く他ない。

 問題は、証拠を出せと言われても即座に証明しうる話ではないことだったから。


「だから私――これからティルサに向かいたいです」


「リゼさん」


 決然とした彼女の言葉は、とても心強かった。


「ええ、行きます。

 その話が真実にせよそうでないにせよ、ジェイク様が今そこにいるって言うのは確かなわけですし!

 ……そこで何かが……今言われたような事が起きるっていうなら、私はそれを止めたいです」


 もしも本当に『物語』通り、定められた未来へ進むのならばまさに今が分水嶺と言える。



 確証を持ちたいから東に赴くのだと、ハッキリと言ってくれるのはとても有難かった。


 カサンドラとしては当然現地で何も起こらず、皆無事で王都に帰還してくれればそれで何も言うことはない。

 だが万が一、何者かの手によって物語が進行させられているのなら。

 ジェイクの大切な友人が命を落とす可能性があるのなら……

 それを阻止できるタイミングは、今しかない。


 一分一秒が惜しいと王子がここに駆け込み皆を呼び寄せようとした判断は決して勇み足ではない。

 ギリギリの崖っぷちに追いやられていることに気が付くことが出来たから。


 自覚がないまま、後手後手に回って取り返しがつかない事態に陥るわけにはいかない。


 世界は繰り返すという。

 だが、今の自分は――たった一人しかいない。

 ”やり直す”ことによって、この一年の記憶や経験を消されてしまうなんて到底許容されることではなかった。


 

「というかゆっくり話してる暇ないって、その通りですよ!

 カサンドラ様、申し訳ないですけど馬一頭、貸してくれませんか?

 あー、こんなことなら剣を持って来てればよかった!」


 立ち上がり、用意するものをあれやこれやと指折って数え始めたリゼの切り替えの速さに驚いたのは隣に座って石像と化していたリタだ。


「え? ちょ、ちょっとリゼ。

 今から行くの!?」


 素っ頓狂な声を上げ、「置いてかないで!」と縋るようにリゼの上着の裾を掴んでいた。


「あったりまえでしょ!?

 私はね、自分の目で見るか、筋が通った話じゃないと信じられないの!

 だからこの目で見て来る、それだけよ。


 ……それに……助けられるなら、私だってアンディさんを助けたいわよ!

 あの人がいなくなったら悲しむ人、ジェイク様だけじゃないでしょ」


 彼女は自分達が嘘をつき、騙しているなんて微塵も思っていない。

 だがもしかして集団催眠に掛かって変なことを言っているのでは? と怪訝そうな表情を見せたのをカサンドラは覚えている。


 


「本当に、貴女がティルサまで向かうのですか?

 独りでは不安でしょう、僕もついていきますよ」


 アレクは少し疑義のありそうな表情で、再度彼女の意思を確認する。

 話を信じられないのに、本気になってこの事態を打開できるよう必死になってくれるのかと疑っているのかも知れない。

 ”信じたくない”と彼女は言った。

 実際にこうやって行動に移そうとしてくれている時点で、信じていると言ってくれたようなものだと思う。


 アレクは彼女と初対面だし、半信半疑程度の軽い気持ちで向かうなら自分が向かう、という強い意志を持っているのでそう申し出たようだが――



「いえ、アレク様は向かわれない方がいいと思います。

 貴方の生存を御三家側の人間に知られるのは危険ではないでしょうか。

 それこそ、不慮の事故に見せかけてまた・・殺されかけてしまう可能性も否定できませんよね?」


「それは……」


 痛い所を突かれたのか、アレクは口籠る。

 アレクが王子の実弟で、母である王妃とともに事故を装って殺されるところだったという事はこの場にいる人間、そしてクラウス侯しか知らない事実である。

 もしもアレクが生きていると御三家の当主たちが知ったら……


 三家の当主にとって、アレクは生きていては都合の悪い相手であることは間違いない。



「リゼさん。

 信じて下さるかどうかは別の話として、わたくし達の話を聞いて何か気づかれた事はありませんか?」


 かなり漠然とした問いかけであることは自覚している。

 だが、他の人の意見が聞きたい。

 それも、先入観のないこの世界に普通に根差し、全く違和感なく生活している彼女の視点を教えて欲しかった。



「何となく、ですけど。

 話を聞いていて、壮大な王子暗殺計画だなぁ、と思いました」



 ぽつり、とリゼは呟いた。

 今まで自分の中の発想に無かった、彼女の何気ない呟きはカサンドラの心を大きく揺さぶった。


「リゼさん、何故そのようにお考えになったのですか?」


「えーと……

 カサンドラ様の言われたように、この世界が繰り返し楽しむために創られた物語を基に構築された世界……だとしますよね。

 物語って主人公も大事ですけど、それ以上に”悪役”も物凄く大事じゃないですか。

 物語本来の『悪役』である王子の背景が分からないって、凄く不自然だなと思ったんです」


 リゼの言いたいことは分かる。


「元々主人公の恋愛がテーマのゲーム……いえ、物語でした。

 攻略対象ではない悪役の背景を描写することの冗長性を考えて、敢えて描かれなかったものと思われます」


 もしも王子が攻略対象の一人であれば、しっかりばっちり細かく心理的描写を盛り込んできたはずだ。

 だが少なくとも、最初に発表された作品は三人の攻略対象しかいなかった。

 真打登場、という形かどうかは分からないが、あまりにもあやふやだった王子周りの背景を補完するためのDLダウンロードコンテンツが販売予定という情報があった事を覚えているくらい。

