第416話 逆行
アレクの告白を受け、カサンドラの思考は余計に混迷の一途を辿ることになった。
彼がこの先の物語を知っているなら、カサンドラと同じ境遇なのだろうと思っていたが予想が外れてしまった。
しかし混乱してばかりはいられない。
カサンドラは少しでも事態の把握を進めるため、互いに持っている情報を突き合わせることにした。
互いに「???」状態では全く話が進まない。
遠くで梟の呑気な鳴き声が聞こえる。
※
「同じ時間をぐるぐると繰り返していると気が付いたのは、何十回か前の『逆行』だったと記憶しています」
アレクはカサンドラの前で感極まった表情をして喜んでいたが、その告白が出来たところで事態が打開できるわけではないことも分かっているようだ。
すぐに表情を引き締め直し、ソファに腰を下ろした。
ぱしぱし、と両の掌で自身の頬を叩いた後。
意外にも冷静に言葉を続けた。
「逆行……ですか」
彼は巻き戻り、やり直し、リセット、という状況を知らない。
だから自分なりに考えて、置かれている現象を逆行と呼んでいたそうだ。
「物凄く不思議な感覚なんですよねぇ。
兄様と一緒にいた期間、クラウス侯とレンドールで過ごした時間、それらは全て昨日のことのように思い出せます。
ですが、僕はある時点まで進んだ後、記憶を持ったまま時を遡ってしまうんです。
凡そ三年。
記憶だけが蓄積していく感覚?
……はは、正直、頭がおかしくなりそうでした。
いえ、気が触れてしまったから――記憶を持ったまま”逆行している”なんて妄想をしているのかもしれないと思ったものです」
「成程、そうだったのですね」
「兄様が悪魔と化し聖女に殺されてしまった時。
僕は自分が記憶を持っていることを、自覚しました。
歓喜に湧く街の中で、僕はここで呆然とその報せを聞いていたんです」
「……。」
王子だった”彼”の死を喜ぶなんて、街にいる今現在の人たちには決して想像もつかない話だろう。
街の人たちが薄情なわけではない。
わけもわからないまま、悪魔が呼び寄せた多くの魔物に家族を襲われた者も多かったはずだ。
正義の味方が悪を打ち倒す姿は、住民にとって希望の光だったに違いない。
――おぞましい化け物へと姿を変えたのはアレクの実兄で、そして殺されてしまった。
アレクにとって歓喜とは程遠い哀しみと困惑の感情しか湧き上がらない状況だ。
悲しもうにも悲しめない彼の立場を思うと胸がキリキリと痛んだ。
「兄様が殺されて数日後。
何の前触れもなく、急に世界が大きく歪みました。
視界が暗転し、気が付いたら――姉上の学園入学式前日まで、僕は記憶を伴い逆行していたのです」
……一周、エンディングを迎えたから、世界がリセットされたのか?
カサンドラは食い入るように彼を見遣る。
傾聴し、一言たりとも聞き漏らしのないように。
「元気な姉上の変わらない姿を見て僕はホッとしました。
悪い夢だったのだと」
やけに長い夢だった、と彼はその夢を忘れようとした。
「ですが兄様は再び聖女によって殺されてしまいました」
彼は沈鬱な表情で、思い出すのも嫌だとばかりに自身の体を掻き抱く。
「記憶が夢ではない、これから起こる事だと知りました。
それだけなら僕は、まだ救われたと思うんです。
………。
僕の行動の一切が、全く、この先の未来に関わることが出来ないと知った時、心の底から絶望しました」
唯一未来を知っているアレクが、兄にどうにかして接触することで未来を変えようと試みた。
――だが、驚くべきことに三年の間、ただの一度も、王子に会うことが出来なかったのだ。
擦れ違い、自分の病気、アクシデント――何が原因なのか分からないが、アレクがどれだけ手を尽くしても一度も兄と会うことはできなかった。
見えない障壁に遮られているようで、アレクもわけがわからなかった。
