第411話 無力だから


 一体何が起こっているのだろう。

 カサンドラはまるで坂道を転げ落ちていくような暗澹とした気持ちに襲われている。


 冷静に考えれば、リナのこともリゼのことも単なる偶然としか言いようがない。

 たまたまそういうアクシデントが重なっただけなのだろう。


 しかし、あの時のリナの戸惑いを籠めた視線をカサンドラは忘れる事が出来ないのだ。


 リタやリゼは全く変わらない、今まで通りに接してくれていると思えてホッとする。

 だがリナはどうもカサンドラに対し、何か言いたいことがあるのか聞きたいことがあるのか……

 終始チラチラと見られている視線を感じるのに、いざ振り向けば気まずそうに顔を逸らされる。


 出来るだけ不自然ではない程度に抑えた仕草も、それが重なれば嫌でも普段と違うことに気づいてしまうではないか。



 リナとリゼは学園を欠席。

 リタとカサンドラは早退――という状況で出席名簿には記載されているのだろうか。

 朝の点呼まで待機していなかった自分とリタも欠席扱いになっていても不思議ではないが。


 今となっては学園の出欠など些末な問題には違いないか。



 リナの様子のおかしさに、動揺を隠せない。

 だが彼女は努めて今まで通りに接してくれようとしているので、こちらから「おかしいですよ」と問いただす勇気が持てなかった。



 自分の思い過ごしであって欲しい。

 でもそうやって問題を先送りにしても、どうしようもないところまで来てしまった。


 カサンドラがそれを思い知らされたのは、翌日の朝のことだ。




 その日は、どこか学園中――いや、王都中が重苦しく鈍重な空気に包まれているかのようであった。


「キャシー、おはよう。昨日は驚かせたもしれないね。

 突然欠席して、ごめん」


「……王子……!」


 良かった、今日は王子がいてくれる。

 彼と会えなくなるなんてありえないことだと思ったが、特に体調を不良の様子もない王子の姿に心の底から安堵した。


「先日は王子だけでなく、ジェイク様やシリウス様もご欠席されていたので何かあったのだろうと思っておりました」


 そう言えば、今日はシリウスは登校しているけれども昨日と変わらずジェイクの姿は教室には無かった。

 また、昨日はいたはずのラルフの姿が見当たらない……


 こんなにも連日彼らが疎ら登校した記憶がなく、カサンドラも自然表情が強張る。


「今朝はラルフ様のお姿が見当たらないようですが……」


 昨日は他の生徒に何かあったのかと事情を問われて対応に追われていたラルフである。

 しかも詳細な説明をラルフ自身も聞いていないということで、余計にわけのわからない一日であったそうだ。


 今日は彼が休み……?


