第412話 告白・Ⅱ
「急な呼び出しで驚いたよ。
君から話があるなんて、どんな用件か想像もつかない。
……今までにないくらい、緊張しているよ」
王子がレンドール邸を訪ねてくれたのは、その日の夜だった。
既に応接室の壁掛け時計は九時を回っていたが、彼が色んな用事を後回しにして駆けつけてくれたのだなと思って罪悪感を抱く。
だが、一刻を争う事態かも知れない。
間を開けずすぐに呼応してくれた王子の行動力に、カサンドラは自分が上手く微笑むことができているのか全く自信が無かった。
互いにソファに向かい合って座り、誰も近づかないようにと話は通してあるけれど。
最初に使用人が用意してくれたカップの中に、黒いコーヒーが注がれている。
「王子、この度は本当にご無理を申し上げました。
お忙しいと分かってはいたのですが……」
「キャシーより優先しないといけない用件はないよ。
……何かあったのかな」
彼もまた、突然の呼び出しで当人の言葉通り緊張していることが空気越しに伝わってくる。
今までの王子とのやり取りの中でカサンドラが深刻な表情で話をしてくるなんて、決して耳に良い話ではないと思っているのだろう。
カサンドラから”会いたい”と言ったのは王子の本心を直接聞いたあの日のことだったり。
そしてアレクに会わせるために招待したあの日だったり。
今度は一体なんだろうと王子が内心戦々恐々としていることは想像に難くない。
カサンドラが王子の立場であってもそう感じるだろう。
「王子。
どうか……
わたくしの『告白』をお聞きください」
「……キャシー?」
それは以前自分が彼にしたような、愛の告白とは全く性質を異にするものである。
より近い表現で言うのなら、罪の告白――懺悔、という形になるのだろうか。
本当は彼に言いたくなかった、知られたくなかった。
自分の中の事で始まり、終わっただけの話ならもう誰も傷つかずに済むと思っていた。
悪魔の影などに怯えることなく、新しい道を歩いていけるのだと信じていたかった。
自分一人が抱え、そして終わったことならば……
「どのようにご説明するべきか、とても悩みました。
……わたくしは――別の世界で生まれ育った記憶を持っています。
『転生者』とでも言えばいいのでしょうか、適切な表現が思いつかず申し訳ありません」
王子の表情が少しだけ強張った。
笑みを浮かべ、こちらの言葉の続きをじっと待っている。
何を馬鹿な事を――と一笑に付さないよう気をつけているのかもしれない。
「別の――世界?」
「そうです。
学園の入学式前日、わたくしは急に激しい眩暈に襲われ――
前世の記憶と申し上げることが適当かと思われます」
「……。」
「このクローレス王国は、この世界は。
わたくしの以前住んでいた世界、日本という国の一つで創られた物語を基に創られたものだと、その時思い出したのです」
王子に情報を提供するにしても、言葉の表現はとても難しい。
以前生きていた世界なら”乙女ゲーム”の一言で言い終える事が出来る概念を、果たして王子にどう伝えればいいのかとても難題だった。
細々とした情報を微に入り細を穿つように一気に話すことは王子を混乱させるだけだろう。
だからまずは、必要最低限の情報を彼に伝える事にした。
「物語の……世界?
