第418話 向こうから



 主人公リナが、敵?



 全く考えたくない話だった。

 アレクは大袈裟だったとフォローしてくれたが、確かに彼の言うことは一理ある。


 こんな話をパッと聞かされて即座に納得し受け入れてくれることは難しい話だけれど……

 先の展開を知っている主人公が果たして自分の話を前向きに聞いてくれるのであろうか?


 先入観を持たれ、自分や王子が敵対する側だと警戒されてしまえば受け入れてくれることはますます難しいのではないか。

 カサンドラは顔面蒼白状態で喉を鳴らす。


「……沢山の事を話してきて、少し疲れましたね」


 彼は苦笑し、ふぅと大きな息を落とした。


 折角彼が今まで抱えていた事を全て話してくれたのだ。

 自分が求め、お願いしたからかどうかは分からないがようやく一人で抱えることなく言葉にすることが出来たとアレクは喜んでくれた。


 その結果、自分が一人落ち込むことになっては申し訳が立たない。


 リナ達主人公の協力や助力がどういった要素で必要かどうか、現段階では判然としていない。

 そもそもこんな話をして曲がりなりにも信用してもらったとして、だ。

 「では自分達は何をすればいいのか?」など問い返されると言葉に詰まるだけだろう。


「この世界が繰り返さないようにするには、一体どうすればいいのでしょうね。

 元々そういう仕組み?

 でも……何か、方法があると僕は思うんです。

 そうでなければ、『助けて』と願った結果姉上が世界の壁を越え、ここにいらっしゃることの説明がつかないんじゃ……」


 ぶつぶつと彼の独り言が聴こえてきて、顔を上げた。

 状況は絶望的と言っても良い五里霧中。

 だがアレクの目は諦めているようには見えない。

 訳の分からない事態を真面目に考えようとしている姿に、カサンドラも奮い立つ。


 まだ何もしていないのに、「そんなのは嫌だ」と打ちひしがれているのは情けない話だ。


「……。

 最優先事項は、事件の全容を解明する事だとわたくしは思います」


 世界の繰り返しを止める方法は最終的に必要な要素だとしても、今の自分達は無力過ぎる。

 まずは現実に自分が出来ることから働きかけ、少しずつ”この世界”を暴いていくしかないのではないか。


 相手の反応を勝手に想像して、勝手に絶望している場合ではない。

 アレクは――カサンドラがこうして異世界の知識を持って現れた事に大きな意味を見い出してくれているのだ。

 彼にとって、きっと希望に近い存在なのだということが伝わってくる。

 ここで弱気な事ばかり言っては、彼を失望させるだけではないか。


 嫌なイメージを振り払うように、顔を横に振った。


「そう……ですね。

 隊商襲撃の件、兄様が何もしていないという言葉を僕は信じます。

 ですが現実に物語通りの出来事が生じてしまったわけです。

 指示した『誰か』がいるのは間違いありません」


「まずは本当の黒幕を突き止めることが大事だと思うのです。

 覆い隠された真実が、それによって見えてくることもあるでしょう」


 何はなくとも、それが分からないと話にならない。

 王子がこの先無理矢理黒幕の手によって”ラスボス”を押し付けられるという事態だけは絶対に避けなければいけない。それこそ絶望のバッドエンド一直線だ。


 隠された真相が、その人物・・・・を通じて明らかになるかもしれない。


 今はとにかく、情報が欲しい。事情を知って力を貸してくれる味方が欲しい。

 比喩抜きで『世界』を相手取って抗おうというのだ、一人一人に出来る事などたかが知れている。

 いくら先入観を排除してあらゆる可能性を――と言ったところで、視野が急に広がる事など無い。

 