「ああ、ラルフは今ヴァイル邸に一度戻っている。

 明日は登校できると思うよ」


「……何かあったのですか?」


「長い付き合いの飼い犬が亡くなってしまったらしくて」


「それは……悼ましいことですね」


 ラルフが動物が好きなのはカサンドラも良く知っていることだ。

 寮では動物を飼うことは出来ないけれど、実家に戻れば何匹もの犬に囲まれて癒されることができる。

 その中の一匹が天に召されてしまったとあっては、ラルフが学園を欠席したくなるのも無理はない……か。


「流石に飼い犬が亡くなってしまったから学園を休むというのは難しいからね、体調不良と言うことになっている。

 キャシーなら言いふらすことは無いと思うけれど」


 カサンドラが慌ただしい状況の変化に不安を抱いていることを王子も感じ取っているのだろう。

 誤魔化すこともなく、彼の事情を教えてくれた事にこのラルフには不謹慎ながらも、ホッとしてしまった。


「昨日はリゼさんが通り魔に襲われて欠席されたと聞きますし、突然には突然が重なるものですね」


「そうだね、本当に」


 彼は少し視線を逸らし、窓の外の景色を眺める。

 今日に限っては曇天の空模様、いつもの晴れやかな陽光は一体どこにいってしまったのか。

 まるで今のカサンドラの心中をそのまま映し出したかのような、泣き出しそうな空。


「ジェイク様も事後処理でお忙しいのでしょうね」


 皆揃って、以前のように楽しい時間を過ごしたい。

 カサンドラの願いはそれだけだ。

 何も悪い事が起こらず、このまま卒業してそれぞれの道を未来に向かって歩いていきたい。

 ただそれだけだ。


 我儘な願い事なんかじゃないと思うのに……



「キャシー、実は――」



 王子が何か言いかけた時、丁度始業の鐘が鳴った。

 廊下で話をしていると、いつもはジェイクが「早く入れ」と不機嫌そうに時間を教えてくれるのだけれど。

 いつも急かされているようでモヤモヤしていたが、いざ呼びかけの声がないと物寂しい。



「王子、どうかされましたか?」


「私から説明せずとも、恐らくこれから学園を通して話があるはずだ。

 ……大丈夫、何も心配することは無いよ」



 胸騒ぎが止まらない。

 今まで穏やかに過ぎていた時間が、陽炎のように遠くで揺らめいている。

 先週の今頃は、明日の事に不安なんて抱くことなく日常を送っていたではないか。


 どうして、急に?





 ※



 漂う不穏な空気に影響されているのか、いつもより私語が少ない。

 ジェイクとラルフの姿が無いということで、リゼやリタも物足りなさそうだ。

 周囲のやや緊迫した空気に気圧されたのか、不安そうに空の席を何度も眺めては溜息をついている姿がカサンドラの位置から良く見えた。


 担任の教師が始業の鐘の後、ゆっくりと教室の扉を開いて入って来る。


 毎朝変わらない、見飽きたとも言える光景のはずだった。

 しかし先ほどの王子の言葉もあって、喉を鳴らし担任教師の表情に注視する。





「おはよう。

 諸君に注意を喚起する事項がある。よく聞きなさい。

 騎士団から報告があった事だが――



 先日、王都に向かって発っていた隊商がなにものかに襲われたということだ。

 一体何が起こったのか調査中で、今後同じ被害が生じない確証がないとも。

 君達は王国にとってとても重要な人物だ。

 くれぐれも事件の全容が分かるまで街壁の外に出ることのないよう。


 ああ、そんなに不安がらなくても大丈夫だ。

 学園内での諸君らの身の安全は国王陛下の名の下に約束されている。

 君達は王国内で最も安全な場所の一つを、大手を振って利用できるのだ。


 軽率な判断に基づいた行動をした結果、事件に巻き込まれることのないように」




 淡々と教師が話す内容に、カサンドラは血の気がザーーーッと足元まで引いていくのを実感した。

 目を大きく広げ、わなわなと両手の先が震える。


 そんな……

 そんな馬鹿な。



 事件は起こらないはずではなかったのか。

 王子がそんなことをするはずがない!


 王子が……



 カサンドラの視界の中で、リナが明確な意思を持って動いた。


 彼女は不安そうな顔をして表情を強張らせていたが、その視線は一点をただじっと見つめている。

 自分の恋するシリウス――というわけではなく、教壇前に着席する王子を、食い入るように微動だにせず、じっと見つめている。



 気のせいなんかじゃない。




 

    リナは、知っている。





 これから起こる事件の数々が、全て王子が起こした禍の一部であるということを。


 少なくとも、カサンドラの知っているシナリオでは”そう”であったことを……

 それを知っていなければ、リナが王子に的を絞って恐ろしそうに震えながらも凝視する理由がないではないか。




 意識が遠のきそうになるのを、カサンドラは必死で堪える。


 頭の中がぐちゃぐちゃで、そのまま机に突っ伏して泣き崩れそうだ。


 今まで自分がしてきたことはなんだったんだ。




 自分の知らないところで、王子がそんな恐ろしい事をしたというのか?




 そしてようやく、この段に至ってカサンドラは自分が目を逸らし続けていた”前提”が牙を剥いたのを知る。






 『悪意の種』に取りつかれて悪魔と化す王子。


 ――最初から、本人の意思ではなく何者かの意思が介在し、強制的に植え付けられるものなら?




