第417話 願いはひとつ


 アレクはカサンドラの話を真剣に聞き始める。

 だがカサンドラが説明を始めると、何度か戸惑いの表情を作って狼狽する様子を見せた。


 「え?」という彼の小さな疑問符をカサンドラは何度耳にしたことだろう。

 だがだが彼もまた、王子と同じように一通り話を聞くという姿勢だけは崩さなかった。


 二度目だから多少は噛み砕いた説明が出来たような気がするが……


 アレクはカサンドラの強い願いに応え、自分の体験、そして現状を余すところなく教えてくれた。

 この期に及んでカサンドラが情報を抱えてしまっては、状況を打開するための一手が足りなくなってしまうかもしれない。

 カサンドラが有しているこの世界に纏わる知識は共有すべきだ。



 分かっているものの、乙女ゲームの中の世界で乙女ゲームの説明をしなければいけない状況とは一体……。




 ※




「……ええと……つまり。

 この世界は別の世界で創られた物語を再現した舞台だ、と。

 そして僕は本来、その物語に直接出てこない人物だった。

 姉上はそう仰るのですね」


 ”舞台”という言い方は適切ではないかもしれないとカサンドラは思う。


 この世界には実際に何十万何百万、他の大陸も考えれば途方もない数の人間が自分の存在を一切疑問に思わず暮らしている世界なのだ。

 ここまで再現されれば、もう確たる一つの世界だ。


 第一、世界が舞台だったり架空だったりと定義できない。そこに住んでいる住人にはまず観測は不可能である。

 例えば自分の前身、前原香織が住んでいた日本という国のある世界だってそれがもっと上位世界の”物語”を模して造られた世界ではないとは言い切れない。

 こういう現象がある以上、反証が不可能なので考えるだけ無意味である。


 突き詰めれば哲学の世界で「命とは」という深淵なる命題と向き合わなければいけない。

 少なくとも今こうしてアレクがいて自分がいて、確かにこの世界に無数の命が息づいているということは事実なのだ。


 無自覚に役割を演じているとはいえ、シナリオに無関係な人達も自分の人生を大切に生きる個性のある人たち。

 キャロルやシャルロッテやミランダ、デイジーやシンシア――

 皆、この世界の愛すべき友人たちだ。


「わたくしの”前世”がいた世界と、この世界は確かに位相が違うのかも知れません。

 ですから便宜上、わたくしは以前の世界を”異世界”と称しましょう」


 アレクは瞑目し、自分の中で思考を整理しているようであった。


「そう、だったんですね……。

 はは。

 兄様はよく姉上のこんな話を信じてくれましたね?」


 乾いた笑いを浮かべるアレクも、自分の不思議ループ体験があるから傾ける耳があったようなもので。

 世界が繰り返されているのだ、という理由を異世界独特の遊戯、恋愛シミュレーションゲームというシステムのせいだと説明されれば苦笑いでは済まないはずだ。


「わたくしもそう思います」


「繰り返し遊ぶ、そして学園生活の三年間……ですか。

 成程、状況的には合致しますよね」


 主人公が架空の人物を”攻略”していく過程を楽しむ。そんな状況を想像するのは、現物が無ければ難しいだろう。

 だから彼の中でどんなイメージが乱舞しているのか、少々気にかかるところではあった。


「それにしても――」


 チラチラッ、と。アレクは視線を何度かカサンドラの正面に向け、すぐに外す。


「姉上が、悪役……。

 そ、そうだったんですね。

 言われてみれば! って感じでちょっと腑に落ち過ぎておかしくなってきました」


「信じてもらえたのは嬉しいですが、そう言われると複雑ですね」


 どう見ても意地が悪く、高慢なお嬢様! という印象が付きまとうカサンドラの外見である。

 もはや反論の余地もないが、笑われるほど納得されると苦虫を噛みつぶしたような顔になるしかない。


「いえ、すみません。

 今まで知らなかった事実が判明して、地に足がついていないのかも。

 失礼しました、姉上」


 この世界に自分を喚んだのはアレクだと分かり、カサンドラも驚きの事実だった。

 確かに助けて、という救いを求める声は聴こえたが――


 繰り返される世界、そして殺されてしまう兄王子。

 そんな状況が苦しくて嫌になって、神様にでも縋りたくなる気持ちはカサンドラもよく分かる。

 ただ、カサンドラも現状を全く変える事が出来ずに右往左往しているだけだ。


「物語、主人公――

 そう……ですね。

 今回大きな違和感がもう一つあります。

 主人公である『聖女』が三つ子だという事、僕は初めて聞きました」 


 何度もこの世界を繰り返したというアレク。

 物語の大筋に干渉することが出来なかったとはいえ、聖女の正体が何者かというのは当然把握しているはずだった。


 最初から彼は、この先リゼ達が聖女になって王子を倒すのだと分かっていたということになる。

 言われてみれば三つ子にアレクを紹介したことがない、その機会が悉く存在しなかったように思う。


「今まで聖女は一人だけでしたか?」


 これはとても重要な情報だと、カサンドラは思わず身を乗り出して確認する。

 

