第423話 運命力


 全く何の前触れもなく、王子がレンドール別邸の応接室まで直接やってきた。

 その事実は否が応でもカサンドラの心を掻き乱す。


 常識や礼儀を重んじるはずの王子が、家令のフェルナンドに無理を言ってここまで押し入って来たという事実に困惑が隠せない。

 王子は真っ先にカサンドラの前に駆け寄ってきたが、その場にアレクと――そしてリナがいるということに若干の動揺を示す。


 勿論、リナなどは完全に思考停止状態で石像のように固まっていた。


「兄様、どうされたのですか?」


 アレクに腕をツンツンと小突かれ、王子もようやく言葉を取り戻す。


「どうしても明日まで待つことが出来なくてね。

 リナ君がいるということは……

 ここで話しても良いということだろうか」


 彼の視線はこの場にいるとは思っていなかったリナにしばらく釘付けだった。

 だがアレクが躊躇なく”兄”と呼んだ事で、事細かい時系列を説明しなくても何となく悟ってくれたようだ。

 この物語で鍵となるだろう、『聖女』の力を持つ主人公の一人。

 しかしこうしてアレクと共に一堂に会しているのだ、敵性な存在でないとすぐに理解してもらえて有難い。




「――ジェイクに纏わる『物語』が動いた可能性が高い。そう判断せざるを得ず、一刻を争う事態だと考えこのような訪問になってしまった」



 王子の真剣な眼差しにドキドキしている場合ではない。

 焦燥感に衝き動かされ、ここまで辿り着いた王子の持ってくる情報だ。

 余程抜き差しならない事態が起こったのだろうとは考えたが、まさか、とカサンドラは目を瞠った。


「ジェイク様の……?」


「今週、ジェイクはずっと学園を欠席しているだろう」


「はい。

 確かお家の事情でお休みと先生は仰っていましたね」


 以前にもジェイクが何日も連続で休みをとることはあった。

 ロンバルド家の事情に敢えて突っ込んだ質問をするようなクラスメイトはいないし、担任の教師でさえ細かな事情など知らされていないはずだ。


「ラルフも同じ日、事情があって休んでいた。

 彼は普通に翌日から登校していたし、変わった様子も見受けられない」


 確か飼っていた犬が亡くなってしまって、どうしても一度実家に帰りたいという内輪の話だったように記憶している。

 ラルフが動物好きで実家に何頭も犬を飼っているのは知っているし、もしも長く一緒に過ごしていた犬が死んでしまったら――家庭の事情と誤魔化してでも家に帰りたくなることは容易に想像がついた。


「だからジェイクも今まで通り家庭の事情で休んでいるのだろうと思っていたのだけれどね。

 昨日キャシーから聞いた”物語”を聞いてどうしても気がかりで仕方なくなった。

 今日、ジェイクの安否を確認する意味も込め、騎士団に顔を出してきたんだ」


 攻略対象である王子の友人達に起こるであろう、悲劇。

 それをカサンドラから昨夜聞いた王子は、当然色んな事を想像したし考えたのだろう。ジェイクが数日欠席している事、そして騎士団が何やらいつもと違う雰囲気であることも気になったようだ。


「ジェイクは騎士団の都合、ティルサの内乱の増援という形で発った後らしい。

 物語内では、東部地方で大きな内乱が起こり――ジェイクと同じ戦地にいた大事な友人が彼の目の前で殺されてしまうのだと、君は言ったね」


「は、はい。

 確かに申し上げました」


「ティルサはね、先月アンディが派遣された場所なんだ。

 地方任官自体は、騎士団ではよくある話だけれど。


 先日、予想外のアクシデントが起こりティルサ駐屯中の騎士達が中央に救援を要請したと聞いた。

 よりによって、そこで向かったのがジェイクだ。

 ………偶然だと思うかい?」



「それは……でも、おかしいです!

