第414話 もう一人?
少しのブレイクタイムを挟んだ後、王子にたちまちゲーム内での物語について大まかな内容を話す。
彼は普段から予定表を持ち歩いているので、カサンドラの話を聞きながら素早くペン先を走らせてメモをとる。
カサンドラが話している間は全く口を挟むこともなく、時折怪訝そうな表情をしながらも手を動かし続けていた。
カサンドラは一度この世界に記憶を持って”転生した”のだと知った時に主要な点を書き出してみようとしたことがあった。
だがそれを書いていく内に、どう足掻いても平穏な自分の未来は訪れないのではないかと絶望し、紙を破り捨ててしまったのだ。
「――わたくしが物語の世界だと思い出し、既に一年以上が経過しました。
主要な出来事や大まかな時期は申し上げたとおりですが、確実性について欠けるところがあるかもしれません」
あの時書いた最も記憶に新しい資料が残っていれば、とカサンドラは自分の早計さを悔やんだ。
何より、カサンドラ自身、完全にこの世界の住人と化しているのだ。
自分が辿って来た記憶は徐々に夢と現の境界線を曖昧にさせ、果たして実際にゲーム内のイベントで起こったことなのか。
それともこの世界独自のものなのか。
曖昧模糊で、完全無非なる情報源かと自問自答すれば怪しいところがある。
特に攻略情報を見ながら進めていったイベントは一層条件などが判然としない。
尤も三通りの主人公が同じメインのストーリーを追っていくという流れなので、何度も繰り返してきた共通イベントは記憶に定着しているので自信があるのだが。
「………。
大まかな流れは把握できた……と、思う。
……。
私の方で調べておきたいことがいくつかある。
また後日、君に報告させてもらってもいいだろうか」
王子の言葉は、今まで一人で何も出来ないと打ちひしがれていたカサンドラにとってとても頼もしい言葉であった。
彼もまた登場人物、ラスボスと言う役目を持ってこの世界に存在している一人だ。
彼の視点からでしか分からないことも沢山あるのだろう。
「は、はい」
「――君は最初にこの世界を指して、力任せの『辻褄合わせ』と思っていたと言ったね」
「そう……ですね。
『カサンドラ』であるわたくしにとっては、現状はあるべき姿。自分の言語や生活習慣、技術水準などは当然違和感など抱くはずがありません。
ですが、前世の世界で「創られた」物語の世界から考えれば、かなり強引――かつ、超常的な力が働いているのだと思います。
前世の世界とこんなにも似ている世界が都合よく存在するなど、ありえない事ではないでしょうか」
「私達が使っているこの言葉も、習慣も、君が元居た世界に準ずる……か。
君達の世界で”創られた”ものだから当然だけれど」
――実現可能な世界。
本来なら、こんなにゲームの設定に即した都合の良い世界など存在するとは思えない。
ご都合主義な部分だけではなく、ちゃんとその世界が一定の摂理を有してこうやって多くの人間が住めるような世界が創られた――そのことが、めまいがする程壮大な話だと思う。
「一体どこまで、”辻褄合わせ”なんだろうね」
彼はそう言ってしばらく黙した。
何か思う事があるのかも知れないが、彼は自分の中の思い付きを即座に言葉にするような人ではない。
確信がない適当な、ありとあらゆる可能性を言葉にしても混乱するだけだと分かっている。
カサンドラとしては何でもいいから彼の仮説を教えて欲しいと思ったが、慎重な彼に答えを急かすのも不躾が過ぎる気がする。
――こうやってカサンドラの話を信じてくれ、真面目に思考してくれているだけで十分ではないか。
世迷い事と捨てられることもなく、カサンドラの言う事だから信じてくれた。
それだけでも今までの王子と過ごした時間が無駄ではなかったのだと胸がホッとする想いである。
「それにしても、物語の中とは言え――
実際にフォスターの三つ子が悪魔と化した私を倒している姿を見て、よく私が無関係だと確信が持てたね」
彼はそう呟いた。
