第415話 繰り返す世界



 王子に指摘された通り自分の記憶が呼び起されたその時、確かにアレクが傍にいた。

 だがそれだけではアレクが自分の前世の記憶と関係があるのかは分からない。


 もう一人の、原作ゲームを知る転生者?




  

  ――まさかアレクが?





 ※




 月明かりに照らされる深夜。ひんやりと冷たい夜風がカサンドラの肌を慰撫する。


 王子は足早にレンドール邸から馬を駆って寮まで戻っていった。その後ろ姿を見送って、やはり相当無茶な事をお願いしたのだろうなと思う。

 こんな遅くまで王子を呼び出した事、あまつさえ引き留めてしまった事に盛大な罪悪感を抱くカサンドラである。


 本当はもっと王子と話をしていたいのに、元々『二人きり』という状況が極めて稀な事態であった自分達である。

 希望したときにすぐに人払いをして二人きりに――ということは難しいようだ。


 王城は彼にとって、どこに三家の『耳』があるか分からない、彼にとって常に緊張を強いられる場所なのだろう。

 彼の住む寮に呼び出されることはもっとありえない。

 女人禁制の男子寮に、婚約者だからと出入りするなどバレてしまっては大変なことになるだろう。

 外出先なんて以ての外だ、護衛がぞろぞろと周囲を囲む。


 かと言ってカサンドラの家に頻繁に出入りするようになるのも、王子は避けたい――のだと思う。

 今、こうしてカサンドラが王家の置かれている現状について正確な情報を知っていると知られれば、事態も変わってしまうかもしれない。

 「所詮田舎貴族の娘よ」と侮られ放置されていたけれど、王子と同じように警戒され監視され、余計な事を触れ回る前に行動を起こさないとも限らない。


 自分自分は何も知らないまま過ごしている、という体が望ましい。

 

 一度事実を知ってしまうと知らんふりをするのは難しい事だが。

 幸い、学園生活は今のとこと平穏なのでカサンドラが積極的に動かなければ目立つこともないだろう。


 まぁ、平穏とは言っても……

 学園の外では、大いなる”わざわい”が王都をゆっくりと蝕んでいる最中であるのだが。


 王子は気になることがいくつかあると言っていたので、しばらくその案件を調べるために動くに違いない。

 カサンドラに協力できることであれば助力を申し出たいが、どうやら今の自分では力不足のようだ。情報収集の足手纏いになる自分の姿しか浮かんでこない。


 まぁ王子とカサンドラが二人合わせてこそこそと動き始めるより、自分は何も気づかないふりで彼の結果を待つのが良いのだろう。


 今まであれだけ臆病な程慎重だった。

 多少待つくらいなんだと言うのだ。


 ここで一人慌てたってしょうがないことくらい、理屈では分かっている。


「……。

 十一時過ぎ……」


 王子を見送った後、カサンドラはエントランスホールに戻る。

 いつの間にか一際大きな壁掛け時計が、正確な時刻をカサンドラに告げている。


 使用人の姿は少なかったが、王子が極秘で訪問してきたとあって屋敷内はずっと緊張しっぱなしだったようだ。

 ようやく張りつめていた空気が弛緩してきた頃合い、カサンドラもふっと肩の力を抜いたが――


 王子が言った、アレクの”不自然さ”にただただ、呆然とするのみである。

 ただでさえ現状、考えていても分からないことだらけで、どうしても精神的負荷がかかる。頭がクラクラした。

 傍に王子がいないから猶更不安な気持ちも芽生え、育つ。


 そんな自分の味方になってくれるだろう、と王子はそうアドバイスしてくれた。




    復讐ができるなら、そうしたかった?