私達が? この、世界が?」
彼は蒼い目を見開き、口元に手をあてがって何度も呻った。
それは俄かに信じるには、あまりにも突拍子もない話だからだ。
こんな告白を受けて「そうだったんだね」と容易く受け入れられてしまったら、そちらの方が信用ならない。
王子は聡明な男性だ、頭から鵜呑みにはしないし現段階での態度を我慢して保留している。
「はい。
同時にその物語――作品において、カサンドラという少女は『悪役』として登場する人物だったことも思い出したのです。
とても……驚きました」
ストーリーには主役もいれば悪役もいる。
王子は「悪役……」と心底驚愕した表情で、まじまじとカサンドラを見遣るのだ。
平静でいる事は難しく、手に汗をかく。
「この世界は主人公である少女が同じ学園に通う男性と恋愛をする物語を基に創られているもの――だと、思います。
わたくしは元の世界で、この作品の辿る過程と結末を知っていたのです。
主人公である少女が、特待生の三つ子達。
恋のお相手は、ジェイク様やラルフ様、シリウス様」
頭がおかしくなってしまったと思われていやしないだろうか。
努めて冷静を装っているものの、内心心細くて仕方がなかった。
乙女ゲームの一言で終わる説明も、王子には理解できないだろう。
何度頭の中でシミュレーションしても、ゲームという存在を知らない王子に即座に噛み砕いて理解してもらう説明を思いつかなかった。
とりあえず物語、作品ということで押し通す。
条件分岐だの選択肢だのエンディングだのフラグだの、そんな単語が乱舞しても王子には意味不明だ。本当に伝えたいことまで辿り着けなくなってしまう。
「そして――三年に渡る恋愛の末、想いが叶った彼女達のことを散々虐め、嫌がらせを続けていた『
わたくしは本来、主人公の邪魔をする役割を持たされた人物だったのです。
作品の中ではカサンドラの出番はそこでおしまいですが、その後の物語で彼女達は『聖女』として覚醒します。
……王国内で起こる不穏な事件を起こした黒幕であり、悪魔に乗っ取られた『王子』を聖剣で打ち倒すために――です」
「何……だって……?」
彼は言葉を失い、まさに絶句状態だ。
自分の婚約者が「転生者です!」と告白してきた挙句、自分が物語の黒幕で悪魔と化して倒されてしまいます、と真顔で言われて驚かないはずがない。
「私が? 悪魔に……?」
「わたくしの記憶にある物語の中で、王子は最終的に聖女に倒されてしまいます」
「よく分からないな。
何故、私が悪魔などに」
彼は難しい顔をして、再び唸る。
「……分からないのです。
作品内において、王子の背景事情は殆ど描写されることがありませんでした。
勿論、何の理由もなく王子がそのような行動を起こすなど不自然です。後続の作品でその経緯が明らかになったことでしょう。
あくまでも、この作品の主題は主人公達の恋愛に終始しておりました。
わたくしは王子の事情を知らないまま、この世界で――カサンドラとして。
突然、記憶を取り戻したのです」
「………。」
「記憶を取り戻したと言っても、わたくしは現実にこの世界で十五年間生きてきました。
お父様やお母様、アレク達と過ごした日々も思い出として残っています。
それなのに以前の世界の家族のことも同じように思い出せるのですから、とても混乱したことを覚えています。
わたくしは急に――何の予兆もなく、この世界が前世で創られた数多の創作世界の”ひとつ”であることを知ってしまったのです。
何故わたくしなのか、その理由も。
どうしてこの世界が存在しているのか。
どうして思い出してしまったのか……
何も……分からないのです……」
確信を持てることなど何一つなく。
急に前世の記憶が呼び起され、自分は悪役だと自覚して驚き戸惑った。
「物語のとおりに時が進めば、わたくしはシリウス様達に追放されてしまうのではないかと恐れました。
――何より……
王子が悪魔と化して倒されるなど、わたくしにとって悪夢でしかありません」
ぎゅ、とスカートの裾を握りしめる。
心臓がバクバク音を立てて暴れていた。
今まで誰にも言えなかった、自分の内だけに留めていた真実を言葉にすることが出来てカサンドラは何故だか泣きたくなった。
どうせ自分にしか分からない感覚だから、信じてもらえるわけがないから。
そんな想いで、ずっと一人で背負いこんでいたことだ。
相談できない事は孤独で、いつも間違っていないかと不安で不安でたまらなかった。
「王子が何故悪魔と化すのか、わたくしはその経緯を是が非でも突きとめたかったのです。
貴方が破滅する未来を阻止したい、とその一心でした。
もしも……貴方が人を憎み、絶望し、人外の誘惑に乗ってしまうような事情を抱えているのだとしたら……