カサンドラの話した内容は、真エンディングで明かされる黒幕が王子で、彼が主人公とパートナーの目の前で禍々しい悪魔と化してしまうシーンも含まれる。
画面越しとは言え、実際に王子が人間ではないものに変わっていく姿を何度も見て、なおもこうして王子が潔白だと事情を打ち明けているわけだ。
彼が不思議に思うのもおかしくない。
ゲーム内事情で明らかにされていないことは、この世界に即した形で複雑な背景が形成されている。
聖アンナ教だけでなく多くの教団があるということだったり、クローレス王国時代以前の大陸の歴史など。
しかしゲーム内で明かされていることは、基本的に『事実』なのだ。
裏設定をいくら妄想したとしても、結局原作が真実なのである。
例えばジェイクやラルフの家族設定だったり、シリウスの過去だったり、学園が午後から選択講義制を採用していたり。
基本的な設定を捻じ曲げているわけではない。
むしろその事実を補強するための世界になっているというべきか。
物語内で黒幕なのだから、当然今の王子が
「……先ほども申し上げましたとおり、わたくしは王子が悪魔と言う”巨大な力”に頼り、縋りたくなるくらい辛いことがあるのだろうと思っておりました。
王子のお話、置かれていらっしゃる境遇をお聞きし、得心がいったのです。
――ですが……
こうして実際に”事件”が起こってしまいました。
ということは、確かに事件を起こした犯人はいるのでしょう。
わたくしが王子の破滅を避けるためにととっていた行動は物語の筋書きと矛盾します。そうなれば、物語は破綻します」
矛盾し、破綻する。
それが示すのはこの世界の崩壊……?
「この世界は崩壊を防ぐため、本来の筋書きに合わせるよう動いたのではないでしょうか。
歪んだストーリーを矯正するよう、何らかの大きな力が介入したのかも知れません。それこそ神と呼ばれるような大いなる力によって――
王子ではない他の何かが黒幕になった可能性を考えました」
「矯正する力、か。
まさに神の一手だね。
別に黒幕が私でなくとも、悪魔が呼び出されれば”聖女としての物語”は破綻しないと考えるのか」
根本的なストーリーは守られるから、この世界は破綻を免れる。
「………。」
彼はどこか釈然としない表情であったが、何かを飲み込むように渋面を作って沈黙を選んだ。
「もしくは。
王子は元々ラスボスではあっても黒幕ではなかった、という可能性も考えられます。
第三者の手によって、無理矢理望まない行動を強いられていたのではないでしょうか。
――例え悲しい事や恨みつらみがあったとしても。
わたくしは王子が、他の大勢を犠牲にしてまで復讐を遂げるような方だとは思えません。
物語の中の王子も、現在語られていないだけで……
自分の意志ではなかったのではないでしょうか」
すると王子は、ハッと両目を見開いてカサンドラを凝視した。
その反応に驚き戸惑ったけれど、彼は「そうか……」と、瞑目する。
彼の中で、何か分かったことがあったのだろうか。
カサンドラとしては、王子が事件を起こした黒幕ではないと仮定するには、挙げた二つの要素しか思い浮かばなかった。
そしてどちらにせよ黒幕と呼ばれる悪魔と化す存在がいるのなら、誰かの協力なくして解決は不可能。
自分は何の特別な力ももたない、一般人だから。
貴族令嬢としてのコネを使ったところで、方向性さえ定まらないのに無暗に事を荒立てて目を着けられたらおしまいだ。
王子に助けを求める以外、カサンドラの進むべき道はなかった。
だから彼に、この荒唐無稽にしか思われないような真実を告白することにしたのだ。
「……夜も更けてきたね。
これ以上寮に戻る時間が遅くなれば、どこかにいるだろう黒幕の警戒を上げるだけだ」
彼はゆっくりと立ち上がり、カサンドラに言う。
時計を見るまでもなく、今はとても遅い時間だと分かる。
寮に急いで帰らないと、日付をまたいでしまうだろう。
王子の言う通り、自分の仮説のどちらが現実のものだとしても他に事件を起こした人間がいるとすれば?
本来黒幕となるべきだった王子があまりにもおかしな行動をとっていたら警戒されてしまうかもしれないだろう。
事件は攻略対象――御三家の坊ちゃん達に大きな影響を与えるものだ、”黒幕ではない”王子に出来る限り探られたくないはずである。
元々王子は王城にいる間中、三家の監視を受けて過ごしていたと言っていた。
当然、人の目に着くことは当主たちに報告が行くだろう。
慎重な彼がこうして夜中に危険を冒して会いに来てくれたのは、とても大変なことだったに違いない。
本当ならずっと一緒にいて欲しいと思うが、そういうわけにはいかない。
「そう……ですね。
どうかお気をつけてお帰り下さい。長い時間、お引き留めいたしました」
もしかしたら自分の表情は、心細く頼りないものに見えたかもしれない。
「キャシー、不安になることはない。
……君のすぐ傍に、絶対に今の話を信じてくれる味方がいるのだから」
「………? え?」
優しい表情になった彼は、目を細めて微笑んだ。
「以前、この屋敷に泊めてもらったことがあったね」
カサンドラは大きく頷く。
まだ記憶も新しい、晩餐会の夜のことだ。
あの日はアレクが王子を自分の部屋に泊めるのだと珍しく強引に、意気揚々と段取りを進めていたなぁと思い出す。
「あの夜、彼と沢山の話をした。
いくつか、どうしてそんなことを聞くのかな? と一瞬戸惑う質問をされてね。
その時は気に留めずに、話を続けたのだけれど……
今の君の話を聞いて、思い出したんだ」
――兄様。
兄様は、母様のことや僕のこと――
三家の人たちへ復讐ができるならしたかった?
僕と会えないままだったら?
皆に復讐したいって思ったのかな?
思い知らせてやりたいって、考えちゃう?
カサンドラは、ひゅっと息を呑んだ。
偶然なのかも知れない。
だがアレクが何故、そんなことを王子に訊かなければいけない?
その質問の意図を考えると、カサンドラも自然と息が苦しくなってくる。
「おかしな質問だろう?
何かの力を借りて、復讐をしたいなんて考えたこともないのに。
散々、父に
でも……
今の話を踏まえてあの質問の意味を考えると――」
アレクは、知ってる?
王子が物語上、これから起こすであろう道筋を……?
復讐の機会があったら、復讐したか。
悪魔の力を手に入れることが出来れば、それを使って復讐――闇堕ちしたのか? と聞いている。
そもそも王子はそんな性格の人間ではないと、彼はずっと思っていたのかもしれない。
だから第三者の手によって、悪魔に
王子を悪魔に堕とす誰かが最初からいたのだとしたら――いくら王子が幸せでも、状況がどうなっても、何も終わっていないどころか当初の
アレクの質問に、王子が「そうだ」と答えればきっと彼は安心しただろう。
現状は復讐する必要がないから、黒幕がいなくなって事件も起こらずハッピーエンドだ。
だけど。
王子が「そんなことはない」と否定したから、アレクは困惑したのではないか。
最初から……
王子が自分の意図で起こした事件でないのなら。
最初から彼の意思が無関係だったとしたら。
王子が救われて良かった良かった、と呑気に過ごしていたカサンドラを、彼はどんな気持ちで見ていたのだろうか。
そんな、まさか。
彼も転生者?
……いや、それはおかしい気がする。
悪役令嬢の弟は物語の登場人物ではない。ゲーム設定内に存在もなかった、言わばデイジーやアイリスのように”世界が創った”人物に前世の日本から転生先に選ばれるものなのか?
では何故彼は王子の事情を知っているかのような意味深な質問をしたのかと考えると、すぐに納得できる答えが見つからない。
彼は一度しまったメモ帳を再度胸ポケットから取り出し、それをパラパラと捲る。
カサンドラが記憶を取り戻し、今までの事を話してきたことが記してあるはずだ。
そしてこれから起こることも……
「君の記憶が蘇った時、傍にいたのは誰だった?」
”助けて”と、自分を呼ぶ 声がした
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