 三年目に起こるイベントのはず、あまりにも早すぎます」


 恋愛イベントの一つではあるが、最後の年に起こる事件のはずだ。

 不穏な空気が国内に蔓延する前の今、考えても時期が早いとしか言えない。


 ゲーム内で、普通に学園生活を楽しんでいる頃合いではないか。

 普通に学園生活過ごしている王子があまりにも変わらない様子、態度だったから周回プレイ中不気味で怖いと感じた事を今でもよく覚えている。

 この笑顔の裏で何をやっているのだ、と背筋が震えたわけで。


 だがいきなり、こんなに重要案件が打ち上げられるなんて……

 原作のゲームにはなかったことだ。


「カサンドラ様の仰る通り、ジェイク様方の身に起こる出来事は最上級生で起こったこと……だったと、思います。

 でも隊商襲撃の件も、言われてみれば発生が早すぎるような気がします。

 ええと、二年目の生誕祭の後、夏休み前のことだったのでは……?」


 リナも呆然と立ち尽くし、何度もぶつぶつと小声で呟く。

 自分の記憶の一つ一つを総浚いし、確認していくように。



「全ての事件が前倒しに発生しているんでしょうか。

 では、何者かにとって事件を早く起こさなければいけない理由が出来た?

 先延ばしにすると都合が悪い……?」


 アレクも渋面を作り、足の先でタンタン、と絨毯を叩きながら落ち着かない様子だ。

 こういう時、全員が今後起こることを把握していると言うのは話が早くて助かる。



 アンディはジェイクにとって信用が置ける親しい間柄だったはず。

 将来の右腕であることは誰もが認めるところだっただろうし、なんだかんだ彼は”アンディ”の望みだったからミランダとの仲を取り持ったようなものだ。

 経緯・やり方は今でもどうかと思うけれども。

 彼の恋愛事情に興味を示して協力してやろうとするくらい、近い存在だったということだ。


 彼が目の前で死んでしまえば、心に大きな傷を負う事になるだろう。

 ああ――

 この世界で事件の犠牲者に選ばれるのならアンディは 確かに”都合がいい”。


「物語の中では、”私”がアンディを死なせてしまったことになっているのだろう?

 それが事実ならジェイクに恨まれてもしょうがないかも知れないけれど、当然私は関わっていない」




 内乱をけしかけ起こしたのは、原作では王子だった。

 大きな地方都市が武力蜂起することで、現状に不満のある村や町、領地を抱える貴族も連鎖的に反乱を起こしていく。

 国の求心力は低下し、力は削がれ、国全体が徐々に混乱の一途を辿る。


 ――それまで大人しくしていた魔物が勢いを得、暴れ出す。

 更に人々の生活は脅かされることになる。

  


 王子という立場を利用し搦手で内側から狂わせていく。

 魔物が外から、この国を食い破る。



 その過程の一つだ。


 攻略対象の負った大きな哀しみを共に”乗り越える”というのは物語上では必要なものかもしれないが、悪く言えば踏み台ではないか。そちら側を強いられる方はたまったものじゃない。



「場所も、人物も、状況も一致しています。

 時期こそ違いますが、隊商襲撃も前倒しになっている以上――

 王子の御懸念は間違いでないとわたくしは思います」


 なんてことだ。

 こんなに時間的猶予がないなんて、想定の範囲外だ。



 王子が急いでカサンドラに接触を計ってきた理由も、痛い程よくわかる。

 カサンドラが逆の立場でも、男子寮に特攻していたかもしれない。


 このまま黙って見過ごしてしまえば、アンディが物語の進行上避けられない”死”を迎えてしまう……!?

 



  冗談じゃない!




 カサンドラの脳裏に、ミランダの姿が思い浮かぶ。

 卒業したら彼と結婚するのだと、あんなに幸せそうだったのに。

 このままストーリーが進行すれば、二度と彼女はアンディと会うこともできないし話をすることもできないという事?



 ……そんな残酷な結末、絶対に認めたくない。




「急いでジェイク様の後を追いかけ、何者かの抱く企みを阻止するべきです!」


 もしも単なる家庭の事情だからと気づくのが遅れてしまったら、止める機会も無かっただろう。

 まだ……

 まだ、間に合うのではないか!?


