第422話 急転直下
リナの話を聞くことが出来て良かった、とカサンドラの感情は安堵に満ちる。
確かに彼女の話は中々言い出せたことではない、突拍子も無さそうな話だ。
この世界が魔法や神や精霊と言う不思議な力が存在することは周知の事実。
だがしかし、自分達が延々とひたすら同じ時を繰り返し切り取られた時間軸の中に”閉じ込められている”という現実は、信じる信じない以前に信じたくない。
人は未来という方向に向かって進む生き物だ。
それが知らないところで記憶を白紙に戻されループするなんて言われて、「はいそうですか」と納得できる人間の方が少ないだろう。
過去、経験、体験、記憶を失い、軌跡を無かったことにされるなら――今の自分が、消えてしまう。
死んでしまうのと変わりはないのでは?
今から二年も経たず生きている人間が全員死に絶えますよ、と予言するようなものか。
パニックなく受け入れられる方が不思議な話だ。
そもそもリナの話を聞く限りでは、戻されているという自覚があるのはリナだけで――
過去彼女が体験した世界の中に、リナを欠いた状態で全員普通に未来に進んでいるという世界線がないとも限らない。
全ては、個人の体験、憶測、推測――感覚。
形にならないものゆえ、理解されないと思い込み一層孤独感が増していく。
「カサンドラ様はどうして、私の話をすぐに信じて下さったのですか?」
横に腰を下ろし、淹れなおさせたハーブティで冷えた心身を暖めるリナ。
彼女は少し遠慮がちに、カサンドラに話しかけてきた。
そわそわした様子から、もしかしてカサンドラも彼女と同じ『繰り返し』経験者なのかと期待しているのが窺える。
まぁ、同じ体験をしていないとすぐに受け入れられないだろうという考えは強ち間違っているわけではない。
「勿論、大きな要因があります。
今度はわたくしの体験をお話する番でしょう」
第一声でアレクと言う逆行経験者の話をするより、まずは自分の身に起こった不可思議な事象を彼女に分かってもらわなくてはいけない。
互いにわけのわからない超常現象の真っただ中、嘘偽りや誤魔化しなしの直球勝負だ。
「是非、お聞かせください」
カサンドラの口ぶりから、自分とは異なったケースだとすぐに分かったのだろう。
リナも表情を引き締めて威儀を正し、こちらを見つめてくる。
ああ、今度はリナに対して『乙女ゲーム』の説明をしないといけないのか。
一体自分は正味何度、この口にし辛い話を当事者たちに話して行かなければいけないのだろう。
悲しいことに、説明だけは慣れていく。
この世界には存在しないゲームという遊戯、選択肢や分岐のある物語を”外側”から眺めて遊ぶこと。
真面目に説明すればするほどリナは呆気にとられ、次第にポカンと口を開けてしまう。
目を白黒させ、俄かに理解しがたいのか顔は青に近かった。
この世界自体が、別の世界で創られた物語をベースに構築された世界だということと。
同じ時間軸を繰り返しているということと。
一体どちらがより信じがたい話かと言われれば、似たり寄ったりの荒唐無稽さ加減である。
リナは直前に自分の言った事をカサンドラが無条件に受け入れたという前提があるので、カサンドラの話が信じがたいと感じても何とか咀嚼し呑み込むように努力しているように見えた。
この先のストーリーを知っているということは、互いに同じだ。
王子がこの先辿る過程を、見てきたことのように話すことが出来る。
ジェイクのこと、ラルフのこと、シリウスのこと。
彼らが誰にも明かさなかった”状況”も、当然把握しているので――答え合わせは完璧と言って良い。
この一年の間に失いつつある攻略情報が、リナの言葉によって再び補強されていくのを実感する。
物語の完全に外側にいたアレクとは違って攻略を続けてきたリナの言葉は一つ一つの思い出と言う名のイベントを想起させるものだった。
彼女はカサンドラのように異世界から召喚された記憶を持った少女と言うわけではなかったが、知識は自分と同等か自分以上に深い。
当然だ、遊んでいる傍観者だったプレイヤーと、その日その日を一生懸命、現実をリアルに生きていた主人公では重みから全く違う。
カサンドラの場合、リナ視点のイベントだけではなくリタやリゼのパターンも知っている、という知識的アドバンテージがあるだけだ。
しかし、この先起こることを分かってくれる人がいる人が一人でも増えるのは、とても心強いことだと思った。
ゲームという一つの作品、原作。
概念を理解してもらうのは大変だが、既に説明も三回目だ。
それなりにスラスラと、臆面もない直截的な言葉を交えて話が出来るようになっていた。
「そう……だったのですね。
カサンドラ様は物語の結末を変えるために、今まで人知れず努力されていたなんて」
「結局現状に至ってしまったことは言葉もないほど、悔やまれることです。
考えが及ばなかったとしか申し上げられません」
「いえ……。
ああ、ですがようやくあの時感じた違和感の理由が分かりました」
リナはポン、と手を打った。
「?」
「リゼやリタ、そして私が――
好きな人と上手くいくために、どういう努力をすればいいのか。
思い返せば、カサンドラ様は全てご存知だったのですね」
三つ子同士好きな相手が被らなかったことは幸いだが、まさかのそれぞれ最も相性の悪い相手に惚れてしまったと聞いて絶句した。
このまま座して見ているだけでは彼女達の恋愛が上手くいくことはないのではないか、と。
乙女ゲームを嗜む者としてのセオリーに相手の好きな分野のパラメータ一点上げ、というものがある。
しかしながら、自分に向いていないと思う分野をなりふり構わず集中するというのはかなり高いハードルだ。
観測者視点ではボタン一つで数字が上がり、その数字管理に楽しみを見い出すものだが……
実際に毎日毎日それを強いられる状況、確たる信念がないと成し遂げることは難しい。
だからアドバイスに至ったわけだ。
「先ほども申し上げた通り、初期相性の悪いお相手でしたので、あのままでは親しくなるのは難しいのではないかと……
差し出がましいとは思いましたが」
「いえ。
私の掘り起こした記憶の中でも、シリウス様に想いが通じたものは少なかったような気がします。
相性が悪いと言われればその通りなのでしょうね」
彼女は納得したように頷いた。
「そしてカサンドラ様のことだけではなくて。
……本来は私が聞くべきではない王家の事情まで教えて頂いて……
もう、本当に何と言っていいのか分からないというのが本音です」
この世界の話だけではない。
カサンドラは誰かに隠し事をするのは嫌だと思っていた。
だから――どうせ一連の話の流れのついでだからと、王子の事、そしてアレクの事情まで全部一気に話すことにしたのだ。
「あれもこれもと欲張ってお伝えしてしまい申し訳ございません」
ただでさえこの世界が繰り返し同じ期間を遊ぶゲームと言う原作世界を基に創られた世界だ、ということに戸惑っているリナ。
そこに追い打ちをかけるように、カサンドラはその異世界からアレクに助けを求められ、何故かこの世界に喚ばれたのだということ。
原因、事情をリナに伝えた。
ハッキリ言って、自分達にはあまりにも情報が足りない。
少しでもこの不思議体験に関わり、信じてもらえる人の助言や意見を揃えたいという事情もあった。
一人で考えても二人で考えても分からないなら、三人、四人、と頭数を増やし視点を変えて状況を把握していく他ない。
そのためには自分達にとって不名誉な、出来れば秘しておきたい事情も開示するべきだ。
出来る限り情報量がフラットであることが望ましい。
言えない秘密を一人で抱えても何の解決にもならないことは、既に身に沁みている。
どんな情報がこの状況の打開策となるのか、それさえ分からないのだ。