 完全攻略を成し遂げても、王子周りの情報はあのゲームの中には無かった。


 主人公と直接関わりのない王子の因縁話を尺を使って描き続けるなら、それはもう王子攻略ルートのようなものだ。

 倒すべき敵、障害物。

 そう割り切った書き方をしたのはある意味潔いし、物語を補完するために別の媒体で発表も出来るから決してなくはない手である。


「でも、倒すべき敵です。

 物語最後の障害です。

 ――壁として立ち塞がる王子がハッキリとした理由を持たず皆を敵に回す……というのは、普段読んでる小説なら消化不良だと思います。

 その消化不良な部分をこの『世界』が勝手に補完して創り上げた、という認識で良いでしょうか」


「……確証は持てません。

 ですが王子自ら復讐に手を染めるような方でないことは周知の事実、となれば何者かが王子を唆したか無理矢理悪魔にさせてしまうのだろうとわたくしも思います」


 要するに王子がこの世界で悪魔になってしまう原因を、この世界が勝手に作り出し、設定の一つとして組み込んだ――とリゼは考えたのだ。

 物語内に書かれていることと矛盾した世界は作れないが、書かれてさえいなければ――


 整合性をとるためなら。

 世界は、原作そのままでは不都合不可解と思われる”穴”を埋めるために都合の良い設定を創り出す。

 あくまでも、不自然なことがないように、自然に設定の穴を埋めていく。

 

「悪役の存在は物語にとってとても大切な要素だって思います。

 その根底の要素が第三者の説得によって簡単に覆るようなものでは――物語が成立しない、つまり破綻。

 そもそも復讐心で動かれる方だったとしても、必ず! 何回やり直すことになっても、絶対に世界を滅ぼす! って相当な決意や事情がいるでしょうし……

 現に王子はそこまで確固たる動機を持っていない」

 

 ぶつぶつ、と彼女は自分の考えをまとめるように口の端に乗せる。

 

「”同じ時間軸で同じようなことを繰り返す”世界なんですよね?

 その上で、必ず在学中に王子が悪魔になってしまう原因――、一体何なんでしょうね。うーん……この世界は、どんな理由をつけて王子を悪役に……」


 繰り返す世界という性質を踏まえたリゼの意見は新鮮だった。

 確かに同じ世界とは言っても、それぞれのイベントは一言一句同じものではない。

 周回の度、主人公の行動によって周囲も変わっていくことがあるはずだ。


 デジタルデータを読み込むようにはいくまい。

 皆、生きている。

 何かがきっかけで、考えを変えたり行動を変えたりするか分からない。

 ――でも、最終的にエンディングに収束していく流れはそのままに再現性の高い世界を創りださなければいけない。

 言われてみれば、難しい。

 毎回同じような時に同じような出来事が起こり、大きな決断が下される世界を構築しなければいけない。


 主人公がどの攻略対象を選ぶかから、既に分岐している。

 無数の分岐のどれを選んでも向かう共通ストーリーは同じ、イベントも起きる。



 結末が真エンディングでなかったとしても、どのエンディングに至ろうが隊商襲撃イベントが発生する以上悪役は存在しているはずだ。


 主人公がどんな行動、選択をしようが――必ず悪役が存在しなければいけない。

 主人公の選択に影響されない、王子以外の”本当の悪役”が必要。

 


「物語の都合上、王子は最後の敵にならないといけない事は決定事項。


 アレク様やリナが言うように世界が巻き戻ってやり直すとして、王子の人間性が変わっていない以上、ご自身の判断で悪魔に身をゆだねることはないでしょう。

 毎回必ず何者かに王子は悪魔になる役を押し付けられてしまうってことですよね?


 ――王子を悪魔にしてでもこの世界を滅ぼしたい勢力? がいるとか、そんな設定を勝手に作って王子が毎回悪魔にさせられる理由にした……という事なのかなぁ、と。


 でも……結局悪魔は聖女に倒されてしまうわけじゃないですか。

 この世界を創った神だか創造主だかが、物語内で説明されてない”王子が殺される理由”を創った? って、一瞬過ぎったんですよね。

 王子暗殺計画と言えなくもない、そう感じました」

 



 ――壮大な、世界による王子暗殺計画……?




 いや、矛盾している箇所もある。


 リゼの発言に、カサンドラだけではなく王子とアレクも思うことがあったのか厳しい貌のまま黙した。


 勿論リゼの話は、感想の域を出ない。

 彼女の抱いた、パッと聞いた限りの印象論。

 まだまだ考えなければいけない要素は沢山あるが……繰り返す世界、という条件ももっと踏み込んで考えていく必要があるだろう。

 



 王子を殺す……

 そこに大きな意味がある……?




 何かに近づいた、そんな手ごたえをカサンドラは感じた。

 でも分からない事だらけだ。

 そもそも、検証が出来ない。

 仮説を立てていくしかないのか。





「あ、今はそんな真偽の分からないことより、早く支度して発たないと……!」


「分かりました、これから出立の手配をします、一緒に来てください。

 姉上、兄様。

 僕達は支度に向かいます!」




 慌て、顔を蒼褪めさせるリゼを引き連れ、忙しなくアレクは応接室から出て行った。


 

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