 もう事が起こってしまった後?

 そんなの嫌だ! ミランダの恋人が死んでしまうなど信じたくない。


「勿論そうしたい。

 ……できることならね」


「王子?」


「ティルサの件、本当に情報のガードが固かったよ。

 運よく聞き出すことが出来たものの、騎士団の中でも事情を知らない者もいる。

 ――秘匿情報のようだ。

 私が軍を引き連れて援護に行ける状況ではない。

 第一、そんな悠長なことをしていては間に合わないだろうね」


「……。」



 王国の剣盾の象徴、騎士団。




 王子の身辺警護はいつも騎士団の仕事だったし、騎士団に属するジェイクの義務でもあったのだ。

 騎士団が兵を出すことをすんなり受け入れて軍を動かしてくれるだろうか。

 王子にさえ隠し通そうと、ジェイクの行方を公言していないというのに。


 それに、本当に偶然ではなく何者かの意図を以てこの事件が引き起こされてしまえば……

 現場に王子が行って、間に合えばいい、彼はヒーローになれるかもしれない。


 しかしアンディを救うのに間に合わず、そこに居合わせた王子が物語通りに黒幕であり事件を起こした張本人だと見做されてしまうのではないか。

 物語内の真相究明で、証拠の一つだと証言が挙げられたように……


 そうまで考え、「あれ?」と。些細ではあるが、微かな違和感にカサンドラは襲われる。モヤのようなものが、視界にかかった。



「では、僕が!

 僕が救援に向かいます!」


 このまま話をしている、一分一秒の差で彼の命の灯が消えようとしているというなら。

 問答など無用だ、とばかりにアレクは叫んだ。



 彼は本気でそう言っている。

 アレクならこの事態、自由に動いて打開できるというのだろうか。



 王子はアレクの提案に頷くことも首を横に振ることもせず、静かに自分とリナの方に向き直って尋ねる。



「君達は、どう思う?」 



 どう思うと問われても……


 アンディの身に危険が迫っていることは確かなのだろうし、カサンドラの屋敷に集まったところで実際に手を差し伸べ助けるのは不可能だ。

 誰かがこの事態をアンディかジェイクに伝え、危険を回避してもらう必要がある。


 しかも、軍を整え用意して……なんて、そんな余裕もない。

 それこそ今すぐ発たなければ、間一髪で守れないかも知れない。


 

 アンディを助ける……。

 果たしてアレクにそれが可能なのだろうか。



「私はね、もしアンディを救うことが出来れば……間にあったら。

 キャシーの知っている”結末”を変えるきっかけになるのではないかと思うんだ」


 王子はそう言葉を続けた。


 未来を変える――

 それはカサンドラが試みてきたことだ。

 思いが通じ、彼の本心を聞くことが出来、ようやく未来を変えられたと思ったのに結局物語は本来向かうべき方向に向かっているではないか。


 変わったはずの未来が変わらなかった。

 起こってはいけない未来が起こってしまった。


 今の段階で結末は変わっていない……

 それを、変えられる?


「確かに……

 お話の中で、とても大きな出来事です。

 もしも発生を止める事が出来れば、わたくし達が向かう結末も変わるかもしれません」


「それだけではなく、もしも阻止できて……

 ジェイク様達が私達の言うことを信じて下さるのなら、この先の展開は全く違うものになりませんか?」


 このまま事が進んでしまえば、ジェイクはアンディの死、という消せない負の出来事を抱えてしまうことになる。

 でも彼が助かることが出来れば、イベントの中身は全く違うものになってしまうわけだ。


 今までフラグイベントは事細かい内容がゲーム内のものと同じわけではないが、結果は同じ、というアバウトさで進んでいたと思う。

 生誕祭にせよ、武術大会でのリゼの恋愛イベントにせよ。


 だが今回アンディが助かれば、”人の生死の差”という覆しようのない結果が違う。

 アバウトに同じと言えない。もはやイベント失敗という状態だ。

 本来は選択肢もなく彼から「結果を知らされる」イベントが――結果そのものが変わってしまうのだから、未来はハッキリと変わると言えるのではないか。


 リナの言う通り最終的に聖女とともに剣を向けてくる攻略対象が今後全く違う考えのもとに動けば?