ただ、流石に王子が置かれている状況が厳しいものだったとは想像もしていなかったようで、何度も聞き返された。
アレクが王子の殺されかけた実の弟だったという話はこの世界の成り立ちやカサンドラの正体よりも彼女に衝撃を与えたようである。
どちらがリナにとって”より身近な問題であるか”と言われれば、それは王子の、いや王国の在り様だろう。
自分の母を殺し弟と離れ離れにならざるを得ない状況に陥れた人間の息子達と仲の良い友人だ、ということが特に彼女の心に突き刺さったようだ。
『今まで王子は、どんなお気持ちで……』と、彼女は声の調子を落とし、震わせた。
「ありがとうございます、カサンドラ様。
可能であれば、もう少しお話をお伺いしたい……です。
あの、まだ混乱しているところが多くて。
ですが、その前に……」
リナははっきりとした強い意志を以て、再び顔を上げる。
「カサンドラ様の弟君――アレク様にお会いすることは出来ますか?」
「大丈夫だと思います。
あの子も帰宅している時間でしょうし」
気持ちよい返答が出来なかったのは、アレクが今まで会おうと思っても主人公に会うことが出来なかった、という話を聞いていたからだ。
何某かの大いなる力が働いて二人の接触に障害があったなら、ここですんなり会わせることが出来るのか? と。
そもそも、放課後いつも自宅にいるアレクが今日に限ってたまたま外出しているのは偶然ではないのかもしれない。
あまり無理をして接触させることで、彼が体調を崩したり、もっと酷いことになりはしないか、という懸念が顔をのぞかせた。
リナの意思はとても固そうだ。
真っ直ぐで、曇りない眼でアレクに会いたいと懇願されては、その要求を突っぱねることは出来ない。
学園から帰宅し、延々二人で顔を突き合わせて長い間話をしていた。
この一年、リナと二人きりでこんなにも会話をしたことは無かったのではないかというくらい。
壁掛け時計は、既に夕餉の時間に差し掛かろうとしている。
それでもなお、話し足りない。
自分達の現状を互いに伝え合ったのみ。
まだ情報と言う名の小石を、思いつく限り手当たり次第に広い板の上に放り投げていっただけに過ぎない。
例えばこの世界の原作の物語。
カサンドラがこの世界に喚ばれたということ。
主人公が三つ子であること。
繰り返す世界のこと。
隊商を襲うよう指示を出した人間がいるということ。
カサンドラ達を悩ませる事象に直接関係がある事なのか、そうでないのかは分からない。
一つ一つ拾い上げながら、問題解決のヒントになる欠片はないか考えなければいけないのだ。
時間が逆行するのはリナ達が卒業する時だから猶予はあるはずだ。
が、時間はいくらあっても足りないと思う。
折角こうして顔を突き合わせて話が出来るのだから、許される限り彼女と相談したいのはカサンドラも同じである。
「今日は、夕食をこちらの部屋に用意してもらおうと考えています。
アレクも呼んできますので、一緒に食事にしましょう」
「えっ、お夕飯までご馳走になるわけには……」
あわあわと彼女は両手と首を同時に左右に振って動揺を露にする。
「何を仰っているのですか。
出来る事なら今日リナさんに泊まっていただき、お話の続きをしたいと思っているくらいですよ」
「と、とま、泊まり……!?」
明日も通常通り学園は開かれ、通学しなければいけない。
だがこの段に至り、学園の授業や講義に悠長に参加しているだけでは何の解決にもなりそうもないことはカサンドラにも分かる。
あまりにも普段と懸け離れた行動は控えるべきだが、手を
王子は絶対に先日の事件に関わっていないと、カサンドラは信じている。
ならば、他に誰かがいる――はず。
盗賊か野盗の類が単独で勝手に行動を起こした……というだけなら話はその限りではないが、そんな偶然があるだろうか?