そして何も出来ないまま、王子は同じように殺されてしまう。
悪魔と化し、多くの人間を不幸に陥れた結果、正義の使者に滅ぼされたという未来は変わらなかった。
「今度は、誰かに話をして、助けてもらおうって思ったんです」
信じてもらえなくてもいい。
この先に訪れる悲惨な未来を回避するため、信じてもらえるまで訴え続けようと決めた。
「でも……
僕は、言えなかったんです」
彼は心底悔しそうに、拳を握りしめ震わせる。
「姉上に限らず、誰かに未来を告げようとすると急に体調を崩すのです。
声が出ず、咳が止まらなくて。
……まるで誰かに”言うな”と止められているかのようでした」
「ではあの日、貴方が寝込んでしまったのは」
ただの風邪と思い看病をした一日を思い出す。
自己管理に長けたアレクが風邪なんて珍しいと思っていたが――
「ええ。僕は貴女に警告をしたかった。
『まだ終わってない』って、気をつけてって言いたかった。
でもそれが出来なかったんです」
まだ終わってない。
そうか、アレクは少し前王子に例の質問をしたのだ。
彼は以前と変わらず、優しく誠実な人柄の持ち主だ。
実際に兄と会い、復讐のために自ら悪魔の手を借りるような人ではないと確認した。
だから――彼の意思と関係なく悪役にされてしまうのだと思ったアレクは、未来はまだ変わっていない可能性が高い、と判断したのだろう。
王子と想いが通じ合ってのほほんと浮かれていたカサンドラの悠長な姿にヤキモキさせられただろうことは想像に難くない。
しかし警鐘を鳴らすこともできず、彼は呪いじみた体調不良により強制的に沈黙を守らざるを得なかった。
自分の手で王子に会うことも出来ないし、未来を伝える事も出来ない。
「ただ……僕の持っている記憶の中で、兄様が悪魔にならなかったものもあるんです。
姉上も追放の憂き目に遭うこともなく、凄く嬉しかったです。
良かった、救われたんだって。
――ご覧の通り、
王子が悪魔にならずに済んで良かったと思った。
でもアレクは逆行し、そしてその新しい世界ではまた王子が――
一度ぬか喜びをした分、落胆は大きかった。
どう足掻いても、未来を変えたところで逆行してしまうなら意味がない。
「……!」
だがそれは非常に大きな情報だった。
王子が悪魔にならない世界線がある……?
だがそうでなかった場合も、結局エンディングが訪れればリセットされる?
ようやく抜け出せたと思ったのに、元通り。
これはカサンドラにとって非常に残酷な情報でもあった。
王子が救われれば未来が変わるという問題でもないのか!?
「何十回、僕は十歳に戻ったんでしょう」
これから何度、兄が殺される未来を視ればいいのだ。
アレクは数度の逆行を経験し疲れ切っていた。
どう動いても世界は変わらない。
兄を助ける事も、この時間軸から抜け出すこともできない。
「でも……直前の逆行で、僕は――僕は、強く何かを願った気がするんです。
最後の気力を振り絞って、叫びました。
視界が閉ざされ、『今の僕』になる前に」
ただただ、アレクは助けてほしかった。
兄が悪魔と化し、聖女に倒される未来は二度と視たくなかった。
いつまで続くか分からない、閉ざされた世界に滞留することも嫌だった。
誰かに助けを求めた。
……では、その助けを呼ぶ声に引き寄せられるように”転生した”のは
え?
何の力もない私が召喚されたからって、何か出来るわけでもないのに?
厳密には転生と言うよりは転移と表現した方が良いのかもしれない。
アレクの望みによって異世界――つまり日本から召喚された? それも意識だけ!?
ゲームの外の現実世界の自分の意識が、この世界にいたカサンドラに乗り移った?
自分が体験したと思っていることは、実際には”記憶”だけで未体験なのか?
入学式前夜、アレクが逆行したばかりだというあの日。
カサンドラの部屋で『香織』の記憶が蘇った。傍にいたのは、アレク。
タイミングは――合う。
ますます罪悪感が湧く、この身体の本来の所有者の記憶はおろか、意識まで自分が乗っ取ってしまっていることになる。
いや。深く考えても前に進めそうもない。
今更、では意識を手放せと言われても無理な話だ。
人が変わったようと言われてもしょうがないな、本当に人が変わったのだから。
ただ、自分のもとの性格も前の世界の自分とは違うと感じている。
最初に思ったように”彼女と融合してしまった”という表現が最も近いのだろうか。
もはや香織でもカサンドラでもない、自分。
自分の存在意義が揺らぎそうになるが……
でも「
王子の言葉が、こんなにも自分の心の拠り所となっていた。
彼が好きになってくれた”
ネガティブ思考に陥りそうになる自分を支えてくれる人がいる。
首を横に振って、カサンドラは唇を噛み締めた。
「アレクの現状は把握いたしました。
今まで一人で抱え、とても辛かったですね」
自分が王子に言ってもらって嬉しかったことだ。
アレクの気持ちが分かる――と言うのは自分には烏滸がましい事だろう。
きっと初めての経験をしている自分より、アレクの方が精神的負担が激しかったに違いない。
義弟の抱えていた心労を思うと胸が痛む。
「……姉上、ありがとうございます。
僕は誰かにそう言ってもらいたかった。
とても嬉しいです」
はにかんだアレクは、ようやく笑顔を見せてくれた。
「ただ、今回は今までの記憶と全く違うなって思ったんです。
僕もついつい、張り切っちゃいましたね」
「過去の出来事と違うこと?」
「はい。
姉上が良い意味で変わられました。
今まで終始、三家の後継ぎたちに付きまとっては邪見にされるという姿ばかり見て来ましたので」
……。
とてもではないが、今の自分からは考えられない姿だ。
アレクのように記憶を持ったまま”やり直している”人はいないのだろうし、カサンドラもゲーム内で起こったシナリオをなぞるように動いていたはずだ。
悪役令嬢の面目躍如、主人公への嫌がらせや邪魔をする登場人物。
それが今回は王子のためにとあれやこれやと考え動く姿を見て、アレクも「おや」と思ったようだ。
攻略対象の彼らと一定の距離を保ちつつ、周囲の認識を変えていく。
”もしかして、何かが変わるのかもしれない。”
カサンドラは彼にとって、そんな希望に等しい存在だったのだろう。
「……僕は無力でした。
本当に伝えたい未来のことを、誰にも言えませんでした。
姉上に望まれて、初めて僕は……この世界に触れる事が出来た気がします。
僕にとって、張りぼてみたいな世界だったんです」
張りぼて、ね。
言い得て妙だなと彼の言葉の選択にカサンドラは感心した。
この世界はゲームを基に創られている。
あくまでも主人公、そして攻略対象のための世界でそれ以外はお膳立てや設定のためのパーツでしかない。
主人公が進む結末に向かって強制的に右へ倣えとされる世界。
世界のありように介入できないのはしょうがないことかもしれない。
神の見えざる手によって、世界は同じ
アレクは物語上、モブキャラでさえない。
名前も存在も出てこない、香織でさえ知らなかった悪役令嬢の弟だ。
侯爵家の一人娘が王子の婚約者になるなら、当然父のクラウスは家を継ぐための男子を養子に迎えなくてはいけない。
実現可能な世界を作り上げる際、設定が不自然にならないよう生まれた存在がアレクなのだろう。
彼は元の世界でいなかったアレク。
王子の未来を誰かに告げる事は、”許されなかった”。
アレクがストーリーの根幹に干渉できないのは何故か?
彼が物語に出てこない”架空”の人物だから?
カサンドラの恋愛応援は基本的なストーリーに関係がないからお目こぼしされたのか。
……となるとあの衝撃的な、王子への”弟生存告白”もメインストーリーに影響しないから出来た事……?
あの告白が物語をぶち壊すものなら、アレクは言葉に出来なかったはず。
王子が弟の生存を知ろうが知るまいが、未来は変わらないってこと?
――……うーん?
これは王子にも報告し、相談する必要がある。
重要な情報が一気に溢れ、カサンドラの脳内で消化できないまま暴れ狂っている。
夜が遅いということもあるのだろう、思考はかなり鈍かった。
驚きと戸惑いと、そして出口の見えない袋小路感。
果たして自分はどうすればいいのだろう。
救いは……救いはないのか?
「僕の話せる事であればいつでもお話しますよ。
今度は姉上、貴女のお話を聞かせてください」
当然のように、彼はこちらに説明義務を投げて来る。
交互に話して確認しようと言ったのはこちらだから当然のことだが。
カサンドラは遠い目をして、表情を消した。
アレクにも…… 乙女ゲームの説明をしないといけないのだな……。
同日、深夜、王族兄弟二人に、何が悲しくてこんな説明を順番にしなければならないのか。
分かっていたこととは言え、流石に理性が逃げ出しそうだ。
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