 気づくための”きっかけ”は多いに越したことはないのだ。



「姉上、どうか思い詰めすぎるのだけはやめてくださいね。

 それに、無茶や無謀なことだけは止めましょう。危険なことに首を突っ込むのですから、身の安全だけはどうかくれぐれもご注意を。


 ……僕は――

 例えこの世界をやり直すことになっても、貴女の事は覚えています。

 僕は忘れません。忘れられないんです。

 こうして別の世界から助けに来てくれた人がいるということも、先で起こることも何もかも。

 失敗したら全部無駄! ってわけじゃない……って言うのは、後ろ向きすぎる励まし方かも知れませんけれどね。

 僕は今、この世界で過ごせて良かったって思ってます」


 エンディングを迎えてやり直すことになった世界で、果たして自分がいるのかは分からない。

 そしてこうやって皆で作った思い出を記憶しているのかも分からない。

 忘れたくないし、失くしてしまったもの全部をアレクに持たせたままにしていいわけがないと思う。




 容易く絶望している場合ではないな。





「……わたくし、リナさんにも助力を願おうと思います。

 やはり彼女達に分かってもらわなければ、根本的に解決しない事態ではないかと」





 果たして聞く耳を持ってくれるのだろうか。

 何かの罠だとか、後ろ暗いところがあるのかとか、疑われてしまっては本末転倒だ。




 貴女は誰――と聞かれた時に感じた、戸惑いと排他感にカサンドラの胃が大きくキリキリ痛む。

 でもどのみち避けては通れない事だ。



 きっと大丈夫だと思い込もうとするが、カサンドラは主人公達の持つ潔さ、そして肝の据わった性格をよく知っている。


 いくら自分が聖女だからと言っても、魔物を多数引き連れた巨大な恐ろしい悪魔に真っ向から立ち向かい、しかもクラスメイトだった王子と分かっていても。

 皆のためにと剣を振り下ろすことが出来る精神力――


 並大抵の意思の強さではないと思う。



 敵と見定めた相手に決して臆することも逃げ出すこともなく、自分の中の正義を果たせる強さと勇気を持っているわけだ。

 そんな彼女達が一度立ち向かう敵となってしまった場合、どんな混迷した事態に陥るのか考えたくもない。


 それに三つ子に敵だと認識されれば間違いなく、攻略対象達も敵に回してしまう。

 まさにシナリオ通りに追放されるんじゃないか? と、悪寒が走る始末だ。




 ただ――

 この世界は彼女達が恋をするために創られた世界。

 主人公なくして物語は成立しない、彼女達を遠ざけても何も変わらないのではないかと言う想いが強くなっていった。





 ※




 いざ朝を迎えると昨夜の決意も次第に窄んできてしまう。

 昨日は王子やアレクに全てを打ち明けるということで気持ちが多いに昂っていたけれど、数時間就寝した後の冷静な思考になると躊躇いも増す。

 あれほどああだこうだと話し合った事に現実味がないというか――


 実は夢の中の話だったのでは? と戸惑ってしまう程、世界は普通に正常な時を刻んでいる。


 朝起きてカーテンを開け、射して来る朝の陽射しに目を細める。

 制服に着替え身だしなみを整え、全く眠気を感じさせないいつも通りの澄ましたアレクと朝食を済ませ。


 鞄を持って馬車に乗り込み――車窓から街の景色を眺めていると、全く昨日一昨日と変わらない世界の在り様に呆然としてしまうのだ。

 ここが異世界の物語を基に創られた世界だって?



 急に言われて信じてくれる人など本当にいるのだろうか。

 確たる証拠があるわけではない、カサンドラの証言だけで説得……?



 こんなことなら、隊商が襲われるというイベントのことを予め”予言”しておけば信用を得られたのだろうか?