 少なくとも王子が倒されるという未来が起こらなくなるのではないか。


「全ては憶測ですし、都合よくいくのでしょうか」 


 それにカサンドラや王子から話を聞いただけで、ほいほい簡単に信じてくれるような状況なら最初から苦労はしなかった。


 王子やアレクが自分の言うことを全面的に信じてくれたのは、それだけの信頼関係があったから。

 信じがたいことも全部受け入れて真面目に考えてくれるだけの素地があって初めて打ち明ける事ができたものだ。


 リナが信じてくれたのは、彼女自身が既視感という何度も同じ時間軸を繰り返しているという疑問、体験が基にあったからなのだ。



「分からない。

 だけどキャシー、この世界は君のいた世界で創られた物語を基にし、創造された世界だと言ったね。

 物語には当然主人公がいて、フォスターの三つ子がそれにあたるのだと」



 物語には主人公がいなければ始まらない。

 主人公が架空のファンタジー世界で恋をするために創られた物語が最初にあった。それを基に構築したとしか思えない、この世界。

 


「……果たして、どちらが強い存在なんだろうか。

 世界? それとも、主人公?」





   世界ストーリーのために在る主人公コマか、主人公のために存在する世界ストーリーか。





 事実、恋をする彼女達の想いが働いたとしか思えない『偶然』は、この世界に数え切れないほどあった。

 あんな広い街で偶然バッタリ出会う確率など低いはずなのに。

 何度も、引き寄せられるように。


 必然とも呼べる邂逅を繰り返し時を過ごし、親しくなっていった。




 いつかカサンドラが勝手に呼んでいた、主人公の持つ運命力・・・がそれにあたるのではないか。


 どこまで世界の筋書きに干渉、抵抗できるのかは分からないけれど……

 どちらが強いか、と賭けてみたくなる王子の気持ちは分かる。

 


 主人公のためにある世界なら。

 筋書きそのものを、自分の強く望む方向へ変えることが出来るのではないか?



 ……だが文字通り、賭けだ。それも分が悪そうに思える。


 この世界を神と呼ばれる存在が創ったとしたら、やはり創られた存在の自分達の方が下位に位置するような気がする。

 世界観という設定の下に置かれ、永遠に同じ物語を繰り返していくしかないのだろうか。


 いや、自分達は意思を以て生きている。

 チェスのコマでも、ゲームの操作キャラクタでもない!

 皆自分の意志でここに集まってそれぞれ悩んでいる。



「ここに来る前、私は一度寮に戻って彼女を呼んでもらうよう手配してきたから――

 もうしばらくしたら、訪ねてくるのではないかな。


 この状況を何とかできる人物を城から帰還する道中考えていたけれど、彼女しか思いつかなかったからね」




「えっ!?

 王子、もしかして、リゼに声をお掛けになったのですか!?」



 リナは珍しく素っ頓狂な声を上げて頭を押さえた。

 彼女はずっと一人で、誰にも言えない事情を抱えて生活していた。

 三つ子の姉達にさえ相談できない、と。







「……ジェイク達の窮状を救うにしても、話を信じてもらうにしても、彼女達の存在はとても大きなものだと思う。

 彼女達も主人公の一人だとキャシーは言ったはずだ。

 この期に及んで、いつまでも蚊帳の外でいてもらうわけにもいかないだろう」





 ただし、彼女が信じてくれなければ――迷いが見えるなら。

 その時は無駄でも無意味でも、僕がティルサに行きます、と。

 アレクは強く強く、そう申し出た。




 この世界の未来を変えたいという想いは、ここにいる皆同じだ。

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