その”隙”を失くせば、きっと何もかもが救われると信じていたのです。
王子が悪魔を喚び出してしまうほどの闇を抱えているのなら、貴方が幸せになれば――こんな悲しい未来は起こらないと。
聖女も悪魔も関わりのない、平和な世界に生きられるのだと。
だからわたくしは貴方の想いを知ることが出来て、通じ合えて、とても……嬉しかったのです」
実際に彼の抱える背景、母親のことやクリス王子のこと、そして王城で置かれている立場。
それらの衝撃的な事実はカサンドラを驚かせた。
誰にも吐露できない想いを抱え、周囲の友人だけが幸せになっていく過程を見るのはさぞや辛かったことだろう、と。
「――キャシー。
君が私にその事実を告白するということは、まだ『終わっていない』ということなんだね?」
彼はしっかりとこちらを見据え、真面目な顔でそう問いただしてくれた。
カサンドラの発言を否定するつもりはない。そういうことなのだろう。
冷静に考えれば荒唐無稽なお話だ。
去年、王子に会ったばかりの頃はこんな話をする勇気は無かった。
何も知らない小娘が「貴方は物語の中で悪役なんですよ」なんて真顔で話しかけても真剣に取り合ってもらえなかっただろう。
「仰る通りです。
王子が起こした事件は作中で多く言及されていますが、全ての始まりは王都周辺で隊商がなにものかに襲われる事だったと記憶しています」
どのキャラを攻略していても必ずその事件が発端だ。
何度も文字で追えば、嫌でも覚える。
「成程、だから今日、あんなに思いつめた顔をしていたんだね。
君は生粋のお嬢様だから、この事件を大袈裟に騒ぎ立てて怖がらせてはいけないと思っていた。
あまりにも衝撃を受けていたようだから、教師より先に心配無用だと伝えておくべきかと後悔したのだけどね。
まさかそんな理由で思い患っていたなんて、想像もしなかった」
王子が後悔する必要など全くない。
何も言わずにそんな理由に思い至るなんて、もはや以心伝心をこえたテレパシーのレベルの話だ。
実際に言葉にしないと、伝わらない。
分かってもらえないのは当たり前の事なのである。魔法が使える幻想的な世界でも、そこに暮らしているのは”普通”の人間同士なのだから。
「……キャシー。
君は、こんな事を私に話しても良かったのかな」
じっと見つめる青い双眸に、カサンドラは喉を鳴らす。
「もし私が本当に物語と同じく『黒幕』……? と呼ばれる敵であったなら、事前に全てを知っていると放言する君を見過ごすはずがない。
私の傍から逃げ出す方が安全だし、話が早いと思うのだけど」
「――……。
わたくしは……
貴方がこのような事をなさっているなど、絶対に信じません。
何者かに操られていて意思がないとも、全く。
王子は変わらず、いつもの王子です。
好きになった人を見誤るなどありえません」
彼の事を信じる、信じない、という段階はとうに過ぎたのだ。
これが彼の巧妙な演技で、騙されて頭から食われることになったとしても――
自分は最後まで彼の潔白を信じている。
すると彼は、細く長い吐息を吐いた。
自分の中で思考を纏めるように黙考し、しばらく沈黙が続く。
「君に聞きたいことは沢山ある。
知っている事を全部教えて欲しい、この先どう立ち回るべきかを考えなければいけないからね。
でも、その前に」
彼はスッとソファから立ち上がる。
ゆっくりした足取りでカサンドラの傍に歩み寄ると――
肩を竦め、知らず背中を丸めて俯いて震えていたカサンドラを優しく抱き締めてくれた。
何が起こったのかすぐには理解できない。
だが彼の肩口に顔を埋めていることが分かり、無意識に彼の背中を両手で掴んでいた。
「ありがとう、キャシー。
そんな記憶を抱えていたにも関わらず、私のことを信じてもらえて嬉しい。
でも――君がずっと辛い想いをしていたことに気づけなくて、ごめん。
誰にも言えないことの孤独は、私が一番よく知っていたのに」
彼の言葉に一切の迷いも疑いも感じなかった。
肝心な事しか伝えられていないし、彼も不思議に思うことは沢山あるだろうに。
胸が詰まって、言葉が上手く出てこない。
「わたくし一人では、予め定まった世界の運命を変えるなんて、できませんでした。
このままでは物語通りに王子が……」
否定される事無く、受け入れてもらえたことに胸が詰まった。
冷静でいないと、感情的になっては余計に訳が分からなくなる――と自分を律していたはずなのに。
「大丈夫。
……君は一人じゃない。一緒に考えよう」
――
簡単に涙の堤防は決壊して、再び彼の前でぽろぽろ泣いていた。
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