第413話 どこからどこまで
しばらく放心状態だった。
この一年、ずっと誰に打ち明ける事も出来ないまま右往左往していたカサンドラ。
絶対に知られるわけにはいかないと思っていた王子当人に『真実』を話すことは非常に勇気が要ることであった。
だが、ここまで事態がのっぴきならなくなればそうも言っていられない。
王子に信じてもらえなければ、どうすることも出来ずに成り行きを見守る傍観者にしかなれなかっただろう。
自分一人で出来ることなんて、決して多くない。
しばらくの間抱き寄せられ、頭を優しく撫でてもらっている――と、自分の状況を客観的に意識して一気に気恥ずかしさが戻って来る。
振りほどくわけにはいかないが、僅かに身じろぎをした。
すると王子は腕の力を緩め、カサンドラの隣に改めて腰を下ろす。
まだ心臓がバクバク胸を打ち付けて息も絶え絶えなカサンドラだが、まずは第一関門突破、というだけだ。
スタートラインに立てたとも言える状況で、これで全てが終わったわけではない。
気持ち的には、彼にカサンドラのことを信じてもらえた段階で後は何もかもうまく行きハッピーエンド――なのだが。しかし、現実は当然そんなに甘くない。
ゲーム内で王子に纏わるとされていた事件が生じてしまったということは、今までのカサンドラの憶測が全て間違っていたことになる。
彼の心さえ平穏で満たされているなら闇堕ちする理由もないだろうとホッとしていた自分には甘さがあったのだろう。
しかしそれ以上を求めるなら、こうやって王子に包み隠さず全てを明かさなければ進めない話であった。
カサンドラはずっと恐れていた。
出来る事なら、願わくば、王子には知られたくなかった。
「ただの世迷い事と捨て置かず、わたくしの言葉を信じて下さったこと深く感謝いたします」
貴方は物語の中で黒幕で悪魔と化し主人公に斃される運命です、と言われて嬉しがる人間などいないだろう。
頭がおかしくなったか、気が触れたか、と遠巻きにされるのではないか。
そうでないにしても、半信半疑状態だとか。
「キャシーの言うことを信じられないなんて、今の私にはそちらの方が信じられない話だ。
……どうして今まで打ち明けてくれなかったのかとさえ思うよ。
まぁ、仕方がない事とは分かっているんだ。
一年前の君に言われても、すぐに信じることは難しかっただろう」
「信じてもらえないかもしれない、という事はとても恐ろしかったです。
ですがそれ以上に、わたくしは……ずっと自分が何者であるのか分からず、何故このような記憶を有しているのか戸惑うばかりでした。
わたくしの記憶はこの世界にとって間違いなく異物でしょう。
異端……異分子であると、認めたくない気持ちも大きかったのです」
カサンドラは再度視線を落とし、込み上げてくる感情を必死で抑える。
彼の前でそう何度も泣き出したいわけではない、そこまで”弱い”人間だと思われては今後の事も不安にさせてしまうかもしれない。
「わたくしは……この、自分が生まれ、今まで育ってきたこの世界が好きです。
王子は勿論、リゼさん達もジェイク様達も、デイジーさんもキャロルさんも皆、とても大好きなのです。
”皆さんと同じ”でいたかった。
しかもわたくしは本来の物語の登場人物、『カサンドラ』と意識を融合させてしまったような存在です。
わたくしが本来の彼女を乗っ取った、という言い方もできるでしょう。
……その事実を、王子にどう判断されるのか。到底、考えたいことではありませんでした」
自身の手を反対側の二の腕にかけ、湧き上がる震えを抑える。
この世界の純粋なカサンドラという存在を自分が奪ってしまった。
今までの価値観や想い、思い出、言動や記憶――全ては丸々残っているのに、前世の記憶が呼び起された事で性格まで別人のように変わったと言われている。
これを乗っ取りと言わず何という。
「……君が不安になる気持ちもよくわかる。
