第424話 小休止



 昨日、カサンドラが伝えた話を基にそこまで実際に行動が出来る王子にカサンドラは驚いた。

 それはアレクも同じだったのだろう。


「……兄様、僕や彼女が姉上の話を事前に聞いていたから良いとして……

 もしも何も知らないままだったらどうするんですか。

 重大な事をペラペラと」


 婚約者であるカサンドラの屋敷に入り込み、急に押し掛けて藪から棒に変な事を騒ぎ立てる不審人物と見做されてもおかしくはない。


「ジェイクのことが差し迫っている、時間的余裕はない。

 可能な限り早く――出来れば今日、フォスターの三つ子に直接話をするべきだと思った。

 この場にリナ君がいるのなら、いっそ巻き込んでしまった方が良いのではないかと判断しただけだ。

 キャシーには事後報告で申し訳ないけれど」


 彼は彼なりに、物語の未来を変えたいと自分で動き、そしてとんでもない情報を強いれてしまった。一刻を争う事態だと判断したのは間違っていない。


 時機を見て主人公一人一人を説得し、味方に引き入れるような悠長な事をしている場合ではないと。

 今日カサンドラの家に集まるように仕向けたのだという。

 その大胆な行動力はカサンドラの持っていないものだ、思い切りの良さに驚くと同時に頼もしさを感じた。


「王子のお力添えに感謝いたします。

 ですが王子は、アレクやリナさんの『不思議な体験』をご存知ではありません。

 リゼさん達が到着する前に、わたくし達も情報を整理する意味でもう一度確認したいと思います。

 どうか王子も一緒にお聴きください」


「不思議な体験?」


 彼は驚いたように、眉の角度を少し跳ね上げた。


「はい。

 お話をお聞きする限り、わたくしのように異世界から喚ばれたわけではないとのことです。

 ……この世界を幾度も繰り返す、『逆行』経験者のお二人です」



 とりあえず掻い摘んで、アレク達がこの世界を何度も経験し、繰り返しているのだという状況を改めて説明する。

 流石に予想を上回る新情報だったのだろう、彼は絶句したように口元を手で覆う。



「……成程。

 先程はリゼ君達を蚊帳の外だと言ったはいいけれど、先ほどまでの私もその状況に近かったようだね」


 彼は苦笑し、小さな吐息を漏らした。


 だが彼の焦燥感、そして事前の行動を考えればのんびりとアレクやリナの説明を聞いている場合ではなかっただろう。

 まずは目の前に差し迫った障害イベントのことを共有したいのは当然だ。


「とんでもないです、王子!

 騎士団からそのような情報を聞き出す事が出来たのは王子だけです!

 ……調べて下さってありがとうございます」


「リナさんの仰る通りです、確かに世界が巻き戻るということは信じられない大きな情報ですけれども。

 何よりまず未来を変えることが最優先、そのために王子は東奔西走してくださったのですから」


 一年以上先に配置されたイベントだと完全に油断していたところがあったと思う。

 ジェイク達が陰謀に巻き込まれるのは来年以降だ、という固定観念が視界を曇らせていたとしか思えない。


 だが王子は一度大まかな流れを聞いただけだが、記したメモの要素を抜き取って現状と照らし合わせて判断したのだ。


 もしも彼が気のせいだと見過ごしていれば……

 アンディの救援が間に合うか間に合わないかという話にさえならなかった。


 ジェイクが学園に再び姿を見せる時は、大切な友人を亡くしてしまった後――取り返しがつかない事態が生じた後。

 後で彼から話を聞いて、大きな衝撃を受けただろう。

 そういうイベントが起こるということは知っていたのに……

 気づけなかった、防げなかった、と。


 もっと早く気づいていれば助けることが出来たかもしれないのにと、後悔することしか出来なかったはずだ。


 誰にも詳細を告げないまま秘密裏にこっそりとジェイクが戦地に赴いていたというなら、騎士団に伝手のない自分に止める手立てなどない。

 まだ間に合うかもしれないという状況で踏みとどまっていられるのは王子のおかげだ。


 先入観って怖いなぁ、とカサンドラはぞっと背筋を震わせる。

 何周も同じゲームを続けて遊んでいると、つい惰性に感じてしまったり同じイベントはスキップで飛ばしてしまったり。

 ”こういうものだ”と勝手に植え付けられた先入観を、一体どれだけ持っているのだろう。


 油断を見えない存在に暴かれた気がして、悪寒が走った。



「兄様、自分を殺すかもしれない相手と手を結ぼうなんてよく思えましたね」


 ややぶっきらぼうに、アレクは言う。呆れ顔で、でもどこか納得できていない顔だ。

 聖女に何度倒されてきたと思ってるんです?