 王子が訊かれた質問は、実際に『答え』を意識していないと出てこないもののように思える。

 しかしそれは過剰反応で、ただの偶然という可能性も十分残っていた。



 だが、そこで「考えすぎだ」と勇気を引っ込めるのは違う気がする。

 間違っているかもしれないけれど、自分はもう大切な人に隠し事をし続けるのは嫌なのだ。


 ここまでずっと王子とのことで相談に乗り協力してくれたアレク。

 そして王子の死んだはずの弟と言う、この世で唯一無二の「希望」という説得力を彼に与えてくれた――カサンドラにとっては文字通りの救世主だ。


 この先の物語を知っているのだと堂々と、腹を割って話そう。


 もし全く見当違いな勘違いだとしても、アレクはまたいつもの調子でこちらの気が触れたのかと大袈裟に心配するかもしれないが。

 それでもいいと思う。


 王子に信じ、受け入れてもらえたという事実はカサンドラを大きく勇気づけた。

 荒唐無稽な馬鹿げた話でも、そこに信頼関係さえあれば切って捨てられることはない。


 言わなければ伝わらないのだ。

 王子に打ち明けることが出来たように、きっとアレクにも言えるはず。





  味方は多い方が良いに決まってる。






 ※





 こんな遅い時間に、弟とは言え部屋を訪れるのは大変失礼極まりない。

 重々承知の上だったが、どうしても今すぐ彼に会って確認したかった。


 気分は完全に高揚していて寝つけたものではないのだし、話の機会を先送りにしていても話のきっかけを見つけられずに回り道をしてしまいそうだ。

 遠くにいる人ではなく、同じ屋敷に住む家族。


 手を伸ばし、扉を数度ノックすれば――こんなに近い。

 すぐ、彼に届く。



「……え? 姉上?」


 ノックを受け、かなり不審な表情で扉を開けたアレクと目が合う。

 彼はきょとんとした顔をした後、腕組みをして大きく首を捻った。


 室内は煌々と明るく、どうやら彼はソファで読書をしていたようである。

 読みかけの分厚い本が背の低いテーブルの上に、栞を挟んだ状態で置かれていた。


 寝る準備どころか、まだ寝間着パジャマにも着替えていないアレクに出迎えてもらったカサンドラ。

 

「兄様は、もう帰られたのですか?」


「……はい、先ほど寮にお戻りになりました」


「そう、ですか。

 一体何の用だったんでしょうね」


 彼は胸元の赤い棒タイの先を抓んで少し詰まらなさそうな表情だ。

 もしかしたらお呼びがかかるかもしれないと、ずっと部屋で待機していたのだろうか?


 カサンドラの告白は王子に聞いてもらうだけで精一杯だったので、とてもアレクを呼んで一緒にお茶、という雰囲気ではなかった。


 アレクの視点で見れば、折角兄がレンドール邸をお忍びで訪ねてくれたのに、自分に一声もかけることなくコッソリ逃げ出すように帰ってしまった。

 ちょっと期待していたのにがっかりだ――そう感じてもおかしくはない。


 案外子供っぽいところがあるのだなぁと微笑ましく感じ、この少年が本当に自分の突拍子のない話をすんなり受け入れてくれるのだろうか? と。

 不意に生じた躊躇いがカサンドラを襲うが、心の中で首を横に振ってそれを振り払う。




「とても大切なお話をしていたのです」




 アレクを押しのけるようにして、カサンドラは義弟の部屋に入る。

 当然アレクはこんな時間に自室を訪れた姉に慌て、一体どうしたのだと泡を食ったように焦りだす。


「姉上、時計の針は見えますか?

 こんな時間にどうしたんですか! ――流石の兄様も怒りますよ」


 王子が激昂する姿は全く想像がつかなかった。

 だがイメージする必要もなく、彼が怒るはずがないことも分かっている。


 いつもとこちらの様子が違うことに、アレクは徐々に気が付いて行ったのだろう。

 兄と同じ綺麗な蒼い瞳が、動揺し僅かに揺れている。


 歳の割に抜きんでた美男子だなぁ、と我が弟の事ながら思っていた。

 まさか王家の人間で、あの王子の実の弟とは。

 顔の系統こそ違うが、彼の実弟であれば人目を惹く整った顔立ちであることは全く不思議でも何でもない。



「王子はご存知ですよ」


 彼は更にぽかんとした、普段の彼ではお目に掛かれないような呆けた表情を見せる。

 どこか小賢しく、生意気な義弟。



「姉上?」





「アレク、貴方は――王子がこの後辿る運命を知っているのでしょうか」




 時が凍り付く。

 そんな表現がまさにぴったりだ。


 それまでどこかぎこちない態度だったアレクが、動きを静止させて小刻みに肩を震わせる。

 長い睫毛も振動に揺れ、彼の顔は蒼を通り越して白に近い色に変わった。 



「姉上、仰る意味がわかりかねます」


 彼は愛想笑いを浮かべようと頬の筋肉を動かす。

 だが喉を鳴らし、極度の緊張状態にある彼は全然いつものように笑えてはいないのだ。



 この問いかけにここまでクリティカルな反応を示すということは?