 予言したところでこの出来事が起こってしまえばカサンドラにとってのバッドエンドだから無意味だ、とずっと考えていた。

 この事態を回避する未来しか考えていなかった事を、今更ながらに浅慮だったかと悔やむ。


 尤も、事情をリナが知っているのなら「貴女方が起こしたことでしょうに」と説得材料には出来ない、か。




 今週に入って、教室でフルメンバーが揃うことがなくなった。


 今日の休みはジェイクだけだ。

 シリウスやラルフは何事もなかったかのように王子と一緒に登校し、そこに大柄な青年の姿が見えなくなっただけである。

 彼が三日も学園を休むなんて珍しいこともあるものだ、とカサンドラは首を捻る。


 今日もジェイクがいないという事実にリゼが完全に黄昏ているのが教室後方からも良く見える。

 こんなことは初めてではないとはいえ、早く皆が揃うといいのになぁ、とぼんやりと考えていた。

 少しでもいつもと違うところがあると不安に苛まれてしまう。


 先週までの自分だったら、こんな慌ただしい出欠状態でも気に掛ける事などなかっただろうに。

 皆それぞれ忙しい立場なのだから、と。




 本当は今日も欠席して調べたいことが沢山あるのだけど、と王子は苦笑いしながらカサンドラに話しかけてくれた。

 愛称の呼びかけから始まる朝の雑談に誘われ、ホッとする。

 彼が無事に登校している姿を見ることが出来て嬉しかったのだ。

 あんな告白をした自分を言葉通りちゃんと信じてくれ、頭を悩ませて考え、動いてくれようとしているのだと思うと胸が熱くなる。



「あまり普段と違う様子を見せるのも良くないかと思うけれど、ここで込み入った話も出来ないのは不便だね」


 王子が嘆息交じりにそう言った。同意するしか無くて、カサンドラも釣られて頷いた。


「今日は放課後、王宮に行って気がかりな事をいくつか調べてこようと思う」


「どうかお願いいたします」


 王宮に入って調べ物など、カサンドラ単身では出来ない事だ。

 元々彼はこんな状況に陥る前から、放課後直接王宮に向かって所用をこなす日が多かったと記憶している。

 なので特に大きな行動の変化というわけではないから、視線は誤魔化せるかもしれない。


「――ところで、アレクはどうだった?」


「王子の仰る通り、全面的に信じてくれました」


 本当は事細かく、アレクがこの世界をループし続けている現象について説明して情報を共有したかった。

 しかし廊下を通る生徒がいないわけではないし、真剣な表情で顔を突き合わせて話し込んでいたら気にして声を掛けて来る生徒もいるかもしれない。


 進級してからは王子に手紙を書く必要もなくなたが、今後は再び手紙と言う手段で彼に現状を報告するのが良いのだろう、とカサンドラは思った。

 ただ、文字に起こしてしまうと万が一紛失や盗難の憂き目に遭ったら困るかも。

 拾ってくれたのがいつぞやのように、王子本人なら問題はないけれど……



 ふふふ、とカサンドラは口元に手を添えて笑った。話の内容とは全く違う表情を作らないといけないのは骨が折れることだ。

 何でもないただの談笑ですよ、という素振りでいなければ様子がおかしいと思われてしまう。




 呑気に悠長に学園生活を送っている場合ではない、と授業中も上の空。

 王子が首尾よく、本人が求める情報を掴んでくることが出来たらいいのだが……

















「――カサンドラ様。」





 お昼、食堂に向かうために廊下を歩いていたカサンドラ。

 そんな自分に、遠慮がちに意を決したように話しかけてきた一人の少女の声に、全身がビクッと跳ね上がる。

 悪戯シーンを直接目撃されても、こんなに過剰反応を示す人間はいないだろうというオーバーリアクションになってしまった。



「は、はい。

 何でしょうリナさん」



 引きつった笑顔になったのは自覚しているが、頬の筋肉が緊張の影響で上手く動いてくれないのだ。



 肩で切り揃えた栗色のふわふわな髪に、青いリボンを着けた可愛らしい女の子。

 リナが強張った表情で自分を呼び止めたのだ。






「あの……

 急なことで大変申し訳ありません。

 放課後、お時間を頂戴しても宜しいでしょうか?」






 遠慮がちな声とは裏腹に、決然とした意志を籠めた蒼い瞳がカサンドラの姿を映している。 






   逃げることも誤魔化すことも許されない。





 時間的猶予も心の準備も、カサンドラには無いようだ。

 彼女の方から――一気に距離を詰められた。




 乾いた喉から掠れ出る声は、リナにちゃんと届いたのだろうか。






「ええ、勿論ですよ」



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