 口には出さずとも、そんな想いが伝わってくる。



「敵だとか味方だとか、考えもしなかった。

 そうか、そういう発想もあるのか」


「兄様は覚えていないから、危機感薄いかもしれませんけれどね?」


 何故かアレクは少し拗ねた様子である。

 彼からしてみれば、今まで何度も兄を殺さざるを得なかった相手ということで、色々思うことがある。

 それが嫌で助けて欲しいと願った、異世界にいた自分を呼び寄せる程強い想いだったのだ。


 だというのに、肝心の王子はこの事態を打開するには三つ子の理解と協力は不可欠だと早々に判断して声を掛けたというではないか。

 あまりに割り切った判断ぶりに、逆にアレクの方が蟠ってしまうのも無理はない。



「――分かってもらえると思った」


 きょとんとした顔をした後、彼はぽつりと漏らす。



「去年、お茶会に呼んだメンバー皆、大切な友人だ。

 事情を話せば分かり合えると思っているからね」


 自分が王子の立場だったら、果たしてどんな気持ちになるのだろうか。


 覚えていないことだと言われればそれまでだが……

 いきなりこの先自分が悪役として悪魔に意識や自我、身体を乗っ取られてしまうと言われて嫌な気持ちになるかもしれない。

 本気で信じていたら僅かでも恐怖を抱くだろう。

 その際、最終的に自分を斬ると『定められている』相手を前に、全く警戒心もなく普通でいられるだろうか。



「リナ君も、そんな状況で誰にも言わずに過ごしていたのは辛かっただろう?」


「え?

 い、いえ。私は……その、信じてもらう方法も無かったですし!

 それに信じてもらえたとしても、どうすればいいのかも雲を掴むような話です。

 リタ達に言っても、不安にさせるだけ……」


 リナは小さく握りしめた手を、胸元に添えて視線を床に落とした。

 完全に過去の周回記憶を思い出した今と違い、漠然とした既視感に悩んでいるだけだった。

 その状況で相談をしたとしても何も変わらないどころか、いたずらに姉を困惑させ心配させることになる。


 それならいっそ、自分一人が抱え、動くしかない! という想いはとても共感できるものであった。


 不安にさせたくない。

 信じてもらえなかったらどうしよう。

 信じてもらえても、何もわからない。

 怖いという感情を共有するだけ。

 知らなければ心配もなく、幸せでいられたのに。


「私は……不安はありましたが、決して寂しくなかったです。

 リゼやリタがいてくれて、カサンドラ様達もずっと善くして下さいました。

 私はこの環境を自分で壊すのが怖くて、自分の意志で黙っていることを選んだのです」


 今がとても居心地が良いと、それを壊して先に進むことが怖くなる。

 自分の言動のせいでどこかにヒビが入ったり、望まない方向へ変わっていくことは耐え難い。

 出来れば今のままで。

 自分さえ沈黙を守れば、幸せな日常がこれまで通り過ごせる。そう思えば下手な事は言えない。


 仮初の日常でも、とっても楽しかった。

 皆で過ごした思い出は大切な宝物だ。



 薄氷の上でも、均衡がとれているなら身勝手に動いて足元の氷を割りたくない。

 違う世界に堕ちたくない。


 王子もカサンドラも、その気持ちには心当たりがあり過ぎる。


「そんな私とは違い、真実に気づいて欲しくても言えなかった……

 アレク様の方がよっぽど辛かったと思います!」


 急に話の矛先を向けられ、アレクは肩を跳ね上げた。


「まぁ、僕は何も出来ないって諦めてたところもありますし。

 最初から干渉できないって諦めてると、ある程度気は楽なんですよ」


 どうにかしたいと足掻いて焦っていた時は苦しかったが、傍観者に徹するしかないと諦観すれば「仕方がない」と自分を納得させることは出来たのだとアレクはいう。


「知っていることを伝えようとすると体調が悪くなると仰っていましたが、その、今は大丈夫……なのですか?」


 恐る恐るリナが尋ねる。


「ええ、何ともありません。

 不思議ですよね、僕は――昨日、姉上に望まれて初めて、この世界に居場所が出来た気がしました。

 言いたいことが何でも言えるって良いですね」


 それまで見えない障壁バリアに干渉を阻まれていたような、同じ場所にいたはずなのに遠い存在でしかいられなかった。

 アレクの正直な言葉、そしてようやく見せた笑顔にリナは胸を撫でおろす。


「良かったです」


「一々過去のことを話そうとする度に大風邪をひいて寝込むのは、嫌ですしね」


「アレク、再び同じ状況になっとしても、わたくしはまたいつでも看病に励みます!