「そうですね、僕の記憶にある限りは。

 ただ、姉上は”聖女”――在学中は特待生? の話になるといつも機嫌が悪かったので……

 どんな性格だったとか、名前だったとか詳しく知らないんですよねぇ。

 いつも特待生が! って不機嫌そうに怒ってました」


 いくら話題に出すのも嫌がられるとは言え、三つ子だったら流石に会話の中でそういう情報が出てきたに違いない。

 『カサンドラ』は主人公を目の敵にして嫌がらせをしていたわけで、アレクが彼女から詳細な情報を集めるのは難しかったということなのだろうか。


「それに……”聖女”に会えたとしても、僕は……会いたく無かった……です。

 どんな人物か知りたいと思う以上に、恐ろしかったです。

 会ってはいけないのだと、ずっとそう思い込んでいました」


「アレク?」


「姉上が去年、彼女達を屋敷に頻繁に招き入れていましたよね?」


 アレクに問われ、一年前のことを思い出す。

 聖アンナ生誕祭を前にし、リタの行儀見習いの訓練で毎週招待していた。しかもリタだけではなく、リゼやリナも一緒だったことをよく覚えている。


「……僕は今回、いつもと様子が違うことに気づいていました。

 姉上が特待生と友人になり、屋敷に招くなど当然初めての事です。

 ――彼女達に会ってしまったら……憎まずにはいられないんじゃないかって。


 何度も何度も兄様をその手にかけた聖女が目の前に何食わぬ顔をして立っていたら?

 僕は壁に掛けてある剣を手に取らない自信がありませんでした」


 そう言って彼は両肩を小刻みに震わせ項垂れた。

 彼にとっては記憶に残る大好きな兄を何度も手にかけてきた憎い存在でしかなかった。

 倒されてもしょうがない”ラスボス”。もはや原形もとどめず意識も乗っ取られた死に体の彼を介錯してやった的な演出ではあった。

 が、アレクにとっては憎悪が溜まるだけの英雄譚。


 知れば知る程、憎くなる。

 未来に一切の干渉が不可能と思い知り、ただ憎悪だけ募らせることを彼は恐れた。

 心優しい真面目な少年だ、誰かを憎み続ける事を本能的に厭うのだろう。

 ――近づけなかった。

 変わらない世界の中、憎しみだけが積み重なるのが嫌だった。それはアレクらしいと感じる。


「過去、三つ子だった時がないと確信ができるわけではないです」


 アレクは申し訳なさそうにそう言った。


「主人公が――聖女が三つ子と言うことも、何か大きな要因があるのかも知れませんね」


 色んな情報がごちゃごちゃに積み重なり、カサンドラは痛む頭を掌で押さえた。


「分かりません。

 ですが、”姉上あなた”に僕の声が届き、世界を超えて助けに来てもらえたのです。

 お陰で兄様と話をすることが出来ました。

 この世界でどんな奇跡が起こっても、僕はもう驚かないですよ」


 アレクの言う通り、神様も精霊も魔法もある幻想世界。

 一体どんなことが起こったって不思議ではないのかもしれない。

 想像の埒外の出来事も平気で起こっていそうだ。常人である自分が考えて、いつか答えが分かる事なのだろうかと不安に陥る。


「アレク、わたくしと一緒にこれからどうすれば良いか考えてください。

 望む事は同じでしょう」


 カサンドラ一人の偏った視点では思いつかないことも、別の視点から考えてもらえることで見えてくるものがあるかもしれない。

 一人で何とかしないと、と焦る必要はない。

 自分の話を聞き、信じてくれた彼らと一緒に考えるのだ。


「ええ、僕の望みは――兄様が聖女に倒されないこと。

 そしてもう二度と同じ日々を繰り返したくはありません。

 僕はこの先の世界を、兄様や姉上たちと一緒に見たいです」


 いくら望む未来を得られたとしても、この世界が強制的に繰り返されるものなら?