果たしてその可能性があるのか、ないのか。
検討を重ねることは大事だと思った。
「わたくし、昨日から夢の中にいるような心地です。
……アレクのことだけでなく、リナさんのお話をお聞きすることができて心強く思います」
屋敷に辿り着いたばかりの時は、ぎこちなかった笑顔。
今のリナは心の底から嬉しそうに朗らかな微笑みを見せていた。
※
カサンドラが思った通りアレクは既に帰宅していたようだ。
彼の部屋に入り、ようやく本人を捕まえる。
リナが屋敷を訪れているから、是非会って話をしてくれないかと彼に申し出た。
「……僕も同席、ですか……」
彼は微妙に挙動不審だった。
綺麗な銀髪が、今だけ少し逆立っているように見える。
「ええ、勿論です。
わたくし、アレクとリナさんの間に入って伝言ゲームをするつもりはないのですよ。
折角の機会、話が出来る時は皆でお話するべきではありませんか」
この物語においてなくてはならない最重要人物、主人公。
畢竟、この世界は彼女達のために存在している。
三つ子が思う存分、恋愛するための舞台。
恋を叶えるため創られた世界。
カサンドラや王子、アレクと言った原作では”誅される側”としての立ち位置では見えてこない景色が見えているかもしれない。
彼女の助力、全面的な協力はこの上なく有難い話であろう。
「分かりました」
元々、アレクは主人公に会いたくないと言っていた。
記憶を持っている、思い出してしまったなら自分達を”敵対する存在”と認識するかもしれない、と警戒していたくらいだし。
リナはそんなアレクの内心など知る由もないが――ここはアレクに我慢してもらうほかない。
何でも話そうと思っていたカサンドラだが、流石にアレクの主人公たる彼女達への蟠りまでは言葉に出来なかった。
彼女だって好きで聖剣を振るって悪魔を退けてきたわけではないのだから。
「個人的なモヤモヤで、僕一人話に参加できず蚊帳の外……って言うのは確かに嫌ですねぇ」
はぁ、と彼は息を落とす。
人払いを済ませた応接室にアレクと一緒に入ると、緊張した面持ちで俯くリナがソファに座っているままなのが見えた。
ゆるゆる、と視線を上げる。
カサンドラより小柄で、アレクの方が彼女の身長に近いだろう。
彼女は静かに立ち上がり、絨毯の模様を靴で踏みしめ。
何とも言えない微妙な面持ちで、カサンドラの後ろから入って来たアレクへと歩みより距離を詰める。
「貴方がクリス王子。
……いえ、アレク様……ですか?」
急に正面から誰何され、もし違ったらどうするつもりなんだ、と彼は面食らう。
他者と見間違える恐れがない程、抜きんでた特別なオーラを放っているのかも知れないけれど。
リナは深く、深く――頭を下げた。
「……。
過去の私は、貴方のお兄様を幾度もこの手にかけて来ました。
本当に申し訳ありません。
……そして……
――カサンドラ様をこの世界に喚んで下さって、ありがとうございます」
アレクはぎゅっと唇を噛み締めた。
目を細め、感情の表出を極力抑えているように見える。
「……。
それが、貴女の役目だったのですから。
しょうがないでしょう」
兄である王子が”死んでしまう”事が嫌で、そんな世界を幾度も繰り返してきたというアレク。
思う事や言いたい事はカサンドラには想像もできないくらい抱えていたのかもしれないが……
やがて彼は、前髪を掻き上げて細く長い息を吐く。
緊張しきっていた身体を、空気を抜いて弛緩させる様に。
「もう、過去はいいんです。
これからの事を考えましょう」
カサンドラからすれば、ずっと同級生、友人として一年間過ごしてきたリナは虫も殺せないような
アレクの目に彼女の姿はどう映ったのだろうか。
若干きまり悪そうに、義弟は視線を逸らした。
リナは心優しい女の子だ。
アレクが自分と同じループ経験者で、そして記憶を持ったまま――と聞いて彼の心情をすぐに汲み取れたのだろう。
共感性が高いのだなぁ、とカサンドラも驚いた。
一緒にいると自分も優しい気持ちになれる女の子だ。
芯の通った優しさに、”攻略対象”は惹かれる。
カサンドラもまた、主人公の一人がリナであったことに心の底からホッとしていると……
和やかなムードに転じかけた一室が、再び、一気に張りつめる。
大変驚いたことに、応接室の扉が忙しなく何度も。
激しい勢いで断続的に叩かれた。
ドンドンドン、と性急にこちらに向かって働きかける音にカサンドラは大きな胸騒ぎを覚える。
「キャシー、大変だ!
急な訪問ですまない、どうか話を聞いてもらえないだろうか」
放課後、用事がある王子と別々に帰宅した。
だからカサンドラは彼がまだ王宮内で気がかりな事を調べている最中かと思っていたのだが。
珍しく、彼の声は焦りが滲んでいた。
館の主の案内なく、ここまで一直線に押し入って来るなど普段の王子がやることではない。
「……王子……!?」
「兄様!?」
余程の緊急事態なのか、と。
カサンドラは慌てて扉に駆け寄った。
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