 王子の心を救えたから、彼が闇堕ちすることはない。自分は安易に考えていた。

 その可能性を思いついていたにも関わらず、もう大丈夫だと勝手に不安を視えないところに押し込めていた。

 


 もしかしたら、この世界に修正力が働いてどう足掻いても王子が破滅するように動いているのかもしれない。

 可能性だけが沢山散りばめられても、今以上の事は、カサンドラの手には負えない。


 自分一人の力でどうにかなるものではない、他に事情を知って協力してくれる仲間がいなければ……


 自分の秘密を共有することで、何か解決策や今後の方策を一緒に考えてくれる人はいるだろうか。



 ……王子の姿が真っ先に思い浮かんだ。



 『カサンドラ』が何者であるのか。

 この世界が何であるのか。


 今まで自分が抱えていた記憶と言う秘め事全てを他人に理解してもらい、信じてもらわなければカサンドラ一人では解決できない。

 だがそんな荒唐無稽な話を信じてくれなんて言えない。




 何より……



 カサンドラは怖かった。


 自分が、この世界の人と本質が”違う”のだと誰かに知られることが恐ろしかった。





   貴女は誰?




 リナに問いかけられて即座に応えられなかったように。


 もし王子にも同じように問いかけられたら、自分は胸を張って『カサンドラだ!』と言い切れるのか、ずっとずっと自信が無かった。


 急に思い出した記憶。

 入学を境に人が変わったようだ、と評される自分。



 出来る事なら、このままずっとこの世界に溶けこんだ状態で生きていたかった。

 記憶なんか必要ない、思い出すことなく忘れてしまいたい。


 他所の世界の記憶があることをしんば信じてもらえたとしても、異質な存在として扱われたとしたら辛い。



 だがここまで来たら、『知られたくない』なんて臆病なことを言っていられない。

 自分一人では限界がある。


 何も救えないことに気づいてしまった。



 カサンドラは今回の事件に王子が関わっていないと信じているが、カサンドラ一人が信じたところで現状何も変わらない。



 であれば、もう直接王子本人に事情を説明するしかない。

 どれだけ危険な状態におかれているのか本人が自覚しなければ、望まないままラスボスの立場に追いやられてしまう。






 未だに全身の震えが止まらない。

 全ての事情を打ち明け、王子が信じてくれるのだろうか……?





 王子に、自分カサンドラの好意が  破滅しないための”目的意識”に始まる



 と、気持ちを疑われることも怖かった。




 自分が追放されないために、王子を救うしかなかったから――そんな風に想いを歪んで受け取られてしまったら立ち直れない。

 想いが通じ合った今のままで、幸せなままで未来を一緒に築きたかった。











 イベントがこうして起こってしまったのなら、四の五の言っていられる場合じゃない。


 少なくともリナは、この事態が王子が起こしたものだと疑っている――確信しているのではないか、と思う。

 それがこの先のシナリオにどう影響があるか定かではないが、カサンドラ一人心を痛めて右往左往しても事態は決して自分に都合の良い方向には動かない。


 だって、自分は何の能力もない、タダの一般人なのだから。




 ただの悪役という役割を与えられた自分が、たった一人で王子を、国を、世界を救うなんてできるわけがなかったんだ。






 自分一人がじたばた足掻けば何かが変わるなんて、そんな奇跡は起こらない。









 ※










「王子、宜しいですか?」


 


「キャシー?」



 朝の授業が終わった後、決死の覚悟で声を掛けてくるカサンドラを振り返り怪訝そうな顔をする。

 カサンドラからこうして彼に声を掛ける事は滅多になかったからか。





「とても……大切なお話があります。

 わたくしの屋敷に、一度お立ち寄り願えませんか」 









 全部、話そう。


 信じてもらえなくても 気持ちを疑われても




 答えのない難問を前に一人で悩むのは、もう嫌。

 

 誰かと”一緒”がいい。






 王子なら――きっと一笑に付したりなんかせず、真剣に取り合ってくれる。

 頭から疑ってかかることなく、受け入れてくれる……はず。






  



    ……ちょっと怖いな。








 王子もあの日カサンドラに、彼の抱える『境遇』を吐露する時、今のような気持ちだったのだろうか。

 誰にも言えないと抱え込んでいた事情をいざ話そうとすると、こんなに怖いんだ。





 でも、ちゃんと言わなきゃいけない。





 ――助けて って。


    

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