 カサンドラもまた、時間が巻き戻って同じことを繰り返すことになるのではないか。

 そもそも自分が記憶を保持したままやり直せるという保証はない。

 こんなことがあった、という全てを白紙に戻されて何もかも忘れて――悪役令嬢カサンドラとして再び学生生活を過ごすことになるかも?


 じんわりと背に汗が滲む。


「………。

 一番手っ取り早いのは、特待生の三つ子達が僕達の事情を分かってくれることだと思うんですよねぇ。

 聖女パワーで何とかならないんですかね?」


 ボソッと、アレクが呟いた。

 今まで物語上のラスボス側――要は王子の後ろから物語を見守るしかなかった。

 だが物語の行く末を決めるのは主人公だ。

 この状況を好転させるためには、当然彼女達の力も必要なのではないか?


「でも、いくら姉上の話とは言え……

 こんな話を聞かされて鵜呑みにすることなんて難しい事ですよね。

 信じてくれるわけがないでしょうし。

 そもそも話を聞く限りでは、当人に一切自覚がないわけで……」


 ぶつぶつと小声で呟く彼の言葉を耳が拾う。

 「あっ」と、カサンドラの口から動揺の声が衝いて出た。



「あ、アレク。

 とても重要な事を伝え忘れていました。

 実は――」






 三つ子、少なくともリナは、この先の物語シナリオを知っている可能性が高い。

 カサンドラが追い詰められ、顔面を蒼白にして王子に話をせざるを得ない状況になったのはあの時のリナの見過ごせない過剰反応があったからだ。


 隊商が襲われたと聞かされ、真っ先に王子を見た事。

 表情が強張り、信じられないものを見るかのような顔だった。


 偶然にしては出来過ぎている反応だと直感した。

 偶然だ気のせいだ思い込みだ、なんてそんな風に物事の重要性を過小評価したくない。





「リナ・フォスターはこの先を知っている……?」


 愕然としたアレクを見て、胸騒ぎが一層激しくなる。

 今日、教室で観た彼女の姿が脳裏を過ぎった。


「わたくしにはそう見えました」


 事情を知らない者が出せる反応ではないと思う。出来る事なら気のせいに違いない、と。見ないふりをしたかった。


 特にカサンドラは昨日、リナに対して今までとは違う態度の差異を感じた。

 これが全く関係のないことだとしても、引っ掛かりを覚えたなら報告するべきだろう。アレクは学園内の様子など一切知らないのだから。


「付け加えますと、彼女は前日原因不明の昏睡状態に陥っていたのです。

 そのことと……今朝の反応に何か関係があるのかは不明なのですが、何かが起こったのかも知れません」


 あの後から、何となくリナの態度に余所余所しさを感じていた。

 もっと以前に大きなきっかけがあったのかまで、カサンドラは思い出せない。


 カサンドラがこの世界に転移してきた時、雷に打たれたようなショックを受けた。眩暈がし、立っているのがやっとだった気がする。リナにも何かしらの超常的な負担がかかった?


「………。

 極めて厳しいお話ですね」



 彼は険しい顔になって、苦痛を伴う唸りをあげる。

 何度も首を横に振るアレクの眉の角度から見て、かなり難しい状況だと察せられた。



「経緯はどうあれ、現状リナ・フォスターは姉上や兄様を『敵』と認識しているわけですよね?

 彼女がこの物語を知っているとすれば、ですけれど。

 警戒している相手に協力を申し出られて、すんなり受け入れてもらえるとは……」


 




   敵?





「姉上のように異世界の知識を持っているのでは?

 最初に仰っていた”転生者”という可能性。

 それとも僕と同じように、同じ世界を繰り返していることを覚えている……?

 実際に悪魔をも倒せる聖女の力が眠っているわけですから、予知夢、神託の類? を見て先を知ってしまった可能性――それさえ否定できない気もします。

 『何でもあり』と言ったのは僕自身ですし」






  ただ、どのケースでも彼女にとって――

  姉上達、とりわけ兄様は、倒すべき敵・・・・・という認識であることに変わりないはずですよね。






 実際に隊商が襲われ、事は起こってしまった。

 物語は依然支障なく筋書き通りに進んでいる。

 カサンドラ達の一年の軌跡を嘲笑うかのように。







 ちょっと待って。

 それは嫌。



「姉上? 大丈夫ですか? あの、すみません、少し大げさに言い過ぎたかも……」


 アレクの声が遠くに聴こえる。

 頭が割れるように痛い。



 敵?

 彼女から、不審を抱かれているってこと?

 だからあの時、避けられたの?






 身体の芯から、冷えていく。






 青いリボンをつけた彼女の優しい笑顔が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。






  皆で幸せになりたい。

  望みはそれだけなのに?



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