 心配することはありません!」


「それが嫌なんですよ!

 屈辱ですよ、この歳になってまで食事を食べさせてもらうなんて……!

 どれだけ恥ずかしかったか」


 一生の不覚、とばかりに勢いを込めてアレクは反抗してくる。

 病床にいた時の弱弱しさとは全く違う、小賢しく生意気ざかりの年の離れた義弟。

 今思えば、彼が大人びているのは……過去の暗殺事件からレンドール家の養子になったという波乱万丈の経験だけではなく。

 何度も同じ時間軸を経験させられ、それを見守ることしか出来ずに終始諦めるしか出来なかった。

 いわば悟りの境地に至っていたからかも知れないとようやく納得できたのだが……



「ちょっと良いかな」


「何ですか兄様?

 そう言えば、残りの”主人公”はまだ来ないようですが、本当に来てくれるのでしょうか」


「……彼女達への伝言はグリムに任せているから心配はしなくても良いよ。

 それより、今言った看病とは一体……?

 私には初耳なのだけど」


 先ほどまでと同じ微笑みを讃えているのだけれど、何故かその笑顔に影が射しているようでアレクは再度両肩をビクッと跳ね上げる。

 




「えっ。

 いえ、それは別に大したことでは」


「……是非とも詳しく聞かせてもらいたい話だね」


「勘弁してください」


 もしかして自分は余計な事を言ってしまったのだろうか、と一瞬顔が青くなる。

 看病如きでいちいち何か言われることはないと思っていたのだけれど……



 兄弟二人のやりとりを傍で見守っていたリナは、それまで緊張していた気持ちが解れたのだろうか。

 ふふ、と笑う。

 穏やかで優しい眼差しは、いつもの彼女そのものだ。


 例え彼女が過去に何を体験していたとしても、どんな記憶を持っていたとしても。

 彼女自身が変わってしまったわけではない。

 関係性が壊れる、変わる、ということを恐れ過ぎるのは相手を信用していないのと同じことなのかも知れないな、と感じた。



「お二人とも、本当に仲が宜しいのですね」


 リナの言う通り、長く離れていて最近再会したばかり。

 兄弟として過ごした時は決して多くないのに、二人の間には血の繋がっていない自分では入り込めない強い絆を感じる。


「そうですね」




 王子と他愛ない軽口を言い合えるアレクが、少し羨ましいと思ってしまった。






 ※





 応接室で簡単に手で抓める食事をテーブルの上に用意させる。

 王子がリゼ達にここに集まるよう伝言を頼んでいるとすれば、いつ彼女達が訪れても不思議ではない。


 壁掛け時計の振り子が「ボーンボーン」と音を出し、現在時刻を皆に告げる。


 もう七時を過ぎたのか、とカサンドラは窓の外に視線を遣る。

 馬で移動が出来る王子と違い、リゼ達がレンドール邸まで訪れるなら徒歩になってしまう。



 カサンドラが焦ってもしょうがないとは言え、彼女達の到着を今か今かと待ちわびる。


 内密とは言え、王子の指示だ。

 それを無視して部屋でゴロゴロしているわけはないと思うが――







「お嬢様、アレク様。

 同級生と名乗られる女性が二名お訪ねになりましたが、こちらまでお通ししても宜しいですか?」





 カサンドラは反射的に椅子から立ち上がり、返事をする時間も惜しく扉に向かう。





「委細構わずお連れするよう、お願いします」








  緊張の糸が室内の隅々まで張り巡らされる。







 まだ、これからだ。


 実際にアンディの身に迫る危険を回避出来たとしたら――何かが変わるかもしれない。



 間に合わなければ? なんて、今は考えない。



 この『イベント』ごと”潰す”ことが出来る人物がいるとすれば。

 彼女以外に適役はいないだろうという、その気持ちはカサンドラも同じであった。



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