 カサンドラとは置かれている立場は違うが、やはり彼も転生者ということ?


 いや、当人が目の前にいるのだ。

 下手な考え休むに似たりとも言う、聞くのが一番手っ取り早い。


 馬鹿な事をと一蹴できない『何か』を彼は間違いなく抱えている。

 そう確信を持って、再度真っ直ぐに彼を見据えた。



「アレク。

 貴方はこの先王子がどうなってしまうのか知っているのではないですか?

 だから王子がこちらに滞在された夜、あのような『確認』をしてしまったのでは?」



「………。

 僕は、僕は……」



 アレクはこちらに何か強く訴えかけている。

 彼の潤み、揺れる瞳は何かを伝えたいのだとつぶさに分かるというのに、彼はその先を言葉に出来ない。

 まるで見えない何者かの掌が口を塞いでいるかのような錯覚をしてしまうほど苦しんでいるようだった。


 頭を押さえ、彼は諦観の表情を浮かべて俯く。


 強く知りたいと思った。

 アレクが何を抱え、思い患い、悩んでいたのか。

 彼もまたカサンドラと同じようにこの一年ヤキモキしながら過ごしていたのではないか。




「お願いします、アレク。

 わたくしに――私に、教えてください!」



 彼の真実が知りたいと、カサンドラは強く思い言葉に出す。



 途端、パリンと薄い氷が砕けるような音が聴こえた気がした。

 恐らく幻聴だったのだろう、この部屋には簡単に割れるようなものはない。




 アレクは大変驚いた顔をした。

 恐る恐る自身の喉元に両手で触りだした。

 その時初めて、彼の平らだった首筋が微かに盛り上がり喉仏が隆起し始めているのだなぁと気づく。


 ああ、と彼は細い吐息を床に落とす。

 ゆるゆるとした動作で首元から手を離した。




「そうです。

 僕は……僕は、兄様が……このままだと兄様が、死んでしまうって知ってます!」



 もしもカサンドラでなければ、義弟の渾身の激白を前に大いに疑問符が乱舞したことだろう。


 死ぬ……か。

 その表現はとても直接的だ。斃されるだとか破滅するという言葉と比べ、より差し迫った危機感をカサンドラに抱かせる。


 そうだ、彼はこのままだと死んでしまっていたはずだ。

 聖剣によって悪魔ともども、倒される物語のラスボスだったから。



 アレクはその場に座り込んでしまった。

 腰が砕けたように、へなへなと絨毯の上に崩れ落ちるアレク。

 だが彼の驚きの表情は、やがて喜びへと変わっていった。




「やっと、言えた!

 ……ずっと、誰にも言えなかったんです。

 初めて、言えた……!


 姉上、貴女は一体……」




「わたくしは、この物語の筋書きを知っている転生者です。

 今まで貴方に黙っていて申し訳ありません」


 

 アレクもまた前世の世界に関わる転生者とするなら、カサンドラと同じようにこの世界がゲームを基にして造られた異世界だと分かっているはず。

 このゲームをプレイしたことがあるということは、少なくともカサンドラの前世と同じ時代を生きていた日本人のはず。

 ファンタジー乙女ゲームを嗜む者同士、”転生者”と言えばすぐに分かるだろうと思い、敢えて仰々しい単語を使ってみたが――

 



 カサンドラが想定していた反応と、アレクの示した反応は少々差異があった。





「転生者? 物語?

 ええと、それについてはよくわかりませんが、姉上もこの先の記憶をお持ちなんですよね?

 僕はもう嫌なんです。

 兄様が死んでしまうのは――

 姉上が追放されて会えなくなってしまうのは!


 もう嫌です!」





 

 彼はカサンドラとは在り方が違う……?



 ”もう嫌”ということは、以前、それも複数回王子が死んでしまう世界を体験したということだろう。しかもカサンドラが追放されるということまで、彼は実際に見てきたことのように言う。







 この世界はゲームを基にした世界。

 周回プレイが前提で、何度も遊ぶことを目的に作られた原作――

 繰り返し……

 何度もやり直す世界……?



 アレク、貴方は――記憶をもったまま、


 この世界でループしているの?


 

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