自分が自分でなくなってしまうという状況、私ごときには共感さえ烏滸がましい由々しき事態だ。
だけど、君は君だ。本当は何一つ、変わっていないのだと私は思うよ」
「王子?」
「――大きな体験をして価値観が変わることは誰にでも起こり得ることだ。
人はいつでも、きっかけさえあれば変われる。
君の場合は、本来知りえないはずの情報を突然”思い出した”ことによって考え方が変わっただけで――
生まれた時から今まで、ずっと同じ人物なのだと私は思うよ。
私達と同じ。何も差異はないんだ」
王子にそう言われて、カサンドラはフッと肩の荷が軽くなった気がした。
詭弁とも言える慰めだけれど、今の自分を肯定してくれようとしている彼の気遣いが嬉しかった。
「自分が何者かなんて、君が考えて迷う必要はない。
私が好きになったのは、この世界の基になったという物語の中で同じ名前を持つ女性ではない。
記憶を思い出し、その信じられない世界に逃げる事もなく。
私のためにたった独りで心を痛め……運命に抗おうと想ってくれたキャシーだから、私は君を好きになったし信用している。
それだけは、どうか分かっていて欲しい」
「ありがとうございます、王子」
もしもこの事実を知った他の人に何を思われようが、王子にそう言ってもらえたなら十分だった。
彼にここまで気遣ってもらえるなど、今までの日々は決して無駄な時間ではなかったのだと思い出を噛み締める。
一人で抱え込まなくてもいいという事実はカサンドラを安堵させる。
対する王子は、真剣な眼差しでカサンドラの横顔に声を掛けてきた。
「……さぁ、キャシー。
こんな時間になって申し訳ないけれど、今のまま帰る事になっては私もこの件についての取り掛かりもない。
――君の知っているこの世界のことを、もっと詳しく教えてもらえないだろうか。
現実と比べることで、考えの糸口が見つかるかもしれない」
悠長な事を言っていられない事態だと切り出したのはカサンドラだ。
いつまでも状況に酔っている場合ではない、思考を切り替えなければ。
王子が黒幕ではないとすれば、他に何者かの手が動いているということ。
既に”敵”は動き出している。果たしてそれが何なのか、カサンドラには全く思い当たる節は無いのだけれど。
「そうですね、王子と検証が出来るのであれば心強いです」
原作と現実の差、か。
そう言われて、ふと脳裏を過ぎったのは入学式初日の出来事である。
「……最初に驚いたことと言えば、主人公が三つ子であったということでしょうか」
あの時の衝撃は未だに忘れがたい。
この世界がゲームの世界であるならば、主人公はリゼかリタ、リナの誰か一人だったはずだ。
そもそもデフォルト名がエンジュという別名であったのでまさか自分が好んで付けた名前の登場人物が一斉に現れるとは……
「――?
物語ではフォスターの三つ子が主人公だと言っていた気がするけれど。
筋書き通りの話なのでは?」
王子は釈然としないという表情でカサンドラを見遣る。
ようやく、カサンドラはこれから訪れる地獄のような時間を想像するに至った。
確かに王子に打ち明ける際は”物語”という表現で押し通した。
それが一番分かりやすく混乱が少ないと思ったからだ。
しかし、いざ王子に原作の知識を共有してもらおうと思った際、大変厄介な壁が聳え立っていることをカサンドラは思い知ったのである。
「ええと……
王子には便宜上物語と言う体でお話いたしましたが、実際にはゲームという媒体で……」
しどろもどろになりかけるカサンドラ。
この説明が難しいから一旦スキップしたのだが、全面的に信じてもらったということは伏せていた部分もちゃんと包み隠さず説明しなければいけないということだ。
冷や汗がどっと湧き出る。
「ゲーム?
チェスやポーカーとは違うものだろうか?
ゲームに、物語……?」
当然、そんな文化に一切触れたことのない王子はきょとんとした顔。
――ですよね!
と頭を抱えたくなるが、ここまで来て適当な表現でお茶を濁していても何の解決にもならない気がする。
「……王子、申し訳ありません。
テレビゲームが……いえ、『乙女ゲーム』が何たるかを王子に正確にご説明する事は大変難しいことのように存じます」
「おとめげーむ?」
目を点にするとはこのことだろうか。
今までにない困惑の表情を浮かべるカサンドラであったが、自分の記憶を”共有”してもらって考えるということなら避けては通れない――
カサンドラにとっては裸足で逃げ出したくなる苦行である。
何が悲しくて婚約者、いや自分が好きな人に一生懸命「ゲームを通して恋愛を疑似体験する」という遊戯について説明しなければいけないのか。
しかもここは曲がりなりにも剣と魔法のファンタジー世界、一体どこからどう説明するべきなのか。
カサンドラは心理的拷問を受けるに等しい状況で、王子に向き合う。
王子とて、”乙女ゲーム”がどういうものか全く理解できないけれども自分がそこで黒幕的存在で倒されると聞いているのだ。
正確な情報を知らないわけにはいかないと、威儀を正してカサンドラに向き合う。
「君の記憶が示すのは一体どのような”物語”であるのか、私も知りたい。
理解に時間がかかったとしても、君の相談相手となり得るために情報が欲しいと思う」
未知なる概念に拒否反応を示す事無く、前向きに受け入れようと向き合ってくれるのは有り難いことのはずだ。
「ゲーム……
選択式の物語、と申し上げれば宜しいのでしょうか。
物語を始める際、自分の視点となる主人公を選ぶのです。
自身が選んだ主人公によって、物語内で起こる出来事や接する相手の反応が変わります」
「成程、選択式……。
リゼ君が主人公の物語、リタ君が主人公の物語、リナ君が主人公の物語がある、と」
「はい。
舞台は同じ学園で、期間も三年間です。
攻略の対象となる人物――ジェイク様やシリウス様、ラルフ様とお近づきになって仲良くなる姿を”外側”から見て楽しむ遊戯です」
「………。」
「作品の基本となる
王子が黒幕として王国内を混乱に陥れ、悪魔と化すという一連の流れに変更はありません。
主人公達が各々、選んだお相手と共に困難に立ち向かい、想いを通じて最後は結ばれるという構造になっています。
ただし組み合わせが違うと生じるアクシデントなどが変わり、内容も変化します。
繰り返し、幾度も楽しめる”遊び”なのです」
中々ゲームの概念を説明するのは難しい。
テレビさえ存在しない世界では、電気とは――と一から歴史の流れを説明しないと分かってもらえないのではないだろうか。
いくら魔法の技術が優れていても、疑似恋愛シミュレーションゲームは存在しない。
――まさに異次元の発想である。
「…………。」
王子は、完全に絶句していた。
攻略の対象、という言い方が少々直截過ぎただろうか。
「………キャシー」
「何でしょう」
彼は若干顔を青ざめさせ、口元を掌で覆い愕然とした様子を隠そうとしていた。
「確かに先ほど君は言っていたね、恋愛をテーマにした物語だ、と。
改めて冷静に考えると、ジェイク達の恋愛する様子が”外”、つまり君のいた世界の住人に公開状態……ということだろうか」
一つ一つの言葉を踏みしめるように、王子はゆっくりとそう聞いて来た。
去年の観劇のことを思い出したのかもしれない。
外側から、恋愛を眺めるということ。あれは悲恋だったけれど。
カサンドラの前世がそのゲームで遊んでいて恋愛模様を観測していたように。
プレイヤーの数だけ、その恋愛は全て詳らかになっているというわけだ。
ただの物語の世界の恋愛だ。
架空の世界だから、架空の物語だから、架空の人物だから楽しめる。
架空の世界がこうやって存在してしまったことが神の悪戯なのだとしたら……
架空なんかじゃない現実を生きる王子にとっては、かなり落ち着かず気味が悪い想像になるのだろう。
「そ、そうですね……」
何とも言い難い沈黙が、お互いの間に落ちる。
「……私は主人公たちの恋愛の相手には選ばれなかった、と」
こくこくこく、とカサンドラは首肯する。
王子は大変複雑そうな顔を作った後、苦虫を噛みつぶしたような表情になった。
「黒幕にされてさえいなければ、これほどホッとすることもないだろうね……」
ラルフ達には悪いけれど、と彼は小声で呟いた。
自分の恋愛を自分が感知できない、与り知らぬ場所で眺められていると想像すると、確かにぞっとする話ではある。
物語だからと割り切れないのは、自分がその物語の世界で生きていることを知っているから。
こうして、現実に彼の存在を、優しさを、ぬくもりを知っているから。
「王子、少し休憩しませんか?
コーヒーが冷めてしまいましたから、淹れなおしましょう」
一気に何もかもを共有してくれなんて、求め過ぎだ。
ただでさえ王子は今混乱しているのだから。
まずは重要なことに絞って話をするべきだろう。
――別の意味で、少々頭が痛くなってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます